僕は言葉の暴力性と難しさを知りながら、それでも言葉でわかり合おうとする、どうしようもないひとです

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剣で貫かれたハート

こんな文章を読んだ。

傷つけずに愛することはできません。傷つくかどうかは相手次第。人の心はコントロールできないのだから。せめて、自分は人を傷つける傲慢な人間だと自覚したいものです。

言葉には暴力性がある。これは間違いない

ここでも書かれているとおり、言葉はどんなに気を遣って発したつもりでも、相手を傷つける可能性がある。しかも相手がどこの誰になるかもわからない、不特定多数に向けられたものならなおさらだ。だからその「力」に無自覚でいるというのはとても怖いことだし、その刃を向けられた相手から見れば、嫌がられてもしかたがないことだと思う。

でもそんなことも含めて、

相手とは違う自分が、すべてを知っているわけでもないのに、自分の立場から、相手に向かってなにかを発言する

っていうのは、どうしたって暴力性を帯びてるものだと思う。これはもう、間違いない。

その暴力性を自覚しながら、それでもなにかを伝え続けるっていうのは、どういう気持ちなのか?

それにこういうことは、この『四つ這いおとな』を始めたときから、僕自身何度も書いてきた。

昔「24時間残念営業」ってサイトがあった。最初に読んだ文章がなんだったかは憶えてないんだけど、それからちょこちょこ読むようになった。でもその...
今年の3月、ある匿名の書き込みのなかに日本死ね!という表現があったことが話題を呼んで、僕もそのことについて思ったことを書いた。 ...

そしてその度にやっぱり、「言葉を発するということの意味」と「そこに伴う責任への恐怖」を痛感させられた。特に、このときなんかもそうだ。

こないだ、っていう文章を書いて、自分の気持ちはちゃんと整理したつもりだった。だからそのあとも、っていう文章を書けたんだけ...
でもその度に、僕はふてぶてしくも言葉を発することをやめなかった。それは「言葉の暴力性を自覚しながら、それでもなにかを伝え続ける」ってことだ。

いったいそんな横暴を、なんで続けられるの?

って言われてもしかたがない。

でも僕はそれでも、どんなに言葉が両刃の剣の凶器だとしても、どんなに無謀なことだとしても、それでもまだ言葉であなたとわかり合えるっていう可能性を、棄てたくないんだ。

しかも僕は、「知らんがな!」なんて言うこともできないという、どうしようもないひとだ

しかも僕は、

「インターネットを通じて、書きたいことを書く、他人の不快なんて知ったこっちゃない」という自分の傲慢さを受け入れます。

(中略)

さらに言うと、あなたが傷つこうが知らんがなです。

人の感情のコントロールの仕方なんて知らないから。

って言うことりさんや、

「赤の他人の状況の苛酷さなんて知らない。自分は自分の書きたいことを書く」

そういう自分の傲慢さや自己中心性、想像力の欠如からくる残酷さを、せめて認識しておきたいです。

(中略)

ネガティブな反応がきたら、「お前の不快なんて知るか」って言い返していいと思う。もしくは「知ったこっちゃない」ってスルーすればいい。

*大変申し訳ありませんが、この記事は読んだ人を不快にさせる可能性があります。自分はどんな内容の記事でも、誰かを不快にさせたり傷つけたりする可能性があると考えていますが、一応お断りしておきます。 ネットをやっていると 「人を不快にさせるようなことは書きたくない」 「自分が不愉快なことは、他人にもしたくない。そういう記事は...

って言ったうさるさんのようにすらなれない。

だってそんな「わかるはずのないこと」ですら、「なんとかわかりたい」と思ってしまうほど、どうしようもないひとだから。

だから僕はもはや、「超傲慢」だとも思う

僕とふたりの共通点は、「書きたいことを書く」っていう決意があるっていうことだ。だけど僕の場合は、そこで相手に思いもよらない反応をされたとしたときに、「しかたない」と思うこともできないし、単にスルーすることもできない。だって僕はそんな相手とも、

なんとかもっと伝え合いたい!なんとか少しでも不快を減らしたい!そしてできれば、わかり合いたい!

と思ってしまうからだ。僕はこのサイトのサイドバーにある自己紹介欄に、

 

書きたいことを書きたいように書くために、このサイトを立ち上げた。と言いながら、内心では読者の反応を気にしている。

 

って書いている。

これが、僕の本心だ。だからこれを「覚悟がある」って言い繕ってしまうと、僕の場合は自分に嘘をついたことになる。僕にそんな毅然とした強さはない。それなのに、僕は今日もこうやってあなたになにかを伝えようとしている。だからこれは、もはや「超傲慢」だと言われても反論のしようがない態度だと思う。

そこまでわかっていても、僕はあなたとわかり合いたいと思って、書き続けている。伝え続けている。僕は、そういうひとだ。

言葉は毒にもなる。でもだからこそ、薬にもなるはずだ

ペンは剣よりも強し

なんて言葉はもう言い古されたものだけど、これは真実だと思う。

しかもそれは、遠く離れたひとの心に一瞬で届いて、一撃で致命傷を与えることもできる、猛毒でもある。

でも僕は言葉がそんなに強力な剣だからこそ、凝り固まったわだかまりを突き通すこともできるし、そんな猛毒だからこそ、心を癒やす薬にもなると、そう信じてるんだ。だから僕は、今日もこうやって、その活かしかたを少しずつでも学んでいきたいと思ってる。だって僕も言葉に救われたから。言葉のおかげで、生きてこられたんだから。

だから僕はこんなひとだけど、今日もここで、あなたに向かって、こんなことを書いている。そしてどうしようもなく、それが伝わってほしいと、そう思っている。

コメント

  1. さなぎ より:

    いろんな言葉を使って表現してわかりあって

    最後に槇原敬之さんの曲「うん」のように

    安心出来たら、幸福感に浸れるかもしれません。

  2. 小夜子 より:

    四つ這いおとなさん、はじめまして。小夜子と申します。

    今年、貴方のブログに出会い、読んでいます。

    私には難しいところもあるけれど、私なりに読み、受け止め、わかろうとしています。

    そして、私なりに考えたこと、感じたこと、学んだことを、お伝えできればと思います。

    月並みな表現になってしまうけれど、貴方の言葉は、優しくて強い。

    画面の向こうで、自分が発する言葉とそれを読む人を大切にし、ゆっくりキーボードを打つ貴方の温かな人間性が、文章から伝わってきます。

    言葉には暴力性がある、確かにそうかもしれません。つまりは、人間には暴力性がある、ということなのかもしれません。

    同時に、人間はお互いに思いやり、助け合うこともできます。言葉にも相手を慰め、励まし、助ける力があります。

    貴方の文章から私に伝わってくるのは、人間を、人生を、信じることです。そして生きることです。たとえ傷つけてしまっても、傷つけられても、人は信じて生きることができると、貴方の文章を読むと信じることができます。

    四つ這いおとなさん、ありがとう。

    どうぞ、お体お大事に。

    では、また。

    • 小夜子さん、こんにちは。

      言葉では表しきれませんが、身に余るほどの暖かい言葉、ほんとにありがとうございます。

      とても、とても、嬉しいです。

      今の僕があなたにできることは、自分の想いを伝え続けて、あなたの想いを聴き続けることだと思います。

      だからこれからも、いつでも遊びに来てくださいね。

      僕も僕なりに、書き続けていきます。

      よろしくお願いします。

      そして小夜子さんも、からだと心を大切に、いたわってあげてください。

      生きていればいろいろなことがありますが、あなたの日々が少しでも穏やかであることを、心から願っています。

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