GOMAさんが自分自身と向き合いながら「生きた証」を残し続ける姿に、僕も強く共感した

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荒廃した迷路

こんな番組を見た。

事故から7年、傷ついた“脳”で生きる中で見つけた、新たな“力”とは。GOMAさんが、茂木健一郎さんとの対話を通し、自身の“脳”と向き合います。

僕はここで初めてGOMAさんのことを知ったんだけど、彼の作品や生きかたには、僕も深く心を動かされたんだ。

「僕の脳は今、どうなっているのか」。脳科学者の茂木健一郎さんとGOMAさんとの対話

番組は自分の日々の生活や作品を通して自分自身、特に自分の「脳」と向き合い続けているGOMAさんが、脳科学者の茂木健一郎さんといろいろな対話を重ねていく感じで進んでいった。

でもGOMAさんはもともと、世界最古の管楽器とも言われる「ディジュリドゥ」の奏者で、国内外でも活躍しているような音楽家だ。

なのになぜそんな彼が自分の脳に強い関心を持つようになったのか?それは2009年、高速道路で突然の追突事故に遭ったことがきっかけだった。事故のあとGOMAさんは一時意識を失うものの、

目立った問題は見受けられない

と言われて早くに退院したらしい。でもそれから日常的な変調、特に記憶に関する混乱を感じたGOMAさんは病院を渡り歩きながら自分でも情報を集め、ついに事故から半年後、

事故(外傷)の後遺症としての高次脳機能障碍

っていう診断が下されたんだ。そして事故に遭ったあとGOMAさんに起きたいろんな症状は、ここに原因があったとわかったんだ。

多くの「力」を失ったけれど、「絵を描きたい」という想いが湧いてきた

でも原因がわかったからといって、失われた記憶を取り戻すことは難しい。番組のなかでも語られていたけど、GOMAさんはディジュリドゥのルーツを持つアボリジニとの共同生活や、子育ての想い出まで、10年間以上に亘る記憶が失くなってて、それは写真を見たり話を聴いたりしてもまったく現実感が湧かないくらいのものも多いらしい。

それに

記憶だけじゃなく、平衡感覚や味覚、それに聴覚なんかのいろいろな部分にまで影響が及んでいたこともあって、GOMAさんは一時ディジュリドゥすら奏でられなくなった。もっと言うと、自分がディジュリドゥ奏者だったことすら、忘れてしまっていた。

だけどそんなふうにたくさんのものを失くしてしまったGOMAさんは、あるときふと「絵を描く」ということを始めた。それは

自分のアタマにときどき浮かんでくる映像、感覚をなんとか記しておきたい

っていう想いから気付いたらいつの間にか始めていたってことらしいんだけど、事故前には絵を描くなんて気持ちも経験もほとんどなかったらしくて、それも不思議なことだとGOMAさんは語っていた。

でもそうやって、GOMAさんはもう何百枚も絵を描きながら、自分の意識と向き合い続けている

でもそれは

茂木さんの眼から見ると、「意識と記憶の定着作業」のひとつっていう仮説も成り立つらしい。

脳には未解明なものも含めいろんなはたらきがあるけど、そのなかでも

与えられた膨大な情報を整理する

っていうのも重要な役割のひとつで、通常はそれを眠っている間なんかに行って、記憶や情報を整理していくんだけど、GOMAさんの場合はそれが少なくとも一般的なやりかたでは難しくなった。だから実際に新しい記憶も抜け落ちやすくなってたり、注意力が散漫になったりするんだけど、「絵を描く」ということを通して、それを連携させたり、定着させることを促しているとも言えるらしい。

それは実際GOMAさんも、

アタマのなかがざわざわしているときに「描きたい!」っていう衝動が特に強くなって、それを絵に落とし込む過程で「余分なものが削ぎ落とされて、ストレートになった感じ」がする

っていう趣旨のことを語っていた(今の自分の記憶を頼りに書いてるから、一字一句正確ではないけどね)。

そして絵を書き始めてから、いろんな症状も少しは軽くなった気がすると言っていたから、その意味でも「絵を描く」っていうことが持つ意味はとても大きいんだろうと思う。

「意識ってなんだろう?」という根源的な問いは、GOMAさんの絵によく表れている

でもGOMAさんの話をよく聴いてみればみるほど、その絵に表されてるようなことは「意識と記憶の整理」というだけでは表しきれないものを含んでいる気がする。たとえばGOMAさんは、今でも極度の緊張や集中を経験したあと、意識が一時的にからだから脱けることがあるらしい。そのときの意識を絵にしたものがあるんだけど、それは青い円形の光みたいな感じで、その段階を抜けると、今度は白いチカチカしたような世界を経て、「こちらの世界」に戻ってくるっていうことだった。

