「障害者だからといって許されると思うな」。「トイレのにおいがする」。こんなことを言う教員は、もちろんまだまだいる

ガラスをぶち破る拳社会のこと

ちょっと、このニュースを見てほしい。

大阪府教育庁は23日、府立の特別支援学校中学部で、40歳代の男性教諭が授業中、障害のある男子生徒に「障害者だからといって許されると思うな」と暴言を浴びせ、体罰をしていたと発表した。同庁は事実関係を確認のうえ、処分する。

発表によると、9月27日の授業で、介助が必要な生徒を移動させる際、教諭は痛めていた右手小指を強く握られたことに腹を立て、生徒のあごを持ちながら約2メートル移動させた。更に首の後ろをつかみ、「ぶん殴るぞ」などと言ったり、生徒の胸に両手を強く押し当てたりしたという。

教諭、生徒の首つかみ「障害者だからといって許されると思うな」 : 国内 : ニュース
 大阪府教育庁は23日、府立の特別支援学校中学部で、40歳代の男性教諭が授業中、障害のある男子生徒に「障害者だからといって許されると思うな」と暴言を浴びせ、体罰をしていたと発表した。同庁は事実関係を確認のうえ、処分する。

熊本県立の特別支援学校で、副担任の男性講師(20歳代)が今年6月から今月にかけ、中学部の男子生徒1人の肩を拳でたたいたり、テープで手を縛ったりするなどの不適切な行為を繰り返していたことがわかった。

同県教育委員会や同校によると、講師は、教室のカーテンに隠れて周りから見えない状態で生徒の肩を拳でたたいたり、生徒が座ろうとした椅子を引いて転倒させたりした。股間を握ることや、お尻を膝で蹴ることもあった。また、「なんかくさい」「トイレのにおいがする」などの暴言も浴びせたという。

生徒に「トイレのにおいする」、椅子引き転倒させる…講師謹慎 : 国内 : ニュース
 熊本県立の特別支援学校で、副担任の男性講師(20歳代)が今年6月から今月にかけ、中学部の男子生徒1人の肩を拳でたたいたり、テープで手を縛ったりするなどの不適切な行為を繰り返していたことがわかった。  同県教育委員会や同

同じ時期に、別の場所で、似たような事件が報告されていた

僕は最初のニュースをたまたまネットで見つけたとき、一緒に2つめのニュースも見つけた。だから最初は、

「関連したニュース」として、古いのが一緒に表示されたんだな

と思った。でも、そうじゃなかった。これはどっちも

「2019年10月24日」

に発表されたニュースだ。だからこれは実のところ

「同じ時期に、別の場所で、似たような事件が報告されていた」

ってことだったんだ。こうなると、1つでも充分重い話が、さらに厚みと重みを増して、そびえ立ってくる感じがした。

でもこんな話は、僕にとっても、実に「ありふれた話」だった

でも僕は、この2つのニュースに同時に触れたからと言って、特に驚きはしなかった。だってこんなのは、僕にとっても、実に

「ありふれた話」

でしかないからだ。そしてその実体験の一部は、ここであなたとも共有してきた。

「お前らはカネも稼げないくせに性欲はあるからなぁ」。これが養護学校の「指導」だった
つい先日、大阪市立茨田北中学校長の朝礼での発言が、賛否両論を呼び起こした。発言が切り取られているのが問題だ。全文を読めばそんな問題発言じゃないからっていう意見も多いので、全文を引用して見てみよう。
「お前、クサイぞ。お母さんにちゃんと洗濯してもらってるのか?」。そこまで言われてるのを黙って見過ごすなんてさすがに、できなかった
障碍者っていうのは、間違いなく弱い立場に置かれてる。逆に言うと、弱い立場に置かれてるひとが障碍者って呼ばれてるとも言える。そしてそれは、僕自身の体験は日常を考えても、確かな事実だと思う。でも、たとえどんなに弱い立場に置かれていたって、僕たち...

