単純に考えると、自分より早く生まれているひとのほうが人生の体験は広くて深いはずだ。もちろん時代も境遇も好きなことも得意なことも違うとは言え、いろんなことを体験してきた先駆者であるひとたちの意見は参考になる。
だけど、僕は今不思議な感覚のなかにいる
だけど、僕は今そういう前提を超えた不思議な感覚のなかにいるんだ。
もちろん、父の経験はその総量では僕よりずっと多い。だから僕が人生の先輩になったというわけじゃない。でも、
だからそれが僕にある部分では父が後輩になったような、不思議な感覚を呼び起こしているんだ。
僕のために用意したはずの設備の数々が、これからはすべて父を支えるものになる
しかもこれは精神的な感覚だけに留まらず、実際に物理的な面にも表れている。僕の実家は僕が生活に困らないように、家じゅうに手すりが張り巡らされているし、トイレには温水洗浄便座が完備されている。僕が実家で生活していたのは結果的には中学卒業までの15年間だったけど、そのあともたまに実家に帰ることはあったし、そのときもその設備は僕にとってすごくありがたいものだった。
それにこれって、僕自身いつも思っていた
っていうことを、そのまま体現しているものだとも思う。だから僕にはこれが、とても感慨深いんだ。
自分がこどもでよかったかなぁと思った
さっき言った家の設備のこともそうだし、いろんな手続きの際に福祉関係者との面識があることもまだ安心感があると言っていた。それに、今後の障碍者手帳や障碍者手当の申請なんかも、僕の経験があるぶんイメージがしやすいと言っていた。それは全部、見かたを変えれば僕がかけた苦労でもある。でもその苦労がこんなかたちで自分を助けることになるなら、よかったとも言えるのかなぁと思うんだ。
それになにより、僕が父の状態や気持ちを少しは想像しやすいというのなら、なにかを助けてあげたいとも思う。それは息子と父親だから、ほんとの先輩と後輩のようにはいかないだろう。それに、先天性障碍者と中途障碍者では気持ちが違うって言われたらそうかもしれない。でもそういう対立は僕自身もたくさん経験してきたけど、やっぱりそこには共通点もある。それに僕だって、できることができなくなったことはあるし、これからもある。だから、先天性か中途かというのは、そんなにどうしようもない違いだとも思ってない。

そして僕はこれから弱くなっていく父の葛藤を、少しでも和らげてあげられるように、僕なりの寄り添いかたができればいいなぁと思っているんだ。それが弱いからだで長く生きてきた僕の、今の素直な気持ちだ。
そして僕自身も、今度はいわゆる「障碍当事者」であると同時に、「障碍者家族」でもあるという立場になった。これでなおさら障碍の社会性に想いを馳せると同時に、またこの立場からこの社会がどう見えてくるのか、真摯に見つめていこうと思う。
たくさんの情報や声掛けをくださって、ありがとうございます
これはやっぱりそう簡単にまとめられることじゃないけど、とりあえず今の僕が感じている不思議な感覚を言葉にしてみた。
そして最後に、こないだ

という文章を公開してから、いろいろな情報や声掛けをくださったあなたに、心から感謝を伝えたいと思います。ありがとうございます。父はもともとあまり感情を素直に表現するひとではないのですが、そんなに取り乱しているように見せないながらも、いろいろな想いを持ちながら、少しずつ整理しようとしているようです。とりあえず、今はセカンド・オピニオンを受けようとも考えながら、自分に合った病院を探したいというのが本人の希望なので、ともかく今は僕もゆっくりと見守ってあげたいと思っています。これからも、よろしくお願いします。

コメントをどうぞ
不思議なことですが、身体が不自由になった父の介護をしていたら、父のことを「可愛い」と思うようになったのですよ。
もともと尊敬はしていたし、好きでしたが、立場が逆転してよりいっそう父のことが大好きになりました。
憐憫と愛情と尊敬がなんの矛盾もなく並立するのですね。
そう感じただけでも意義ある時間だったと思います。
「お互いさま」という実感にもなりました (^_^)
はるうさぎさん、こんにちは。
ええ、僕の感覚もはるうさぎさんとすごく近しいものだと思います。
僕自身こんな気持ちになるとは思っていませんでしたが、これからもゆっくり向き合いながら、また改めてそれぞれの関係性を深めていけたらと思っています。