知的障碍の中学生に「色気づきやがって」と言った教員の背景には、どんな価値観があるんだろう?

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ピンクの服を着た不機嫌そうな女性

こんなニュースを読んだ。

神戸市須磨区の市立中学校で、特別支援学級の担任を務めていた30代の女性教諭が、知的障害がある2~3年の女子生徒2人に「色気づきやがって」などと不適切な発言を繰り返していたことが20日、市教育委員会への取材で分かった。

「冗談のつもりで…」

市教委によると、教諭は4月に初めて特別支援学級の担任になった。生徒のしぐさなどを見て「色気づきやがって」「おばさんみたいやで」といった発言を1学期から繰り返した。生徒は「嫌だった」と保護者に訴え、2人のうち1人は7月から不登校になった。

同月、保護者から学校に抗議があり発覚。教諭は保護者に謝罪文を出した。学校側の聞き取りに対し「冗談のつもりで言ったが、子供たちの心を傷つける発言だった」と話したという。

学校側は9月の2学期から教諭を担任から外し、普通学級の担当とした。市教委は「研修をより充実させたい」とし、近く教諭から事情を聴いた上で処分を検討する。

神戸市須磨区の市立中学校で、特別支援学級の担任を務めていた30代の女性教諭が、知的障害がある2~3年の女子生徒2人に「色気づきやがって」などと不適切な発言を繰り…

こういう発言は、僕自身も何度も現場で耳にしてきたものだ

まずこれを見て率直に感じたことは、

やっぱり、まだまったく変わってないんだなぁ……

っていうことだった。こういう発言は、僕の小中学校のいわゆる普通学校(のなかの障碍児学級)のときにも、高校の養護学校のときにも、何度も現場で耳にしたようなものだからだ。そしてその一部は、ここにもいくつか書いてきた。

つい先日、大阪市立茨田北中学校長の朝礼での発言が、賛否両論を呼び起こした。発言が切り取られているのが問題だ。全文を読めばそんな問題発言じ...
障碍者っていうのは、間違いなく弱い立場に置かれてる。逆に言うと、弱い立場に置かれてるひとが障碍者って呼ばれてるとも言える。そしてそれは、僕自...

こうして改めて見てみると、こういう僕の実体験と今回の事例にも、確かに根底に共通するものがあるんだと思う。

「障碍者と性」というものに対する、嫌悪に近い感情

まずひとつが、

「障碍者と性」というものに対する、嫌悪に近い感情

で、これはさっき挙げたうちの1つめの体験とも関わってくる視点だ。

「色気づく」という言葉にはいろんなニュアンスが含まれてるけど、一般的に考えて中学生くらいになったらこどもからおとなへの成長の過程でいわゆる「男性らしさ」とか「女性らしさ」が出てくるのは別におかしなことじゃない。この女性教員がどこのなにを見て

色気づきやがって

と感じたのかはわからないけど、この文を読む限りおそらくそこまで目くじらを立てなきゃいけないほど度を越した行動(表現)をしていたとは思えない。それに、もし同じことをいわゆる「普通学級」の同級生たちがしていたら、彼女はこんな言いかたをしたんだろうか?もしそうでないとしたら、そこにはやっぱり

「障碍者が性的な存在になる」ということは単に隠されてるだけじゃなく、忌避されている

というような価値観があるんだろうと思うんだ。

閉鎖空間のなかで、「指導という名の暴言」がはびこっている

次に感じる共通点は、

閉鎖空間のなかで、「指導という名の暴言」がはびこっている

っていうことで、これは特にさっき挙げた僕の2つめの実体験に関連する視点だ。

さっき僕は、もし同じことをいわゆる「普通学級」の同級生たちがしていたら、彼女はこんな言いかたをしたんだろうか?と言ったけど、まずそんなことはない。

そしてその理由には、「そんなことをしたら、すぐ保護者や周りに知られてしまう」っていうこともあると思う。

だけど、相手が「障碍者」で、ましてその場所が「障碍児学級」なら話はまったく変わってくる。もちろん程度の差はあるけど、障碍者は適切な指導によって導かれなきゃいけないと思われている。そして保護者(家族)も、

自分のこどもは迷惑をかけている……

と思っている。そして本人が「知的障碍者」と見なされているならなおさら、

このひとたちの判断は間違っている

という強烈な先入観が入る。そしてその結果、

本人たちも周りの言うことはちゃんと聴きなさい!

