こんな文章を読んだ。

既存の仕組みを組み合わせて作った4年制の「福祉型大学」
ここで取り上げられている「カレッジ福岡」っていうのはどんな場所なんだろう?まず、公式のウェブサイトはこれだ。
そしてこの場所の概略は、最初に挙げた文章のなかでこんなふうにまとめられている。
「カレッジ福岡」とはどんな施設なのだろうか。カレッジは障害者総合支援法が定める「自立訓練事業」(約2年)と「就労移行支援事業」(約2年)を組み合わせた福祉施設。施設の利用については自治体から訓練等給付金が施設に支給されるため、授業料は原則無料だ。それぞれの事業を個別に行う社会福祉法人は全国に多数あるが、4年制として運用し始めたのはカレッジ福岡が初めてだ。カレッジ福岡は、福祉サービスを大学に見立てたもので、本当の大学ではない。
しかしカレッジ福岡では前半2年間の自立訓練事業を「教養課程」、後半2年の就労移行支援事業を「専門課程」と位置づけ、訓練の中に障害者の特性に対応した教育プログラムを取り入れている。研究論文やスポーツ、経済、資格・検定の授業などがあり、支援員は教員免許を持った人材を中途採用している。
そう、カレッジ福岡は一般的な意味での「大学」とは違う。あくまで既存の仕組みを組み合わせて作った、その意味では「擬似的な大学」にすぎないとも言える。でもそこにはきちんとした「教育プログラム」があって、その過程のなかでそれぞれの「特性を伸ばす」ことが目的とされている。だからこの場所は、その意味では確かに「教育施設」なんだ。
「まだ社会に出すのは早過ぎるから留年させてほしい」
このカレッジ福岡ができたのは2012年のことだけど、そもそもなんでこんな場所を作ろうと思ったんだろう?それはこういうふうに書かれている。
「私の娘(24)は重度の知的障害者で、自閉症で言葉もない。色んな支援が必要な娘だが、特別支援学校高等部を卒業するときに、「まだ社会に出すのは早過ぎるから留年させてほしい」と頼んだらだめだった。1、2年経った頃、同じように18歳で子どもを社会に出すのは早過ぎると思っている親が全国にたくさんいることを知った。その人達は特別支援学校に専攻科を設置し、20歳までは学校にいられるようにしようという運動をしていたので、専攻科と同じようなものを作れないかと思ったのがきっかけだった。
全国には自立訓練事業や就労移行支援事業を使った学びの場(福祉型専攻科)もあったが、ほとんどが2年制。2年だと、卒業後のことをすぐに考えなければならない。そうではなくて出口のことを考えずに2年間は青春を謳歌し、生きていく上で必要な学び、多方面の経験ができる場を作りたいと思った。それだと2年じゃ足りないので、福祉事業を組み合わせて4年制にしたらいいと思った」
最初僕は、この
まだ社会に出すのは早過ぎるから留年させてほしい
っていう言葉が単に「消極的な先延ばし」にすぎないのなら意味ないなぁと思った。でも実際に、この取り組みは少しずつ成果を上げてきている。そしてそれは結局、
他のひとと速度は違っても、時間をかければどんなひとも必ず成長できる
っていう信念なんだなぁということを感じた。だから僕が最初に抵抗を感じた言葉は決して消極的な先延ばしなんかじゃなかった。それは言い換えれば、
もう少し時間をかけてあげればこの子はもっと伸びるから信じて待ってほしい
っていうことだったんだ。そしてこの姿勢は、僕自身も共感できるものだ。
「知的障害者に教育は必要ない」という価値観を揺さぶる実践の力
この「カレッジ福岡」の根底にあるのは、今の社会にある
知的障害者に教育を与える必要(意味)なんかないよ!
っていう価値観への疑問だと思う。そしてカレッジ福岡はその存在と実践によって、なにより強くその価値観を揺さぶっている。それは、このやりとりにも端的に表れている。
知的障害者にいくら教育を与えても上限があるのでは。なぜ、学びが必要なのか」。思い切って失礼な質問をぶつけてみたが、長谷川正人理事長は、一つのデータを示してくれた。専攻科があり20歳まで学べる特別支援学校の2校(三重県と大阪府)の卒業生について、1997年から2011年の間に卒業した42人のうち、就職した23人を追跡調査したところ、卒業後に就職した先で継続して働いている人は13人で56%の定着率。残りの10人は離職していたが全員が再就職していたという。
「学ぶ期間が伸びることで再起する力が育っている。18歳で就職したら働くことの意味すらわからない。働くためには職業能力とか経験とかも必要だが、知的障害者で仕事に挫折する人は、人との関わりや社会性で挫折する人が多い。カレッジでは一般教養、社会常識を学ぶ機会を大切にしている。それがすごく必要で、就職するために就職のことだけを学ぶのではなく、もっと人として大切なことがベースにないと。そこがカレッジの意味かな」
そう、
それに気づかずに、あるいは意図的に無視してなんでもかんでも「効率」とか「即戦力」なんて言葉で図るのは暴力的だとすら言えると思う。それに昨日

