『聲の形』はいい作品だと思う。でもさらにその凄みを押し通してたら、個人的にはもっと伝説的な作品になったと思う

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今日なにげなくここの管理画面を見ていたら、見慣れないところから訪ねて来てるひとがいることがわかった。それで出どころと理由を探ってみると、どうやら

『聲の形』の字幕付き上映の有無を巡る諸々の意見をまとめました。

で取り上げられていた、

ここで勝手に、この映画は聴覚障害がテーマだと言われてしまうことは、鈴木おさむさんが言っていた “障碍者を出した途端にそこに必要以上の「意味」を求めてしまう” https://yotubaiotona.net/2016/08/29/ ということなんだろうな

っていうツイートに僕の書いた

が紹介されていたからみたいだ。

こういうふうに自分の知らなかったところで自分の書いたものが読まれているのはどんなかたちであれすごく嬉しい。でもここでの本題になっている『聲の形』っていう作品について、僕はまだなにも書いてなかった。だからこのせっかくの機会に、僕も僕なりに思うことを書いてみようと思う。

あ、この作品の映画版は9月17日から公開されてるけど、

映画『聲の形』 9月17日全国ロードショー

僕は観てないし、原作と違いがあるのかどうかも知らない。だからこのあとの感想は、あくまでも原作(マンガ)に沿ったものだから、間違わないでね。

この作品の凄みは、「ひとの悪意をとことん表現した」ところにあると思う

僕はこの大今良時さんの『聲の形』という作品を、いちばん最初に話題になった読み切り版のときからずっと読んでいた。だからこの作品のエッセンスがどこにあるかは、読み切り版を読んだときから感じていたけど、それが改めて長期連載になってからは、どういう物語になるのか注目しながら読んでいた。そして、結局最初から最後まで読んでいくなかでいちばん強く感じたのは、

この作品の凄みは、いわゆる福祉系の物語でありながら、ひとの悪意をとことん表現したところにある

ってことだ。これがただ単に、

無理解や偏見から障碍者をいじめてた子が、しだいにお互いの気持ちを理解するようになって反省し、最終的には仲良くなる

みたいな話だったら、そんなありふれた筋書きはここまで話題にならなかったと思う。

だけど『聲の形』では、

いじめっ子がある時点からスケープ・ゴートとしていじめられっ子として周囲の悪意を一身に受けるようになったり、そもそも担任が保身に走るどうしようもない教員だったりと、とことん周囲の悪意を、しかも「ひとりひとりが少しずつ持っているちょっとした悪意と、その連鎖と増幅」を描いている

っていうのが、この手の作品としては明らかな異彩を放っていて、凄みがあるんだと思う。

長期連載版でもその凄みはなくなっていなかった

そしてこの凄みは、長期連載版でもなくなっていなかった。むしろ物語がより長くていねいに書けるようになったぶん、

ひとりひとりの登場人物の「悪意」やその背後にある「哀しみやつらさも入り混じった複雑な感情」に迫れていて深みが増していた

と思う。それに最後まで予想もつかない展開があったし、全62話(単行本全7巻)のなかに、いろいろなものが詰め込まれていたとも思う。だからこれは僕にとっても間違いなくいい作品だったし、読み続けてよかったと思ってる。これは、僕の正直な感想だ。

でもね、やっぱりひとつだけ、完全に予想どおりに収まっちゃった部分があるんだよなぁ……

でもここまで書いてきたようにこの作品がすごく意欲的で、いい作品だったことはぜんぶ踏まえたうえで、僕にはもうひとつ違った想いもあるんだ。言い換えると、この物語はいい意味でそれまでの「紋切り型」を否定してきたにもかかわらず、やっぱりひとつだけ、完全に予想通りに収まっちゃった部分があると思うんだ。

それは、主人公の硝子が最初から最後までずっといい子で、やっぱり将也とくっつくんだろうなぁという予定調和どおりに収まった感がある

ってことだ。

もちろん、この結末はこの結末でいいと思うし、読者の予想を裏切ればいいとは限らないし、むしろ硝子がここまでいい女性なら、将也が硝子とずっと一緒にいたいと思って結婚するのは自然なことだと思う。

だけど、この作品にはある種誇張されてるとも言えるくらいいろんなひとのいろんな弱みや葛藤、それにそこから生まれる悪意が表現されていたのに、それが硝子についてだけは控えめすぎると思えてしまうのも確かなんだよね。

単純に言えば、

いくら将也だけにいじめられていたわけではないとは言え、いくら将也が反省したうえで、優しくて理解のあるいいひとになっていたとは言え、それで人生をずっと添い遂げる結婚相手にまで、すんなり行けるかなぁ?

