お前なんかクズだ!
と言われてしまうのはとてもつらいことだ。でももっとつらいのは、自分自身に対して、
僕なんかクズみたいなもんだよね……
って思ってしまうことだとも思う。
「人にはクズなどいない」と言い切れるようになった背景には、どんな体験があったの?
でもここに、アルベルト・カイロ(Alberto Cairo)さんというひとがいる。彼はそんな苦しみに対してはっきりと、
人にはクズなどいない(There are no scraps of men)
と言い切ってくれる。彼はアフガニスタンで20年以上理学療法士として活動しているひとなんだけど、今のその活動の原点になった体験を19分の話にまとめてくれたものがある。
ここには弱い立場の存在が荒廃した社会のなかでどんな立場に置かれるか、そこにどんな眼が向けられて、どんなふうに思うようになるのか、いろんなことが凝縮されている。そしてそれだけじゃなく、どうやってそこから復活するのかのカギも示されていると思う。
ともかく、僕はこの話を聴けてよかった。だからあなたとも一緒に聴いて、いろんなことを考えて、話し合いたいと思う。

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感動しました。すばらしい動画をありがとう。
希望にあふれた人の輪がどんどん広がって地球を一周してしまえばいい。
烏さん、こんにちは。
この動画には僕も強く励まされましたが、これを烏さんともわかち合えてよかったです。
希望が光に乗れば1秒で地球を7周半できると思いますが、たとえそこまでうまくいかないとしても、それがカラスの翼にも乗って、世界中に拡がっていけばいいなぁと思います。
これからもよろしくお願いします。
役割がまだある地域の話しだもんなある程度平和だと。足手まといは表面的に役立ってても感謝しにくいから仕事で自尊心を満たすのは無理だと思う。
邪魔してるって理解した上で雇用だから先進国のフリした後進国が雇用促進頑張ればサンドバックになりに行くような感じなんだよな。
先進国って思い込みが抜けてない国だと特に。どことは言いませんが。
本当に必要だから求めあえてるだけですよ。
足りていれば人は残虐なので、役割がないのも生き方の一つって思想も必要だと思われる。
殺されるさん、こんにちは。
確かに「役割」っていう言葉は、なかなか難しいものですよね。
そもそも「役を割り振って」もらえなければ、役割を果たせなくて、おっしゃるとおり自尊心もなにも満たしにくいですもんね。
ただ役割がもらえなくてもできることはあるし、生きているだけでなにかしら影響を与え合って生きているということを、改めて共有できればいいなぁとは思います。
そしてそれは、あなたが
と言っているのと、そうは違わない想いなのではないかなぁと感じています。
でもともかく、なにより思うのは、あなたが
「殺される」
なんて想いを持たなくていいようになってほしいということです。
よかったら、またいつでも遊びに来てください。