「障害者なんていなくなればいい」と本気で思っているひとが起こした事件を、この社会はどう受け止めるんだろう?

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夕暮れの廃墟

今日、7月26日、とても哀しい事件が起きてしまった。正直これと向き合うのは簡単じゃないし、あまりにも複雑な感情を刺激されてしまうんだけど、ここから眼を背けたら僕がこの『四つ這いおとな』を作った意味がない。だから、精いっぱい向き合ってみようと思う。

障碍者施設の職員が「障害者なんていなくなればいい」と思って起こした事件

まず、僕が最初に見たニュースはこれだ。

相模原市緑区の障害者施設「県立津久井やまゆり園」で刃物を持った男が暴れ、多数の死傷者が出た事件で、神奈川県警に身柄を確保された男が調べに対し、「障害者なんていなくなればいい」という趣旨の供述をしていることが捜査関係者への取材でわかった。

捜査関係者によると、男は20代で、この施設の元職員。26日午前3時過ぎ、「自分がやりました」と警察に出頭してきたという。

 相模原市緑区の障害者施設「県立津久井やまゆり園」で刃物を持った男が暴れ、多数の死傷者が出た事件で、神奈川県警に身柄を確保された男が調べに対し、「障害者なんていなくなればいい」という趣旨の供述をしてい…

この事件のことは、まだまだ断片的な情報をつなぎ合わせることしかできない。でも現時点で僕が感じるのは、この犯人のある種の「信念」だ。まず彼は、もともとはとても好青年で、周囲のひとにも優しかったらしい。

施設の近所に住む女性(23)は、学年は異なるが容疑者と同じ小中学校に通った。BuzzFeed Newsの取材に「人に優しくて、誰にでも親切だった」と話した。

最後に見かけたのは5年ほど前。施設の近くで、入所する年配男性に話しかけながら、手をつないで歩いていた。「昔と変わらずいい人だと思った」

26日朝、ニュースで先輩が容疑者だと知ったという。「違う人が犯人だと思いたい。殺人なんかする人じゃない」

それに最初は、

「まだ働き始めたばかりのころですね。仕事に関してはきついとか言わず、むしろ『楽だ』と言ってました」。仕事の愚痴は聞かなかったという。

っていう感じだったのに、仕事を続けるなかでなにかが変わったんだろう。そして彼の周りでも、

しかし、「津久井やまゆり園」を辞めた後に変化があった。

「おとなしい子だったんですけど、辞めた後は髪を染めたり雰囲気が変わった。長く付き合わないとわからないと思うが言動も少し変わったと友達の間で話題になっていた」

っていうことが起きていた。そして、今回の事件を起こす前から、彼は障碍者に対して(だけ)は攻撃的な素振りを見せていたことが報道で示唆されている。

近くに住む元やまゆり園職員の女性(74)は「人付き合いもいいし、あいさつもする。こんな大それたことをする人ではない」と話す一方、「施設で暴力を振るうなど問題を起こしている『要注意人物だ』と聞いたことがあったので、もしやと思った」と語った。

そしてそのひとつの極致とも言えるのが、ここに書かれている彼の行動だ。

また、植松容疑者が今年2月14日、「障害者を安楽死させられる法案を出せ」などと書かれた手紙を持って、衆議院議長公邸を訪れていたことも警視庁への取材でわかりました。その日は受け取ってもらえず、関係者によりますと、植松容疑者が公邸前で座り込みをするなどしたうえ、次の日も再び公邸を訪れ、手紙を渡したということです。

 26日未明、神奈川県相模原市の障害者福祉施設で、元職員の26歳の男が刃物で入所者を刺し、19人が死亡、26人が重軽傷となっています。逮捕された男は、「障害者を恨んでいた」と話しているということです。  午前2時50分ごろ、「刃物を持った男が暴れている」と、相模原市緑区の障害者福祉施設「津久井やまゆり園」から通報があり...

こういうことをすべて踏まえて考えると、

彼は誰にでも暴力的だったわけではないけど、障碍者に対しては強い敵意と恨みを持っていた。そしてそれは、「突発的」なものじゃなく、確固たる「信念」に基づいて行われた可能性がある

ってことだ。僕はこれが、とても哀しく、そして恐ろしいと思う。

なにが彼の「歪んだ信念」を作りあげたのか?