だから、こんなのは驚くべきことじゃない。ただ僕は、

やっぱりまだこんなことあるんだなぁ……でもまぁ、そうだろうなぁ……

というふうには思った。そして改めて、いろんなことを考えたんだ。

ひとりの友達は、こんな感想を伝えてくれた

それで、僕はこのニュースに触れてから、ひとりの友達にこのことを伝えてみた。ちなみにその友達は発達障碍はあるけど特別支援学校(学級)にいたことはない。でも、僕がどういう経験をしてきたか、そして僕がその結果どういう考えを保っているかは、よく知っている。そのうえでそんな友達は、僕にこんな感想を、伝えてくれたんだ。

う〜ん、そもそもどんなからだだろうが、病気だろうがさ、中学生なんてのは基本生意気の盛りだからね、なんか反発したりすることはあると思う。そんで、先生も生徒もひとりの人間じゃん?だから日頃から、溜まりに溜まってたものが爆発したんじゃないの?だったらそういう意味では、どっちの肩も持てないけどな

こうやって率直な意見を伝えてくれるのは、とてもありがたい。でもだからこそ僕も僕の考えを、ちゃんと伝えたいと思った。だから僕は、重ねてこう言った。

でもさ、そんなんじゃ教員と生徒が「対等」になっちゃってるじゃん。教員と生徒は対等か?かたや仕事としてやってて、給料も発生してて、学校が終わったら帰る家もあってプライバシーもある。でも生徒は立場上教員よりずっと下で、もしかしたら俺のときみたく寄宿舎生活なのかもしれない。まぁ、もちろん通いなのかもしれないけどさ。でももし寄宿舎なら、っていうかもし寄宿舎じゃない家なんだとしてもさ、自分だけの力で生活もできないひとに、完全なプライバシーはない。そんななかでさ、なんで対等にやり合ってるんだよって思わない?こんなの、まるで「同級生のケンカ」じゃないか?それこそ、「教員だから・指導者だからって許されると思うなよ」って話じゃない?それとも、このひとはそんなこともまったく気づかないのかね?どこに出ても問題になんかなるはずないって、そう思い込んでたのかね?

そしたら友達は、

まぁ、親だろうが先生だろうが、人間だからさ。そんで人間なんて、そう信用できるものでもないし、そう強くもないって思ってるから。だからその辺で、意見の違いが出るんだろうと思うけどね。でもともかく、これはいいことではないわな。それは間違いない。だからどっかまずいことをしてるということくらいは、わかってたと思うけどね。けどまぁ、カッとなったんだろうけど

って返したうえで、

でもさ、「痛めていた右手小指を強く握られた」っていうんだったら、そりゃムカつくんじゃないの?

って言ってきた。だから僕も

でもさ、独りで移動できない子の移動中だろ?そんなとき、自分の意志とは関係なく力入ったり、からだ動いちゃったりすることはあると思うよ。俺だってそうなるの見てるじゃん。だったらそれを故意とは断定できないし、そう思い込むべきでもないし、「そんな微妙な、怖い動作」の最中に、「相手の小指を狙って握る」なんて、まずないと思うけどね。まぁもちろんその子のからだの状態がはっきりとはわかんないから、俺も断言はできないんだけど。でも日頃からその子を見てる教員なら、そのくらいわかるだろ?それでキレて、あろうことか「あごを持ちながら約2メートル移動させた」って、そんなのどう考えたってさ、やりすぎだろ?

って言ったら、友達は

まぁ、先生もその子のこと気に入らなかったんじゃない?そんなもんだろ、人間なんだから。よっぽど愛情を持って接してない限り、ちょっとしたことでも、腹を立てちゃうもんなんだって

なんて言って、そんなこんなで、友達との会話は、終わったんだ。

ただいずれにしても、「極度の閉鎖環境」であることは、大きな問題だと思う

こんなふうに、この2つの事件にはいろいろな要素があって、それをどう捉えるのかによって、いろんな意見が出てくる余地は当然あると思う。

ただいずれにしても、僕としては

「特別支援学校というこの場所が、『極度の閉鎖環境』である」

ということは、まずひとつ大きな問題だと思う。

っていうのも、僕と友達との会話でもひとつ意見が一致したのは

「この教員にも、『自分のしてることは少なからず悪いことだ』という自覚はあっただろう」

ってことだ。でもそれなら、なんでそんなことを、しかも授業中に、大勢のひとの目の前で、やってしまったんだろう?それはきっと

こいつらは、なにかしでかしてもそれが「度が過ぎたこと」だとは判断できないだろうし、仮にそう思ったとしても、それを「告発する・訴える・そしてその事実を証明する」ことはできないだろう

