「どけよ!」と同級生に言われたとき、養護学校でもこれならやっていけると思った

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乗り手同士の出会い

前にも何度か書いたけど、僕は中学生までは地元の学校の「障碍児学級」に在籍することで、他のひとたちが一般的に通うのと同じ学校に通っていた。でも高校に上がるときには今までのようにはいかなくて、いろいろな葛藤や揉めごともあった挙句、最終的には地元から数時間離れたところにある「高等養護学校」に入学することになった。

このときの経緯は、ここに詳しく書きました。

僕が普通高校を受験することすら、できなかった理由
こないだののなかで、僕は、僕自身、中学校までみんなと同じ地元の学校に通えていたのに、高校進学が近付き、「普通高校」への進学を希望...

「養護学校」なんていうのは、従順でおとなしいひとたちばっかりがいる場所なんだと、勝手に思い込んでいた

でも当時の僕は「養護学校」なんていうものを詳しく知らなかった。それに自分の学校で同じ障碍児学級にいたひとたちが僕から見ると度を越すくらいの従順さを持っていて、かつそれが「当たり前」だと見なされていたことや、

「お前、クサイぞ。お母さんにちゃんと洗濯してもらってるのか?」。そこまで言われてるのを黙って見過ごすなんてさすがに、できなかった
障碍者っていうのは、間違いなく弱い立場に置かれてる。逆に言うと、弱い立場に置かれてるひとが障碍者って呼ばれてるとも言える。そしてそれは、僕自...

あとは単純にメディアで流されるような「障碍者像」に影響されてたのもあって、

「養護学校」なんていうのは、従順でおとなしいひとたちばっかりがいる場所なんだろうなぁ……

なんて、勝手に思い込んでいたんだ。そしてそんな場所で自分が生活していく(全寮制だったから特に)自信が、まったく持てずにいた

「どけよ!」という同級生からの言葉が、僕を勘違いから目覚めさせてくれた

でもそんな思い込みは、実際に生活が始まると少しずつ壊されていった。そこにいるひとたちは決して従順でもおとなしくもなかったし、周囲の「指導員」も含めたおとなたちへの反感や葛藤のなかで、自分なりの態度や価値観を模索していた。そしてそんななかで、ある決定的なできごとがあったんだ。

それは4月もまだ終わっていない、教室でのことだった。僕が机の間を通り抜けようとしていると、向こうから車いす乗りの同級生がやってきた。そしたら一瞬の間を置いて、彼は僕にこう言ってきたんだ。

どけよ!急いでるんだから!

これは僕にとって、とても新鮮な体験だった。それまでの日常的には、僕は基本的にはいつも「譲られるほう」だった。もちろんなかには、

邪魔だなぁ!さっさとどっか行けよ、ガイジ!

みたいに言うひともいたけど、それは明らかに暴言だし、例外的な存在だ。だから通常の場面では、僕はたいがい「配慮されるほう」にいることになっていた。それは確かにありがたいことなんだけど、僕だっていつもそんなに急いでいるわけじゃないし、別にこっちが道を譲ったっていい。でもそんなことをすると、

いえいえ、どうぞ先に行ってください!

みたいに延々と遠慮の応酬が続くから、結局は僕が通してもらうほうがすんなり行くことになる。

これはお互いの状況にもよるし、相手が好意でやってくれてるのはよくわかる。でも別の視点から見れば、「腫れ物に触るような態度」と言えないこともない。

だけどこのときの同級生とのやりとりは、そういうモヤモヤを完全にふっ飛ばした。確かに、もう少し柔らかい言いかたをしてくれてもいいのにとは思ったけど、それ以上にある種の「嬉しい驚き」のほうが勝った。

それでこのとき、

こんな感じのひとたちがいるんだったら、ここでもやっていけるかもしれない

と思えたんだ。

実際、楽しくないこともたくさんあったけど……

ただそのあとの3年間では、もちろんいろんなことがあったし、楽しいことばかりじゃなかった。そのなかの一部は、今までにここにも書いたとおりだ。

「お前らはカネも稼げないくせに性欲はあるからなぁ」。これが養護学校の「指導」だった
つい先日、大阪市立茨田北中学校長の朝礼での発言が、賛否両論を呼び起こした。発言が切り取られているのが問題だ。全文を読めばそんな問題発言じ...
養護学校からだって、「退学」になるひとはいる
こないだののときもそうだけど、僕は今「特別支援学校」っていう呼びかたに変わってきてることを知ったうえで、それでも「養護学校」っていう...

それに率直に言えば、あの場所での体験は楽しさや喜びよりも、哀しさやつらさのほうが多かったと思う。でもそれでも、あのときはあの選択以外なかったことも重々わかっているし、今すべてを振り返ってみると、あの場所は今の自分を作るうえでかけがえのないものを与えてくれたと思ってる。

だからいつも、ひと言では言えないいろんな感情を抱えながら、これからもときどき、僕はあの学校にいた時代を思い出すんだろうと思う。そしてまったく違う道を歩んでいる同級生や先輩後輩が今少しでも楽しく生きていることを、僕もずっと願っている。

コメント

  1. 坂本律子 より:

    こんばんわ。初めまして。

    私は主に移動支援、行動援護、重度訪問などをおこなっている事業所にいます。

    今度の研修会にて相模原の事件をうけて、利用者と支援者の関係性についての研修会を行います。

    その資料として貴方のブログを紹介しますことお許しください。

    多くのひとに貴方のブログを知ってもらいたいと思います。

    • 坂本さん、こんにちは。

      ここで公開している時点で誰にどのような言及をされることも想定したうえで書いているので、許可を求める必要はまったくないのですが、そのように活かしていただけることはとても光栄です。ありがとうございます。

      また、最初から宣言しているように、僕は書きたいことを書きたいように書いているだけですが、それがなにかを感じたり考えたりするきっかけになっていただけたらとても嬉しいです。

      そして陰ながらではありますが、研修会が実り多いものになることを心から願っています。

      • 坂本律子 より:

        こんばんわ。

        返信ありがとうございます。

        利用者と支援者の関係性。

        とても難しい研修になるかと思いますが

        実りあるものとしたいと思っています。

        ありがとうございます。

        • そうですね、「正しい」かどうかにこだわるのではなく、自分なりに考え抜いたうえで、

          今のところ自分はこう思うんですよね

          くらいでいいんじゃないかと思います。

          そうでないとなにも言えなくなっちゃいますし、黙れば誰かが解決してくれるものでもないので。

          積み重ねていくことがなにより大切だと思うので、いい意味で気をラクにしていてもらえればと思ってます。

          ここまで来るまでに懸けてきた想いや準備は、伝わるひとには伝わってますし。

          あ、これは自分が発信する際に心がけてることでもあるんですけどね。

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