僕に対して「障碍者差別」を気にしなくていい。その代わり僕も「健常者差別」をしてる可能性はあるけど、ともかく率直に話し合ってみようよ

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ちいさな世界での話し合い

現代の日本みたいな社会では、一応表向きでは

差別はしちゃいけないよ!

ってことになってる。これを「区別」とどう分けるかっていう問題はあるけど、とりあえず今の僕のなかでは、

違いを認めて「違うもの」として捉えるのが「区別」で、その差によって「優劣をつける」と「差別」になる

と捉えてる。

で、今の日本も含めた「洗練された社会」では、そんなふうにひととひととの間で優劣をつけるなんてことはしちゃいけないっていうのが大前提として共通認識になってると思う。そりゃそうだ。だって僕たちは「同じ人間として対等」なんだから。

でもさ、こんな「建前」のウラに、ドロドロとした差別感情が潜んでるわけでしょ?

だけど、こんな「人権」とか、「どんなひとも同じ人間として対等」なんて言うのは、所詮はここ何百年かの間で「発見された事実」で、最初からみんながそう思っていたわけじゃないのは明らかだ。

つまりこんなのは結局、「建前」なんだ。

もちろん、いろんなひとと交流を持たせたり、教育によって自分も他者も慈しむ心を育んだりすることで、その建前を自然に身につけさせることはできるだろう。でもその理想だけで話は進まない。だからこそ実際には、「差別をするとなんらかの不利益が生まれる」ようにしたり、「法律とか刑罰で縛りをかける」ようにしたらいい。この両面からの作戦によって、建前がうまく機能するようになれば、僕たちの人間関係はだいぶ円滑に進むようになるだろう。

でもこれだって、根本的には解決してはいないんだ。今最初に言ったような「理想」どおりにひとの心が育つならいいとしても、そうじゃない「不利益によって縛る」っていうのは結局は「抑え込み」でしかないから、気持ちそのものが失くなったわけでも変化したわけでもない。むしろ、

無理やり抑え込まれて蓋をされたぶん、内部では腐敗が進んでドロドロとした気持ちの悪いものができあがっていくかもしれない。

ただそれは長い時間を経て自分自身すら気付くことのできないくらいの深い闇のなかに潜るかもしれない。でもそれは爆弾みたいなもので、ふとした拍子に炸裂する危険を秘めた、恐ろしいものだ。

「障害者差別解消法」なんかで差別が解消するはずはない

それでも今の社会は法律によって僕たちをうまく制御しながら差別をなくそうとしていると考えてもいいだろう。今年の4月から施行された「障害者差別解消法」にしたってその一環だと言える。でも、いくらそんな法律を整備したところで、ひとの心の内部までは変えられない。だから、

「障害者差別解消法」なんかで差別が解消するはずはない。

そんなことは、「障害者なんていなくなればいい」といって事件を起こしたひとがいるのを見ても明らかだ。

今日、7月26日、とても哀しい事件が起きてしまった。正直これと向き合うのは簡単じゃないし、あまりにも複雑な感情を刺激されてしまうんだけど、こ...

だからやっぱり、こんな方法で差別を解消できるなんてのはあり得ない話なんだ。

だからさ、もうこの際とことん、話し合ってみようよ

だからさ、

もうこの際本気で問題を解決しようと思うなら、お互いの肚の底にあるものも全部含めて、とことん話し合うしかないんじゃないかと思う

んだよね。あ、でも今はいろいろがんじがらめだし、建前上「差別解消法」なんかができちゃったし、いろいろ怖いかもしれないね。だからさ、ここではっきり言っとくよ。

僕に対する「障碍者差別」は、一切気にしないでいいよ

ってこと。僕は、腫れ物扱いされたいわけでもないし、「モンスター障碍者」になるつもりもないから。

今年2016年4月に、「障害者差別解消法」が施行された。でもそのことを知っているひとはまだまだ少ないようだ。だからこないだの『バリバラ〜Ba...

だから言いたいことは、なんでも言ってみてほしい。だけどさ、ただおもしろ半分に悪ふざけするのはなしね?