って、高を括ってたからじゃないかと思う。だって、一般的な中学校や高校なんかでこんなことをしたら、それがいいか悪いかは別として、たとえば

「YouTubeに上げられる・SNSで拡散される・録音・録画される」

なんてことは充分にあり得ると思う。でも、特別支援学校では、それは相当難しい。だって僕は特別支援学校にいた高校時代、携帯電話とかいろんなゲーム機・デジタル機器は、基本没収(事務所預け)になってたからね。それに仮にそんな機器が手元にあったって、それをブレずに録画したり、ちいさなスイッチを押して録音したり、相手に気づかれないでアップしたりすることは、

「物理的・肉体的・身体機能的に無理」

なんだ。まして、自分で移動したりすることすら難しかったらしい今回の子たちにも、クラスメイトにも、きっと無理だっただろうと思う。だからそういったあらゆる要素も含めて、特別支援学校っていうのは、

「極度の閉鎖環境」

なんだ。僕はそこが、最大の問題なんだと思う。そしてそのような環境では、教員は生徒に、ありとあらゆる

「報復」

をすることもできる。それこそ「指導」にかこつけて、誰にも文句を言わせないまま、いろんな「いじめ」をすることもできる。もちろん、訴えた先がこっちの言い分を信じてくれて、すぐに相手を罰してくれたら、自分から遠ざけてくれたら、そうはならない。でも、そうなる保証がどこにある?もしそうならなかったら、自分がトイレでも、着替えでも、いろいろな場面でからだをまるごと預けないといけない相手に、なにをされると思う?

だからそんな状況で、そんな圧倒的に不利な状況で、声を上げて状況を改善しようとするなんて、まさに捨て身の気持ちでもない限り無理だと思うし、たかが10歳ちょっとのこどもたちがそんな覚悟を持つなんてほとんどあり得ないと思う。

そしてそんなことを、たとえ無意識にであっても、教員も知っている・気づいていることだと思う。だからこんなことが、こんなひどいことが、未だに、この日本で、いくらでも起きるってことなんだ。僕は、そう思ってる。

だから僕は、「特別支援学校廃止・統合論者」なんだ。すべてを、開いていくしかないから

そういう理由で、僕はずっと

「特別支援学校廃止・統合論者」

なんだ。僕は、「特別支援学級」があることはいいと思う。教員の数も減らすことなく、そのままくっつけたらいいと思う。だって実際に、いろんな労力はかかるんだから。でもせめて、建物(学校)は他のひとと一緒にしよう。社会そのものがそうであるのと同じように、だからこそ様々なこどもたちを、互いの目に触れるところに置こう。そういう考えなんだ。でもこういうことを言うと

障碍児のケアには専門知識が必要なんだから、誰にでも開いたらいけないんだよ!

なんて言われることも多いんだ。でもこの2つのニュースを見たうえで、僕は改めて問いたい。

このひとたちのどこに、「専門知識」が見て取れるの?

って。

特別支援学校だからこそ、最適な環境のなかで、専門の先生から、教育を受けることが受けられる

なんていうのは、幻想だ。実態に即してはいない。っていうかそもそも、実態を知っているひとが少なすぎる。だからこんなニュースにしたって、日々のニュースに埋もれていくだろう。少なくとも

「神戸市立東須磨小学校」

の問題よりも、注目されることはないだろう。でも僕は知ってる。特別支援学校でも、同じように教員同士のいじめはあった。僕たちに優しくしてくれようとしたひと、僕が風邪を引いたときに野菜生活のジュースをくれた寄宿舎指導員さんが

甘やかすな!それにお前のしてることはひいきだろ!

なんて怒鳴られていたことを見ている。そしてそのあと、そのひとがどんどん周りの指導員たちから除け者にされていったのを知っているんだ。

だから普通学校であることのすべては、むしろそれ以上にひどいことは、特別支援学校でも起き得る。でもそのことは、共有されていない。みんなに訊いてみたらいい。時代が違っても、場所が違っても、こんなことがあるなんてのは多かれ少なかれ、僕たちはみんな知っている。でも、「外のひと」は知らないんだ。こんな当たり前のことなのに、それは、当たり前じゃないんだ。

