新型コロナウイルス(COVID-19)について、今の僕が感じていること

新型コロナウイルス(COVID-19)について、今の僕が感じていること日常生活

2020年が終わって、2021年が始まった。そしてそれは、

新型コロナウイルス(COVID-19)の影響がこの社会に拡がり始めてから、もう1年くらい経とうとしている

ってことでもある。そしてそれはもちろん、まだ終わっていない。

正直言ってこの話題は、あまりに多くのひとにあまりに大きな影響を及ぼしているから、それぞれの立場や想いが混み合いすぎていて、触れるのは本当に難しい。でもやっぱり、僕も僕なりに想いを表現しよう、あなたと想いを伝え合おうと思ってこの場所を創ったんだから、その原点を確かめながら、この1年の経験も踏まえつつ、今の僕なりに思うことを、書いてみようと思う。

お互いに想いが強いからこそ、過激になって衝突してしまう

さっきも言ったとおり、今回の新型コロナウイルスは、あらゆる社会のあらゆるひとにとって、あまりにも影響が大きすぎる。だから、それぞれが切実な想いを持っているからこそ、それが過激になって衝突してしまう。たとえば

この騒ぎは全部茶番なんだ!ほんとはこんな新型ウイルスなんて存在もしてないのに、大げさに騒いで社会を創り変えようとしてるんだ!

という意見と、

いや、コロナは茶番なんてどうしてそんなこと言えるんですか?それどころか、もしまったく対策を講じなかったら、人類が滅亡するかもしれないんですよ!あなたのようなひとがいるから、みんなが大変な目に遭うんです!そんなことを言うひとは、今後なにがあっても、病院には来ないでくださいね!

という意見を対比してみると、これは実際あまりにも両極端なんだけど、こういうぶつかり合いですらそれなりにある。そしてお互いが

このままではみんな全員が大変なことになってしまいます!だからどうか、気づいたひとは身近なひとや縁のあるひとに、積極的に拡散してください!

みたいなことを言い合うから、ますますその炎は烈しくなって、結局お互いの溝は深まっていく。最初はただ、お互いが真剣にこの世界のことを、自分の大切なひとのことを自分なりに考えていただけなのに。だから僕は、この先に話を進める前に、

ここに書くことは(これ以外の文章も含めて)ぜんぶ、「僕が今までの経験や人生を踏まえて、自分なりに培ってきた想いに基づくもの」だから、これが絶対的に正しいとも思わないし、共感できないひとがいるのも当たり前だ。だから無理に「拡散」してほしいとも思わないし、あなたに「僕と同じ気持ち・考え」になってほしいと思って、書いているわけでもない

ということを、改めて確認しておこうと思う。そしてこの大前提のうえで、まずこの一連のすべての発端になった、

「ウイルス」

そのものについて、僕なりの考えを書くところから始めようと思う。

「ウイルス」と「人類」の利害は、根本から対立しているわけじゃない

じゃあ

そもそもウイルスっていうのはなんなんだろう?

という問いを立ててみる。もちろん僕はウイルスの専門家でもないし、この答えはひとつでもないだろう。でもすごく単純に言ってしまえば、

ウイルスも、生きものの一種だ

ということは間違いない。しかもウイルスは独りでは生きていられない、その意味では明らかに

「か弱い生きもの」

だ。それはウイルスを「細菌」と比較してみたら、なおさらはっきりしてくる。そしてそれは、こんなふうにとても簡単に解説されていることでもある。

細菌(バクテリア)は、栄養をやっておけば、それを食べ(細胞内に取り込み)、その一部を自分のからだの一部にします。体を作るのに必要なエネルギー得るために、栄養素を代謝します(植物や一部の細菌などは光のエネルギーを使います)。

(中略)

ウイルスはというと、、、 自分を増やす設計図(遺伝子)を持っています。それが壊れないように殻に包んでいます。 ウイルスは絶対的な寄生体で、ひとりでは生きていけません。宿主の細胞の中に入って、初めて増殖できます

ウイルスと細菌

細菌とは

 目で見ることはできない小さな生物です。一つの細胞しかないので単細胞生物と呼ばれます。細菌は栄養源さえあれば自分と同じ細菌を複製して増えていくことができます。

(中略)