なんでも言っていいんだろ?バ〜カバ〜カ、ガイジガイジ!

みたいなのはね。ただほんとに思ってることなんだったら、率直に言ってみてほしいんだ。

その代わりこっちの「健常者差別」も大目に見てよね?

その代わり、こっちからもお願いがある。もし僕の考えや発言が「健常者差別」だと感じても、大目に見てほしいんだ。そりゃあこっちだって、わざと差別をするつもりはないよ?

でもあなたたちが、

正直、「障碍者なんていなくなればいい」って思っちゃうときもあるよね〜

って言うのと同じように、僕だって、

正直、「動けるからだがあるんだから、ちょっとくらい助けてくれたっていいのに」って思っちゃうときもあるよね〜

っていうことなんだよ。もちろん、僕のほうだってわかってるよ。みんなそれぞれ少ない時間をやりくりしてるなか、「僕を助ける」っていう予定にない行動をする余裕がなくてもしかたがないってことはさ。でもこう思ってしまう瞬間は、僕にだってある。見かたによってはこれは「健常者差別」って捉えられるかもしれないけど、これは大目に見てほしいんだ。

ただこれは、

僕がなにを言っても我慢してほしいってことじゃなくて、反射的に「差別だ!」って言って対話を終わらせないでほしい

ってことだ。あくまでも僕の願いは、あなたと話し合うことだから。

お互い言いたいことは言い合おう。ただし、暴力だけはなしね

だからお互い、言いたいことは言い合おう。それに僕だってただむやみに反論したいわけじゃないから、自分の認識不足は改めるし、賛成できるところもどんどん見つけたいと思う。だけど、あなたがどれだけ本気で信じていたとしても、僕に言いたいことがあったらそれはちゃんと言う。だからあなたも、僕がどれだけ本気で言っていることに対してでも、言いたいことがあったら、ちゃんと言い返してきてほしい。僕もちゃんと、考えるから。

でも本来こんなことは当たり前のことだと思う。

なのにそれをヘンに抑え込もうとするから、「タブー扱い」にしようとするから、その行き場を失った想いが鬱屈して、爆発して、暴力になっちゃうんだよ。

もちろん、言葉だってお互いを傷つけることはある。でもさ、なんて言っても結局はネット上のやり取りだし、僕もあなたも基本匿名じゃん?だから僕だって必要以上に気にしないようにするし、自分のほうも最低限言葉は選ぶからさ、だからちゃんと、話し合えたらいいなぁって思ってる。

といっても、そんなすぐ話し合いに応じてくれるひとが現れるとは思わないけどさ、今言っておきたかったのは、

僕はそういう気持ちで、これまでもこれからもずっとここにいる

ってことだ。それが僕とあなたがほんとの意味で「対等」になれることを願う僕ができることだと思ったんだ。それに僕だって伊達にこのからだで長年生きてきたわけじゃないからさ、いろいろ話し合えることはあると思うんだよね。

なにかの道を究めたかったら、どうしたらいいんだろう?いろんな答えはあるだろうけど、ざっくり言えば「経験を積む」ってことが必要だとは言えると思...

まぁそんなこんなでいろいろ言ったけど、僕はあなたに会えたことを嬉しく思っています。だからよかったらこれからも、気軽に遊びに来て、遠慮なく絡んでください。よろしくお願いします。

コメント

  1. 天の川の前には天邪鬼 より:

    初めまして。

    私の中の胸のつっかえにあたる様なブログでいてもたっても居られずにコメントしようと、思いました、が。。

    私自身現状実生活での心身共の疲労、180度目線を変えれば身近にその様な対象として見なければならない存在がいたりで板挟みで、全ての投稿を拝見出来ていないが故に、上手く纏められないので、暫くはご了承頂ければ、と思います。

