なにもしないで横になっていたら、意識は病院のベッドの上に戻っていた

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病院のベッド

昨日、自分が既に経験している、そしてこれから経験することにもなるだろう「二次障碍」についていろいろな情報を集めながら改めて向き合ってみた。

脳性麻痺の「二次障碍」に、改めて真剣に向き合ってみる
二次障碍っていう概念がある。これは主に医学的な意味合いで遣われることが多い言葉なんだけど、僕の今の理解でざっくり言うと、ある障碍をずっと...

からだは、大切にするに越したことはない

その結果僕が強く感じたのは、

やっぱりからだは、大切にするに越したことはない

っていうことだ。脳性麻痺という状態のなかで、本来の動作ができないということは、どうしたってからだに負担を強いることになる。そしてそれは確実に、蓄積されていく。そしてたとえ手術をしてみたところで、それは根本的な解決にはならない。それはただ、問題をほんの少し先延ばしするだけだ。

でもだからと言って、なにもしないでただ事態が深刻化するのを眺めているわけにもいかない。だけど一方で、

全身に障害のある人の場合は、週1回程度、定期的にリハビリテーションを受けることが有効だと思われる。

なんて言われても、それはなかなか難しい。病院は予約がいっぱいで、そうそう頻繁に通院するのは難しい。それはたとえ1割負担と言っても積み重なっていく金銭的負担から見てもそうだし、体力的負担から見てもそうだ。じゃあもっと日常的なこととして書かれている、

日常生活において、少なくとも2時間ごとに体位変換を行うことが理想である。しかし現実的に、介助者不足等の問題で体位変換がままならない場合は、せめて寝る姿勢において、体の向きを普段とは逆にする等の工夫が必要である。

脳性マヒ者等にとっては、普段の作業姿勢も重要である。車いすでの姿勢の問題としては、なるべく背骨に体重をかけるのではなく、背中を真っすぐに伸ばして、骨盤の両側にしっかりと体重を乗せるよう自らが気を付けることが必要である。

っていうのならできるかって言われると、これもなかなか難しい。実際、からだの動きや重心の位置を制御できないのが、僕の状態なわけだから。ただもちろん、寝るときに腰にタオルを巻いてみたり、車いすにいろいろな固定具やクッション材を付けて、少しでもからだへの負担を軽減することは、これからも続けたいと思う。

こうやって結局、「自分でできる範囲で自分のからだをいたわる」ってことを追求していくと、それは僕の場合、「横になる」ということに行き当たる。それはここでも、

障害のある人は、無理な努力を強いられてきた歴史の影響と姿勢を変える大変さから集中して頑張ってしまう場合が多いが、無理は絶対に禁物である。

って書いてあるとおりだ。だから僕も、いちど静かに、横になってみようと思ったんだ。

ずっと横になっていると、いつの間にか病院にいるような感覚に囚われた

それずっと仰向けで横になっていると、僕の意識はいつの間にか、自分でも想像していなかったような変化を起こした。それはまるで自分が今いる場所が、入院中の病院かのような感覚だった。柵の付いたベッドのなかで、天井に付いた報知器を眺めながらなにもすることができなかった期間。腰から足にかけてギブスをはめられて、3週間くらいシャワーも浴びられなかったときの、ベッドにいるような感覚。その感覚や想い出が、まどろみのなかの自分の意識のなかに、強く入り込んできたんだ。

それで僕は怖くなって、またからだを起こして、パソコンに向かってしまった。とはいえ3時間くらいは、休めたんだけどね。

今はまだできることがあるんだから、それを続けたい

そのとき僕が感じたことは、

そのときが来たらなにかしたくてもできなくなるんだから、なにかできるうちはできることをしたい

っていう想いだった。これはもしかしたら、ある種の強迫観念と言えないこともないだろうし、

自分にできることを見つけなさい!

とか、

お前ら障碍者にできることなんてなにもないんだ!

なんて言われてきたことの反動なのかもしれない。それに、二次障碍のことをずっと見つめすぎて思った以上に心が弱ったのかもしれないし、もっと単純に暑さにやられてるのかもしれない。

でもひとつだけ確かなことは、

今できることは、いつまでもできることじゃない

ってことだ。だったら、今のうちにできることでやりたいことは、今やっておくしかないんだ。それにもしまた入院するようなことになったら、こんなふうに自由にネットに想いを書き綴って記録するなんてことはできない。それにもしそれを「ボールペンとノート」に記録するってことになったら、それはキーボードを打つよりもはるかに時間のかかる作業だ。だったら今できることは、今できるうちにしておかなきゃいけないんだ。それは誰よりも、自分自身のためだ。