ウイルスとは

細菌の50分の1程度の大きさで、とても小さく、自分で細胞を持ちません。ウイルスには細胞がないので、他の細胞に入り込んで生きていきます。

細菌とウイルス
日本政府がまとめた薬剤耐性(AMR)対策アクションプラン実現の取り組みとして、国際的に脅威となっているAMR対策の普及啓発を目的としたWEBサイトです。一般生活者および医療従事者へ、AMR対策や抗菌薬の適正使用の重要性などの情報を発信していきます

ウイルスがこういう性質の生きものだということを踏まえると、ここからまず

ウイルスは独りでは生きていけないんだから、宿主である誰か(人類)に寄生して生きていく必要がある。逆にもし宿主が死んでしまったら、ウイルスも一緒に死んでしまう

ということが言える。つまり

ウイルスは別に僕たちを殺そうとしている生きものじゃない。むしろ「お互いに自分の生きる道を探している」というだけで、その利害は少なくとも、根本的に対立してはいない

ってことだ。

だからむしろあまりに凶悪なウイルスは、相手(宿主になり得る生きもの)からも徹底的に避けられるから、ウイルス自身にとっても損になる。そしてだからこそ、ウイルスが変異(≒進化)するときには、

「感染力が上がって、代わりに致死率が下がる」

というのがひとつの「定番」だ。感染力を上げて誰かに取り付きやすくなる代わり、相手に敵対されずに長いこと共存しやすくするために、致死率を下げる。

それに宿主のほうにも「免疫力」があるわけだから、

「自分たちに有害な『症状』を出さない(自分の免疫力のほうが優っている)のであれば、感染していても問題ない(気づかないし、気づく必要もない)」

とも言える。そしてそうやってお互いが過剰にいがみ合わずに共存できることこそが、ウイルスにとっても本望かもしれないんだ。そう、たとえばヘルペスウイルスと僕たちみたいにね。

ヘルペスウイルスと僕たちの関係については、たとえばこんな研究も為されています。

ヘルペスウイルスへの感染は、活性化して激しい症状を呈するか、潜伏していてとりあえずは無害な状態のどちらかというのが、これまでの見方だった。しかし、マウスで行われた新しい研究によって、3番目の形が浮かび上がってきた。ヘルペスウイルス(HV)の慢性感染には、直接的な利益があるらしいのだ。

Nature ハイライト:ヘルペスウイルスの功罪 | Nature | Nature Research
Natureは、毎週木曜日発行の国際的な総合科学ジャーナルです。掲載される論文は、独創性、重要性、社会性などの観点から査読を受けたもので、時に、科学界のみならず社会にセンセーションを巻き起こすことさえあります。また論文以外にも、社会的関心の高い、信頼性のある科学関連ニュースや、News & Viewsなどの解説記事、社...

だからおそらく、というかほぼ間違いなく、ウイルスと人類が全面的にぶつかり合ったとしても、ウイルスが人類を絶滅(滅亡)させることはない。それが「新型」であろうがなんであろうが、そもそも種として、いのちの総合力として、ウイルスより人類のほうがずっと「強い」からだ。

そしてこれもずっと思っているんだけど、

もしこの先いつか人類が滅びることがあるとしたら、それは「地球環境の大激変」か、あるいは「人類同士の争いによる自滅」の2つの結果のどちらかしかないだろう

という想いが僕にはある。だから、もし今回のウイルスの発端が単なる「コロナウイルス」じゃなくて、

「人類の脳や神経に作用して、お互いの攻撃性や疑心暗鬼を強める、新種の伝染性プリオン」

とかだったら相当ヤバかったと思う。人類の滅ぼしかたをいちばん知ってるのは、いつだって人類自身なんだから。でもこんなコロナウイルスくらいには、そんな役回りは到底できっこない。だから最終的には、人類は必ずこのウイルスに打ち克つ。これはもう、断言してもいいんじゃないかと思う。

ただ僕たちは、「種として生き残ればいい」とは割り切れない

だから何度も言うとおり、人類は総合的にはウイルスより、少なくとも今回のコロナウイルスよりもずっと「強い」んだから、こんなことでは人類は滅亡したりしない。だけど、僕たちには実のところ、ウイルスにはない圧倒的な「弱み」もある。それは、

僕たちはウイルスと違って、「種として生き残ればいい」(勝ちだ)とは割り切れない

ってことだ。ウイルスは、途中でどんな目に遭って、その過程でどんなに「個体数」が減ろうが、最終的に種が存続・反映していければ(安定的な宿主との共存関係を築ければ)、それで

