無名の存在になんかたいした力はないけど、そこにだって「生き様」を乗せれば、きっとなにかが積み重なってく

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海の傍の岩に立つ仮小屋

なんだかんだ言って、今はネットでなにかを発信してるひとはたくさんいる。だけどそこには大きく分けて、「匿名サイト」と「実名サイト」があるとは言っていいと思う。

実名で書くか、匿名(仮名)で書くか?

どんなものにせよ、なにかを発信するときには、

実名で書くか、匿名(仮名)で書くか?

っていう選択肢があると思う。

そして確かに、実名でやったほうが基礎的な信頼性は上がりやすいかもしれない。それはやっぱり、簡単に投げ棄てられる立場からの発言には軽さや、無責任さから来る浅はかさ、いやらしさなんかがあると思われてるからだと思う。だから、Facebookを始め、SNSにもある時期から「実名主義」が幅広く採り入れられるようになった。そして僕もこの考えかたには、一理あると思う。それに僕自身も「顔の見えない相手」とか「自分の行動が誰にも非難されない(知られない)というときに、ときとしてひとがどんな行動に出るのか、よく見せつけられてもきた。

だからそう考えると、今みたいに

実名でサイトを運営します!

名前だけじゃなく、顔も公開します!

なんていうやりかたは、ひとつの「責任の取りかた」(覚悟の見せかた)としては、効果的な方法だとも思うんだ。

だけど、「もうひとつの自分」を創るということで、しがらみから自由になれる部分もあると思う

でも、僕はこのサイトを作ったときから、「四つ這いおとな」という名前でここにいることを決めた。これはもちろん仮名だし、ちいさい頃のあだ名とかともまったく関係ない、完全に新しい名前だ。だからこれは、実名の「僕」からは切り離されている。

さっき言ったように、僕が実名でサイト運営する利点をじっくり考えたうえで、それでもこの「四つ這いおとな」という名前で書くことを決めたのには、いくつかの理由がある。

まずひとつは、親や親族、それに周りのひとたちに、影響を飛ばしたくなかったからだ。

僕は別に、みんなに眉を顰められるようなことや、暴言やらなんやらを書きたいわけじゃない。だけど「福祉」とか「社会」みたいな繊細な問題に踏み込むってことは、いろんなひとにいろんなことを言われる可能性がある。そしてそこには、ときどき明白な「悪意」がこもっていることもある。それは僕が、実感的に知っているものでもある。だからそのときに、自分以外の周りのひとたちにそれが飛び火しないようにしたかったんだ。

これはある意味、自分の書いた文章の責任は、ちゃんと自分で取りたいっていうことでもある。

そしてもうひとつは、自分の見せかたは、自分で決めたかったからだ。

僕の実名には、わかるひとが見れば、僕が生きてきた経歴、性別、通ってきた学校とか、ありとあらゆる情報が付随して乗っかってる。だけど僕は、ここではそういうものをぜんぶ一緒くたにした「僕」じゃなく、「四つ這いおとなとしての自分」に、特に焦点を当てたかったんだ。確かに、僕が(性意識的にも)男だとか、生まれた場所が田舎だとか、そういうことは僕のパーソナリティの一部ではある。だけどだからってどんなときにもそのぜんぶをひとまとめにして見せたうえで話したいわけじゃない。だから僕はここでは、「四つ這いおとな」という部分を基礎にして、自分の想いや考えを伝えたかったんだ。

これが、僕が実名じゃなく「四つ這いおとな」っていう名前で活動していくことに決めた、大きな2つの理由だ。

僕はずっとここで、少しずつ育っていきたいと思う

そして最初に言った、

匿名(仮名)だと簡単に投げ棄てられるから、発言も責任も軽くなる

っていう指摘については、僕がこの場所を投げ棄てずに、この名前でずっと書き続けることで責任を取ろうと思う。

そもそも僕が実名で書いたってたいした信頼性の向上にはつながらないと思うけど、それでも少し意味があるとしたらそこに「20年」の重みがあるからだと思う。じゃあそれと同じだけの重みを持たせるにはどうする?四つ這いおとなとしても20年以上活動してみればいいんじゃないかなぁ?

この四つ這いおとなはまだ生まれて9か月も経ってない。だからここでの僕は、文字どおり「赤ちゃん」だ。だけどこれが3年続けばこどもだし、7年続けば小学生だ。そして20年続けば、一応は1人前だ。

結局実名だろうがなんだろうが、いずれにしたって僕は有名人じゃないんだから、たいした力なんて持ってない。だけどそんな「無名の存在」でも、そこに「生き様」を乗せていけば、そこにはなにかが積み重なってくと思う。僕は、それを確かめていきたい。だからここで、ずっと育っていきたい。

ただ、20年経って40歳を越えた僕が、このキャラを続けていいのかには、若干の躊躇いがあるけどね。
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