お互いの「結論」よりも「思考過程」をもっともっと伝え合いたいと思う

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プロセスと相互作用

もう少し、話の要点を絞ってくれない?

それで、なにが言いたいの?

結論を先に言ってくれる?

こんなふうに言われると、なかなかつらい。だけどこんな言葉は僕がちいさい頃から、よく言われてきたことだ。

今思えば、恥ずかしがり屋の原因はここにもあった

今となってはあまり信じてもらえないんだけど、僕はちいさいときには今よりもはるかに内気で、恥ずかしがり屋だった。

それは周りから向けられるいろんな視線に耐えられなかったからとか、単純に不慣れ(場数を踏んでいなかった)とか、失敗(相手からの否定)を恐れすぎていたとか、いろんな理由があったと思う。だけど今思えば、そこにはまだ他の理由もあったんだと思うんだ。それは、「なにからどう伝えていいかわからない」っていう気持ちだ。

心のなかになにかモヤモヤとした想いがある。だけどそれがどこからどう生まれてきたのかはわからない。それに、どうすればそれが解消されるのかもわからない。だから、それを相手にどうやって伝えたらいいのかもわからない。そもそも、そこに「核心」なんてはっきりしたものはない。だからそれをどうしたらいいのかわからないまま、胸のうちに抱えていたんだ。

「言いたいこと」(結論)を見つけ出すために、あなたと話したいんだ

だからそんな僕に、

結論を先に言ってくれる?

なんて言われても無理だったんだ。だって、そんなものはまだ出てないんだから。

自分のなかにいろんな想いがありすぎて、なにからどう整理したらいいのかもわからない。そもそも、それを「整理」してしまうことでそこからなにかがこぼれ落ちて、違うものになってしまうかもしれない。だからそれをただそのままさらけ出して、一緒に受け止めてくれるひとがほしかったんだ。「結論」とか「言いたいこと」なんていうのが最初から明確にあるわけじゃない。むしろそれを見つけ出すためにこそ、あなたと話したいんだ。

もちろん僕だって、今までのいろんな経験によって、こどもの頃と比べたら少しは自分の考えを整理したり、言いたいことを自分で見つけ出すこともうまくなってきたんじゃないかとは思う。だけどこの性質や姿勢は今でも根本的には変わっていない。だからよく、ネット上の書き込みでもなんでも、数百文字くらいで

長文失礼しました

なんて書いてるのを見ると、

冗談でしょ?じゃあ僕が普段書いてるのはいったいなんに分類されるの?

なんて恐々としてしまう。だけど同時に僕はやっぱり、もっともっとあなたとお互いの想いを伝え合いたいと思うんだ。

「結論」なんて、実は脆いものなんじゃないの?

もう少し深く自分を見つめてみると、その根底にあるのは、

「結論」なんて言うけどさ、それって実はかなり脆いものなんじゃないの?

っていう疑いなんだと思う。ひと言でまとめれば、「結論に対する不信感」と言ってもいい。こんなふうに考えるのは少数派で、一般的には

いやいや、「結論」(言いたいこと)が先にあって、それを説明するために、いろんな「理由」や「説明」をするんだよ!

って言われてしまうかもしれない。僕だって、それがかなり正しいのはわかってる。でもそれがあまりにもすんなり通りそうになるものだから、逆に疑いも濃くなるんだ。だって僕はこう思ってるからだ。

みんな「自分の結論はこうだ」って決めてしまってるけど、実際それがほんとにあなたの言いたいことなのかって思うことはない?それにさ、そもそもその結論に至る「理由」が、間違ってるんだとしたら?そうやって理由がひとつでも変わったら、あなたの「結論」だって、意外にすぐひっくり返っちゃうかもよ?

「障碍者なんか嫌いだ!」という結論は、どんな理由(前提)に支えられているの?

具体例を挙げて考えてみる。たとえば僕も間接的にも直接的にも、

障碍者なんか嫌いだ!

なんてことを言われたことはある。もしその「結論」だけを見て判断したら、そのひとは僕とはまったく相容れないように感じる。でも僕とそのひとが違う結論に至った背景、理由を解きほぐすことができれば、そこには意外にお互いが分かり合える余地があると思っているんだ。

たとえば、「障碍者なんか嫌いだ!」という結論に至るひとのなかには、こんな理由を挙げるひともいる。

障碍者は魂が穢れている(前世の業、家族の因縁……)からそうなったのに、それで助けを求めるなんてずるい!

