苦しみのなかで

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暗い部屋にいるテディベア

どうしようもないほど苦しいときには

いったいどうすればいいのだろう?

喜びすらかき消されるなら

せめて苦しみを吐き出すしかない

素直にまっすぐ吐き出す以外に

これを乗り越える方法はない

 

苦しい

苦しい

苦しいなぁ

苦しい

苦しい

苦しいよぉ!

苦しい

苦しい

いったいなにが苦しいのかもわからなくなりそうなほど

苦しい

苦しい

苦しいんだもん!

 

それでも

それでも生きていくしかないんだとしたら

明日もいのちが続くのならば

僕はただ 心から祈る

 

深く心を見つめられる眼を

世界の美しさを受け取れる心を

柔らかくしなやかな軸を

私のなかに育めるよう

どうか力をわけてください

 

苦しみのなかで

苦しみだけで人生を終えないための

この苦しみが永遠でないと信じるための

全身全霊の苦闘のなかから

生まれた答えを軸にして

泣いて泣いて泣いて

眠る

朝が また来るから

それを僕は 迎えなければいけないから

コメント

  1. 小夜子 より:

    苦しくてどうしようもないとき、

    言葉による表現なんてできない、

    叫ぶことさえもうできない、

    ただうめき、顔をしかめ、やっとの思いで息をするだけ…

    自分の苦しみを思い出すと、

    苦しむ貴方にかける言葉なんて出てこない。

    だから、祈ります。

    貴方の苦しみが、和らぎますように。

    どうしても苦しまなければならないのなら、

    神さま、どうか

    この苦しみを最後まで苦しみ抜ける力を、お与えください。

    誰かが貴方を助けてくれますように。

    これまで貴方が生きてきたことが、今の貴方を助けて、未来へつなげてくれますように。

    苦しいときは、苦しみを抱きしめて、苦しむしかないのかもしれません。

    それでも、苦しみは苦しみ、貴方は貴方。決して一体じゃない。

    たとえ苦しみに飲み込まれてしまっても、人は苦しみに消化されない。いつか、その苦しみを通り抜けて、人は出てくるのですよ。

    休むときは、どうか休んでくださいね。

    貴方が自分自身に優しくされますように。

    おやすみなさい。

    今宵、癒しの眠りが貴方にありますように。

    • 小夜子さん、こんにちは。

      苦しみに消化されないとしたら、苦しみを消化するしかないようです。

      けれどその度に優しさに気づけるなら、そう悪くもないかもしれません。

      そしてあなたが苦しみから抜けられたというその体験を、自分の糧にもしていきたいと思います。

      ですがそれでも、いつかあなたがまた苦しんだとき、このいただいた祈りを今度は僕が伝えられるように、僕もまだここで、生きていきます。

      僕もあなたがいることを忘れませんから、小夜子さんも僕がいることを、忘れないでください。

  2. 小夜子 より:

    四つ這いおとなさん、クリスマスのよろこびのごあいさつを申し上げます。

    生命とは不思議なものですね。自分の人生であっても、生まれたくて生まれるではなく、生きたいように生きられるわけではなく、死にたいように死ねるわけではない。「生きている意味って何?」という疑問は、人間ならではの究極の問いなのでしょうね。「自分の存在って一体何だろう?」と向き合うこと自体耐えがたいのに、向き合ったところで答えは出ない。

    生についても死についても、肝心な部分は誰ひとりわかっていないのに、生きて、死ななければならない。理不尽なことです。

    誰しもが傷つき、苦しみを抱えている。人間に共通するとしたらその一点のはずなのに、なぜか誰もが孤独です。「誰も分かってくれない」という思い、「自分だけが苦しんでいる」という思い、この孤独こそ誰もが共有できる唯一のものなくらいなのに、この思いを抱えてみんなが孤独に苦しんでいる。これも理不尽です。

