心が癒える。からだが癒える。「アートがある病院」はとても大きな力を持っていると思う

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森のなかの球体と降り注ぐ炎の雨

こんな番組を見た。

香川県善通寺市に、アートであふれる不思議な病院があります。いざという時にお世話になる病院。そこにアートがあるということは何をもたらすのでしょうか。「ホスピタルアート」を取り入れた病院の今を通し、新たな医療現場の可能性を探ります。

ここで紹介された「四国こどもとおとなの医療センター」の先進的な取り組みは、僕の心に深く、響き渡ったんだ。

「病院に行くと却って具合が悪くなる」っていうのは、確かに一理あると思う

よく病院嫌いのひとが、

このくらいの風邪なら、自分で治せるよ!病院なんか言ったら、却って具合が悪くなるんだから!

なんて言うことがあるけど、これは僕も一理あると思う。

僕はちいさい頃から病院とは切っても切れない関係だったし、それ以外にも昔は今よりもさらに免疫力がなかったから、風邪やらなにやら、1か月に1回は体調悪くしてるんじゃないかってくらいだった。だから病院に行くことはすごく多かったけど、たとえば風邪で病院に行けばそこにいるのは同じように、あるいはさらに具合悪そうなひとたちが、激しく咳き込んだり鼻をかんだりしている。

そんなのを見てると、僕の心もますます沈んでいって、実際に免疫力も落ちてたんじゃないかと思う。まさに、「気が滅入る」っていう状態だ。こんなんじゃ、病院に行くことは苦痛でしかない。

だけどそこに「アート」(芸術・音楽)があれば、状況は一変する

だけどそこに「アート」(芸術・音楽)があれば、状況は一変する。その力は、四国こどもとおとなの医療センターを見れば、たとえ画面越しでもよくわかると思う。

病院での辛い治療中にあっても、人間は自然の一部であるということを忘れず、

自然の持つエネルギーに触れて欲しい。

その想いから院内に様々な形で「自然のかけら」を取り込みたいと考えました。

独立行政法人国立病院機構 四国こどもとおとなの医療センターのホームページです。〜小鳥たちが憩う大クスのように、病院がやさしい場所でありますように〜をテーマに、地域のみなさまに親しまれ信頼される病院を目指します。

っていう理念から積極的に採り入れられた「ホスピタル・アート」は、確実に心を癒やしてくれると思う。しかも、

病院内にはたくさんの小窓が設置されていて、そこに入ってる「プレゼント」は、見つけたひとが自由に持って帰っていい

っていうシステムは、なんだか宝探しみたいでほんとに楽しそうだと思った。このホスピタルアートに携わるひとのひとりが言っていた、

意味があることとか、大事なこと、役に立つことだけを集めて、作られてるのが、まあ基本的な病院だと思うんですけど。人が集まれたり、入って来れたり、風が通ったりとか。

そういうこう、きちっと整頓したものの中に、こう、隙間を作って風をいれるような役割。

たとえばまあ、こういう風にあの、からくり時計の音が鳴るとか、あの、お花が、またかわ、入れ替わるとか。そういう小さな変化ですけど、それが、あの気持ちの切り替えを生んだりとかする、の切り替えを生んだりとかする、きっかけにはなってるんじゃないかなっていう風には、感じます。

そして中川義信院長の、

賛否両論、ね、もう少し他にお金の使い道があったんではないかっていう風な意見は多分あるだろうと思うんですけれども。

病院全体ですることで、あの、それはもう、職員だけでなくて、外から出入りをしてる、ね、業者の方も含めて。

あるいは、お見舞いにくる人たちにも含めてですね。

あのそういった、やわらかな雰囲気の中で、医療が行われているというのを感じてもらえてるんじゃないかな。
それによって、世の中の人にこの病院、医療センターのことを知ってもらえて、そしてまた、この周囲だけではなくて、香川県の中全体から、あるいは香川県の外から、また患者さんに来て頂くと、いう風な効果。

それを考えると、私は、それなりの意味は十分あったと思いますね。はい。

っていう想いと決断は、ほんとに大きなありがたいものだと思う。これは、僕自身が長く(今でも)「患者」だったからこそ、切実に感じるものだ。

音楽、窓、それに花……。そういうひとつひとつが、心に暖かさをくれる

それにこれは、ここでバイオリンを弾くボランティアをしている女性の話にも、表れていたものだと思う。

まあ根本は、やっぱりその、娘のことがあって。

で、まあ娘が入院してたときに私もほとんど、その、病院で生活するような、状態だったので、まあそこで、まあ、一日一日を一体、どう過ごすか。まあ長いようで短いような一日なんですけど。