と言って育てられる。そうするとどうなるか?

それを「指導」するひとには、ほとんど絶対的な「権力」が与えられるっていうことだ。そしてそれが暴走すると、明らかに行き過ぎた「相手への否定」が生まれる。そして問題なのは、その「閉鎖空間」では、誰もその指導者を止められないってことだ。

だから今回の件にしても、僕の体験したことにしても、本人(あるいは内部にいるひと)が

これはやっぱりおかしいよ!

っていう声を上げない限り、絶対に知られることはなかっただろう。

だけどもちろん、それをしなくちゃいけないのはいつも弱いほうの存在だ。

だから、ここが最大の病巣なんだ。

「自分が言われたくないことは相手にも言わない」っていう共通理解が成り立つためには、前提が必要だ

今回問題発言を咎められた教員は、

冗談のつもりで言った

と釈明しているようだけど、冗談が成り立つには相手との信頼関係が必要だし、担任になって数か月の、友達でもなく圧倒的な立場と力の差がある相手には、なおさら慎重になることが求められると思う。しかもその内容が

おばさんみたいやで

だなんていうなら、そんなこと自分だって言われたくないに決まってると思う。こんなこと、

自分が言われたくないことは、相手にも言っちゃダメだよ!

って、幼稚園でも言われるような話だ。だけどそこには、ひとつの前提が必要なんだとも思う。それは、

相手と自分は、対等(同じくらい大切な、尊重されるべき存在)だ

っていう認識だ。それがないなら、自分が言われたくないことでも相手に言っていいことになる、そしてそれは、

コイツは、このくらい言われてもしかたのない存在だ

って、相手を見なしてることを意味している。この認識が改まらない限り、どんな「研修」もハリボテにしかならない。

でもこんなひとは、まだまだたくさんいるだろう

でもこんなひとは、全国にまだまだたくさんいるだろう。そして今回のようにそれが露見したとしても、彼女は教員を続けられる。だから表面的には、たいした問題にはならない。あとは彼女が、自分自身でどこまで反省できるかにかかっている。逆に言えば、それ以上のことはなにもできない。それが、この日本の現在の価値観を表してるってことだ。

それに僕が実際に見てきた多くの教員たちも、今でもなにごともなかったかのように仕事を続けている。そしてあのひとたちがどこまでそれを反省しているのかはわからない。それにそのことによって、またその「思想」は受け継がれ、再生産されていく。だから僕は、これがとても哀しいと思う。もちろん、万能で単純明快な答えなんてないことはわかっている。でももし彼女が教員を続けるなら、僕はせめてこれだけは伝えておきたい。

あなたにはすごく大きな影響力がある。だけど、だからこそ、どうか僕たちを、見下さないでください。

コメント

  1. きんくま より:

    今回の記事だけでなく、主様のブログ全体を拝見した総括の感想です。

    根っこは相模原事件と同じなんだと思います。

    「(経済活動や自活出来ないのに)色気づきやがって」

    「(経済活動や自活出来ない子供を増やすつもりか)色気づきやがって」

    ()の部分の価値観なんだと思います。そして障碍者は自分とは別の存在であるという価値観。

    ”当事者意識”が持てないということ。”身内意識”が持てないということ。

    よく言われるのですが、交通事故や病気で誰でも障碍者になる可能性はあるのに、そこに思いを馳せれる方と、あくまで別の存在自分とは関係ない存在と見なす方と。

    そして相模原事件で感じたのですが、あまりに障碍というものが隔離されすぎている弊害が大きいのだと思います。

    障碍というものがもっと身近であったのならまた違ってくるはず。現実には当事者か身内にいない限りよほど興味を持って熱心な方でない限り、”透明な存在”(自分にとっては縁のない関係のない存在)として認識されているんだと思うんです。

    だから相模原事件には温度差があるというか、強烈に畏怖恐怖問題意識を覚える方(主に障碍者もしくは障碍者の身内がおられる方福祉系の方)と、沢山の人が殺されてひどいという方(一般的な大多数の方)。