僕はそれに怒っているというよりも、それよりもずっと、哀しく思っている。だからこんなことを、こんな気持ちで、ここに書いてるんだ。

これは「学校」だけの問題じゃない。「寄宿舎」でも「施設」でも起きる。そこに「断絶」がある限り、いくらでも起こり得る

ただもちろん僕は、教員にも寄宿舎指導員にも、いいひとがいることも知っている。だから本当は、

こんなことをするのは、一部の歪んだひとたちだけで、ほとんどのひとは素晴らしいひとたちです

と言えたらいいと思う。それに現場の教員や指導員の環境がどんどん余裕がなくなっていて、だからこそこんなことが起きてるんだとも思う。それも、確かにそのとおりなんだろう。

でもそれでも一方では、

こんなことは氷山の一角にすぎなくて、実際にはこの数倍、数百倍、数万倍の事例がある。だからこんなことは、これからもいくらでも出てくる

という確信がある。

だからこの際、どんどん出てきたらいい。そうしないと変わらないから。それにこれは「学校」だけの問題じゃない。「寄宿舎」でも「施設」でも起きる。そこに「断絶」がある限り、いくらでも起こり得る。

相模原の殺傷事件はどこで起きたんだった?

みんな一緒に混ぜると混乱が起きるし効果的じゃないから、誰にとってもいいことはない

って言って分けた結果、その「断絶された空間」で、「特別に整備されたはずの場所」で、いったいなにがあったんだった?

だから僕は、この「断絶」がある限り、根本的にはなにも解決しないと思う。だってそこには

「いいことと思い込まされた、とてつもない勘違い」

が潜んでいるからだ。少なくとも、僕にはずっとそう見えている。だから僕も、そう感じる僕なりの視点から考え続けて、僕なりに伝えていきたいと思う。そしてあなたも力を貸してくれたら、一緒に考えてくれたら、本当に本当に、嬉しく思う。

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コメントをどうぞ

  1. MN より:

    先日は、車椅子・アイマスク体験の記事へのコメントにお返事いただき、ありがとうございました。
    偶然にも、四つ這いおとな様が何年も前に書かれた記事にたどり着けたことを嬉しく思います。
    興味深い記事ばかりなので他の記事も、まだ少しですが拝読させていただきました。

    またもや、まとまりのない長ったらしいコメントですが、この記事はとても考えることがあったのでコメントをさせていただきました。
    こちらの記事で取り上げられている事件について、お恥ずかしながら存じ上げませんでした。
    私は20代後半で、小中高の記憶はもう古いものとなりつつありますが、これまでクラスメイトに、生まれつき身体に障碍のある子、知的障碍のある子、一緒に過ごす学校生活の中で病気になり車椅子となった子、などがおり、私は小学生の頃から、障碍を持つ当事者の子供達にとって特別支援クラスで学ぶ方がいいのか、そうではないのか?が気になっていました。
    その頃は、「クラスの大多数が健常者であるクラスにいると、障碍を持つ子も孤立感を抱いてしまうのでは?」「特別支援クラス・学校の方が専門的な設備や環境が整っているので、障碍を持っている子にとってベストなのでは?」なんて思っていました。
    今となってはその無神経な考えに自分でも嫌気がさしますが、当時は「車椅子ユーザーの児童の親の訴えにより、○○小学校にエレベーターがつきました」というようなニュースに対する「一人の生徒のためにわがままだ!」「すでに設備のある特別学校に通えばいいだけだ!」という声に、「きついけども一理あるかも」なんて思ったこともあります・・・
    しかし、今考えてみると、その頃の私は、健常者のいるクラス=”普通”のクラスだと無自覚に思い込み、心の中で健常者と障碍者を分断をしていたと感じます。
    今となっては、あのエレベーター設置という出来事は、それが前例となり、他の児童や学校や社会のバリアフリーにとっていい影響を及ぼしたり、また、児童だけでなく車椅子ユーザーの保護者や教員の方々にとっても、大変意味のあることだったとわかります。
    この世に障碍を持っていたり、国籍が異なったり、様々なジェンダーやセクシュアリティを持つ人々が入り混じって存在していることこそが”普通”の状態なのだという意識がなかったのでしょう・・・
    人格形成時に長く過ごした学校という社会が、障害者を”私たちとは違う特別支援学級の子”と排除し分断していたからこそ、当時の私は無意識のうちに「健常者だけの空間が”普通のクラス”」だと思い込んで、社会に確かに存在する障碍を持つ人々を「私の生きる社会には関係ない人たち」としていたのだと思います。健常者か障碍者かで人間を二分するという、心底浅はかな考えですね・・・
    私は学生時代に、同世代の流行りに疎かったり、”女なのに女っぽくない”と言われたりと、”普通じゃない、みんなと違う”ことを理由に浮いたり、仲間外れにされたり、嫌がらせの標的にされ、不登校になった時期がありました。
    “普通じゃない、みんなと違う”を理由に嫌な思いをしたことがあるにもかかわらず、私も心の中でいじめっ子たちと同じように、障碍の有無で普通かそうでないかをジャッジしていたのだと気づきました。
    偉そうにも「障碍を持つ子を心配」したつもりになっていた私でさえこんな差別心があったのですから、障碍者が排除され分断されている空間に慣れた人間が、そのままの価値観で大人になっていき、相模原の犯人のように、”違い”を”優劣”や、”生きる価値があるかないか”なんていうものに無理やり結びつける人間になるということは、悲しいですが、ありえてしまうことです・・・
    人の違いを安易に優劣に押し込み、「”マジョリティにとっての普通の社会”の役に立つ者だけが存在価値のある人間である」というような、相模原事件の犯人を生み出す考えが社会に蔓延していると感じ、すごく怖いです。