「勝ち」

だ。

でも僕たちの場合は、人類の場合は、そうじゃない。

たとえ人類が全体として、これから100年1000年1万年後も存続していけるとしても、そんなことより、「今の自分にとって大切なひとが急に、特に『平均寿命よりずっと早く』死んでしまう」なんてことになったら、それは自分にとっては、明らかな「負け」だ

っていうのが、僕たちの、今の人類の立場なんだ。そしてだからこそ、そこにはそれぞれの「立場」が、そして「それぞれが大切に想うひと」の立場が反映される。つまりこの問題の本質は、ウイルスそのものにはない。これも結局は、

「僕たち自身・そしてその集合体としての社会そのものの問題」

なんだ。

そして僕も自分の「個人的立場」、そして「個人的な気持ち」から言うなら……

そしてさっきは、ある意味いちばん、「極端」な

「大切なひとがウイルスによって死ぬ」

という例を挙げたけど、人類にとっての死とは、別に必ずしも

「直接的な死」(物理的な死)

だけを意味するわけじゃない。たとえば

「好きだったことを続けられなくなる」(≒社会的な死)

「恐怖や不安に呑まれて、なにも楽しくなくなる」(≒精神的な死)

だって、人類にとっては無視できない「死」の一種だ。だからここでも、それぞれの「立場」が分かれ得る。つまりどう考えても、

「全員が快く納得できる解決策」

なんてものはない。そこにあるのは「線引き」であり、「優先順位付け」であり、さらに究極的には

「どの立場がいちばん多いか、共感を集めるか」

でしかない。それが「社会運営」であり、「民主主義」(≒多数決)でもある。

だからそれを重々承知のうえで、僕も自分の「個人的立場」、そして「個人的な気持ち」から言うなら、僕は今の日本は全体的に、不安を煽りすぎ、コロナを過剰に恐れすぎだと思っている。

でもそういうふうに言うと、

またお前も「コロナは存在しない」とか言い出すのか!

なんて勘違いされるかもしれないから、もう少していねいに言う。まず僕は決して、

「コロナ否認論者」

ではない。どんな理由であれこのウイルスは実際にあって、この社会に明らかな影響を及ぼしている。そのうえでさっきから言っているとおり、この問題を

「社会的問題」

として捉えたうえで、今の僕は第一に

今の日本は全体的に見て、それなりにうまく感染を抑えられている。だけど「このくらいの数」なのにもかかわらず、一方で「医療崩壊が起きつつある・一部では実際に起きてもいる」というのであれば、なんらかの対応を見直す必要がある

と思っている。そして具体的には、僕は実際にいろいろ議論されてもいる

「新型コロナウイルスの扱いを、指定感染症2類以上の扱いから5類程度への引き下げ」

を支持する。確かに、このウイルスが発見された当初はほとんど情報も知見もなかったから、暫定的にこの扱いで様子を見たのは間違いでもないと思う。でも今はだいぶいろんな経験も積まれてきたし、ワクチンもできるし(ワクチンの危険性についての議論はいったん置いておくとして)、それこそ

「季節性インフルエンザ」

と同等の「5類感染症」と見なすのが妥当なんじゃないかと、個人的には思ってる。ただこれも

インフルエンザの患者数は激減しているのに、それでも感染拡大が止まらないコロナのほうがずっと危険に決まってるだろ!

という意見もあるのは知ってる。けど一方で

すると、インフルエンザウイルスやコロナウイルスを持っていた場合、検査をしていた医師や周りにいた看護師などの医療従事者が感染してしまうリスクが非常に大きいです。そして、彼ら自体が感染リスクに晒されてしまうことももちろん避けなくてはいけないのですが、医療従事者は毎日多数の患者さんと接触します。そのため、医療従事者がウイルスを持っていることは患者さんへの感染リスクも考えると非常に危険です。

そのため、医療従事者の安全を守るために、自主的にインフルエンザの検査を中止している医療機関もありますし、日本医師会や厚生労働省の通達でも、検査による感染リスクを十分減らす感染防御策が徹底できない医療機関においては検査を控えることが言われています。

インフル感染者数が激減?コロナ禍における傾向について、医師が解説します。 | CLINIC FOR
クリスマスも終わって年の瀬ですが、皆さんにとってこの2020という年はどういった年だったでしょうか。 コロナ禍においてはなかなか思い出なども作ることができなかった方も多いとは思いますが、実はこのコロナ禍で例年よりインフルエンザの感染者が激減していることはご存知でしょうか。 今回はそのような今年のインフルエンザの感染状況...

