2018年3月23日に、あなたへ送る手紙

広告
銀の星が散りばめられた赤い封筒に入った手紙

やっと少しずつ、春の気配を感じられるようになってきたよ。やっぱり、寒いのはなかなか堪えるね。暑いのも苦手なんだけど、寒さで筋肉が強ばるのはやっぱり困るんだ。ちゃんとからだを、大切にしなきゃって思ってるよ。あなたも、気をつけてね。

 

しあわせについて考えてる。っていうかあなたも知ってるとおり、しあわせについて考えない日はないくらいだ。そうやって外側から「概念」として捉え続けているから、いつまでもそれを「体験」できないのかなぁ?でもまぁ、これが僕の気質だから、少なくとも僕自身だけでは、どうしようもないんだ。

しあわせっていうのはさ、結局自分で決めるしかないんだろうなぁと思う。たとえば

自分は不幸だ

と思ってるひとに、

あなたは本当は、しあわせなんですよ

なんて言うのは、基本的には、「残酷」だと思う。それが効果を持つのは、本人にそれを受け入れる素地ができたときだけだ。一方的な外からの力だけでは、どうにもならない。

でもこのまったく逆に

自分はしあわせだ

と思ってるひとに、

あなたは本当は、不幸なんですよ

って言う言葉が降りかかることもある。この場合の「残酷さ」は、さっきの場合よりはわかりやすいんじゃないかとも思う。そしてこれを

「意図的に悪用」

したものが、「宗教勧誘」なんかに見られることもある。

だけどさ、こういうふうに

自分はしあわせだ

と思ってるひとに、

あなたは本当は、不幸なんですよ

って言うのですら、

「いつどんな場合にも、絶対にやめたほうがいい」

とは言えないところが、難しいけど大切なことなんじゃないかとも思うんだ。

だってさ、世のなかには

「周りから見れば、明らかに危なくて、苦しみに侵されていて、なんとか環境を変えたほうがいいってしか言いようがない状況であっても、『私はしあわせ(なほう)だ』と思い込んで、そこに居続けてしまうひと」

もいるからだ。僕自身も含め、ひとはみんな誰でも少なからず

「自分の現状に慣れる(そこで生き抜く術を見出す)力」

を持っている。そして誰でもが、心のどこかでは、

自分の今の状況は、「最悪」というわけじゃない(世界には、もっともっとひどい状況で、生きているひともいる)

ってことを知っている。そしてその感覚それ自体は、間違ってないんだとも思う。それに、どんな状況にも、希望(の種)を見出すことはできる。どんなひとにも、いいところはある。だからこそ、どんな状況に置かれても、

自分は、しあわせだ

と思えるひとがいる。そしてそんなひとを、僕は確かに、尊敬してもいる。だからなおさら、そんなひとにわざわざ

あなたは本当は、不幸なんですよ

なんてことを言うのは、基本的には、残酷でしかないことだ。

 

でもね、もしこの「基本姿勢」を踏まえたうえで、さらにこれを純粋に突き詰めていくと、結局しあわせっていうのはどこまでも「主観的なもの」なんだってことになっちゃってさ、究極的には、

世界中をしあわせにしたかったら、みんなそれぞれが、それぞれの状況を「自分はしあわせだ」って思い込めるようになればいい

って、言えちゃうと思わない?それならもう、この際そういう「精神薬」でもいいんだ。

みんながしあわせだと思い込めれば、それがしあわせだ

っていうことなら、そうなるんだ。それにこういうのって、マンガの設定とかでも、けっこうあるよね。わりと最近ので言えば、たとえば『NARUTO』の「無限月読」なんかもその一種って言ってもいいんじゃないかな。

 