これも僕の記憶からざっくりと書くけど、そのときの感覚は

手足の「痺れ」みたいな感覚から始まって、それから少しずつ「ぬいぐるみのなか」に戻るっていう感じ

で、こっちに戻ってくるらしい。あと最初の事故のあとに憶えているのは、

なんだか「ひとだかり」みたいな場所があったんだけど、そこには行けなかった。でもそことは別の光のほうには行けたから、そっちに向かっていったら、病院のベッドで目覚めてた

っていう感覚だったらしい。そして本人も

あれってなんなんでしょうね?あの意識がずっと帰ってこなかったらたぶん「死ぬ」ってことなんでしょうけど、じゃあそもそも「意識」ってなんなんでしょう?

っていう疑問を持っていて、それには茂木さんも答えられずにいた(同じ答えを追い求めてる)んだけど、僕も純粋にすごく気になる。そしてそれがああいう絵としてのかたちに表現されてることが、とても興味深いと思った。

ここで紹介されてたものと同じ作品ではないけど、そのたくさんのうちの一部は、ウェブサイト上でも見られます。

そもそも、GOMAさんの問いは、僕自身の問いでもある

だからこういう「意識」についてもそうなんだけど、そもそも最初に挙げられていた

僕の脳は今、どうなっているのか

っていう問い自体が、僕にとってあまりにも身近なものだとも言える。

だって僕だって、「脳性麻痺」なんだから。それに単純に長さだけで言えば、GOMAさんは高次脳機能障碍になった事故から7年くらいだけど、僕は20年以上この「一風変わった脳」と一緒にいるんだもんね。

確かにGOMAさんのように記憶や味覚の部分にはほとんど支障はないけど、それが「運動機能」や「空間認知能力」に強く表れたというだけで、根本的には同じだ。

あとついでに言っておくと、

最近では「発達障碍」も「脳の器質性(はたらきかた)の違い」なんかに原因を見出す説があるようだけど、それで行くならそれだって自分の「脳性麻痺のいとこみたいな疾患」だと思っている。実際、「音に敏感だ」とかっていう症状は、程度の差はあっても僕にもあるからね。

だからほんとに、僕も自分の脳やからだ、それに意識なんかには、日常的に強い関心を持っているんだ。だからそういった意味でも、僕はGOMAさんにとても共感を覚える。

「自分の作品は自分の存在の証だ」っていうのも、まったく同感だ

あと、最後のほうでもGOMAさんは、

自分が絵を描いたりいろんな活動をするのは、「自分の存在の証を残すため」なんです

っていう趣旨のことを言っていた。これはGOMAさんの記憶が抜けやすいからなおさらそう思うんだと思うけど、僕自身もまったく同感だ。それに僕も前に、

昨日、僕がよく見る夢のことを書いた。そこでも書いたとおり、僕はあまりにも悪夢ばっかり見るものだから、今ではいちいち見た夢を憶えておい...

っていうそのものズバリの文章を書いているけど、これも僕の正直な想いだ。だから僕も僕なりのやりかたで、ずっと「記録」を残していきたいと思う。そしてそれがお互いに、あるいは他の誰かに、少しでも役立つものになればいいと思っている。

最後に、僕は今まで知らなかったんだけど、GOMAさんは前にも同じNHKの番組に取り上げられていて、そのときの様子は書き起こされて記録されている。あと、そのときと今回の茂木さんとのやり取りの一部は、番組に収まらなかったところも含めてサイトで公開されていた。だからそのページにもまとめてリンクしておこうと思う。

第31回の主人公は、オーストラリアの先住民“アボリジニ”の楽器「ディジュリドゥ」の世界的奏者として活躍するGOMAさん(42)。2009年、交通事故により脳を損傷。高次脳機能障害となりましたが、記憶は失われても体が覚えていたディジュリドゥを吹く感覚を信じ、演奏活動を再開。今を全力で生きることで、一歩一歩前へ進むGOMA...

あと、GOMAさんの葛藤と復活については、このページにも詳しくまとめられていたから、よかったら併せて読んでみてほしい。

記憶を失い、5分前の記憶も定着しない。それでも彼はステージに戻ってきた

それにGOMAさんはもう音楽活動も再開しているし、本も書いたり講演活動もしたりしている。これからも、いろんな意味で注目していきたいと思う。

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