「できることをやる」というのが、僕の不朽の指針だろうと思う理由

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自転車に乗る女の子の後ろ姿

開設から2年を過ぎた現時点で、この『四つ這いおとな』でいちばん読まれているのは

昨日、たまたまこんな番組を見た。 まぁこのタイトルの煽りっぷりは置いといて、この番組のなかで林修先生が言っていた言葉について、書いてい...

だ。

これは「最近よく読まれているもの」の集計のなかでもほとんどいつも1位にいるから、少なくともしばらくの間は変わらない傾向なんじゃないかと思うけど、ここでも僕は

自分にできることは、なんだろう?

っていうのを考えていると言えると思う。

「できることをやる」というのは、気づいたら僕の口癖みたいになっていた

深く考えてみるまでもなく、「できることをやる」っていうのは、気づいたら僕の口癖のようになっていた。ここにも、何度書いたかわからないくらいの言葉だ。だけど

「できることをやる」

っていうのは、ぶっちゃけあまりにも当たり前というか、今さらとりたてて言うようなことじゃないと思われるかもしれない。でも僕が改めて僕なりに考えてみればみるほど、これはほんとに大切なことだって思うんだ。だから、その理由をいくつかに分けて、説明してみようと思う。

「今できること」が、「いつまでもできること」だとは限らないから

まず1つめは、

今できることが、いつまでもできることとは限らないから

だ。

これは僕が脳性麻痺と言われるこのからだで育ってきたから、なおさら切実にわかることだ。ましてやこないだ、骨軟化症も加わったことで、さらに強く身に沁みていることでもある。

きっかけは、直接は関係のないところからだった。気づいたらからだに蕁麻疹ができていて、何日経っても一向に治らなかったから、 こんなにかゆいの...

だから、今できることは、いつまでもできることだとは限らない。というか、そうでない場合のほうが多い。だから今できることをやるっていうのは、今思っている以上に、大切なことだったりする。

ちいさなことで言うと、僕はこどもの頃からだいぶ声が高くて、ちゃんとした声変わりを自覚したのは、確か14歳かそこらだったと思う。そしてそんな僕は、当時「ミニドラ」の声マネができるくらいだった。これはからだを動かせない僕にとっては、貴重な「一発芸」だったんだけど、今はもう無理だ。とはいえ、未だに平均から比べれば高いほうの声だとは思っているけど、ミニドラのクオリティは歴然と下がってしまっている。まぁ、今は当時とは別の意味で、それなりに笑わせることができるかもしれないけど、少なくとも当時できていたようには、今はもうできない。

こんなことは、わずか10年くらいの間ですら、いっぱいある。だから、「できることをやる」っていうのは、やっぱり大切なんだと思う。

「できないことができるようになる」っていうのも、できることをやることの延長線上にあると思うから

2つめは、

「できないことができるようになる」っていうのも、できることをやることの延長線上にあると思うから

だ。

「できることをやる」っていうのは、とっても地味だとも言える。それに比べて、

できなかったことが、できるようになりました!

っていうのは、すごく華々しい。だから、できないことができるようになりたいと思うのは自然なことだと思う。僕自身だって、そう思っている。

だけど、そういうふうに

「できないことができるようになる」

っていうことの背景には、まず間違いなく

「『できることをやってきた」という積み上げの力」

があると言っていいんじゃないかと思う。僕たちの成長っていうのは、そんな急激に一足飛びみたいに起きるものじゃないと思う。そう見えることがあったとしたら、それはそれまでの積み重ねが、ある閾値というか臨界点を超えて、一気に結実し始めたからだ。少なくともほとんどの場合には、そう言えると思う。

もちろん、たとえば

今までまったく絵を描いたことがなかったのに、描かせてみたらびっくりするくらい上手かったんですよ!

なんてことはあり得る。それは、

「才能が発掘された」

と言ってもいい。

だけどそれにしたって、

「そのひとの最初の作品が、そのひとの最高傑作だった」

なんてことは、まずないだろう。だからそれはただ、

「最初からできること(初期値)の差」

があるというだけで、どんな才能にあふれたひとだって、そのひとのできることを磨いて鍛えていった先に、さらなる境地がある。だからやっぱり、「できることをやる」っていうのは、地味でもすごく、大切なんだと思う。

できることをやったって、それが「成果」につながるとは限らない。でもできることをやらないで、得られる成果はないから

3つめは、

できることをやったって、それが「成果」につながるとは限らない。でもできることをやらないで、得られる成果はないから

だ。

ここで言う成果っていうのは、

「地位の向上」・「お金」・「周囲からの称賛」

とかに置き換えてもいいけど、たとえできることをやったとしても、これが必ず得られるという保証はない。でも少なくともできることをやらないで、得られる成果はない。だからとりあえず、やってみることだと思う。

