弱いからこそ声を上げなきゃいけないけど、弱ってるから声を上げられない。それでも、僕はあなたの声を聴きたい

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掌のうえのろうそくに灯る弱々しい火

助けて!

って言わなきゃいけないのは、助けを必要としてるひとたちだ。それは、当たり前のことだ。

でも助けを求めなきゃいけないってことは、弱ってるってことだ

でももう少し考えてみると、

助けを求めなきゃいけないってことは、弱ってるってことだ。そして助けを求めるのには勇気が要る。気力が要る。だけど弱ってるってことは、気力が少なくなってるってことだ。

じゃあこの「弱ってる」っていうのをまたさらに深く見てみると、これはたとえば「からだや心が弱ってる」ってことでもある。そしてからだや心が弱ってれば、病院かどこかで治療してもらわないといけない。でもそれには時間もかかる。そして、お金もかかる。それにこの「お金」っていうのがすごく厄介なものだ。

だって、お金を稼ぐには基本的に自分がなにか動かなきゃいけない。でもそもそも弱ってるんだから、動くのが難しい。しかもお金をもらうには基本的に時間をかけなきゃいけない。でもそもそも弱ってるんだから、なにをするにも時間がかかる。それにさっき言ったみたいに、病院に行くのにも時間がかかる。

だからこれを踏まえると、

弱ってるひとほどお金も時間もたくさん必要としてる。でもそれを得ることが難しいから足りなくなって、ますます弱る

っていうことが起きてしまうことになる。これは、とても哀しいし、苦しいことだ。

苦しくて弱ってるときに声なんか出ない。だけど声を上げないと、誰もあなたに気付かない

そんなに弱ってて苦しいときには声なんか出ない。それは、目先のことに手いっぱいになるってことでもある。

明日のご飯はどうしよう、そういえばなんか書類が来てたような気がする。洗濯物も溜まってきてるんだった。ごみも捨てなきゃ、あ、こどもの迎えの時間だ……

なんてああだこうだ駆けずり回ってるうちに1日が終わる。そんななかで、自分と状況をいったんちゃんと整理して、どう困ってるかを誰かに伝えてみようなんてところには気が回らない。そりゃあそうだろうと思う。

だけど、あなたは弱ってる。しかも、明らかに自分の手に負えないほどの負荷を負っている。だから、このまま行けばもっと弱ってしまうだろう。だからその前に少しでも早く、どうにかして声を上げなきゃいけないんだ。だってそうしないと、誰にも気付いてもらえないんだから。

とは言っても、あなたが優しくて思いやりのあるひとであればあるほど、

だってみんな、それぞれ大変そうだし……。そのうえ私のことなんか背負わせるわけにいかないし……

なんて考えて躊躇してしまうんだろう。

だけど、もう他の誰かが困ってるからって、あなたが困ってるのがどうでもよくなるってことじゃないんだよ!

結局黙っていると、似た者同士が集まりがちになるけど……

それに、困ってるひとの周りには、困ってるひとが集まりやすい。だから、なおさら自分だけが声を上げるなんておこがましいと思うかもしれない。でも、大きく遠くまで声を上げれば、どこかにいるあなたを助けられるひとに届くんだ。それに実は、弱ってるひと同士だって助け合えるんだ。だから、あなたはあなたが困っていることを、ちゃんと伝えていいんだよ。

弱ってないひとには、「弱る」ってことの意味がよくわからないかもしれない。でもだからこそ、ちゃんと伝えないといけない
それにあなたを助けられるひとは、実はあなたが思ってるよりもずっとたくさんいる。だけど困ってるひとの周りに困ってるひとが集まりやすいように、元気なひとの周りには元気なひとが集まりやすい。だからお互い、相手の姿が見えにくくなってるんだ。

しかも、弱ってないひとには「弱る」って意味がよくわからないかもしれない。それに、元気なひとは元気なひと同士で比べ合うから、そのなかでは自分が「下のほう」だと思い込んで、自分が誰かを助けられるなんてことに、気付いてないことだってあるだろう。

だからこそ、自分に今なにが必要なのか、そしてあなたの力が自分にとってどれだけ貴重なものなのか、ちゃんと伝えていくことが必要なんだ。言い換えると、自分がどんな力を持っているのかってことは、その力を持ってないひとを見ないと気付かないんだ。だからそれを見せ合うことで、僕たちはお互いに助け合うことができるんだ。

それにこういうのは、前に紹介したこんなゲームにも凝縮されてる、素朴で大切なことだと思う。

差別について考えるのは難しい。たとえそれが現実にたくさんの問題を生み出していることに気付いているとしても。だってそれは自分の心と向き合わなき...

だから、僕もちゃんと声を上げる。それにあなたの声を、僕もちゃんと聴く

だけど、ここまで言ったって声を上げるのが難しいのはよくわかる。それは相手によっては「不幸自慢」みたいに受け取られるかもしれないし、どんな福祉制度にも厚意にも「悪用者」が出てきて、「被害者ビジネス」とか「不正受給」とか言われて社会問題になる。そしてさっきも言ったように、責任感が強くて思いやりと優しさを持ったひとほど、いろんなことに遠慮して躊躇してしまう。

だからさ、ほんとはみんなわかってるはずなんだ。自分だけじゃもう限界だって。声を上げて助けてもらいたいんだって。それに生活保護だって、自己破産だって、仕組みや制度自体の存在を知らないひとはそんなに多くないと思うんだ。それでも声を上げられないのは、怖かったり、自分ばっかり抜け駆けしてるように思われるんじゃないかと思ったり、自分よりもっと困ってるひとを知ってたり、そういういろんな「しがらみ」に囚われちゃってるからだ。だけど、もういいんじゃない?だってあなたは悪用してるわけじゃないんだから。だってあなたは、ほんとに困ってるんだから!

でも他の誰かにはそう言えても、自分でそれを実践するのは難しいんだよね。僕自身もつい最近もすごく迷ったもん。でも僕は、声を上げることにした。素直に、助けを求めることにした。

このからだで生きていると、たとえば朝起きたら昨日とはからだの調子がまったく違うってこともよくある。関節が痛んだり、首が重かったり、それ以外に...

そしたらさ、助かったんだよ。もちろんこれから先まだまだいろんなことが起きるし、その度に考えなきゃいけないことは出てくるだろう。それにそもそも、根本的に問題が解決して、もうなにも心配がないなんてことはない。だけど、助けを求める前より、ずっとラクになったんだよ。だからもう、確実に助かったんだよ。

これが、僕の実感だ。そしてだからこそ、僕もあなたの声をちゃんと聴きたいと思う。たとえ直接なにもできなくても、せめて心を寄り添わせていたいと思う。そして支え合って、生きていきたいと思う。

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