一寸延びれば尋延びる。そこに込められた「気概」を、僕も受け継いでいたい

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砂を掴み取る手

つらいとき、眼の前の苦しみはあまりにも巨大で、それに対して自分ができることなんて吹けば飛ぶほどちいさなものでしかなくて、その積み重ねで現状を変えられるなんて、とてもじゃないけど思えないことも多い。だけどこないだ、そのときの考えかたのヒントになるような、こんな文章を読んだんだ。

作家 青木 奈緖 二○一七年が始まりました。今年の干支は丁酉(ひのととり)、酉年...

「猿守り」に「心ゆかせ」。今はほとんど遣われなくなった言葉には、心を活かす智慧が秘められていた

この文章は端的に言えば「言葉の移り変わり」についての話だと言っていいと思うけど、その文脈のなかで、まずはこんな言葉が紹介される。

昨年は申年でしたが、猿を使った表現に「猿守り」ということばがあります。およその意味を申し上げれば、子育ての神様が干支の動物に順番に子守を命じて、それぞれの動物が特徴をいかして上手に子守を務めるのですが、猿だけは赤ん坊にいたずらしたり、せっかく寝ついたところに余計なちょっかいを出して起こしたりして、むずからせます。とりたてた理由もないのに赤ちゃんのご機嫌の悪い日というのはあるもので、そんなときのことを「猿守り」と言います。

(中略)

うちではほとんどの場合、ことばの意味を拡大解釈していて、赤ちゃんのご機嫌だけでなく、なぜか間が悪くて物事がうまく運ばない日のことを「今日は本当に猿守りでね」というように使っています。

確かに、こっちが全力を尽くしてもなぜかうまく行かない日と言うのはままある。あるいはそれは、体調とかのことも含めて捉えることもできると思う。僕もその日の体調は起きてみるまでわからないけど、たとえば関節や首なんかが痛かったりする日に、

このまま、こうやってどんどん悪くなっていくんだろうか……

なんて考えたってドツボに嵌まるだけだ。その考えかた(気の病み)が、却って状態を悪化させもするだろう。だからそんなときに、

今日は、猿守りだなぁ……

って思うことができれば、だいぶ気がラクになると思うんだ。

そしてこの文章では他にも、

そして、どうやらその種の、今は使われなくなったことばが母方の家にはいくつかあるようなのです。例えば、「心ゆかせ」は、自分の心をなぐさめ、納得するための小さな行為のことを言います。

っていう感じでいくつかの味わい深い言葉が紹介されているけど、僕が特に心を動かされたのは、この言葉だった。

一寸延びれば尋延びる。その「現実離れした飛躍」は、なんのためにあるの?

その言葉っていうのが

一寸延びれば尋延びる

っていうことわざだ。僕はこれも他の言葉と同じくここで初めて知ったんだけど、それはこう説明されている。

「一寸延びれば尋延びる」は、辞書にも載っていることわざで、一寸は約三センチ、ひと尋は両手をひろげた長さで、およそのところで一・八メートルです。今、苦しいときに三センチ分がんばれば、それが先へ行って六十倍の一・八メートルのゆとりにつながるというのです。

なるほど、確かにこれは力強い言葉だ。でも正直、遣い古された言葉でもあるような気がする。似たような言葉なら、他にもたくさんあるでしょう?

負けないで ほらそこに

ゴールは近付いてる

歌手:ZARD 作詞:坂井泉水 作曲:織田哲郎 白鳥麗子でございます!に関連している曲です 歌い出し:ふとした瞬間に 視線がぶつかる幸運(しあわせ)のときめき 覚えているでしょパステルカラーの季節に恋したあの日のように 輝

とかさ。でも、それでも苦しくて苦しくて、どうにもならないときはある。だからこそ、ほんとに苦しいんだ。だけどこの文章のなかで、青木さんはそんな気持ちも想像したうえで、この言葉にこんな意味付けをしてくれるんだ。

六十倍とはずいぶん大きく出たものだという気がしますが、やや現実離れした飛躍を信じたくなるほど、今が苦しいのです。ここを乗り越えさえすれば、先行きなんとかなる。そんな気概が感じられて、私の好きなことばのひとつです。

そう、これは確かに「現実離れした飛躍」だ。そんな言葉を表面的に信じただけでは、状況はまず改善するとも思えない。だけどそれを信じられなければ、生きていくことはできない。だからこれは、「事実かどうか」かどうかを問うことに意味はない。ただこれは、そんなこともすべてわかったうえで持つ、なんとか持とうとする、「気概」なんだ。

未来はなにも決まっていない。それに明らかに、努力はすべて実るわけじゃない。どんなに死力を尽くしても、できないこと、叶わないことはある。だから未来は、自分だけの力ではどうにもならない。だってみんなそれぞれ、違う「未来図」を描いているんだから。

でも「気概」なら、自分の意志で持つことができる。そしてそれは、確かに「力」でもある。だから僕は、その気概を、受け継いでいたいと思う。

青木さんの文章は、こうして結ばれている。

今日の一寸の努力が先へ行ってひと尋の余裕と、喜びとなるように努めてゆきたいと思っています。

彼女は決して「喜びとなるでしょう」とは言っていない。

喜びとなるように努めてゆきたい

と言っている。そして僕も、これと同じ気持ちを、改めて共有したいと思うんだ。

それに、前に

1年の計は元旦にありなんて言葉もあるけど、この時期は新年の抱負を持ったり、いろんな計画や目標を立てたりするひともけっこう多いん...