    また、教員について、私は塾講師のバイトの経験があり、口が悪かったり、全く言うことを聞いてくれない子どもに対してヤキモキとすることもありましたし、個人的に苦手な生徒もいたりしましたが、それを表に出したり子供にぶつけるのは、教師としてと言うより大人として言語道断ですよね。
    大人は問題を抱えている子に対して、「何がこの子にこんな言動をさせるのだろう?」とまで考えて欲しいと思いますし、わざと子どもを怖がらせたり嫌がらせをするつもりではなくとも、大人の少しの言動が子どもにとって簡単に脅威になり得るのだと自覚すべきです。
    しかし、たまの塾のバイトだけでも疲労困憊だったので、学校教員は非常に大変な仕事でしょうし、現状、教員という仕事は、その大変さ・責任の重さに伴った待遇ではない(低賃金、休日の少なさ、職場環境の悪さ、などなど)、いわゆるやりがい搾取な現場です。
    何があっても生徒を虐げるのはありえないですが、教員という仕事の待遇の悪さからくるストレスを、大人にぶつけたら問題になりやすいので(とはいえ教員間でのいじめもありますね)、子どもに、しかも、精神的・身体的にやり返して来にくい、告発しにくい子どもにぶつけているというのは、嫌な話ではありますが安易に想像できてしまいます。

    労働環境などを改善しても結局、まさに「先生も人間」なので、悲しいですが間違ったことを起こす先生がいなくなることはないことでしょう。
    今思い返すと、子どもにとって世界の全てとも言える「家庭」と「学校」という狭い社会において、親と先生とは絶対的な主従存在であり、間違いを犯さないのだと思っていた時期がありました。
    それこそが、「先生・親がすること=間違っているはずがない」と思考停止させて、先生や親が子どもに行ったおかしなことを告発しづらくする原因だと思います。
    しかし特別支援学校・クラスの場合は、おっしゃる通り、もしも「これはおかしい!」と生徒が気づけたとしても、証拠をとったり告発したりしにくいですよね・・・ほんと卑怯なことです・・・
    学校でも家でも一般企業でも国でも、閉鎖的な環境だと内部の人間の価値観だけで、感覚が麻痺したりおかしさに気づけなくなったり、治外法権みたいなガラパゴス化したルールが横行したり、問題が発生しますよね。
    今の制度に詳しくないのですが、特別支援学校を廃止し、健常者・障碍者が共に同じ学校で学ぶということが、設備や教員確保のためのお金の問題などで現実的に難しいのだとしたら、そこは国がちゃんとそのために予算を割くべきです。そういうところにこそ税金を使って欲しいと思います。
    あとは、セキュリティはしっかりすることを前提として、”学校関係者ではない”第三者機関の人たちや、親が、いつでもアポなしで授業を見に行けるようにするとか・・・
    私も、学校というか社会はとことん開かれた場にして透明性を高めるしかないと思います。

    と、またまたすごい長文になってしまい失礼しました。
    季節の変わり目で寒くなってきましたが、あたたかくしてご自愛くださいませ!