っていう話もあるから、その辺も加味して考える必要はあると思う。それに僕は別に「5類」にこだわっているわけじゃないから、なんなら4類でもいいんだ。ただ僕が言いたいのは、

もし2類の扱いを少し緩めることで医療現場の負担を減らせるなら、それもひとつの有力な案なんじゃない?

ってことなんだ。そして実際にやってみてやっぱり問題のほうが大きかったら、また2類に戻したっていい。そもそも今の2類扱いは暫定的な処置なんだから、更新しなければ今年の2月6日で期限切れになるんだし。

このあたりの事情について、詳しくはたとえば

なども参照していただければと思います。

また、2020年12月8日付で全国保健所長会から出された緊急提言(リンク先の資料の90〜93ページ)にも

保健所は地域における健康危機管理の拠点ですが、医療機関や消防警察などと異なり、通常の職員体制は24時間交代制ではないにもかかわらず、災害時に準じた対応を余儀なくされています。2020年2月1日の指定感染症の指定以降、数カ月にわたり危機的な状況が継続していることを以下の現状とともにお伝えいたします。この状況をご理解いただき、喫急に国が主導して対応方針を定め、都道府県へ呼びかけていただきますよう、具体的な提案を申し上げます。

(中略)

国への要望

・現在の「全国的に流行期である保健所の感染症対策」を早急に示すこと

・迅速なワクチン接種体制の構築を進めること

・指定感染症としての対応を検証すること

現時点で、判明している「新型コロナウイルス感染症」の概要について、我が国の情報を整理し、国外の対応策も参考にした上で、改めて本疾病についての疾病概念の認識を国民及び保健医療関係者に示すこと。流行の終息が見えない中で、指定感染症の指定解除の条件や時期について展望がないことは、保健所職員や医療従事者の健康障害や意欲の限界を生じ、感染拡大地域のみならず、全ての地域の保健所における業務遂行が不可能となる事態も危惧される。

という見解が明記されています。

さらに、現在のような状況・対応基準が続けば、医療提供の基盤である「病院そのものの経営」にも深刻なダメージが出ることは、日本病院会からも訴えられていることです。

まぁただ、この2月6日っていうのはこれから発令されると言われている

「2度めの緊急事態宣言」

の期間中なわけだし、そもそも時期的にウイルス活動がいちばん盛んなときだと思うし、それに指定感染症の扱いをやめると

「海外からの入国を制限する」

ときとかの根拠も薄くなっちゃうんだろうから、実際に実現するまでのハードルは、かなり高いという認識もあるんだけど(でもGo to 関係の事業は停止しつつ、緊急事態宣言も出そうかというなかで、海外からの入国を完全には停止しない=ビジネス関係の特例は認め続けるっていうバランスについても、いろいろ思うところはあるよね。難しいんだけど)。

ただこのあたりの運用については、

たとえ今の2類扱いのまま延長したとしても、知事の判断で柔軟な運用に切り換えることができる

という話もあるようです。

いずれも、2類とか5類とかじゃなく、システム運用の問題です。2類相当であることで、制度的に縛られてると誤解しないこと。おおむね「できる規定」です。

このあたりは、臨床現場への説明が不十分なのかもしれませんね。

(中略)

2類相当の現在でも、上記のようにギアを入れ替えることは認められています(知事の裁量)。感染者全員に入院勧告をかけるかも、重症者のみの入院とするかも、柔軟に決定することが法的に認められています。医療体制がひっ迫してきたのなら、当然、柔軟に切り替えるべきです。

高山義浩
なるほど・・・  東京は医療リソースが潤沢だから、じゃかじゃか入院させているのかなと思ってましたが、これじゃ持たないだろうなと感じます。 いずれも、2類とか5類とかじゃなく、システム運用の問題です。2類相当であることで、制度的に縛られてると誤解しないこと。おおむね「できる規定」です。 このあたりは、臨床現場への説...

