岡檀さんの『生き心地の良い町』を読んで、僕もそんな場所にいたいし、作りたいと思った

広告
仲良しの羊と豚

ここ最近ずっと気になってた本が手に入って、さっき読み終わった。岡檀(まゆみ)さんの『生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由(わけ)がある〜』っていう本だ。これは僕にとってもいろいろなことを教えてくれて、考えさせてくれる本だったから、その気持ちを忘れないように、ここにも記録しておこうと思う。

「自殺希少地域」の研究は、それまでほとんどなかった

まずこの本の前段で書かれていたのは、

今まで自殺が多くなっている地域(自殺多発地域)の研究は多くても、自殺が少なくなっている地域(自殺希少地域)の研究はほとんどなかった

っていうことだった。その理由はこうも書かれている。

「岡さん。発生したことの原因を突き止めることはできても、”発生しなかった”ことの原因はわからないよ」

なぜ自殺が起きるのか、その背後にある要因を探ることは不可能ではない。しかし、なぜ自殺が起きないのか、起きてもいないことについて因果関係を探っても、その答えはおそらく得られないと言っているのである。

(p.16より。傍点部分は太字で代用した)

でも岡さんは徳島県の海部町という地域の情報を知ってから、

現地を知らずして、何かがわかるともわからないとも言えないではないか

(p.16より)

という態度で、そこで調査を始めることにしたんだ。そしてそこから得られた知見はとても興味深いものだったんだけど、ここでは特に僕が気になったところを中心に、引用と感想を交えながら書いていこうと思う。

見えてきた5つの「自殺予防因子」

第1章の終わりで、岡さんはこんな仮説を立てる。

自殺希少地域である海部町のコミュニティにあって自殺多発地域にはない要素、もしくは海部町には強くあらわれているが自殺多発地域には微弱な要素ーーー、それらがすなわち「自殺予防因子」である。

(p.28より。傍点部分は太字で代用した)

そしてここで仮定した「自殺予防因子」は、大きく見れば次の5つにまとめられることがわかった。それが、

いろんな人がいてもよい、いろんな人がいたほうがよい

人物本位主義をつらぬく

どうせ自分なんて、と考えない

「病」は市に出せ

ゆるやかにつながる

(p.94より)

の5つだ。

なぜ海部町は、特別支援学級の設置に反対したの?

そのなかでも特に、

いろんな人がいてもよい、いろんな人がいたほうがよい

については、こんなふうにもまとめられている。

海部町では、周囲の人と違った行動をとったからといって、犯罪行為でもない限り排除されることはないのだから、多種多様な価値観が混在している。

(中略)

同じものを見ても黒だと言う人と白だと言う人がいて、いやいや赤だと言う人が出てきても封じられることはない。したがって、変人もオタクも共存している。

そうした社会に生きる人々は社会=多様性という図式を刷りこまれ、そのことがデフォルト(標準仕様)であると思って育つ。結果として、異質な環境に放り込まれたときにも使える、弾力性と順応性が育っていくのではないだろうか。

(p.99より)

そしてこういう性質は、こんなところにも実際に現れる。これを読んでほしい。

特別支援学級とは、知的もしくは身体的に障がいを持つ児童生徒に対し、特別な支援を行うための学級である。子どもたちの諸事情や成長段階に合わせ、異なるニーズに丁寧に対応する教育を目指すとされている。この特別支援学級の設置について、近隣地域のなかで海部町だけが異を唱えているというのである。

このことを話してくれた人は、海部町がそうした態度をとる背景には、障がいに対する偏見が偏在しているのかもしれない、と言った。

(中略)

旅館の部屋に戻るなり、海部町に住む知り合いの町会議員に電話をかけ、彼が先入観を持たないように慎重に言葉を選んで尋ねた。これに対し、彼の説明は拍子抜けするくらい明快で、言葉によどみがないのが印象的だった。彼は、特別支援学級の設置に反対する理由として、このようなことを言った。

他の生徒たちとの間に多少の違いがあるからといって、その子を押し出して別枠のなかに囲いこむ行為に賛成できないだけだ。世の中は多様な個性を持つ人たちでできている。ひとつのクラスの中に、いろんな個性があったほうがよいではないか。

(中略)

受話器から聞こえる淡々とした口調を聞きながら、視界が晴れていくような爽快感があった。

(pp.45−46より)

こういう考えかたは、僕自身がいつも思ってるものだし、心から共感できるものだ。

車いす乗りを100人並べておいたって、段差は越えられない
誰かと誰かが一緒になにかをするとき、そこには助け合いの余地が生まれる。絵を描くのが得意なひとが絵を描いているときに、文章を書くのが得意なひと...