    • MNさん、こんにちは。

      そうですね、ここに記したいただいたようなあなたの考えや想いは基本的に僕と共通していると言っていいと思いますので、特に異論というか反対したいところはないです。

      ただだからこそ、一方で世間の流れが

      障害のある子供たちが通う特別支援学校の需要が高まり、在籍数が増え続けている。それに伴って教室不足が深刻化しており、文部科学省は今年度から令和6年度までを「集中取組期間」として、新たに学校を設置する際の補助を引き上げた

      特別支援学校、教室足りない 需要高まる 
      障害のある子供たちが通う特別支援学校の需要が高まり、在籍数が増え続けている。それに伴って教室不足が深刻化しており、文部科学省は今年度から令和6年度までを「集中取…

      県教委が把握する県立と高知市立の6校の児童生徒数(小学部~高等部)は317人だった1994年度以降、増加傾向が続き、昨年度は約2倍の606人になった=グラフ参照。

      県内の小児科医によると、医学的に知的障害のある子どもの割合が増えているわけではないという。

      増加の要因について県教委は、保護者や関係者の特別支援学校に対する理解が進んだと指摘。市町村が設置する小中学校の特別支援学級で学ぶ児童生徒数も増加傾向にあり、こうした状況は全国的にも同じだという。

      (中略)

      山田特別支援学校に子どもが通う40代女性は「当初は普通学校に行ってほしいと思い、葛藤があった」。それが、地元の教育委員会や医療関係者らと話し合う中で、就労支援が充実している同校への進学を決めた。

      「いま思えば当時は親のエゴだった。学校では木工などの技能が身に付くし、実習で仕事の向き不向きも分かる。本人も『働きたい』という気持ちを持ってくれている」と前向きに捉えている。

      同じような感想は他の保護者からも聞かれ、日高特別支援学校(高岡郡日高村)のPTA会長、松沢寿道さん(52)は「支援が必要な子どもに対応できる先生がたくさんいて、普通学校より安心感がある」。周囲でも特別支援学校を選んで良かったという声が多いという。

      県内特別支援校生25年で2倍に 保護者ら理解進む 
       県内で知的障害のある子どもが通う公立特別支援学校の児童生徒数が増えている。2018年度の在籍者数は...

      という感じになっているというのを見ると、

      そもそも少子化で学校全体の需要は減っているはずのなか、特別支援学校だけが増えているというのもなぁ……。「保護者や関係者の特別支援学校に対する理解が進んだ」から分かれるっていうのはなんというか、皮肉のようなほんとの話なんだなぁ……

      みたいな、なんとも言えない気持ちにもなりますけどね。

      それにあなたもおっしゃるとおり、もう一方では教員や教育現場の負担が増えているという背景もあるわけですから、やはりこれも

      「社会全体の問題・写し鏡」

      だということなんだと思います。教育は、社会の基盤ですもんね。

      そんななかにコロナも加わったことで、ますます

      これから、どんな教育をどんなふうに実践していくのか?

      という問いは切実になっているんだと思いますし、僕ももしかしたらまたそのうち、自分なりの想いを改めて文章にまとめるかもしれません。

      あとあなたは

      またまたすごい長文になってしまい失礼しました

      なんておっしゃいますが、見てのとおり僕がいつも書く文章のほうがずっと長いんですから、そんなことはぜんぜん気にせず、ここでよければまたいつでも好きに書き込んでいただければと思います。

      どうぞよろしくお願いします。

  2. MN より:

    お返事をありがとうございます。
    特別支援学校が増えているのは存じ上げませんでした。
    「普通学校より特別支援学校の方が、障碍者児童にとって良い」となるのは、”普通学校”というものが、生徒が健常者であることを前提としているせいなのでしょうね。
    特別支援学校で行われているという、「木工の技術」だったり「仕事の向き不向きがわかる実習」は、障碍者児童だけでなく、健常者児童にとってもいいものだと思います。
    「保護者や関係者の理解が進んだ」と言うのは、「特別支援学校は普通学校より劣っている」「普通学校に通っていないと将来就職に影響が出る」というような誤解が解けたというようなことなのでしょうかね。
    この部分は学歴社会も大きな原因でしょうね、もはや現代では学校が就活の一環のようになってしまっていますから・・・
    学校や会社など、コロナの影響により、家から参加できることが増えましたが、「家から授業受けたい子はオンラインで、実際に登校したい子はオフラインで参加する」と、個々に参加スタイルを選べると、とても良さそうですね。