もしそうだとしたら、僕は必ずしも指定引き下げそのものにこだわる気はありません。ともかく、他の疾患への対応力の確保など様々なことを考慮して、より柔軟な運用に切り換えることも積極的に検討すべき時期なのではないかというのが、僕の立場です。

それからこれはまだ議論の段階であって、今はまだなにかが決まったわけではないけど、一部で言われている

「マスク着用の義務化」

には僕は反対したい。というかもっと厳密に言えば、「賛成することはできない」。

というのもこれは僕くらいなら別に問題なくて、つまり僕は多少肌が弱くて、肺活量が半分くらいなだけだからまだいいんだけど、なかには

アレルギーとかいろんな事情で、マスクを付け続けることにどうしても耐えられない

っていうひともいるからだ。それにこれも運用次第ではあるけど、年端もいかないこどもにマスク着用を義務付ける(≒違反したら罰則を課す)ってのはあんまりだし、現実的でもない)と思う。あともうひとつ、

もし常時着用を義務付けてしまったら、夏の熱中症対策との両立が難しくなりすぎじゃない?

って懸念もある。だからマスクについては、少なくともこれ以上着用を強いるべきじゃないっていうのが、僕の立場なんだ。

「過剰に不安にさせることが、むしろ現場の働き手を減らす」という可能性は?

それから最後にもうひとつ、僕にとっていちばん切実で、いちばん身近な話がある。それはたとえば、こんな報道に、端的に表れている実態だ。

見てのとおり、このコロナ問題は確実に、介護の現場を直撃している。そしてそれはもちろん、僕自身の生活に直結する。これはこないだ

って直接報告したとおりだけど、実はこの

「ヘルパーさんが来られなくなるかもしれない・契約を打ち切られるかもしれない問題」

は、この後も断続的にぶり返している。だからこれはほんとに、僕にとって切実な問題なんだ。

でももちろん世間では、

死んだら取り返しがつかない!だからたとえちょっと「恐れすぎ」なくらい警戒して、「備えすぎ」なくらいに備えて、それで思ったより被害が出なかったら、それはそれで結果オーライだろ!

という考えのひとも多いと思う。そしてそれはなにより、

「僕自身も含めた、『基礎疾患保持者』=重症化・死亡リスクが高いひとを護るため」

でもあるのはわかっている。だからその気持ち自体は、もちろんありがたいんだ。

でも一方で

そういう「なんとしても感染を抑えないといけない・リスクを高める行動を取るなんて迷惑でしかないし、自己中心的な最悪の行動だ!」みたいな風潮が強まれば強まるほど、介護者や医療従事者になりたい気持ちは擦り減って、結果的に「ウイルスとは直接関係のない、医療崩壊」が起きるかもしれない

んだということも、頭の隅にでも置いておいてほしいと思うんだ。それに実際去年には、

という事例も起きている。これは最終的に和解に至ったからよかったけど、そうでなければもしかするととてつもない影響を及ぼしたかもしれないと思っているし、僕自身この裁判の判決が出るまでは、内心ほんとにドキドキしてたんだ。

ただもちろん、僕はこのご遺族の気持ちを軽んじたいわけでも、裁判を起こしたことを批判したいわけでもない。大切なひとが死んでしまうのは、もちろん哀しいことだ。それは当たり前で、自然なことだと思う。ただその

「犯人捜し・死の責任追及」

をあまりにも推し進めていくことは、それを

「誰か特定のひとの責任」

にしてしまうことは、その現場で生きるひとたちをかえって追い詰めることになるんじゃないか、護りたいはずのひとを、実は責めることにもなるんじゃないかって、僕はそういうふうにも思うんだ。

「感染する」という事実と、ひとを「保菌者」と見なす社会

と、こんなふうにいろいろ僕なりの想いをまとめてみた。ほんとは、細かく書いていけばもっといくらでも書けるだろうとも思う。これはそれだけ繊細で、切実で、難しい問題だから。でも僕は考えれば考えるほど、