じゃあ、彼はどうしてそんな想いを持つようになったんだろう?そのひとつの推測として、すでにメディアでも言われていることがある。それは、この事件が起きた津久井やまゆり園が、「強度行動障碍」を持つひとたちも含めた、いわゆる「重度知的障碍者」のための施設だったってことだ。

じゃあこの「強度行動障碍」っていうのはなにかって言うと、こういうふうに説明されている。

強度行動障害とは、自分の体を叩いたり食べられないものを口に入れる、危険につながる飛び出しなど本人の健康を損ねる行動、他人を叩いたり物を壊す、大泣きが何時間も続くなど周囲の人のくらしに影響を及ぼす行動が、著しく高い頻度で起こるため、特別に配慮された支援が必要になっている状態のことを言います。

だから、こういうひとたちと向き合って支援を続けるってことは、決してラクなこととは言えない。実際、相手から叩かれたり、もっと強く殴られたりするようなことだってあったかもしれない。でも、それでもこのひとたちを恨んだり、暴力で報復したりしていいっていうことにはならないんだ。だってそれは、ほんとの意味での彼らの「選択」ではないんだから。

もし僕が誰かを殴ったり、罵倒したり、ものを投げて攻撃したりしたら、僕が非難されるのは当たり前だ。場合によっては刑罰も受けるだろうし、個人的に嫌われたり恨まれたりしてもしかたがないかもしれない。それは僕が「選んだ」行動なんだから。でもこの「強度行動障碍」と呼ばれるような状態にあるひとたちはそうじゃないんだ。でも、今回事件を起こした彼は、そう思えなかったのかもしれない。そしてそれを、相手個人の、あるいは「障碍者」そのものへの強い恨みに変えてしまったのかもしれない。

本来、こういったことは時間をかけて理解していく必要があることでもある。今挙げたページにも、

適切で専門的な支援を行う必要があり、医療を含めた強度行動障害に関する総合的な支援体制を構築するとともに、障害者福祉施設等の従事者が、専門的な知識や技術を身に付け、本人の生活の質を向上させることが求められています。

って書いてあるとおりだ。だけど実際には、こういう現場は離職率も高くて、そうした専門的な技術や理解が育つ前にやめてしまうことも多い。それに今回の犯人のように数年に亘って勤務していたとしても、毎日の仕事に忙殺されて、深い理解なんてしている余裕は、物理的精神的にもないかもしれない。

そのひとつの具体的な表れとして、津久井やまゆり園が出していた実際の「求人情報」を見てみてほしい。

どんなに仕事が大変でも、それがやりがいや給料、それに職場全体の雰囲気とかと釣り合っていると感じられていれば、その不満はそんなに大きくはならないで済むだろう。でも、この仕事は、

1時間あたり905円で夜勤専門生活支援を行う

っていうものだ。そしてこれはちょうど、現在の神奈川県の最低賃金だ。

ここに書いているのは、事実を基にした僕なりの憶測と想像に過ぎない。でもこうして、彼はだんだん、ストレスとやり場のない怒りに潰されていったのかもしれない。そして彼は、歪んだ信念をその身に宿すようになったのかもしれない。

彼は単なる「異常者」ではない

もちろん、どんな理由があったって彼のやったことは取り返しのつかない凶行だ。だけど彼は、決して単なる「異常者」ではないと思う。ただ、彼はこれからおそらく精神鑑定を受けることになるだろう。今年2月に「措置入院」を受けていたならなおさらだ。

相模原市によりますと、植松容疑者はことし2月18日、勤務中に「津久井やまゆり園」の職員に対して「重度の障害者は生きていてもしかたない。安楽死させたほうがいい」などと話したことから、施設は、障害者を殺す意向があると判断し、19日に警察に通報しました。

警察は、植松容疑者が2月14日に衆議院議長の公邸で手紙を渡そうとしていたことなどを踏まえ、「他人を傷つけるおそれがある」と判断し、市に連絡しました。これを受けて市は、指定された医師1人が入院の必要があると診断したため、緊急の措置入院の対応をとったということです。

相模原市によりますと植松容疑者が衆議院議長の公邸で「障害者を抹殺する」などと書かれた手紙を渡そうとしたことなどを受け、ことし2月19日に警察…

でも、これは彼の歪んだ信念とそれに基づく計画に沿ったものだと思う。それはさっきも少し触れた、彼が衆議院議長宛てに書いた手紙のなかに書かれているからだ。これはFNNが独自取材で入手したとされる情報からのものだけど、このサイトにもまとめられている。

手紙はすごく長いし、すべてが公開されているわけじゃないけど、画像からここにも一部孫引きする。それと、別の放送局がテレビで公開していた情報から、塗りつぶし部分を埋めた箇所がある。

衆議院議長 大島理森様

この手紙をとって頂き本当にありがとうございます。

私は障害者総勢470名を抹殺することができます。

常軌を逸する発言であることは重々理解しております。

しかし、保護者の疲れきった表情、施設で働いている職員の生気の欠けた瞳、

日本国と世界の為と思い、居ても立っても居られずに本日行動に移した次第であります。

(中略)