    でもこのひどいというのは、例えば中東で戦争で沢山の方が亡くなりましたというニュースと同じ受け止め方だと思うんです。

    確かにひどいのだけれど、どこか遠くで自分とは関係のない世界の出来事。

    そういう受け止め方なのではないでしょうか。

    私事の話題ですが、私自身は就労移行に通っていて、スタッフの福祉の方に言ったことがあるのですが、

    「自分の障碍以外の障碍をプログラム(授業)でしないのですか?」

    と。

    返事の大意は

    「就職に関係ないからしない」

    でした。

    私個人としてはおかしな話だなと思うんです。障碍者枠で働いたら自分とは違う障碍を抱えた同僚の方がいる可能性は高いし一般枠でも同様です。

    例えば、今はこんな世の中ですから誰にだって鬱病になる可能性はあります。事前に自分は鬱病かも?と気付けるための知識、なってしまった後の対処方の知識は就職にとっても役に立つと思うのですが。

    スタッフの方はとても知識のある良い方ばかりです。

    一般大衆の方も良い方が多いと思うんです。でもなんだろう、人間性の良し悪しとは別に無意識に障碍というものを隔離して考えている方が多いと思うんです。

    障碍ってもっと地続きなものなはずだと思うんですが。

    今回の事件も、過去に似たようなご経験のある主様と一般の一部とでは受け止め方に温度差があると思うんです。当事者意識の有無によって。

    人によってはただの冗談なのに、障碍者ってめんどくさいって思った方もいられると思うんです。確かに良くはないかもだけどたいしたことじゃないじゃんって。

    私も、事件には健常者の方には(ばれるから)言わないよね(差別)と知的障碍の方に対する経済至上主義の考え方による偏見(税金ばかり使って色恋はするのかみたいな偏見)が土壌にあって起きたと思うんです。

    ただの暴言ですませてはいけないはずなんだけど、ただの暴言としてか受け止められないから処分は軽いし、似たような事件は起き続けてしまうのだと思う。

    更にはこの温度差が、障碍者ってすぐ差別がー偏見がーってうるさいという価値観を産んでしまう土壌でもあるかと思うんです。当事者意識の有無によって、人としての尊厳を傷つけられたと感じるか、ただの暴言と感じるか。冗談の範疇と感じるか。

    よく、人に自分が嫌だと思うことはしてはいけないという価値観があるのですが、自分が嫌でなければ人もok!だと転じてしまう方もいる。

    そういう方にとっては(自分は言われても平気な冗談なのに)大げさに捉えられてると思うのかも知れない。だからもしかしたらこの女性教員は心から自省するかもですが、憶測ですが多分反省するにしても

    「(障碍者になんかすると社会的に面倒だから)もうしないようにしよう!」

    って思う可能性が高いと思います。相手を対等の人間だとみて尊厳を傷つけたことに対する謝罪ではなく。

    海外を礼賛するわけではないのですが、国民性的に差別に鈍感であるという側面もあると思います。例えば海外なら黒人の方に差別用語を言ったら物凄い大問題です。

    当事者意識、障碍は地続きであるという考え方が浸透しない限り日本社会は良くならないのだと思います。

    • きんくまさん、こんにちは。

      そうですね、おっしゃっていることは、僕も基本的にすべて共感するものです。

      そして福祉関係者のひとですら、

      「就職に関係ないからしない」

      という考えかたを持ってしまうということは、それがたとえ「就労支援」というものに特化しようとした結果であるとしても、きんくまさんも言う「経済至上主義」や「当事者意識・身内意識の欠落」(隔離・分断……)がいかに深刻であるかと示す顕著な例だと思います。

      これはひとの意識の問題なので、ほんとに時間のかかることではあるのですが、それが「就労」にしろ「社会」にしろ「教育」にしろ、それがいったい誰をどう育てる(支える)目的で為されているものなのかということを、もういちど改めて見つめていくことができればいいなぁと、僕もいつも思っています。

  2. きんくま より:

    毎回違った感想を書きたいと思うのですが、どうしてもボルトネックは経済至上主義であるように感じてしまい結論がそこにいってしまいます。

    今回は、一部の健常者の方と一部の障碍者の方の受け止め方の「深度」の違いについて書きたかったのですが。

    主様が前に仰った、

    「普通学校とか養護学校とかの垣根が将来的になくなってほしい」

    とのコメントにはっとさせられたんです。

    そして考えてみて確かに学校は社会勉強するところなのに、社会は障碍者がいて当然なのに、確かに今の学校はおかしいよね、と思いました。なので私自身も隔離意識は必ずしも0ではないので、だからこそ固定観念を疑うようにしたいと思っています。