親の生活習慣が悪いから障碍児が生まれたのに、困ったときだけ社会に頼るなんておかしい!

事前にちゃんと検査していれば産まずに済むことだってできたのに、それを怠って産んだなら自分だけで面倒を見るべきだ!

とかね。こうして見ると、

問題の根本はその「結論の違い」にあるんじゃなくて、それを支える理由(認識・価値観)にあるということがわかると思う。

じゃあそれを解決したかったら、

そんな結論を出すようなひととは仲良くできないし、付き合いたくもない!

って拒絶するんじゃなくて、

あなたはどうしてそういう結論になったんですか?

って踏み込んでみるしかないんだと思う。

もちろん、その凝り固まった理由を解きほぐすのが、お互いいちばん難しいんだけど……

ただ、問題の根本が「結論」じゃなくてその「理由」にあるっていうことを認めたとしても、そこからがほんとに難しい部分だってことも間違いないと思う。だってその「理由」(認識)は、そのひとにとっては「絶対的に正しいもの」として凝り固まってるのかもしれないからだ。

たとえば僕は、

障害者の親は一生反省してもらってけっこう

なんて言うひとにも、

「障害者の親は一生反省してもらってけっこう」。内海聡さんがこれを本気で言ってるなら、僕も本気で反論する
「スルースキル」って大切だなぁとは思う。特に今みたいなネット社会になって、いろんなひとのいろんな意見が山のように押し寄せてくるような状態なら...

障害者なんていなくなればいい

「障害者なんていなくなればいい」と本気で思っているひとが起こした事件を、この社会はどう受け止めるんだろう?
今日、7月26日、とても哀しい事件が起きてしまった。正直これと向き合うのは簡単じゃないし、あまりにも複雑な感情を刺激されてしまうんだけど、こ...

なんていうひとにも、どうしたって賛同できない。だって僕は、彼らの依って立つ「理由」を正しいとは思えないからだ。でも彼ら本人にとってはそうじゃない。そして逆に、僕がどんなに僕の意見の背景にある認識を伝えたとしても、そう簡単には納得してもらえないだろう。

だからこのお互いの「理由のぶつかり合い」こそが、ほんとの正念場なんだと思う。

だからこそ、その結論に至った「思考過程」を、もっともっと聴かせてほしい

だからこそ僕はあなたにも、その結論に至った「思考過程」を、もっともっと聴かせてほしいと思うんだ。

そしたらそれが、誰かの意見を鵜呑みにしていただけだったり、一部のひとのことを全体に拡大して適用しようとしてただけだったり、あるいは単に思い過ごし(勘違い)だったりすることもあるかもしれない。だったらその時点で、「結論」なんてあっという間に変わるんだから。

もちろん、それはあなただけじゃなくて僕のほうにも言えることだ。だから僕が今支えにしている認識や価値観に根源的な誤りがあったら、僕の結論だって変わってしまうかもしれない。でもせめて、僕は僕なりにちゃんと考え続けようとは思っている。だからあなたから説明を求められたら、僕もいくらでも答えるつもりだ。そして実際、ここにはそういうまとまりきらない想いをそのまま書いている。考えがうねうね飛び回ったり、悩んだり迷ったりするのもすべてだ。だからやっぱり僕は「簡単にまとめる」なんてできないんだけど、ここにはそういう場所を作れて、ほんとによかったと思ってる。

日本には短文文化がある。でもそんなふうに凝縮できないひとのために、サイト(ブログ)を立ち上げるという手もある
こんなニュースを見た。短文投稿サイトの米ツイッター日本法人は2日、国内の月間利用者が9月に4千万人を超えたと明らかにした。昨年末より14...

だからこれからも、お互いの想いを率直に率直に伝え合っていけたらいいと思う。別に結論は急いでない。それはこの過程の先に、みんなで出すものなんだから。それがどんなものになるかはわからないけど、それは間違いなくこの道の先にある。だから僕はそれを見るのを、心から楽しみにしているんだ。

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