2018年2月17日に、あなたへ送る手紙

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花と一緒に送られた手紙

手紙を書くのなんて、いつぶりだろう?

今思い出せる範囲では、小学生のときの手術で入院してたとき、病室から家族に向けて書いた手紙が最後じゃないかっていう気がする。いや、その後も書いたことあったかなぁ?でもともかく、すごく久しぶりだ。

でもまず最初に、もうこれほどインターネットもメールも普及して、手紙なんて手間のかかるものを送らなくてもいいようになったはずの今、わざわざこんなふうに手紙を送るなんて気持ちになった理由を、説明したいと思う。

 

そもそも、ひと目でわかるとおりこれはほんとは「手紙」と呼んでいいのかどうか微妙なものだ。直接逢えないとしても、もっと別のかたちで、たとえばメールとか電話とか、そういうもので代えることはいくらでもできるはずだ。それに本来、手紙は不特定多数のひとたちに向けて公開するものじゃない。そんなことは、よくわかってる。

でも、もし僕が今あなたにメールしたり直接メールしたとしても、きっとうまくは話せない。それに、もしあなたに僕がほんとの「手紙」を送れたとしても、あなたは読んでくれないかもしれない。ううん、読んではくれると思う、たぶんね。でも、返事に困ると思うんだ。

 

でもあなたはとても優しいから、たとえ返せなくたって、手紙を見た時点で

なにか返事しないと!

って、負担に感じてしまうと思う。それに、僕のほうだって、やっぱりあなたからの返事を待ってしまうし、そもそも返事がなかったら、あなたに手紙が届いたのかどうかから、不安に思ってしまうだろう。だからそれじゃ、うまく行きそうな気がしなかった。

 

それにさ、考えてみてほしい。僕があなたの「電話番号」や、「メールアドレス」や、「住所」を知っているとしたって、そこに送れば、「あなたの心」に届くっていうわけじゃないよね?僕はただ、自分の気持ちが、できるだけ素直に、できるだけまっすぐにあなたに伝わる方法を、考えただけなんだ。

これには、お互いにとっていいこともいっぱいある。まずこれは、ほんとにはあなたに送っているんだけど、あなただけが読めるわけじゃない。だからあなたは、たとえこれを読んだとしても、

これは私宛てじゃない

と思い込んで、気にしないこともできるってことだ。

それにそれは逆に言えば、僕のほうも

あなたに送ってるけど、あなただけが読めるわけじゃないし、あなた自体が気づかない可能性もないわけじゃないんだから、返事が来なくてもいい

って、自然に思えるってことだ。だって実際、

「あなたがこれに直接返信する」

っていう手段は、ないに等しいんだから。それに、あなたがこれを読むのは、実際にすごく、あとのことかもしれないし。

だから、それを誰よりも知ってる僕は、僕の感受性のままでありながら、あなたに負担をかけることもなく、返事がないからって落ち込むこともなく、こうして手紙を出せる。しかも、地味に大切なことなんだけど、便箋を折ることも封筒に入れることも切手を貼ることもうまくできない僕でも出せる、「手紙」だ。だからこれは、お互いにとって悪くない方法だと、僕は思っているんだ。

 

それでね、なんでそれを「ここに書いたか」ってことなんだけどさ、ここは、僕の予想よりはるかにいい場所になってくれて、文章だけじゃなく、詩でも物語でもなんでも、ともかく僕が書きたいと思ったものを、好きなように書ける。とはいえ、そりゃあまったくの「無制限」ってわけではないにせよ、実際ここでの「四つ這いおとな」っていうのは、「素の僕」に、とても近い。もちろん、ひとには多面性があるっていうのは、よくわかってるけど。

だから言いたいのは、

「この場所になら、こんな手紙を書いておいたって、まったく違和感がない」

ってことなんだ。この場所は、

「四つ這いおとなが書いた」

ということだけが唯一の「幹」で、その幹から出たものである限りもはや「なんでもあり」だ。そういう場所として創った。そして実際に、そういう場所になってくれた。だから、この場所なら、この手紙も受け止められる。

そのうえでね、あなたは僕が誰かを知ってる。だからあなたは、この手紙の差出人を知ってる。だから、「僕はあなたに、僕の気持ちを、僕として」伝えられる。

実はね、一瞬は、この手紙を書くためだけに、新しく独立したサイトを創ろうかとも思ったんだ。でもやっぱり、僕はあなたに、ちゃんと届けたかった。僕が誰かを知ったうえで、あなたに読んでもらいたかった。だから、ここを選んだんだ。

 

あらゆる観点から見て、こんなにいい条件を満たしているのは、僕にはここだけだ。だから、ここに手紙を書く。ここでなら、ここでこそ、あなたにもっと素直な気持ちを、もっとまっすぐに、届けられるかもしれない。そしてこれは、文章でも詩でも物語でもない。今までここに綴ってきたどのかたちにを遣っても、この気持ちをこんなふうに表すには向いていないと思ったんだ。だから、手紙にした。あなたに送る、手紙だ。

 

さて、ここまでが「前置き」ね。いつもながら前置きが長いけど、まぁ付き合ってよ。「土台」を何度も確認しないと、先に進めないんだって、知ってるでしょう?