こう、外、部屋の外に出てもいけないとか、ベッドから、こうね、点滴がつながってるからベッドから離れられないっていう状況で、時間を過ごすっていうのが、とってもなんか、色々、ね、工夫がいった時があったので。

まあ何かこう、病院の中でイベントがあったり、するのが、もうなんていうんでしょう、ひとつの、あの、楽しみ、だったので。

えっと。1年半、入院してましたね。はい。

1歳にならないうちから、2歳になる、2歳になってもう数日、うん。1か月で亡くなったので。その間、ずっと。

僕も正確な期間を憶えていない生まれてすぐの頃を少なく見積もっても、今までで累計2年半以上は入院生活を送ってきたから、こういう気持ちは僕なりにありありと共感できる。病院生活は娯楽が少ない。それに音の出ることは周りに影響するから特に難しい。テレビはもちろん、音楽もそう。耳にするのは日課を知らせるお決まりの歌ばっかりで飽きてくる。生演奏なんてまず聴けない。それに、病室から、特にベッドに寝ているだけならなおさら、窓の向こうの風景なんかが見えることもほとんどない。

だから、ここの医療センターが音楽や、窓とか花なんかの絵を特に多く採り入れているのがどれだけ暖かい気持ちをもたらしてくれるか、それは計り知れないくらいだと思うんだ。

僕も入院中に「アート」を生み出そうとしてたことを、改めて思い出した

あとこの番組を見てたら、僕も長い入院生活のなかで、自分なりの「アート」を生み出そうとしてたことを、改めて思い出した。それは前にも

昨日、自分が既に経験している、そしてこれから経験することにもなるだろう「二次障碍」についていろいろな情報を集めながら改めて向き合ってみた。 ...

のなかでも少し書いたことなんだけど、

自分の創った物語に友達の挿絵を入れて、紙芝居として発表する

っていうことだった。その内容のほとんどは忘れてしまったけど、実は今日そのひとつをうっすらと思い出したんだ。それは、

 

ピラミッドのなかで目覚めた王(のミイラ)が、外の世界に出ようとする。でもそれを「ピラミッドの守護者」であるスフィンクスが

「あなたのいるべき場所はここにしかない!」

って言って止めようとして、王(ミイラ)対スフィンクスの闘いになる

 

っていうものだった。それだけの単純な物語(遊び)で、どういう結末にしたんだか憶えてないけど、なんか、それはすごく楽しい時間だったなぁと思う。

「少しずつ、元気になってね」。この暖かい心遣いが、心に染み渡った

さっきも言ったように、この医療センターには小窓がいっぱいあって、なかには見つけたひとが自由に持ち帰っていいプレゼントが入っている。そしてそこにはちょっとずつ違うメッセージが添えられているんだけど、番組内で一瞬映ったそのひとつが、僕の目を釘付けにした。そこには、

少しずつ、元気になってね

って書かれていた。この言葉は、僕の心に染み渡った。

早く元気になってね!

って言われても嬉しいけど、自分で「早く」と思ったってできるわけじゃない。少なくとも、そこには限度がある。あともしこれが、

少しずつ、治ってね(治していこうね)

とかだったらまた印象は違ったと思う。だって、どんなに努力したって、「治らない」ものはたくさんあるからだ。

でも、たとえ「疾患が治らない」としても、「元気になる」ことはできる。それは心の問題だからだ。もちろんそれも独りじゃできない。でも誰かが寄り添ってくれるなら、「少しずつでいいから」って、見放さずにずっと励ましていてくれたら、きっと元気になれる。だからそんな暖かな想いがこもったこの言葉が、そしてそんな言葉を選べる心遣いが、とてもありがたかったんだ。

だから、僕もあなたと同じ言葉を、かけ合いたいと思う。だって僕もこの想いを、力を、拡げていきたいから。

少しずつ少しずつ、元気になってね。元気になっていこうね。それにあなたがいてくれるから、僕も元気になれるんだよ。ほんとに、ありがとう。

コメント

  1. さなぎ より:

    いつも素敵な記事を書いていただき、ありがとうございます。

    以前、観たDVD「神様のカルテ」でのセリフに

    「病むという事は、とても孤独な事です」

    と言う場面があった事を思い出しました。

    お互い、元気でいきましょうね。

    • さなぎさん、こんにちは。

      その言葉には、とても共感します。

      ただそれを逆にして、

      孤独になるということは、病むということです(孤独になると、とても病みます)

      と言えば、なおさら僕の実感に近くなります。

      ですが今の僕は孤独を感じずにいられているので、元気です。

      ありがとうございます。

      そしてさなぎさんも元気でいられることを、僕も心から願っています。

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