    よく

    「障碍者と交流しましょう!」

    という授業があって、私も小学生時代にありましたが、今思い出してみると身体障碍の方ばかりだったんですよね。

    知的障害や精神障害の方とは私は直接お会いしたことが就労移行支援に行くまでなかったんですね。

    障碍者=身体障碍者なんです。それもおかしな話だと思うのです。

    余談ですが、私は一方的に感情的になられる方が個人的に苦手なだけなので、私の意見に主様が違うなと感じた部分は率直に仰って下さいね。別々の人間ですし意見交換させて頂けるようでしたら幸いです。

    私は実は障碍者になって半年なのです。なので障碍について勉強したいと思い、自分で調べたりコメントさせて頂いています。

    なのでこういう考え方があるよ!と学ばさせて頂けたら嬉しいです。

    上の長い文章は、自分が健常者だと思っていた時の感覚をベースに書きました。

    そして当事者になることで、こんなにも見える世界が違うのかと。

    私は当事者意識とは最初はなくて当然だと思うんです。人の想像力には限界があるからです。だからこそやっぱり知識を得る機会(教育)が大事だと思うのです。なのでスタッフの方に聞いてみたのです。

    就労移行支援のことを書かせて頂きましたが、共感して頂けて嬉しいです。

    ただここでスタッフの方に

    「その考え方はおかしいのでは?」(言い方を変えたとしても)

    といっても恐らく喧嘩になってしまうと思うんですよね。

    個人的に福祉の世界に最近になって初めて触れて、色々思うところがあって考えてしまいます。

    例えば就労移行のスタッフは違いますが、役所の障碍課の方とか、ケアマネの方とか、私に話しかけるとき敬語を使用されないんですね。

    善意で親しみを込めてだと思われるんですが、私も大人ですし、今までは初対面の他者からため口は未経験でしたので善意の差別のように感じます。

    この辺りの問題も難しいと思うのです。

    • 例えば就労移行のスタッフは違いますが、役所の障碍課の方とか、ケアマネの方とか、私に話しかけるとき敬語を使用されないんですね。

      善意で親しみを込めてだと思われるんですが、私も大人ですし、今までは初対面の他者からため口は未経験でしたので善意の差別のように感じます。

      これに関しては以前僕も

      障碍者っていうのは、確かに社会で「健常者」って見なされるひとたちよりはできないことが多い。たとえば僕で言えばからだをうまく動かせなかったり、...

      という文章で触れたことなのですが、

      なにかひとつ「できないこと」があると、「全体的に劣った存在」と見なされる

      というのはよくあることです。

      たとえば

      過度な圧迫感を与えないために、福祉課の窓口対応者はわざとラフな服装(一般的なスーツ姿にしない)

      というような取り組みをしている自治体も多いようですが、これに関しては僕も特にイヤな感じは受けません。

      ただこれが「言葉遣い」という部分になると、信頼関係と積み重ねた時間がない限り、いきなり軽い言葉で来られると逆に違和感を覚えてしまうことは多いと思います。僕も、

      こども扱いされてるのかなぁ……

      っていう印象を持つと思いますね。

      かと言って徹底的にドライにいてほしいというわけではないんですが、ひと言で言えば、「特別扱いしないでほしい」っていうことなんじゃないかと思います。「配慮する」というのと「特別扱いする」というのは似ていても違うものだと思うので。

      そしてこういうふうに考えていくと、やはり「教育現場」の在りかたが持つ影響力は大きいなぁとも思うわけです。

      ただこういったことはなかなか単純に説明できるところでもないのですが、僕もいろいろな角度から考え続けて、自分なりの想いを伝えていきたいと思います。

  3. きんくま より:

    いつも有難うございます。

    そうですね、主様も別の記事に書かれていますが、(スーパーマーケットの記事です)せめて聞いて下さると嬉しいなあと思うんです。

    「敬語とそうでないのとどちらが良いですか?」

    と。中には敬語でない方が良い方もいらっしゃるかもなので。

    まあ私は

    「敬語を使って頂けた方が嬉しいです」

    と先方にお願いしましたが。

    主様のように、当事者側も出来る範囲で声をあげていくということが大事なのかも知れませんね。

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