っていう文章でも書いたように、僕の人生は、決してそのときそのときに想い描いていたとおりにはなっていない。そしてその「結果」は、確かに僕を落胆させたし、「絶望」の淵に追いやりもした。でも今、確かに部分部分では大変なことや不安なことも多いけど、全体として見れば、今まででいちばん楽しく生きられてるとも思うんだ。

だからその意味で、あのときの泣きながらの悪戦苦闘は、確かに今につながっている。少なくとも、今僕が生きているのは、あのとき生きることを諦めなかったからだ。そして今、長い時間術で見れば見るほど、僕は昔よりしあわせになっているとは言える。だから確かに、あのときの一寸は、今まで伸びて育ってきた。これは、事実なんだ。

僕は、このことを忘れずにいようと思う。そしてそのことも糧にして、この「気概」を持ち続けようと思う。そしてそれをもしあなたとも共有できたなら、こんなに嬉しいことはない。そして僕はそんなあなたに出逢えた今につながっているすべての経験を改めて噛み締めながら、これからもここにいようと、そう思ってる。

コメント

  1. 小夜子 より:

    四つ這いおとなさん、貴方の気概、気骨、心意気、スピリット、志、…そういったものが伝わってくる言霊をいつもシェアしてくださり有難うございます。

    貴方の文章を読んでいると、生きるってよいことだ、人間ってよいものだ、世界もよいものだ、そして自分もよいものだ…自分はこの世界で今生きていてよいのだ、という思いを改めて確認しています。人間や世界や自分については現状がすべてOKこのままで素晴らしいとは言わないけれど、問題は沢山あるし悲しいこと悪いことあるけれど、その中にあっても損なわれていないよさや美しさや素晴らしさはあるし、これからよい方に変わっていく可能性はあるし、信じて生きる価値があると確信します。

    私が使う「よい」「悪い」という表現は、読む人に独善的な善悪二元論を想起させてしまうかもしれませんが、私にとっては「よい」(goodness)という概念はとても大切なものなのだと思います。少なくとも自分と相いれないものや違う意見に「悪い」とレッテルをはることではありませんし、したくありません。ですので、私が真善美を強調しすぎて危険だと感じられたら、少し私も突っ走り過ぎているということなのかもしれませんし、だとしたら反省です。

    (人間は生まれながらに(つまりは学習の結果ではなく、本性として)「正義」をよしとする心を持ち合わせている可能性が高い、という実験結果が発表されたというニュース 京都新聞1月31日)

    そうだよね、いいもの・いいことっていいんだよね、と安心したニュースでした。

    誰もがしあわせになる権利・可能性をもっているし、自分のしあわせは自分で決めていいし、そのしあわせに向かって生きていくことができる。この場合、誰かの「しあわせ」が別の誰かの「不幸」を必要とするものではないと思います。むしろ独りだけ「しあわせ」でいることはできないのが人間存在なのでしょうね。

    存在し、生きてゆくことそれ自体が尊いのでしょう。

    「あのときの一寸」と言える「今」は、確かに三十倍六十倍あるいは百倍延びていますね。現在の苦しさも、ここを生き抜けば必ず「過去の一寸」になるという気概…ひと息ひと息が「一寸」の積み重ねなのでしょう。

    優しく強い気概を宿した貴方のからだが守られますように。

    貴方の思いを込めた言葉が受け止められますように。

    • 小夜子さん、こんにちは。

      それだけの「力」や「確信」を持ってくださってありがとうございます。

      ですがそれは僕の文章の力というよりも、ただ僕があなたのなかにある「種」の背中を、ほんの少し押しているだけだろうと思います。

      そしてそのあなたの姿が、僕自身を励ますものになります。

      それに僕は基本的にいつも「みなさん」ではなく「あなた」に向けて書いているつもりでいるので、たとえたったひとりでも(それは、多ければそれはそれで嬉しいことですが)それを受け止めてくれるひとがいればそれだけでもいいんです。

      ですからほんとに、ありがとうございます。

      これだけでもとても嬉しいことではあるのですが、よろしかったらこれからも、どうぞお付き合いくださいね。

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