教育機会確保法。この法律をどう受け止めてどう活かすかは、これからの僕たち次第だ

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学校に向かう男の子

僕は今までの体験や障碍者としての立場から、「教育」とか「学校」っていうものに個人的に強い関心を持ってきた。そしてこないだ、そんな教育現場にまた大きな変化をもたらすかもしれない法律が成立した。それが、「教育機会確保法」だ。

教育機会確保法は「学校教育とはなにか?」という根本的な問いを投げかけている

まずは、このニュース記事を読んでみてほしい。

不登校の子供の学校外での学びを支援することを明記した「教育機会確保法」が7日の参院本会議で可決、成立した。フリースクールなど学校外で学ぶ場の重要性を指摘。休養が必要であることを認めるとともに、子供の状況の継続的な把握や学校外施設などの情報提供を国や自治体に促した。

(中略)

同法は基本理念として、全ての子供が安心して教育を受けられる学校環境の確保や、不登校の子供の様々な学習の実情を踏まえた支援の必要性を明記。国や自治体は特別な教育課程を持つ「不登校特例校」や、公立の「教育支援センター」の整備に向け必要な措置を講ずるよう努めるとした。

ただここにはこの法律の至るまでの間に、いろんな議論があったことが示されている。それはたとえば、

超党派の議員連盟は当初、同法で保護者が子供の「個別学習計画」を作り、自治体が認めればフリースクールなど学校外での学習を義務教育として認める制度を検討した。ただ「学校教育の根本を揺るがす」「不登校を助長する」と反対が相次ぎ、内容を大幅に見直して法案を自民、民進、公明、おおさか維新が通常国会に共同提出していた。

っていう部分にも表れている。

だからそれを考えても、やっぱりこの教育機会確保法は「学校教育とはなにか?」という根本的な問いを投げかけているっていうのは間違いない。そしてそれは、この法律に対する評価・反応にも、当然表れているものだ。

この法律に反対しているひとは、どんな部分を懸念しているの?

だからこの法律は制定前から、これを推進する声と同時に、これに反対する声も強く巻き起こすものだった。その例が、たとえばこれだ。

請願の提出は国会の会期終了の1週間前までとされているため、11月19日で署名の募集を締め切っていましたが、現在行われている臨時国会の会期が延長されたため、12月5日(必着)まで署名を受付ます。お手元に署名を持っていらっしゃる方などおられましたら、ぜひお送りくださ

ここにはこんな懸念が示されている。

当初、「義務教育の段階における普通教育に相当する〈多様な〉教育の機会に対する法律案」だった法案から〈多様な〉という文言が、法案名からも、条文の大部分からも削除されました。代わりに、「不登校児童生徒」は「相当の期間学校を欠席する児童生徒のうち、学校における集団の生活に関する心理的な負担その他の事由のために就学困難状況として文部科学大臣が定める状況にあると認められる者」、「学校」は「学校教育法第一条」校と定義され、「不登校児童生徒」に「(多様が欠落した)教育機会」を確保するための「関係者の密接な連携」、「措置」、「評価」、を示した「不登校対策法案」としての姿を現し、子どもたちを「定義」によって分別、分断する危険な性格も持ち始めました。

私たち大人は「子どもに良かれ」と思って様々な「対策」を講じることで、子どもを追い詰めてしまう経験を重ねてきました。不登校して辛い時期の子どもに必要なのは、「定義」や「教育機会」の提示ではありません。必要なのは、「学校に行かなくても生きていていいんだと感じられる環境」なのだと、この法案を読んだ不登校体験者の一人がいいました。「この法案は、自分を責めている時期の子どもにとって、凶器になる危険をはらんでいると思う。」とも。

長期の休み明けに、「学校から降りる」選択をすることができずに命を絶ってしまう子どもたちの存在が、また報道されています。「行くのが死ぬほどつらいなら、行かない。」「苦しかったら休む。」という選択がなぜこんなに難しくなってしまっているのでしょう。

請願の提出は国会の会期終了の1週間前までとされているため、11月19日で署名の募集を締め切っていましたが、現在行われている臨時国会の会期が延長されたため、12月5日(必着)まで署名を受付ます。お手元に署名を持っていらっしゃる方などおられましたら、ぜひお送りくださ

そしてそれと同じような意見は、たとえばこういうふうにも表現されている。

国会の中の多数の人たちが11月中に成立させようとしている

「義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律(案)」。

子どもを学校に行っている子と学校に行っていない子に分類し、

個人の状況や能力に応じて違う場所での教育機会を確保する。

それが不登校の子どもを救済して支援するためだというけれど、

人を分けることで差別が生まれるというのは、すでに歴史が証明してきた。

能力のあるなしで人の価値を測って、

教育を受けていないことが差別の対象とされる社会状況がすでにある。

この法律は、いま以上に社会を息苦しくする。

誰もが安心して居られる学校にすることを40年近く放棄したまま、

子どもの声は1%も聞かれないまま、特定の子どもへの差別を根拠づける法律ができていく。

これはだれが望んだことなのか?

このまま成立させるの? よくないよ。

この2つに共通している懸念は、

これが「個別対応」の名のものに「差別」(分断)を生み出すものなんじゃないの?

っていう想いなんじゃないかと思う。そしてそれは、ある部分では僕も共感する面もある。

だって僕は、「特別支援学校」(養護学校)の名のもとに、「閉鎖空間」のなかで「高圧的な指導」を受けてきた教育体制に疑問を感じているし、今でもそれがなくなってほしいと、心の底から思ってるからだ。

だけど僕はこの法律に、基本的には期待を寄せている

でも今の僕の考えでは、僕は僕はこの法律に、基本的には期待を寄せているんだ。それはこの法律(案)ができる背景に、どんな想いがあったのかを、ここから読んでみたからだ。

そして確かにこの法律は「完璧」にはまだまだ遠いかもしれないけど、それはこのフリースクール全国ネットワークのひとたちが、

もちろん法律は一度できると1人歩きしますから、どんなものでもいいわけではありません。しかし「確保法」は今後、子どもや親にとって、状況をよくしていける可能性のある文言がかなり入っています。

って言ってるとおりだと思う。この法律の附則には予定どおり、

2 政府は、速やかに、教育機会の確保等のために必要な経済的支援の在り方について検討を加え、その結果に基づいて必要な措置を講ずるものとする。

3 政府は、義務教育の段階における普通教育に相当する教育を十分に受けていない者が行う多様な学習活動の実情を踏まえ、この法律の施行後三年以内にこの法律の施行の状況について検討を加え、その結果に基づき、教育機会の確保等の在り方の見直しを含め、必要な措置を講ずるものとする。

って書いてるから、これはいい意味で柔軟な法律だと言っていいんだと思うんだ。

だからあとは、これをどう活かすかっていう問題だ

だからあくまでも、今回の法律成立は初めの1歩だ。そしてどんな法律も、その活かしかた次第で毒にも薬にもなると思う。ちょうどこないだの「障害者差別解消法」がそうであるのと同じようにだ。

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だけどひとつだけ確かなことは、「教育」はこれまでもこれからも、最も重要なもののひとつだってことだ。それは僕たちの価値観をかたち作る。僕たちが「世界」と向き合う軸を作る。つまりそれは、僕たち自身を作るってことだ。そしてそんな僕たちが作る、あらゆる「社会」の基礎になる。

だから僕は、とりあえずこの法律が成立したことと、これからの動きを期待を込めて見守ってみたいと思う。そして少しでも、今よりもいい教育環境が整っていけばいいと、そう思ってる。

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