    ところで、私は2年ほど前、たまたま知り合いが働いている北欧フィンランドの小学校(障碍を持った子もいましたが、特別支援学校ではなかったので、日本で言うところの”普通学校”にあたるのでしょうか)に見学へ行ったことがあります。
    そこは特別進んだ学校でもなく、ごく一般的な小さな小学校だったのですが、木工をやってる子もいれば音楽をやっていたり外国語を学んでいる子もいたり・・・と、とてもコースが多かったです。
    健常者/障碍者と言う大きくて雑な分け方ではなく、どこまでも生徒の”個”に合わせ、生徒本人のやりたいことだったり、先生が生徒の特性を見て「この子にはこれが向いているんじゃないか」とすすめたり、小学生時点から、進路についても自然と考えるようになっていて、すごく感動した記憶があります。
    人口が少ないために生徒一人一人に割く時間が十分確保できたり、教師の労働環境、ひいては保護者の労働環境、国全体の福祉が日本よりも整っていることもありますが、日本もそういう部分を取り入れられないものか・・・と思ったのでした。
    似たような小学校で実際に教育実習をされていた方のブログを発見しましたので、下にリンクを貼らせていただきますね、もしご興味があればどうぞ。
    「インクルーシブ教育システム」という名前もついさっき知ったのですが、私は今のところ、このシステムがベストなのかなと思ったりしました。
    下記ブログで印象的なエピソードとして紹介されている、子ども同士でそれぞれの特性をしっかり認め合っているという部分なんかは、私が見学に行った時もとても感じました。

    フィンランドのインクルーシブ教育の葛藤と成果?現場のリアルをレポート!! - フィンランドの学校に行こう!
    「フィンランドでは、特別支援教育をどのように捉えているのか?」 今日本でも話題になっている特別支援教育。私自身もフリースクールの運営に携わっているので、特別支援教育や心理学も学んでいきたいと思っているところです。 本日は以下の3つについてまとめていきます。是非2番目の子どもの葛藤と成長は読んで欲しいです。フィンランドで...
    • 「保護者や関係者の理解が進んだ」と言うのは、「特別支援学校は普通学校より劣っている」「普通学校に通っていないと将来就職に影響が出る」というような誤解が解けたというようなことなのでしょうかね

      どうなんでしょうね、僕としては

      「今までは普通学校で一緒に学んでいたこどものなかに『障碍児』がいることが発見されて、その子たちが特別支援学校での教育を勧められるようになった」

      というような意味なのかなと思ったんですけど、はっきりとはしないですね。でもやっぱり僕としては、なんとも言えない気持ちになりますけどね。

      学校や会社など、コロナの影響により、家から参加できることが増えましたが、「家から授業受けたい子はオンラインで、実際に登校したい子はオフラインで参加する」と、個々に参加スタイルを選べると、とても良さそうですね

      ええ、これは僕も考えたことがあります。そしてこれを突き詰めるときっと、

      「学校」というものにどこまでの役割を負わせるか?

      という話になっていくんだとも思いますが、このあたりを次の文章で掘り下げてみようかなと思っていました。

      ところで、私は2年ほど前、たまたま知り合いが働いている北欧フィンランドの小学校(障碍を持った子もいましたが、特別支援学校ではなかったので、日本で言うところの”普通学校”にあたるのでしょうか)に見学へ行ったことがあります。
      そこは特別進んだ学校でもなく、ごく一般的な小さな小学校だったのですが、木工をやってる子もいれば音楽をやっていたり外国語を学んでいる子もいたり・・・と、とてもコースが多かったです

      僕は直接見に行ったことはないのですが、やっぱりそんな感じになっているんですね。「インクルーシブ教育」、いいですよね。

      ただこれだと聞き慣れないひとには意味が伝わりにくいとも思いますので、もし日本語にしてみるとしたら

      「包含型教育」

      とかになるのかなぁなどとも考えていました。

      もちろん最終的には多数派のひとの考えかたに基づいて動くことにもなるとは思うのですが、これからも僕も僕なりに考えながらそれを伝え合っていけたらと、そう思っています。