    ひとりの人の人生も、人類の歴史も、ただ理不尽で非創造的で意味のないものだ、という見方もできてしまうかもしれません。でも…そうであってほしくない。

    理不尽のただなかに、人は意味を与える/見いだすことができる。それもまた人生の不思議、人間の神秘だと思います。

    痛み、悲しみ、憎しみ、嫉妬、孤独、恐怖、苦しみ…自分の内にも外にも混沌とした「闇」で圧倒されそうな時でも、ひとすじでも「光」を信じられるなら、それが「奇跡」だと思います。そして人生も人間の歩みも、そういう「奇跡」の連続でもあったはずです。

    「苦しみが人を成長させてくれる」なんてことは言いたくありません。私自身苦しんでいる時に他人からそう言われて深く傷つきましたし、その傷は私の中でその人への恨みつらみとなり、私を成長させるどころではありませんでした。ただそのことによって学んだのは、「人は相手を助けようと思って却って深く傷つけてしまうことがある」ということ。そう、その人は私を傷つけようとしたのではなく、逆に励まそう・慰めよう・助けようとして言ったことだったから。そしてだからこそ私は深く傷ついたのでした。

    だから、私の言葉も相手を深く傷つけてしまう可能性がある。そのことにはいつも慄いてしまいますが、どうか傷つけないでほしいと願いながら、恐る恐る、悩み悩み、私はとりとめのない文章をこうして書いています。

    苦しみから抜けた、と思ったらまたすぐ同じようなことで同じように苦しみ、私はどうしていつもこんなことを繰り返しているんだ、私の人生はいったい何なんだ、といつも思ってしまうのもまた私です。自分は苦しんだから成長したとも強くなったとも言えないし、却って苦しみによって歪んでしまった部分もあります。まして、自分が苦しんだから他人の苦しみが分かるとか苦しむ人を助けられるなんてとてもじゃないけど言えない。ただ、前にも書きましたが、そんな自分を否定したり責めたりはしません。自責や自己否定によって成長できるんだったいいけど、私はそうじゃないから。

    ただ、やっぱり、人は自分ひとりで生きてるんじゃない。

    自分の人生は、自分だけのものじゃない。

    人は他人や地球の中で「生かされて」いるし、その中で「生きて」いる。
    お互いに「生かしあい」「生かされあい」「生きあって」いる。

    前にも書きましたが、私は自分の人生をつくっている「私以外の存在」を否定したくはないし、否定してはいけないし、否定することはできないのです。

    そして今伝えたいのは、四つ這いおとなさん、貴方が生きていること、貴方が苦しみつつも言葉を紡いでくださっていることは、私にとってとても大切なことだということです。

    貴方が私のために生きているとか、貴方の苦しみは私のためだとか、そんなことを言うわけではありません。貴方の人生はまずは貴方のためのものだし、私の人生もそう。だけど人生って本当に思いがけないことが起こるし、自分のあずかり知らぬところで自分の人生が他人に大きな影響を与えていることもあります。

    だからやっぱり、人間って、人生って、畏怖するような不思議で尊いものであり、希望がありますね。

    同じ世界に貴方が生きていること、忘れませんし、大きな力です。

    クリスマスの平和、やさしさ、力、希望…すべての善いプレゼントが、貴方にありますように。

    • いつも思うのですが、小夜子さんのコメントは「コメント」というよりもっとしっかりした「文章」であり、それは僕の文章に付随された「添えもの」のようなものにしないで、ご自身で主体的に発信なさったほうがいいのではないかと思えます。

      が、もしそれ自体が僕の書いたものとの共鳴によって生まれているのだとすれば、やっぱりこのことはとてもありがたいことであり、嬉しいことなんだなぁと思うのです。

      だから僕は、たいしたことのない、結論でも答えでもない、ただ自分が日々感じていることを、素直に記録してみたいと思います。

      それが「触媒」となるだけでも、それなりの意義があるのでしょうから。

      僕を活かしてくださって、ありがとうございます。

      それがなによりも、最高のプレゼントです。

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