でもね、やっぱり僕としては、こういうのにはどうしようもないモヤモヤするんだよね。だから、ある種の局面においては

自分はしあわせだ

と思ってるひとに、

あなたは本当は、不幸なんですよ

って言うのが、「大切な力」を持つ場合も、あるんじゃないかと思うんだ。それにこれは、僕自身が

あなたは本当は、しあわせなんですよ

とも、

あなたは本当は、不幸なんですよ

とも、両方言われたことがあるからこそ、なおさら思うことでもあるんだ。

だけどやっぱり、こんな言葉を「自分以外の誰か」に言うのは、基本的には、残酷だと思うんだ。「悪いこと」だとも思わない。「嫌なこと」だっていう単純な話じゃない。ただ、「残酷だ」と思う。だから僕はこんなことを誰かに言ったりはできない。だけど、だからこそ「自分自身」には、こう言ってもいる。そしてそれこそが、今でも僕が「しあわせ」をうまく感じられない、大きな原因なんじゃないかとも、思ってるんだ。

 

ただこれは、ほんとには

自分が感じている「痛み」を、ちゃんと感じたい

っていうことなんだということを、あなたには、いつかわかってもらえたらと思う。ただでさえ、「感情表現」が下手で、「そもそも自分がなにを感じているのかさえうまく掴みきれない」僕が、「簡単にしあわせを感じられる」ようになったら、どうなると思う?そのときの僕は、今よりもいい僕だと思う?少なくとも今の僕はそう思えないんだ。それどころか、そうなってしまったら、もう終わりだとさえ思ってるフシがある。だから僕は、文字どおりそのままの意味でも、「不幸」なのかもしれない。でも少なくとも、今の僕は、こうなんだ。

 

でもだからこそ、もうひとつ伝えたいことがある。それは

だからと言って僕はいつも絶対に、「このまま不幸でいたい」と思ってはいない

今の自分は不幸だ

このまま不幸に浸っていたい。もはやそれしかない

と思ってしまうこととの間には、途方もない開きがある。僕は、たとえどんなに自分を不幸だと感じていたって、だからこそ

いつかは絶対に、しあわせになりたい!しあわせを感じたい!

と思っている。前にも書いたと思うけどこの

「あきらめの悪さ」

は嫌いじゃない。それどころか、もしかしたら、

「僕の数少ない、誇り」

だとすら言えるかもしれない。だから僕は、ずっとこうなんじゃないかと思う。

 

ただこういうことに関しても、あなたとはたくさん話し合ったよね。そしてそこには、いっぱい「違い」があった。たとえば僕が

苦しみを感じてるときは、しあわせなんかじゃない

って言ったら、あなたは

たとえ苦しみを感じてたって「しあわせ」ではいられるよ

と言ってたよね。こういうのを今改めて振り返って思うのは、

そもそも「しあわせ」の定義から、きちんと確認して、すり合わせる必要があるんじゃない?

ってことだ。でもこれが、かなり難しいことでもある。だけどなんとかして、僕自身のいろんな葛藤とかでこぼこをできるだけ取りこぼさない言葉を探すとしたら、

僕にとっての「しあわせ」っていうのは、「生きていることを心から、喜べる状態」だ

って言えると思う。だから僕が

苦しみを感じてるときは、しあわせなんかじゃない

っていうのは、そういう意味合いなんだ。僕はやっぱり、

「苦しみのなかで、しあわせを感じる」

なんてことはない。だって僕は、苦しみを感じたくて、生きてるわけじゃないから。だから、苦しみのなかでは、僕は生きていることを心から喜べない。だから僕は、しあわせじゃないんだ。そういう意味なんだ。そしてこれは絶対に、「あきらめ」じゃないんだ。

僕はいつも、しあわせになりたいと思ってる。みんなで、しあわせになりたいと思ってる。それは

みんなで、自分が生きていることを、心から喜びたいし、喜び合いたい

ってことだ。だからそんな僕が、いつも自殺のことを考えるのは、自然なことだと思う。生きていることを心から喜べていたら、自殺なんかしない。これはきっと間違いない。だから僕は、