っていうのがどうしても疑問なんだ。もちろん性格はひとそれぞれなんだし単純に言えないのはわかってるけどさ、僕だったらそんなことは無理だと思うし、もしできるとしても相当な言い合いや紆余曲折を経てからじゃないと考えられないと思う。そしていちばん可能性の高い結論としては、

あのときのあなたにもいろんな事情があったのはわかるし、それで傷つけたことを反省してくれてるのもわかった。だからもういちど、友達になろうね。でも、それ以上は無理かも

っていうところじゃないかと思うんだ。いや、これでもまだ、いいひとすぎるくらいの部類だと思う。

もし僕がこの作品の「凄み」を突き詰めて表現するなら、こんな展開にする

ここからの話は、別に本編の展開や結末をけなすために書くものじゃない。何度も言うけど、僕はこの『聲の形』はすごくいい作品だと思ってる。でももし僕がこの作品の凄みをとことん突き詰めて表現するなら、つまりひとの弱さや悪意と思い切り向き合って表現するなら、僕はこんな展開にする。

 

将也はこどもの頃の自分のしたことを心から反省したうえで、硝子に会いに行こうとする。でも会わない年数の間に、硝子はなにも言い返せず弱かった自分を変えて、自分の想いをちゃんと伝えられるひとになっていた。しかも柔道や護身術を習ったりして、弱い立場を利用するひとたちには毅然とした態度と行動を示せる女性になっていた。

そのことでますます将也は硝子に魅かれる。だけど硝子は将也のしたことを許す気にはなれなくて、

お前さ、自分のしたことわかってんの?自分がいじめられたくらいでお互いわかり合って仲良くしようとか虫がよすぎるだろ!あんた私をなんだと思ってるわけ?つべこべ言ってると吹っ飛ばすぞ!

なんて書いて(赤字でもいい)冷たくあしらう。それでも将也の硝子への想いはずっと深くなっていく。そしてそれを伝え続け、行動でも示し続けた結果、硝子もついに心を溶かして、

わかった。じゃあこれからも幼なじみとして仲良くしようね

って伝える。これは硝子の素直な気持ちだ。でも続けて、

だけどやっぱり、結婚とかは無理。だって、思い出しちゃうもん。いつかあなたがまた豹変するんじゃないかって、怖くならない自信がないもん

とも伝える。そして硝子は別のひとを好きになる。完璧にフラれたと感じた将也はうちひしがれる。そしてそれを植野直花がどう慰めようか考えながら見ていた……。

はたして、硝子の恋愛はどうなるのか?そして直花と将也の関係はどうなるのか?

終わり(あとはご想像におまかせします)

 

こんな感じかな。この辺で終わらせるのもいいんじゃないかと思うけど、さらに硝子の結婚生活や、こどもが生まれたあとの親子の葛藤、それにそもそも結婚や出産を周囲が抵抗なく受け入れるのかどうか、そしたら硝子とパートナーはどんな答えを出すのかとか、描こうとすればいくらでも描けると思う。

もちろん、賛否両論があるのはわかりきってる。特に原作のキャラクターイメージが好きなひとたちにとっては、相当な反発もあるだろう。だけどここまで尖った作品だったら、少なくとも僕のなかでは、さらに伝説的な作品になっていたと思う。

「障碍者」ってだけで、「主役」だと確定することも裏切ってくれるような作品もあればいい

もっと言えば、ある作品に「障碍者」が出てきたらそれだけで

あぁ、このキャラは中心人物なんだね

って思わせられることをさらっと裏切っちゃう作品も、もっともっと出てくればいいと思う。この際「モブキャラ」でもいい。ゴジラに真っ先に踏み潰されたっていい。だって、実際そうなるんだから。

まぁこういう話を書いていくとキリがないんで、とりあえずこの文章はここで切るね。あと、こういうのって特に誤解されやすいからもういちど強調しとくけど、僕はこの作品はとてもいい作品だと思う。あと、僕が勝手に考えた別展開でイメージを壊されちゃってイヤな気分になったひとがいたらごめんなさい。あれは本編をベースにしたまったく別の作品だと思ってくださいね。

さて、僕ももういちど、『聲の形』を読んでみようかな。

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