 

で、手紙を書くことは決めた。それでここから、なにを書くかだ。いや、書きたいことは、ほんとは、たくさんあるんだ。でも今までもうまく言えなかったから、どうしようかなと思って。でもなにより僕自身がやると決めたんだから、やれるところまでやってみよう。

 

「あなた」っていう言葉の遣いかたのこと、考えたことある?あなたなら、たとえばこんなふうに言う。

私の世界には私とあなたしかいない。だから私が直接「あなた」を愛していないときも、私は「あなた」を愛してる

こんなふうに言うあなたを、僕は確かに尊敬してる。そしてだからこそ、僕はあなたを好きだとも言える。だけど、僕が遣うときの「あなた」は、少し意味が違うとも言えるんだ。

僕が言う「あなた」は、いつもあなたのことだ。あなた以外のひとに言う<あなた>は、あなたに向けて言っているわけじゃない。ただ、すべてはつながっているというのは同じように感じてる。だからあなた以外の<あなた>にも優しさやいたわりを注ぐことで、あなたがラクになることはあると思うし、それは僕も願ってることだ。でもそれは、別に他の<あなた>をあなたのために利用しているわけじゃない。<あなた>に向ける想いは、それはそれとして素直なものだ。

でも、こんなことを言っても結局うまく「あなたとの違い」を伝えきれてないかもしれない。

私だって、別に他の<あなた>をあなたのために利用してるわけじゃないよ!

って叱られるかもしれないけど、そんなことはわかってる。でもそうだな、なんて言ったらいいかなぁ?

僕はあなたほど、全体的に世界を見てない(見られない)

って言ったらわかる?僕にとって、世界はもっとあらゆる意味で

「個の集合」

なんだ。だから、あなたはあくまでも、あなたなんだ。そしてそんなあなたが、僕は好きなんだ。

 

ただあなたにも他のひとたちにも、

あなたは誰のことも好きなんでしょう!

って言われてるのはわかってる。そしてそれは、確かに正しくもある。僕は基本的に、誰も嫌わない。これはむしろ

「嫌えない」

に近しい。

だけどそれでも、僕はあなたのことが好きだと言いたい。そして

「僕があなたより『個』にこだわっている」

っていうのは、ほんとは

「こんなにも広い対象に『好意』を向けてしまう僕が、その感受性を歪めることもなく『それでもあなたを特別に好きだ』ということを伝える『最後の手段』なんだ」

ということを、いつかあなたには、わかってほしいと思う。

 

それが難しいことは今までの経験からも重々承知のうえで、たとえばこんなふうにも説明したい。

愛はどこかで必ず「期待」を生み出す。

相手に期待しないことが愛です。そしてそれこそが、「無償の愛」です

っていうひとがいるのもわかるけど、そしてそれは「相当正しい」とも思うけど、だけど、それだけでもないと思う。

愛があるからこその期待もあると思うんだよね

と、僕は言いたいんだ。だから、そんな僕にとっては、「愛」と「期待」はいずれにせよ独立してない。

だからね、僕があなたに言いたいのは、

「僕があなたに期待していることを、他の誰かには同じように期待してない」っていうことから、あなたへの「好き」の特別さを、わかってほしい

ってことなんだ。

もちろん、それがあなたにとっては、「圧迫」になったのもわかってる。だからやっぱり、僕の表現は、やりかたは、「最善」ではなかったと思ってる。ただよくも悪くも、僕はあなたのように

「他の誰かを通して「あなた」を見る」

っていうことはしてない。できないんだ。だからこそ、今は他でもない「あなた」に向かって、これを書いてるんだ。

 

だけど、そんな僕だからこそ、あなたの愛の在りかたを、美しいとも思ってる。そしてそれがほんとには、

「あなたの『痛み』と『哀しみ』から生まれたもの」

だってことも、僕なりにはわかってる。だけど、あなたに

あなたより私のほうが傷が深いと言ったら、あなたは信じられないでしょう?たとえそれが真実でも

って言わせてしまったんだから、僕はそれをまだ、正しく伝えられていないんだってことを知ってる。だけど僕は少なくとも前よりは、よくわかるようになったと思うよ。あなたとこの世界で出逢う、前よりはね。