どこに行けるかはわからないけど、行ってみたら、とりあえずどっかには着く。だからやっぱり、できることをやってみるのも、悪くないと思うんだ。

「できないことができなかった」からって、後悔する必要はない。でも「できることをしなかった」としたら、後悔せずにはいられないから

4つめは

「できないことができなかった」からって、後悔する必要はない。でも「できることをしなかった」としたら、後悔せずにはいられないから

だ。

もし僕が火事の現場を目撃したとして、僕がそのなかに飛び込んで行かないとしても、それについて僕が後悔することはない。そんなことをしても、僕が死ぬだけで、(僕が死んだら喜ぶというひとを例外にすれば)誰の役にも立たないのはわかりきっている。でも僕はせめて、消防に通報するとか、周囲のひとたちに呼びかけるとか、なにかはする。そしてすべてやりきったあとで、

急に大雨が降ってくればいいのに……

とか思って、祈るくらいのこともしてみると思う。

それにたとえば有名人の誰と誰が一緒にいるとか別れるとかについて、僕ができることも後悔することもなにもないけれど、もしそれが僕の友達で、僕がお互いの気持ちを聴かされる立場にいて、ふたりの気持ちが思い込みとか勘違いによってすれ違っているのを知っているとしたら、なんとかしてそれを伝えようとは、努力してみる。だってそのくらいなら、僕にもできるから。

確かに、哀しみや苦しみを直視したときはなおさら、自分の無力さが身にしみる。だけどやっぱりできないことはできないんだ。だけどもし、

「できることもしなかった」

としたら、僕は後悔せずにはいられないだろうし、それは当然のことだ。だからやっぱり、できることをやるっていうのは、大切なことだと思う。

これは「できることはやれ!」という意味じゃない。ただ、「できることをやる」というだけだ

ただこれは決して

できることはやれ!

という意味じゃない。それにもっと言えば

できることはぜんぶやる!

っていうのとも違う。

できることをぜんぶやってたら、息切れして疲れ切ってしまうことだってある。それに自分にできることも、誰かにやってもらったほうが、総合的な負担が減ったり、任されたひとが成長したり、自分が他のことに手を回せたりすることもある。だからここに、「強迫観念」を入れるのは僕の本意じゃない。

ただ僕は、

できることを、やる

と言ってるだけだ。

「自分になにができるかわからない」という想いについてはさ……

あとね、

自分になにができるか、そもそもそれがわかんないんだよ

っていう気持ちになることもあると思う。僕にもある。でもこういうときはさ、この際思い切って

そもそも「できるかどうかわかんないこと」なんて、「できること」にしなくていいよ

ってぐらい思っちゃってもいいと思うんだ。わざわざそんな「遠く」を探さなくたって、できることはいっぱいある。たとえばこれを読んでいるということは、あなたは日本語が読めるということだ。あるいは、読み上げソフトを活かしてウェブを見られるくらい、その周辺の技術に習熟してるということだ。そしてもし、あなたがなににも頼らずに歩けるなら、掃除ができるなら、料理ができるなら、あなたには僕にできないことができているということだ。だからあなたは、それを活かしたらいいい。そして、

これができるってことは、どういうことだと思う?

ってことを、考えてみたらいいんだ。

「できなくなってから気づく」

なんて、哀しいことだから。だから、考えてみる価値はあるんだ。

「あなたにできることがある」

っていうことが、どういう意味なのかを。

そのうえでね、さっきもちょっと言ったとおり、いつかは

「気づいてなかった才能が発掘される・開花する」

ってこともあり得ると思う。だからそれはそれで、

「未来のお楽しみ」

に、取っておけばいいんだ。

そしてそのときこそ、

できなかったことができるようになった!

って、思いっきり、喜んだらいいんだ。

僕もこれからも、できることをやっていく

こんなふうに改めて考えてみると、少なくとも僕にとっては、

「できることをやる」

っていうのが、とても大切なことだって思ったんだ。だからこれからも僕はできることをやっていこうと思う。

最近特に感じるんだけど、僕はここを開設した当初、こんなに詩を書くことになるとは思ってなかった。せいぜい

「文章8割/詩(とかその他)2割」

くらいの感じになるかなぁと思っていたところ、もはやこれは明らかに逆転している。でもこれも、

「できることをやってる」

という結果だ。

「まとまった文章にはならないものを、それ以外の方法で表現してる」

ってことなんだ。だからこれはこれで、いいんだと思う。そしてこれはやっぱり、僕自身のためでもあるんだ。ずっと、言ってきたとおりだ。

昔「24時間残念営業」ってサイトがあった。最初に読んだ文章がなんだったかは憶えてないんだけど、それからちょこちょこ読むようになった。でもその...

だから僕は、あなたにも確信を持って言える。あなたができることをやることには、確実に意味がある。それにまず、あなた自身のためにもなる。それはあなたにできることが少なければ少ないほど、なおさらだ。もちろん僕にあなたの人生を動かす力はないけれど、自分の思ったことを伝えてみるくらいのことはできる。そしてそこから、なにかいいものが生まれることを願いながら、僕は今日も、生きられるだけ、生きてみようと思ってる。

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