知的障碍児の1割に、本来は必要ないはずの薬が処方されていた

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体温計といろいろな薬

こんなニュースを読んだ。

主に統合失調症の治療に使われる抗精神病薬が知的障害児の約1割に処方されていることが、医療経済研究機構などのチームが健康保険組合加入者162万人を対象に行った調査で分かった。人口に対する統合失調症患者の割合よりはるかに高く、うちほぼ半数で年300日分以上も薬が出ていた。チームは「大半は精神疾患がないケースとみられ、知的障害児の自傷行為や物を破壊するなどの行動を抑制するためだけに処方されている可能性が高い」と警鐘を鳴らす。

「問題行動への対処」として、「無理やり薬で抑え込む」という解答を出す社会

僕は別に、薬を飲むこと自体を全否定したいわけじゃない。薬はときと場合に応じて適切に活かせば、とても役に立つものだ。

でもそれはもちろん、「本人の苦しみとなる症状を緩和して、回復を早める効果が見込める」っていう大前提があっての話だ。

だけど、今回の話はそうじゃない。そもそも、「精神疾患」と「知的障碍」っていうのは完全に切り離して考えられるものじゃないかもしれない。たとえば内閣府の「ユースアドバイザー養成プログラム」にも、

精神医学的にはWHOの定めた疾病分類であるICD-10や米国精神医学会の定めたDSM-IVに記載されているように,知的障害と発達障害,それにここで精神障害と表現している狭義の精神障害をすべて含めた多彩な障害を精神障害と呼ぶのが一般的である

っていう記述もあるし、それぞれの状態や対処法、それに行政区分上の括りなんかにも、少なからず似通った部分はある。

だけどそれでも、本来の指針では、

知的障害児の行動障害の背景に精神疾患が認められない場合、世界精神医学会の指針では、まずは薬を使わず、環境整備と行動療法で対処するよう勧めている。抗精神病薬は興奮や不安を鎮めるが、長期服用により体重増加や糖代謝異常などの副作用があるほか、適切な療育が受けられない恐れも出てくる。

って言われているものに対して、自傷行為や破壊行為、要するにいわゆる「問題行動を抑える」っていうためだけに薬を乱発するのは、やっぱり間違ってるとしか言いようがないと思う。

そして僕は、この「監禁事件」を思い出した

そしてこのニュースを読んだとき、僕は今年の6月に問題になった、この「監禁事件」を思い出した。

あまりにも哀しいニュースを見てしまった。鳥取県は15日、鳥取市の障害者支援施設「県立鹿野かちみ園」が、知的障害などのある女性入所者3...

でも正確に言うと、これは

これは監禁になるの、それともならないの?

っていう根本的な価値観にまつわる問題だったと言える。そして今回のこの事例も、

この処方は問題なの?それともやむを得ない措置なの?

っていう根本の部分で価値観の相違が起きる可能性を持った、根深い問題だと思う。

だけど「ストレスによる行為」に対して「心の動きを抑える」っていう対処をされることが、あなたには関係ないと思う?

でもさ、たとえ「知的障碍者」とか「精神障碍者」と呼ばれているとしても、ひとであることには変わりない。そして、細かな「医学的違い」を抜きにして素朴に考えれば、「自傷行為」や「破壊行為」なんてものの背景になんらかの「ストレス」があることはほとんど間違いない。確かに、それの許容量や引き金が、いわゆる「一般的な基準」とは違うとしても、なんの理由もなく自分や他者を傷つけるほど、障碍者は「異質」な存在じゃない。

じゃあそれを踏まえて、改めて今回の措置について考えてみると、

これはつまり「ストレスによる行為」に対して「ストレスの元を解消する」んじゃなくて、「それを感じる心の動きを抑える」っていう方法で対処したってことだ。

ここまで納得してもらえるなら、僕が訊きたいのはこういうことだ。

これは、僕に、あなたに無関係なことだと言えるの?

いずれ僕の想いも、「薬で抑えられる」ときが来るんだろうか?

これはほんとに繊細なことだから、できるだけ慎重に言葉を選ぼうとは思う。

だけど僕は率直に言って、もし自分に「強い想い」があって、もしそれを表現する手段がまったくなかったとしたら、それが自傷行為やモノに対する八つ当たり(破壊行為)になってしまう可能性は、充分にあると思う。それにそれは、思春期のひとたちとかも含め、いわゆる「一般的なひとたち」でも、多かれ少なかれ実際に経験するものなんじゃないかと思う。

でもそれを、「薬で抑制する」っていうことが実際に起きているってことは、本質的にはそういう「ストレスによる行為」も、たとえば「お酒を飲んだときの愚痴」とかも、捉えられかたが変われば「薬で抑えられる」対象になることがあり得るってことだ。

じゃあいずれは、僕のやってる「社会に対して感じる想いを書き綴る」っていう行為も、薬で抑えられることになるんだろうか?

だからお願いだから、社会を治してほしい

もちろん、こういうふうに薬を処方するのも、こないだみたいに誰かを「監禁」しておくのも、喜んでやってるわけじゃないのはわかってる。それは

人手が足りないんだから!

理解してくれるひとなんてそんなにいないんだから!

とか、そういう切実な事情によって引き起こされてるものなんだろうとも思う。だけどさ、もしそうならなおさら、僕はこう言いたいんだよ。

薬が必要なのは、このひと(僕)たちのほうなの?

ってさ。

だからお願いだから、社会を治してほしい。あなた任せにするつもりはないから、一緒に社会を治してほしい。それには何種類もの薬が必要かもしれない。長い経過観察も治験も必要だろう。だけどさ、なにかを回復させたいんなら、まずは相手(病巣)を間違えないことだと思う。そうしないと、なにも始まらないんだから。

そしてそんな想いを原動力にして、僕は今日もこれを書いている。だって僕はまだ、これを書けるから。そして僕は今日も、自分を治療しているんだ。

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