起きる

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湖に昇る朝日

なにかひとつでもいい

ひとつでもいいから

自分で決めて実現できる

そんなものが見つかったなら

そこにしあわせがあるだろう

 

だけどもし

服も食べものも自分で選べず

トイレにもお風呂にもひとりで入れず

ひとりで横になることもできないとしたら

なにを「自分で決めた」と言えるのだろう?

 

でもそれならせめて そうせめて

1日の始まりを迎えるとき

「自分で起きた」と言おう

目覚めることは本能か?

たとえそうとも言えるとしても

僕たちはいつも知っている

僕たちはその気になれば

死を選ぶこともできるんだ

それなら起きるということも

自分で選んだと言っていい

たとえ僕たちを「生かそう」とする なにかがあると認めても

それでも死ぬことだってできるのだから

生きるのは自分の決断だ

 

今日も「起こされた」としても

ほんとは自分で起きている

だからそのことを噛みしめて

朝に向かって「起きる」と言い

世界に向かって「起きた」と言う

1日の 始まり

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