心とからだのつながりをどう捉えるかはいろんな見かたがあると思うけど、僕はからだと心は独立して存在してはいないと思う。たとえば、
っていうのはほとんど間違いないこととして認められてると思う。
ストレスは万病の元だよ!
とかっていうのは、まさにそういうことだろうと思うから。でも同時に
っていう側面も、強調しすぎるということはないと思うんだ。
気の持ちようを変えられるかどうかも、かなりからだの状態に左右される
こういうことを考えるときに、
たとえ身体的な状況が変わらなくても、気の持ちようを変えればだいぶ違った世界が見えてくるよ!
っていうような意見があるのもわかる。それにそれは、僕自身がからだの状態はまったく変わっていない、っていうかむしろ悪くなっているのに、自分の存在を10年前より肯定的に捉えられていることからも確かだと思う。でももう少し考えてみると、
その気の持ちようを変えられるかどうかも、かなりからだの状態に左右される
っていうのも間違いないような気がするんだ。簡単に言えば、頭痛と腹痛が同時に来ているような状態のなかで、気の持ちようを変えるなんて言うのは簡単なことじゃない。だからその場合は、まずそのからだの状態をなんとか好転させられないかに集中したほうが早いと思うんだ。
これは心からの言葉なの?それともからだからの言葉なの?
一般的には「言葉」っていうのは心から生まれてると考えることが多いと思う。『古今和歌集』の序文にも
やまと歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける
って書いてある。でも、その心っていうのはからだのなかにある。だから、からだの状態が心の状態を左右して、結果的に言葉や行動を左右したとしても、全然不思議じゃない。そう考えると、
あるときの自分の言葉っていうのは、もしかしたら自分の「心からの言葉」だっていうより、自分の「からだからの言葉」なのかもしれない
と思うんだ。
自分の気持ちが陰に沈んだときは、1遍の詩もいいけど1片の砂糖もいいよね
自分の気持ちが陰に沈んだときっていうのは、なにもしてもおもしろくないし、気が付くと自分の存在が無意味で無価値なものなんじゃないかと思ったりすることがある。僕の場合はそれが自分自身に向かうことが多いけど、それが内側じゃなく外側の誰かに向かったら、他者に対するイライラとか暴言なんかにつながるんだろうなぁっていう気がする。単純に言ってしまえば、心がささくれ立ってる状態だ。
そんなときに、いろんな音楽を聴いてみたり、静かに詩を読んでみたりして心を落ち着けたり整理する手もあると思う。そしてそれが効果的なことも多い。でもそれがまったくうまくいかないときには、意外と甘いものを少し食べてみることのほうが気分を持ち直してくれることもあると思う。
実際僕も気分が塞ぎこんだときには、黒砂糖飴なんかを少しかじってみると、自分でも予想以上に効果があって驚くことがある。あとは、僕は前に

って書いたくらいバナナが好きだから、それを1本食べたり、夏バージョンで凍らせてバナナアイス風にして食べたりするだけで相当気分が軽くなることも多い。あとこないだ見つけた「経口補水液」もけっこういいと感じてる。

こういうことを実感してみるとしみじみ、
あ、さっきまでの心の不調は単に、からだの不調から来てたんだなぁ……
っていうことに気付かされる。
というわけでちゃんと食べて寝て水飲んで、今年の夏も乗り切ろうと思う
結局、ここまで書いて改めてはっきりしたことは、僕は夏が苦手だってことだ。単純に暑いし、ジメジメするし、寝付きは悪くなるし、食欲は落ちやすくなるし、服を着ないでいたらお腹を冷やして調子崩しやすくなるし、外に出れば弱い皮膚は焼けるし疲れるしでもう気が滅入ってしまいそうになる。
でもだからこそ、その負の連鎖に心を巻き込んで潰してしまわないように、僕もちゃんと顔洗って、きちんと食べて寝て水飲んで、今年の夏も乗り切ろうと思う。そして、からだの声も心の声もちゃんと聴いて、自分を大切にできたらいいなぁと思う。だからあなたもいろんなことはあると思うけど、疲れたら少しでも、ゆっくり休んでね。あとご飯とかも、ちゃんと食べてね。

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