リアルな夢を見た。大学にいる夢だった。僕の場合「学校にいる夢」はほとんど悪夢になるんだけど、今回は珍しくそうじゃなかった。そこで僕は、大学の先生から、こんな課題を出されていた。
「哲学は血ではない」ということについて論じなさい
僕はこの課題に、真剣に取り組んだ。でもその答えを発表する前に、夢が終わってしまった。だから、せっかくまとめた僕の答えを、ここに書いておこうと思う。
ということで、僕の答案です
哲学は血ではない。このことを論じるために、いったん別のものと対比したい。たとえば、「顔立ち」や「言葉遣い」といったものについては、そのひとの特に幼少期をともにした両親、あるいは家族や保護者の影響が色濃くあると考えられる。
だが、「哲学」に関してはそうではない。どれだけ血縁の近いひとが抑圧しようとも、哲学はそのひと本人のなかから顕れ出てくる。たとえばそれは愛に関する考えかたであり、経済に関する考えかたであり、いのちに関する考えかたである。そしてそうしたことが、金銭感覚や、食・衣服・住まいといったものから、音楽・小物など様々なものに関する嗜好に影響し、そのひとの人生をかたちづくり、育んでいくことになる。
もちろん、幼い頃に近くにいたひとたちの影響が、こうしたものにまで及ぶことは確かだ。特に、そのひとの保護者が、
人生というのは、こういう(ふうに歩む)ものだ!
ということを、本人に強く求め続けた場合などは、その力は強く深く、本人を支配しようとする。
しかしそれでも、どれほどその「枷」が、「鎖」が強力であろうとも、やがてはひとはそれぞれの生きかた、つまりは哲学を見出し、育むようになる。ただそれが、早いか遅いかの違いだけだ。こどもの頃に肉ばかり食べさせられていたからといってて、ずっと肉が好きだとは限らない。両親が愛煙家であっても、そのひとはいずれ禁煙するかもしれない。祖父は銀行員だったが、父は公務員になり、そしてこどもであるそのひとは、起業するのかもしれない。
確かに、「代々続いてきたもの」は「文化」を形成する。そしてそれは、「経験の積み重ね」だとも言える。だからその「経験」を活かすことが、成功につながる可能性があることは言える。しかしだからといって、それは本人の選択を固定化できるものではないし、血に入り込むものでもない。仮に入り込んでいたとしても、それは乗り越えられないものではない。
世のほとんどのひとたちが地球が平面であることを信じているなら、そのひとの両親も、あるいは祖父母もそのまた父母も、地球が平面であることを信じている、あるいは疑ったことすらないかもしれない。しかしだからといって、その家のこどもが地球が丸いことを認識できないとは限らない。それにその可能性の実在は、なにより現在の私たち自身が、はっきり示しているものである。
今ここになく、かつてのどこにもなかったものを生み出す力が、私たちには確実にある。そしてすべての創造には、その礎となる「発想」や「世界観」がある。この総称こそが、「哲学」である。だから、哲学は血ではない。哲学は、魂である。(以上、1080字)
これからも、僕も僕なりの哲学を、深めていきたい
最初この課題を見たときは、
「哲学は血ではない」って、なんだこれ?
って思ったけど、自分なりに考えてみると、納得できるものだった。この問い自体が最初から、
哲学は血ではない
というのを前提してるような書きかただったから、そもそもその「前提」自体を共有できなかったらどうしようかなと思ったけど、終わってみるとそれは杞憂だった。
それでこんな夢を見たからなおさら、僕も僕なりの「哲学」(想い・生きかた)を、あなたと一緒に深めていけたらと、そう思った。それに、もしあなたからも僕に対してなにか
「問い」
があったら、夢のなかでもどこでもいいから、教えてくれたらと思う。僕もあなたと一緒に考えて、そのときそのときの僕なりの答えを、出していきたいと思うから。これからも、よろしくお願いします。

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こんにちは。
今読んでいる本が
『ソフィーの世界 哲学者からの不思議な手紙』
です。
西洋の哲学の流れがわかりやすく、書かれています。
『星の王子さま 』
も並行して、読んでいます。
この本も、哲学しているように感じています。
さなぎさん、こんにちは。
『星の王子さま』
は知ってましたが、
『ソフィーの世界 哲学者からの不思議な手紙』
は初めて知りました。今度図書館で探して読んでみますね。ありがとうございます。