だからこの実例を見られたことは、とても嬉しかった。

「病、市に出せ。やせ我慢はええことがひとつもない」

それにやっぱり、

「病、市に出せ」

という言葉も、僕にとっては特に心強いものだった。

彼の説明によれば、「病」とは、たんなる病気のみならず、家庭内のトラブルや事業の不振、生きていく上でのあらゆる問題を意味している。そして「市」というのはマーケット、公開の場を指す。体調がおかしいと思ったらとにかく早めに開示せよ、そうすれば、この薬が効くだの、あの医者が良いだのと、周囲がなにかしら教えてくれる。まずはそのような意味合いだという。

同時にこの言葉には、やせ我慢すること、虚勢を張ることへの戒めがこめられている。

(中略)

「たとえば借財したかて、最初のうちはなんとかなるやろと思て、黙っとりますわな。しかし、どんどん膨れ上がってくる。誰かが気づいたときには法外なことになっていて、助けてやりとうてもどないもできん、ということになりかねん。本人もつらいし、周囲も迷惑する」。

(p.73より)

こういう価値観が浸透していて、みんなが自分の困難さを引け目なく伝えやすいっていうのは、実際すごいいい環境だと思う。だからこそ、海部町ではうつ病などの精神病も、比較的軽症のうちに治療が開始できている。

興味津々ではあるけど、つながりかたはゆるやか

でも、海部町のひとたちの人間関係は、いわゆる「ムラ社会」と言われるような、あったかいけどときとしてすごく窮屈な関係性とも少し違うらしい。

先に述べたとおり、海部町は物理的密集度が極めて高いコミュニティであり、好むと好まざるとにかかわらず住民同士の接触頻度は高い。特に密集した居住区では、隣家の電話での会話まで聞こえてくるという生活を送っている人たちもいて、彼らにとってはプライバシーの保護などまるで現実味がない。

その一方で、隣人間のつきあいに粘質な印象はない。基本は放任主義であり、必要があれば過不足なく援助するというような、どちらかといえば淡白なコミュニケーションの様子が窺えるのである。

(中略)

では海部町ではどのようなつきあいをしているのかと他の回答を見ると、「立ち話程度」と「あいさつ程度」のつきあいに集中している。つまり、隣人間でのコミュニケーションが切れているわけではないのだが、かなりあっさりとしたつきあいを行っている様子が見えてくる。

(pp.83ー84より)

「人に関心をもつのと、監視しているのとは違う」という海部町住民の言葉が、コミュニティに漂う雰囲気を端的に端的に説明していると思い納得がいった。このニュアンスの違いが区別できている人々であれば、興味津々の隣人に囲まれたときにはわずらわしい気分にはなっても、閉塞感に苛まれるまでにはいたらないのではないかと思われる。

(p.109より)

こういう感覚はなかなか独特のおもしろさを持ってると思うんだけど、その距離の取りかたが、この地域の智慧なんだと思う。それは、こんなふうにも表現されている。

人の噂も七十五日。海部町コミュニティにしっくりと馴染む格言である。この町では、良いことであっても悪いことであっても、その評価が長続きしないのである。人への評価が固定しないし、もっと言えば、固定しないように気をつけているようにも見える。

(p.113より)

僕もそんな場所にいたいし、そんな社会を作りたいと思う

この本はこれ以外にもいろんなエピソードを紹介しながら、「生き心地の良い町」について紹介してくれている。そしてそれを読んだ僕が今率直に思うことは、僕もそんな場所にいたいし、そんな社会を作りたいってことだ。だから僕も今の社会の現状と、そのなかでも海部町みたいな社会があることと、両方を踏まえたうえで、自分にできることを考えて、実践していきたいと思う。僕はただこれからも、あなたと一緒に、生きていたいから。

コメント

  1. これは是非読んでみたいです。

    ありがとうございます。

    もしかしたら、私がいま住んでいる場所の関わりと似たものがあるかもしれません。

    なんとなくそう感じました。

    • はるうさぎさん、こんにちは。

      これはとても考えさせられると同時に、いろんな示唆を与えてくれるいい本でした。

      僕もこんな場所がどんどん増えていってくれたらいいなぁと思いますし、それに向かってできることを、少しずつでも実践していきたいと思います。

トップへ戻る