それに10年後の僕と比べたら、今の僕のほうが元気だ

それにどうしたっていずれは二次障碍が強くなっていくのが避けられないということを真摯に受け止めて考えるなら、簡単に言えば

10年後の僕と比べたら、今の僕のほうが元気だ

という事実がわかってくる。それにこれは実際、「今の僕よりも、10年前の僕のほうが元気だった」という事実からも明らかなことだ。じゃあ20年前と今を比べたら、それは今のほうが元気かもしれない。それに生まれた直後死の淵をさまよっていたときから見れば、今は比べものにならないくらい元気だ。それは、あの頃から見て僕が「多くの機能を獲得する、右肩上がりの状況にあったから」だ。

でもこれからはそうじゃない。おそらく今振り返って僕の肉体機能的な頂点というのは、最初の手術を経験した小学校低学年の頃だ。あのときは身長と筋肉のバランス、それに手術によってほぼ強制的に筋肉が緩められたこととか様々な要因が重なって、僕のなかでは最高にからだの動きがよかった。ある程度の距離を杖で歩くこともできたし、関節の凝りもずっと少なかった。だけどそこから緩やかに、僕の身体機能は下降していっている。もちろん、そのなかでもたまの浮き上がりはあると思うし、今だってそれを感じるときはある。でも長期的には、僕の身体機能は「少しずつ減衰していく」方向にあると言って間違いない。

だからこれは、

今がどんな状態であろうと、少なくとも未来よりはよく動くからだが、今ここにある

っていうことなんだ。だから僕はこの今の状態を、最大限活用したいと思う。そして僕は前に

夢のなかに安らぎがないなら、現実のなかで夢を追うしかないでしょ?
あなたは毎晩どんな夢を見ているだろう?こういう話をするとよく、昨日は見なかったなぁ〜とか私、夢とかあんまり見ないんだよね〜 ...

っていう文章も書いたけど、別に寝ていて気が休まるっていうこともない。だったら今はともかく、行けるところまで行ってみようと思うんだ。それにこれは、さっきの文章のなかに、

私は、二次障害になることを怖がるあまり、萎縮して何もできなくなってしまうとしたら、それはあまりに悲しいことだと思うのである。確かに、体を動かすと二次障害を招くかもしれない。けれども、自分が主体的に医療と向き合っていれば、怖いものは何もないはずである。もしも、二次障害になったとしたら、適切な治療を受ければいいのであるから、その後の人生を失うことはないのである。私は、二次障害におびえるよりも自分の人生を生きるために、自分を活かせることや好きなことを見つけることが重要だと思う。それは、どんなことでもよいのである。社会運動や政治活動でも、スポーツや娯楽でも何でもよい。社会や他人にどう評価されるかではなく、本当に自分が好きでたまらないことを見つけられたらいいなと思う。

って書いてあるのにも沿った考えかただと思う。

ただし精神力に関しては、昔より今のほうが上だと思う

ただこうやって、「どんどんからだが弱っていく」ということに想いを向けてそれを受け止めるのはある意味ではすごく気が滅入る(哀しくなる)こととも言えるかもしれない。でもたとえこういう事実を受け止めたとしても、まだもうひとつ大切なことがある。それは、

確かに身体機能では10年前の僕のほうが上だけど、精神力に関しては、今のほうが上だ

ってことだ。それは、

自分がどうしようもなく落ち込んで、未来がないかのように思っていたときからでも、僕は生き延びてこられたから、今がある

ってことを確認できるからだ。これがなにより、僕の財産なんだ。そしてこれは、これから先もますます積み上がっていく一方だ。

人生っていうゲームは一筋縄じゃいかないけど、それでも唯一、積み重なっていくものがある
前にっていうのも書いたことがあるけど、僕はちいさな頃から、いろんなゲームをして遊ぶのが好きだった。当時は今みたいな「オンラインゲーム...

だからきっと、僕はこれからも最期まで、なんとかかんとか生き抜けると信じている。

それから、僕は小学生の頃、手術にまつわる1年近い入院生活を乗り切るために、ある遊びを考え出していた。それは、

紙芝居を創る

ことだった。僕は絵が描けなかったから、物語を創っては友達に挿絵を書いてもらって、それを同じ病院のこどもたちの前で発表して、一緒に楽しんでいた。だから結局、この「なにかを伝える」っていうのは、僕が生き延びるためにずっと昔から選んでいた手法なんだと気付いた。それは確かに、今の『四つ這いおとな』にもつながっていると思う。そしてあのときのベッドから出てからの物語は、今もまだずっと、続いているんだ。僕は次にまたベッドに入るまで、その物語をたくさん、心に刻んでおこうと思う。

コメント

  1. さなぎ より:

    自分のからだとこころは

    かけがえのないもの

    大事にします。

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