2018年4月14日に、あなたへ送る手紙

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友達と手紙を書く男性

こんな手紙のなかでしか書けない、こんなふうにあなたへ送る手紙のなかでしか書けないことだけど、だからこそ少し、バカバカしいことを書いてみようと思う。

おそらくは、僕は、疲れているみたいだ。しかも、自覚しているより、ずっと深く。

 

ただこんな感覚というのも、別に初めてってわけじゃない。遠い昔にはよくあったことだけど、わざわざ遠い昔を引っ張り出すまでもない。ほんの10年ちょっと前も、そうだった。

あの頃の僕はと言えば、毎日毎日を手探りで進んでいて、朝に明日のことは言うまでもなく、夜のことすら思い描けなかったような状態だった。そしてとても、疲れていた。

これは、確かに「限界」なんだと思う。たぶんね。でもそれ自体は、本当は問題じゃない。大切なのはいつも、

「死ぬか生きるか」

なんだ。それ以外は、すべてこれの変形でしかない。

限界を超えられなければ、死ぬしかない。生きたければ、限界を超えるしかない。簡単な話なんだ。

「限界に挑戦せずに、今ある限界のなかで生き続ける」

なんて策は、机上の空論だ。だって、なにも起こらない日はないし、なにも積み上げない時間はない。だから自動的に、せり上がってくるんだ。『IQ』の世界みたいだ。でもこの世界に生きるために必要なのは、知能指数じゃないと思う。「覚悟」というほどでもない。強いて言うなら、「決定」だ。もっとぶっちゃけると、「悪あがき」だと思う。

 

10年前、僕は毎日限界を超えていた。でもそうであったにもかかわらず、客観的にはそれよりもはるかにちいさいはずの問題によって、僕は5年前に限界を迎えた。でも、あれはほんとには「局地的な限界」であって、「全面的な限界」を迎えたわけじゃない。だからこそ、僕はまだ生きている。生きているのなら、限界じゃないんだ。だとしたら、生きていないひとは誰もいないんだから、誰もが限界じゃないということになる。じゃあ、限界なんてないのかもしれない。でも、この話をこういう方向から掘り下げるのは、少なくとも今ここではやめておこうと思う。

 

なんで限界を超えるかと言うと、生きるためだ。じゃあなんで生きるのかというと、こんな世界で生きていたいわけじゃないからだ。自分が生きるに値する世界は、自分で創るしかない。そしてそこまで至るまでには、まだ山のようにするべきことがあって、そこにはもちろん僕ができることが多々含まれている。であれば、限界を超えないわけにはいかない。

でもね、

もし僕が理想とするような、少なくともそう言えるものに相当近い世界ができたとしたら、そのとき僕はいったい、なにをしたいんだろう?

って考えたらね、僕はきっと、休みたいんだと思うんだ。別に永遠に眠ってたいとは思ってないよ。でも思いっきり休みたいんだと思う。たぶんね。

「休むために働いている」

なんていうのは、ほんとにバカげているようだけど、逆に今みたいな世界で、思いっきり休める場所なんてどこにあると思う?そんなことは、あなたがいちばんわかっていると思う。だから、これはほんとは、重要で切実な、問題なんだ。

 

でもこんなふうに

「休むために働いている」

なんていうのは、

「死ぬために生きている」

っていうのと同じくらい、おかしみがあるというより滑稽な言葉だとも思う。そして実際、生きるのは死ぬためじゃない。だから同じように、働くのは休むためじゃないはずだ。そんなことは、ちゃんとわかってる。ただそれでも、生きていればいつか必ず死ねるのに対して、働いていればいつか必ず休めるというわけじゃないぶんだけ、休むことは死ぬことより難しいとは言えると思う。そして、死ぬことは誰もが必ず経験するのに対して、休むことは経験しない可能性があるとも言える。だから、休みたいのであれば、休める場所を創るしかない。そしてそれは、「死に場所」とはまったく違うものでないとダメだ。死んでも、休んだことにはならないんだから。

 

だけど、休むというのは、とても難しいことだ。少なくとも、ある種のひとにとってはね。そして、僕は間違いなくその種の人間だとは思っている。でもこれは、あくまで「自分に対する診断」であって、「自分に対する処方箋」ではないということを、さすがの僕もちゃんと知ってる。だからこそ、難しいんだ。

でももちろん、なにかを中断することはあるよ。ここだって、何度となく中断してきたもんね。でも、中断することは、休むこととは違うんだ。そして、なにかを考えている限り、なにかを構想している限り、少なくともどこかは休んでいないんだとしたら、僕を休ませられるのは、あなただけだ。あなたの存在は、僕の思考を圧倒的に超えている。仮にあなたの仕組みや成り立ちを、どんなに詳細に聴いたとしても、あなたと同じものを創れるとはまったく思っていない。未だに、信じられないくらいだ。どうやったら、あなたのようなひとが、できるのかと思う。

 

今さら言うまでもないことだとは思っているんだけど、それでも大事なことだからこの機会にもういちどはっきりさせておくとこれは僕からのあなたに対するありったけの好意を表現したものだ。でもなんでこんな言いかたになっているのかと言うと、これを読むときのあなたのテンションがわからないのと、今の僕がかなり疲れているというのと、そしてなにより、今のあなたもまた、僕以上に限界だと思っているからだ。でもそんな理由もぜんぶ結局は、恥ずかしいからかもしれない。そしてこれは、あらゆる意味を含んでいる。だから僕は、限界を超えなきゃいけないんだ。

今の僕が全身全霊を注いで、ようやくできたことはと言えば、たった3行、たった3行を、あなたに対して送ることだけだった。もうちょっと工夫したり、気を利かせられたりできればいいんだろうとは思うけど、そもそも気を利かせるとかそういう次元の話ではないんだ。だからせめて、限界まではやってみた。今の、限界まではね。

でもそれも、まだ足りないんだとはわかってる。あれは結果報告でもあるにはあるんだけど、やっぱり「経過報告」でしかない。少なくとも、あんなことを経験したあとのあなたには、あんなものは結果とみなせるものではないんだろうと思う。それは、当たり前のことだ。だからもっと、先へ進もうと思う。今の限界の、その先へ。そしてまだ必要なら、そのまたもっと先へ。そうやって人生は、続いていくんだと思う。

 

だからやっぱり、この手紙は特に、最初に書いたとおり、バカバカしいものだ。こんなことを書いて、なにを得たかったのかは、自分でもよくわかっていない。あなたに憐れんでもらおうとしたわけじゃない。というか、あなたが憐れんでくれようがくれまいが、ほんとには、僕のやることは変わらない。だからこれからも、限界をぶち破って、生きようと思う。行けるところまでは、行きたいと思ってるんだから。そう思わなかったときは、ないんだから。

でもそれでも、まだなにか付け加えられることがあるとしたら、僕はやっぱりあなたと、話したいんだと思う。そしてこうやって手紙を書くことで、僕は少しだけでも、あなたと話している。あなたが聴いていないときも、読んでいないときも、そもそもまだ自分で書いている途中でさえ、いつも、こうやって手紙を書いているときは特に、僕はあなたと話しているつもりで書いている。精確には、話しかけている気で書いている。だからそのことを、伝えたかったんだと思う。そしてそのことでたとえなにも変わらないとしても、僕はそれならそれで、その限界を、突破するってことだ。それ以外に、道はないんだから。

 

今日はね、『和の文様シリーズ 第4集』から、蝶文様の切手をどうぞ。ちょうちょ、かわいいよね。また一緒に、遊びたいと思ってる。

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