未来が怖くなったときは、「今まで生きてこられた」っていう過去の事実の力をもらう

広告
3冊の古い日記帳と新しい日記帳

1年の計は元旦にあり

なんて言葉もあるけど、この時期は新年の抱負を持ったり、いろんな計画や目標を立てたりするひともけっこう多いんじゃないかと思う。

それに、今日は一般的には仕事始めだけど、まだお正月の楽しい気分が残ってるひとも多いかもしれない。それに、またあと2日もしたら、3連休になるし。

でも周りのひとたちが楽しそうなときほど、自分の苦しみは深まって感じられる

でもこういうふうに周りの雰囲気が全体的に楽しそうで、実際はどうあれ周りのひとたちがしあわせそうに見えやすいときには、それに乗れないひとたちの苦しみは、却って深まって感じられる。そんなときには、新年の抱負や目標なんて考える余裕もない。そしてただただ、未来のことを考えることが怖くなってしまう。こんなことだって、決して珍しいことじゃないと思う。

それにこれは、僕自身の体験からも言える。特に去年の後半、そのなかでも12月は、なかなか強烈な波があったし、今年に入ってからも、少なくとも春先までは、いろんなことが待ち受けてることを覚悟してる。それにそのあとも、予測してないいろんなことが起きるだろう。人生っていうのは、そういうものだから。

だけどどんなにアタマではわかっていても、実際にその渦中にいるときのキツさはかなりのものだ。

「冷静さ」っていうのは1歩引けたときにこそ生まれるものであって、自分のことになると、その「1歩引いたところから見る」っていうのは至難の業だ。だって苦しみっていうのは、いつも視点を「現在」(今のつらさ、痛み)に引き戻すんだから。

「どうなるかわからない未来の恐怖」に対抗するために、「結果のわかった過去」を活かす

そんな状態で、未来のことを考えるのはほんとに難しい。だって未来っていうのは、どうなるかわからないからだ。もちろんこの「どうなるかわからない」っていうのはいい意味で楽しみだとも捉えられることなんだけど、つらいときはそんないい側面に眼を向けることなんてできない。っていうか、それができるならつらくない。

だから、そんな状態では、「どうなるかわからない未来」なんていうのは、恐怖の対象でしかない。

そしたら、その恐怖に対応するのはどうしたらいいんだろう?今(現在)に集中する?そこにあるのは苦しみだ。しかも、それは現在進行形で、結末はまだまだ見えない。となると結局は「どうなるかわからない未来」につながっていく。じゃあ、どうすればいい?

結果がわからないから怖いんだ。でも僕たちには、唯一「結果がわかってるもの」がある。それが、過去だ。

過去に想いを向けるなんて、生産性がないよ!

今できることを、ひとつでもやったほうがいいよ!

っていう意見もあるのはわかるし、それは確かに一理あると思う。しかも前に紹介した

「心の衛生に気をつけて」。ガイ・ウィンチさんのこの言葉を、僕もちゃんと実践しようと思う
生きていると、気持ちが沈むってことはよくある。そしてそんなときには、あんまり落ち込まないで!大切なのは気の持ちようだよ!なん...

でも言われていたように、「過去の苦しみを何度も反芻する」っていうのは、誰の得にもならない、そのくせ強烈な悪習慣だ。だからその向き合いかたは気をつけなきゃいけないけど、僕が今回の文脈のなかで言いたいのは、

いろんなことはあったけど、なんとかかんとか乗り越えられた。そしてだから、今まで生きてこられた

っていう「過去の力」を活かすってことだ。

手術、大転倒、失禁、いじめ……そんな「どうしようもない行き詰まり」の先にも、道があったという事実

僕は今まで、何度も「絶望」を感じてきた。そのいくつかはこないだ書いた

死にたいなら、ただ待っていればいい。でも生きていたいなら、それを選ばなきゃいけない
こないだ、ハチドリちゃんが僕にも投げかけてくれた文章を手がかりに、安楽死(尊厳死)に改めて向き合って、想いを書いてみた。そしたらさら...

のなかでも触れたけど、たとえば小学生のときに初めて手術を受けたときもそうだった。それ以外にも、後ろ向きに頭から思いっきり大転倒して血が吹き出たときとか、いじめられてたときとか、急激にお腹が痛くなってトイレに間に合わなかったときとか、そのときそのときに、深い絶望を感じて、

もう、人生真っ暗だ……どうしようもない

って思うようなことは、細かく言えば数え切れないほどあった。

手術とかいじめはまだしも、それと失禁を並べるってどういうこと?

って思われるかもしれないけど、こどもでもおとなでも失禁は精神的な衝撃が強いし、20歳を超えてからだとなおさら独特の虚脱感も含んだなんとも言えない気分になる。僕の場合、基本的にはそれを自力では処理できないから特にだ。

だけど、そういういろいろな種類の「巨大でどうしようもない行き詰まり」を感じたとしても、その先には未来なんてあるように思えなかったとしても、実際にはその先には道があった。

だから現在っていうのは、過去の結果であると同時に、「過去の未来」でもあるんだ。

こういうことをひとつひとつ確認することは、思った以上に力をくれるものなんじゃないかと、僕は思っている。

もちろん、「過去に未来があった」ということと、「現在に未来がある」ということの間には、少なからず差がある。けどそれでも、「過去に未来があった」っていうのは、実績だ。そして実績だけが、不安を和らげる力を持つ。

このことは、何度言い聴かせてもいい、重要なことなんだと思う。

それでもつらいなら、ともかくご飯を食べて、よく寝ればいい

と、ここまで言っても

それでもつらいし、怖いんだよ!

っていうときもあると思う。

そんなときは、ともかくご飯を食べて、寝ていればいい。そうすれば、少なくともなんらかの未来がやってくる。「未来がない」なんてことは、ないんだ。それすらできないときは、ご飯も食べられず、眠れもしないなら、全力で助けを求めたらいい。自分の危機をちゃんと自覚さえすれば、必ず助かる。生き抜くためなら、プライドは必要ない。っていうか「生き抜くというプライド」だけあれば、それ以外は必要ない。生きるっていうのは、それだけ尊いものだ。僕は、そう信じている。

ともかく、僕もあなたも、今日まで生きてきた。これって、凄まじいことだと思う。だってこれまでの道のりは、決して平坦なんかじゃなかった。だけど、生きてこられたんだ。「助けを求める」のだって、立派な「自分の力」だ。まずはそういうことをひとつひとつ確認しよう。まずはそこからだ。そして今日が終われば、明日がやってくる。だからゆっくり、おやすみなさい。

トップへ戻る