    ただ今言えるのは、間違いなく私に続く子孫を残す事を認めないと思う気持ちが芽生えたのは、この世の中で生まれ育ち感じた私の素直な気持ちなんだ、と言う確証と

    その代償としてどんな仕打ちを受けたとしても、自らの命が絶えるまではいくらでも自身が足掻こうとて否が応でも受け止めざるを得ない仕方の無い事の痛感。

    上手く言葉で表現出来ているかはわかりませんが…。

    私のエゴの様に聞こえても構いません。

    可能であった自らの子孫をこの世には産み落とさない想い=私の出来る子孫への愛はそれほどにまで強い信念がある=ある意味私は無敵だと思っています。

    コメントはこちらのタイミングで返していきますのでご了承下さい。

    この文を投稿するにあたっては私自身かなりの勇気と気力、そして覚悟があったので。

    • 天の川の前には天邪鬼さん、こんにちは。

      わかりました。僕も確かにコメントは読みましたが、あなたのコメントがまとまるまで、ゆっくり待っています。

      そのときもし公開のコメントで伝えるのがつらければ、メールで伝えていただいてもかまいませんし、いずれにしても僕はずっと待っていますし、届いてさえいれば必ず返信します。

      いろいろなことはありますが、からだと心をご自愛くださいね。

  2. ニベア より:

    はじめまして。
    私生活や仕事の中で、障害のある方やその周囲の方との関わりが増えてきて、いろいろともやもや感じることが多くて・・・そんな中でこちらのサイトにたどり着きました。こんなにしっかり、はっきりとした思いを伝えることのできる方とは今までお会いしたことがなく、とても興味深く読ませていただきました。もしかして自分は、障害者と呼ばれる人達のことが嫌いかもしれないと思い始めた矢先だったので、とても嬉しく思いました。そして気づいたことがあります。自分はきっと、障害のある方のことは嫌いじゃない。その周りにいる人が嫌いなんだと。障害のある子の親。障害のある方を、「配慮」という言葉を盾に過保護にする人達。今は経済が低迷してるから、余計にそう感じたのかもしれません。うちの子の小学校にはエアコンがありません。国道沿いにあってうるさいので、夏でも窓があけられません。築100年近い校舎です。少し離れた所にある支援学校は、全室エアコン完備。屋内プールもあって、学校がお休みの時でも一年中自由に使って良いそうです。またうちの子の学校は生徒が少ないので、3クラスしかありませんが、体の不自由なお子さんがいて、うちの子は3年間同じクラス。その子が階段を登れないので、うちの子もずっと1階の教室のまま。教室が変わると不安になるらしく、教室の場所さえも同じまま。他の学年の子は、2年生になれば2階の教室、3年生は3階の教室。新しい学年になって新しい教室で、上級生になったんだ~という気持ちを感じることもなく、うちの子はずっと同じ教室。親としてはとても悲しく思います。学校の先生は、優しい心が育つから・・・みたいなことを言われていますが、子供達だって不満タラタラ。「なんでこの子のせいで、俺たちだけ我慢しなくちゃいけないんだ」と思わせてしまった学校は、配慮の仕方を間違えてしまったんですね。他にもいろいろありますが、よく考えてみると自分は直接、障害のある本人と話をしたわけじゃないもんな~、と思いはじめました。長くなるので全部は書ききれないですが、ひとまとめに「嫌い」って思うのはやめます。一人ひとりちゃんと向き合ってみて、それでも嫌い!って思う人はいるかもしれないけど。そう思えたことが、有難かったです。
    また、来させていただきます。

    • ニベアさん、こんにちは。

      「助け合い」ということはとても大切で、そのうえとても素晴らしいことだと思っているのですが、それでも本人のなかで

      「助けることのほうがずっと多い」

      と感じているようなひとの場合は、それが

      「相手のために自分の時間や労力やお金を消費してしまう、我慢」

      のように感じられてしまったりすることもあると思います。

      しかもそれを僕のように

      「助けられることがずっと多い」

      立場のひとが言うと、それが

      「自分の利益を護るための、ポジショントーク」

      という色合いが加えられてしまって、なかなか話が進みにくいという側面もあるのだろうと思います。

      ですからこういった話はすべてあまりにも繊細かつ複雑で、簡単に答えが出せたり改善できたりするようなものではないとも思いますが、これからも僕は僕なりに考えていこうと思いますので、あなたともいろいろと話し合いながら、想いをわかち合っていけたらと思っています。

      どうぞよろしくお願いします。

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