この問題の核心は「ウイルス対人類の戦争」ではないし、もっと言えば「このウイルスが本当はどのくらい危険なのか」ってことすら、実は関係ないのかもしれない

という想いを強くするんだ。じゃあ本当の問題はどこにあるのかと言えば、それはやっぱり社会的な問題で、つまりは

「どこの誰からとも気づかないうちに、病気が感染する」という事実は、人間の弱点をこのうえないほど強烈に突いてくる

っていうのが、僕が今までの自分や社会の在りかたを見てきて、いちばん強く感じたことなんだ。

たとえば

「ハンセン病」

のことを考えてみてほしい。たとえば

にもまとめられているとおり、この病気も

「らい菌」

と呼ばれる菌に感染することが原因となって発症する、れっきとした「感染症」だ。そしてだからこそ、日本でも発見されてからとても長い間

「凶悪な伝染病」

として恐れられ、いったん発症が知られると、徹底的に社会から隔離された。でもその当時の判断は今では

「明らかに不当な差別」

と見なされて、実際に国が責任を認め、損害賠償を行うことにもなったくらいだ。

つまりこのハンセン病は、

「実際の感染力はほとんどなかったにもかかわらず、それを過剰に恐れた社会から疎外され、隔離され続けた」

というのが差別の核心だったわけで、だからこそこの病気への理解が進んだ今となってはまったく違う扱いを受けているわけだけど、でも僕はここであえて、こんな想像をしてみたいと思うんだ。

もし仮に、この「らい菌」が本当に凶悪なウイルスで、ハンセン病が実際に「強力な伝染性」を保つものだったとしたら、その患者さんへの扱いは、「不当」だったと見なされるだろうか?

って。

あるいはまた、

「エイズ」(AIDS=後天性免疫不全症候群)

について考えてみてもいい。この病気も、原因は

「HIV」(=ヒト免疫不全ウイルス)

っていうウイルスに感染することにある。でもこの病気の場合は、

HIVに感染すると、HIVは血液、精液、膣分泌液、母乳などに多く分泌されます。唾液、涙、尿などの体液では他のヒトに感染させるだけのウイルス量は分泌されていません。感染は、粘膜(腸管、膣、口腔内など)および血管に達するような皮膚の傷(針刺し事故等)からであり、傷のない皮膚からは感染しません。そのため、主な感染経路は「性的感染」、「血液感染」、「母子感染」となっています。

※ 性的感染
HIV感染は、性行為による感染が最も多いです。主として、女性は膣粘膜から、男性は性交によって生じる亀頭部分(粘膜)の細かい傷から、精液、膣分泌液に含まれるHIVが侵入することで感染します。また、男性同性間の性的接触では、腸管粘膜から精液中のHIVが侵入します。機械的な刺激の強い膣や口腔の粘膜は重層ですが、腸管粘膜は単層であることから傷つきやすいため、HIVが侵入しやすく、膣性交よりも感染リスクが高くなります。

HIV・エイズって何? | HIV検査・相談マップ
厚生労働省「HIV検査相談体制の充実と活用に関する研究」班による全国のHIV・エイズ(AIDS)・性感染症の検査・相談窓口情報サイト

っていうふうに、感染経路が極めて限定的で、かつ充分な知見が出揃っている。だからこそ、たとえHIVのキャリア(未発症感染者)だとしても、社会から隔離されたり、謂われのない差別を受ける筋合いはない。そんなことは、されるべきじゃないんだ。

でも今回の新型コロナウイルスは、そうじゃない。だって

「いつ誰から感染してもおかしくないし、そもそも誰が感染しているのかさえ、はっきりとは区別できない」

んだから。そのうえ

「感染経路があまりに多様で、『選択』によって防げるものでもない」

っていうことがさらなる追い打ちをかけてくる。だからこそ

誰が誰にうつしてもおかしくないし、自分に誰がうつしてきてもおかしくない

っていうことになる。つまりこれが行き着くところは

どんな相手も「保菌者」(自分に害を与えてくるひと)である可能性がある

という認識なんだ。これは人類にとって、あまりにも最悪な状況だと僕は思う。

いじめや中傷を受けたことがあるひとにとって、

「自分をバイ菌扱いされる」

というのがどれだけつらく苦しいことなのかは、よくよく身に沁みていることだと思う。

アイツには近づくなよ。バイ菌がうつるからな!

っていう言葉は、ものすごく強烈だ。この「バイ菌」はときによっては

「ガイジ菌、貧乏菌、ネクラ菌……」

みたいにいろいろ言い換えられることもあるけど、要するに結局はぜんぶ同じことだ。そしてこれがどれだけ哀しくつらいことなのかは、僕だけじゃなくたくさんのひとがよく知っていることだと思う。

でも今はそれが現実に、世界規模で起こりつつある。それに本当に最悪なことに、

コロナウイルスはガイジ菌や貧乏菌やネクラ菌と違って、本当にうつる

ってことだ。だから、本来だったら

「人権侵害」

でしかないはずのことも、実際に正当化され得る。だってそうじゃなかったら、「こないだまでどこで誰と会ってたかを訊かれる」とか、「検査をしないと移動できない」とか、そんなのどう考えたって、おかしいに決まってるでしょう?