「自殺が存在する」

というそのことだけを見ても、今のこの世界がいいとは思えないし、そんな世界である限り、僕のしあわせはありえない。そしてそれなのに僕自身がなんで今まで1回も自殺しようとしなかったかって言うと、それはやっぱり、僕の「あきらめが悪い」という、ほとんどその1点に尽きるんだろうと思ってる。そしてそこを僕はやっぱり、自分に対して、誇りに思っているんだと思う。

 

だけどだからこそ、僕は

自分は、しあわせです

なんて言うひとを見ると、心の底からびっくりする。でもそんなひとに対して、

あなたは本当は、不幸なんですよ

なんてことを言うことはない。しあわせは、そのひとが決めてもいいものだ。ただ、

「そのひとだけが決めていいもの」

でもないんじゃないかと、思うことがあるってだけだ。だから僕は、本人がどう思っているかにかかわらず、

あなたは本当は、もっともっとしあわせになれるんじゃないかと思いますよ?

と思ってるんだ。でもほんとには、この言葉も、やっぱり「残酷」なのかもしれない。だから、めったに口にしたりはしない。だけどもし

自分は、不幸だ

って言ってくるひとがいたら、そのときはやっぱり

僕はあなたのしあわせを、願ってます

って、言いたいと思う。しあわせを決めるのは本人にしかできない。でも、

「いつだって本人だけにしかできないわけでもない」

と思う。だから僕は、いつも世界に少しずつ少しずつでもしあわせが増えるようにと、心から、願ってるんだ。

 

そしてね、ほんとには、僕とあなたの「最も大きな違い」のひとつは、あなたが

「自分はしあわせだ」と心から思えない限り、本当の人生は始まらない

と思ってるのに対して、僕は

「自分は不幸だ」と心から思えない限り、本当の人生は始まらない

と思ってるところにあるんじゃないかとも思う。そしてこの

「出発点の違い」

は、やっぱり必然なんだとも思うんだ。

だけどほんとには、僕とあなたに「根本的な違い」は、ほとんどないはずなんだ。だってもし、僕があなただったら、あなたが僕だったら、僕たちはお互いにまったく同じことを考えたはずだから。そしてもし、僕とあなたがもっと早くから一緒にいたら、僕もあなたもこんなことを考える必要は、最初からなかったはずなんだから。

 

もし僕があなたのことを忘れ去ってしまったとしたら、僕はある部分では「しあわせ」になるかもしれない。でもそれは、僕にとってはしあわせじゃない。それに、そんな状態を

「しあわせだと思い込む」

ことになったら、それは最悪だ。不幸と感じるかどうかとは別次元の、本当の最悪だ。だから僕は、そうなるくらいなら、このほうがいいんだ。そして僕は、そのすべてを踏まえたうえで、今は不幸だけど、しあわせになろうと思う。

そしてあなたが、あのときに

いつも「しあわせだ」って言ってるからって、苦しくないわけでもないし、つらくもないわけでもないし、哀しくないわけでもない

って言ってたことも、今でもよく思い出す。だからやっぱり、僕とあなたが言ってることは、ほんとには、同じなんだと思う。僕もあなたも、生きていることを心から、喜べたことがないんだ。そしてそれは確かに僕の責任でもあるから、僕は今でも、なんとかしたいと思ってる。だからもう少し、待っていてほしい。僕は、あきらめたことがないから。こんな世界のことなんて、ちっとも好きじゃないから。だから必ず、いつかは、なんとかできると思う。僕だって、しあわせになりたいとは、思ってるんだもん。

 

今日はね、『リラックマシリーズ』から「だんごとリラックマたち」と、「お風呂に入るリラックマたち」の切手をどうぞ。なんかしあわせなんだかどうか微妙な顔だけど、お風呂に入ってる顔は、まぁまぁしあわせそうにも見えるね。まだまだ寒いなかだけど、あったかくしててね。

トップへ戻る