のなかでも書いたとおり、それは社会そのものにとってももったいないことなんだ。だってそれは、引き出せる可能性を殺してるってことなんだから。
でもあくまでも、自分の喜びを追求していい
でもこれを全部踏まえたうえで、もうひとつだけ言いたいことがある。それは、
“知的障害者も教育を受けることで成長し、社会に十分貢献できる”。 3人から投げかけられるメッセージをひも解きたい。「障害者はいなくなればいい」障害者施設に押入り、入所者を殺傷した男はそう話していたと言われているが、3人のひたむきな姿はその主張がいかに間違っているかを教えてくれる。
っていう部分についてだ。もちろんこれを全面的に否定するつもりはない。教育を受けることも、その結果成長することも、社会に貢献できるっていうのも素晴らしいことだ。でもそれと同じくらい強調しておきたいのは、
教育を受けることも、成長することも、「社会に貢献するため(だけ)」に意味を持つものじゃない
ってことだ。なんでもかんでも
こうすれば社会に貢献できますよ!だから価値があるんですよ!
っていう論理で説得するっていうのは、裏を返せば
どうしても社会に貢献できないひとには、価値があるとは言えないですよね……
っていう思想を生む可能性があるし、その思想に反論する力を持たなくなる可能性がある。そしてなにより、
っていうことも忘れちゃいけないと思う。

だから、これだけじゃまだ足りないと僕は思う。だから僕ならこう言う。
社会に貢献できるとかできないとか、そんなことは二の次で、誰もが教育を受けたっていいじゃないですか?そうやって自分が生きてることを、他者が生きてることを喜べることこそが、なによりの「成長」じゃないですか!
ってね。
でもこういうことを考えたうえでも、僕はこのカレッジ福岡の取り組みに強く期待している。ここにも
カレッジ福岡が2012年に発足して4年。保護者からのニーズは根強く、同様の施設は少しずつ増えている。鞍手ゆたか福祉会はカレッジ福岡設立後、「カレッジながさき」(長崎県大村市)「カレッジ早稲田」(東京都新宿区)など今では5つのカレッジを展開。約120人の学生が在籍している。その他、滋賀県大津市には社会福祉法人共生シンフォニーが「くれおカレッジ」を設立。大阪で障害者雇用に力を入れている株式会社「きると」が大阪市と兵庫県伊丹市に「スクールきると」を開設している。
って書いてあるけど、これからこの活動がどんなふうに拡がっていくのか、それがとても楽しみだ。
この文章がカレッジ福岡の関係者さんにも読んでいただけたようです。僕はいつも好き勝手に書いているだけですがとても嬉しいです。ありがとうございます。
THE PAGEに掲載されたカレッジ福岡のネットニュースを読んで、『四つ這いおとな』というブログの管理者さんが、カレッジ福岡の取り組みについて大変興味深い内容を投稿されています。
【お知らせ】カレッジ福岡に関するブログ記事のご紹介 : 福祉型大学「カレッジ」で過ごす日々東京の友人で司法書士の村田先生という方がおられます。今年5月、先生がカレッジ福岡を訪問され、その様子をご自身のブログにアップして下さいました。ご覧下さい。ブログタイトル~『千代田区神田大手町の司法書士が役に立つ話から笑い話まで☆』記事タイトル~No.20「知的

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