あるいはこう考えてみてもいい。ある種の病気・疾患には、ある程度の遺伝性が認められている。でもだからといって、そのひとにはこどもを産む選択が許されないわけじゃない。だってそれは、絶対に遺伝するとは限らないから。それにたとえ「絶対に遺伝する疾患」(特徴)があったとしても、それでこどもを産むという選択肢が制限されるべきじゃない。だってそれはあくまで、

「個人の意志に基づく選択」

だから。

それにそもそも、現在の日本の統計から言って、20人にひとりのひとは、障碍者手帳を持っている。だからあるひとが産んだこどもが、一生の間に

「公式の障碍者になる確率」

は、誰でも5%くらいあるってことだ。じゃあそれをどう捉えて、どんな選択をしていくのか、こどもを産むか産まないか、そしてそのうえで、どんな社会を創っていくか、それはあくまで、それぞれが決めることなんだ。だってそれがそれぞれの、かけがえのない人生なんだから。

でもたとえこのことに今のあなたが完全に同意してくれるとしても、だからこそ僕は訊いてみたいし、一緒に考えてみたいんだ。

もし僕の状態が「感染症の結果」で、つまりもし「僕と一緒に居続けたら、もしかしていつかあなたも同じように手足が動かなくなっていくかもしれない」としたら、そのときあなたは、僕のことをどう捉えると思いますか?

って。そしたらあなたは、なにを思うだろう?

あなたからうつされた感染症で僕が死んでも、それはあなたのせいじゃないよ

これはほんとに、難しい問題だ。だからそれこそ誰であっても、みんなの答えを統一することなんてできないと思う。だってこれはまさに、

「人生観・死生観の核心」

でもあるからだ。だからこれは、「理屈で説得できる」ような話じゃない。ただそれぞれがそれぞれに、自分なりの答えを見出していくしかないってことだ。

でもだからこそ、僕はここまでの話をすべて踏まえたうえで、

あなたからうつされた感染症で僕が死んでも、それはあなたのせいじゃないよ

と、心からそう伝えたいと思う。それは今回のウイルスがそれほど凶悪なものじゃないからとか、実際本当に僕が感染するとは思っていないからとか、そんなこととはまったく関係ない。つまり

たとえあなたからうつされた感染症で僕が死んでも、別にあなたに「悪意」があったわけでもないことを知っているし、あなたが僕を意図的に「攻撃」したわけでもないこともわかってる。だったらそれはまさに「事故」とか「天災」のようなもので、あなたのせいでも、誰のせいでもない

ってことなんだ。

それにそもそもなんらかの理由で、ひとはいつか必ず死ぬ。それは本来自然なことであって、誰のせいでもない。だから僕はそれを、ちゃんと確かめていたいと思っているだけなんだ。

そしてそれ以上に、僕はあなたのことを、

「保菌者予備軍」(自分に害を与えるかもしれないひと)

と見なすなんて、そんなことはまっぴらごめんなんだ。僕とあなたは、まず第一に、明らかに

「人間同士」

なんだから。つまりこれは、

僕たちはいつだって、つながり合える可能性があるし、実際につながってもいる

ってことだ。そしてその事実があったから、僕は今までもこの瞬間も、ここに生きられているんだ。

だから僕は、自分にとってこんなに大切なことを霞ませるような動きには、なんとしても抵抗したいって、そう思っている。そこには文字どおり、いのちを懸ける価値さえある。だってこの事実が、僕を僕にしたものなんだから。僕とあなたをつなげてくれた、かけがえのないものなんだから。

それから、

という報道もあるとおり、この状況で経済的に追い詰められているひともたくさんいると思いますし、僕としてはそういう場合はぜひ躊躇なく生活保護も検討してほしいと思っているのですが、そのときにいわゆる

「水際作戦」(生活保護の申請書を渡してもらえない・受け付けてもらえない)

を受けるのではないかという不安もあるのではないかと思います。

ですが現在では、

のようなサービスも出てきていて、ウェブ上で自分の申請書類を用意して印刷することも簡単にできるようになっていますので、そうしたものもぜひ活かしていただけたらと思います。

そしてどうかこの1日1日を、一緒に乗り越えていきましょう。今年もこれからも、どうぞよろしくお願いします。

Digiprove sealCopyright secured by Digiprove © 2021 Yotubai Otona

コメントをどうぞ