 

ただほんとには、あなたと僕のどっちの傷が深いかなんてことを調べることが大切なんじゃないってことも、わかってる。ほんとに大切なことは

「僕たちがお互いの傷を癒やし合えること」

だ。そしてそこに関して、僕とあなたで意見の対立はまったくないと思う。

 

だけど、だからこそ僕はあなたと僕のそれぞれの傷を見て、今は切実にこう思う。

あなたの傷はある部分では僕より軽い。でも別のある部分では、僕より重いんだ。

あなたが世界を「全体的に」見られることは、あなたの傷を軽くしている。あなたが誰を通してもあなたの見たい「あなた」を見られるなら、あなたはしあわせだ。だからあなたは、自分のことを

私はいつだってしあわせだよ

とも言う。そしてそれは、確かに真実なんだとも思う。

だけど僕は、そんなふうにあなた以外の<あなた>から、あなたを見ることはできない。だから、あなたとの間で生まれた哀しみは、あなた以外には埋められない。そしてそれは、ほんとには、あなた以外の<あなた>についても同じだ。だから僕の傷は増える一方で、僕はしあわせを感じられないし、

しあわせだなんて言いたくない!

って、言いたくなるんだと思う。だからその意味では、やっぱり僕のほうが、あなたより「重症」だ。

だけど一方で、僕はこうも思っている。

あなたが誰を通してもあなたの見たい「あなた」を見ることができるようになったのは、「そこまでしないと潰れてしまうほど傷が深かったから」だ。

だからその意味では、やっぱりあなたのほうが、ずっと「重症」だ。

私があなたよりも人生からしあわせや喜びをたくさん見出だせるのは、「あなたより恵まれていたから」じゃない

って言ったあなたは、やっぱり正しい。そして僕はそれを、知らなかったわけじゃない。ただうまく、対処できなかったんだ。それが僕も、とても哀しい。ほんとに、申し訳ないと思ってる。

 

ただ、僕はいずれにせよこうやって、なんだかんだ言いながら、

「自分を生き延びさせる方法」

を見つけ出すことができる。だけどこれと同じようには、あなたはきっとできないんだと思う。だから、あなたは別の方法を見出した。それが、だからこそ、あなたは誰を通してもあなたの見たい「あなた」を見ることができるようになった。だから僕はあなたを尊敬している。でも本当は、それがあなたの「哀しみ」の結果だということを、忘れたことはない。せめて、忘れないようにしようと思ってる。

ただね、僕のやりかたは僕のやりかたで、

「僕はあなたじゃなく僕でしかない」

ということを受け入れたうえで、

「少なくとも今の僕にとっては最善の方法」

なんだ。僕は、あなた以外の誰からもあなたを見ないことで、あなたを大切にしようとしているんだよ。あなたのやりかたとは、違うけどね。

でも一方でね、この手紙はあなたに向けて書いたものだけど、これをあなた以外のひとたちと共有することで、他の誰かも、なにかを、考えてくれるかもしれない。そしたら、うまく行ったら、この世界はまた少し、あったかく、優しい世界になるかもしれない。あなたが誰よりも、そう願っているように。

 

うん、やっぱりうまくまとめられないや。でも新しいことをやってみると、新しい気持ちになるね。やっぱり切なさとか哀しさもあるけど、それもそれとして受け止めながら、でもこの方法を見つけたことで、なにかが生まれたらいいなぁって、思ってるんだ。

思ったよりグダグダで思ったより長くなっちゃったけど、いいかな。

ともかく今いちばん言いたいことはね、

この手紙はあなたに向けて書いたものなんだよ

ってことだ。あなたに今までうまく伝えられなかったことを、今でもうまく伝えられないことを、なんとか少しだけでも、伝えたい。あなたにだから、伝えたいんだよ。そのことを、あなたには、あなたにだから、わかってほしいよ。

 

でも最初から、1通でまとめられるとも思ってないし、1通で終わろうとも思ってないんだ。だから、またいずれ書くね。ただ手紙に「題名」をつけたことなんてなかったし、

『あなたへ』

とかにしちゃうと次のも同じになっちゃうから、だから考えた末、すごく単純なのにしたよ。

これがあなたへの、最初の手紙。あくまでも、ここにこのかたちで書いたものとしては、だけどね。

 

あったかくして過ごしてね。またね。

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