重複障害者に対する命のあり方は未だに答えが見つかっていない所だと考えました。

障害者は不幸を作ることしかできません。

フリーメーソンからなるイルミナティが作られたイルミナティカードを勉強させて頂きました。

戦争で未来のある人間が殺されることはとても悲しく、多くの悲しみを生みますが、障害者を殺すことは不幸を最大まで抑えることができます。

また、精神障碍による「心神喪失」を狙うことも、彼ははっきりとここに書いてある。

作戦内容

職員の少ない夜勤に実行致します。

重複障害者が多く在籍する2つの園(津久井やまゆり、※塗りつぶし)を標的とします。

職員は絶体に傷つけず、速やかに作戦を実行します。

2つの園260名を抹殺した後は自首します。

作戦を実行するに、私からはいくつかのご要望がございます。

逮捕後の監禁は最長で2年までとし、その後は自由な人生を送らせてください。心神喪失による無罪。

新しい名前(伊黒崇)本籍、運転免許証等の生活に必要な書類。

美容整形による一般社会への擬態。

金銭的支援5億円。

これらを確約して頂ければと考えております。

ご決断頂ければすぐにでも作戦を実行致します。

日本国と世界平和のために、何卒よろしくお願い致します。

そしてとても重要なことは、

手紙の末尾に彼は自分の本名、電話番号、それに住所まで明記していた

ってことだ。これが、彼の信念だ。

だから彼は本気で、これが世界のためになるいいことだと信じていたのかもしれない。だとしたら、これはとても怖いことだ。そしてあまりにも、哀しいことだ。

この点について、僕と同じような捉えかたをしているこんな文章もありました。

最首さんは植松容疑者が精神異常者でも快楽殺人者でもなく、「正気」だったと考えている。「今の社会にとって、『正しいことをした』と思っているはずです」。植松容疑者は介護を続けてきた遺族に向けて謝罪する一方で、被害者に対する言葉はない。

 「起こるべくして起こってしまった」。横浜市旭区で暮らす和光大学名誉教授の最首(さいしゅ)悟さん(79)は、相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で起きた殺傷事件を知った時、そう感じたという。ダウン…

また、事件から1年が経過してもなお、彼の「信念」が変わっていないことは、こういったものからも明らかにわかると思います。

これはもう、「信念(思想)の問題」だ

そして別にこれは今回の事件だけに限ったことじゃない。アメリカでも去年の12月に、障碍者施設での銃乱射事件(サンバーナーディーノ銃乱射事件)が起きた。それにこないだも、鳥取県の障碍者施設で長年行われてきた待遇が「障碍者への虐待にあたる」として問題になったばかりだ。

あまりにも哀しいニュースを見てしまった。鳥取県は15日、鳥取市の障害者支援施設「県立鹿野かちみ園」が、知的障害などのある女性入所者3...

だからこんなできごとは、もう

「個別の点」として捉える問題じゃない、「社会全体の思想(信念)の問題」になってきているんだ

と思う。そしてこれは、「障碍者の排除」っていう意味では、出生前診断とか、多くの問題とも関連しているんだと思う。

僕は前から出生前診断に強い関心を持っていて、ここでもそれに関する文章を書いてきた。でも、こうやって日が経てば経つほど、僕が悪い意...

だとしたら、僕はやっぱり、社会の思想そのものを見つめて、問いなおして、自分でも考え続けていきたいと思う。そして僕は、今回の犯人が僕とほとんど同年代なことにも、複雑な想いを抱かずにはいられない。

もし、彼が僕と同じ学校のひとだっだら、同じ地域のひとだったら、もし僕と知り合いだったら、友達だったら、なにかが違っていたんだろうか?

答えはわからない。でも、なにかが違っていてほしいと思う。そしてこんなことは、もう起きないでほしいと思う。

だから僕は、ここで自分の想いを伝え続けていく。これは、僕の信念だし、人生を通しての、計画だ。

事件から時間が経ってさらに見えてきたことと僕の想いについて、続けてここに書きました。

神奈川の障碍者施設で起きた事件から時間が経って、いろんなひとがこのできごとに言及するようになってきている。そのなかでも特に代表的なも...
神奈川の障碍者施設、津久井やまゆり園で起きた事件について、ずっと考えている。毎回書く度に、これで、書ききった。区切りをつけら...

コメント

  1. つい数日前に高谷清さんの著作に書かれていた、

    心身に重い障害のある人は、身体障害が重く「ねたきり」の状態であり、知能(精神発達)の障害も重く、自分では何も考えず、何も出来ないようにみえる。ただ人の世話によって存在しているだけのように思える。

    もちろん誰もがもっている「いのち」を生きている。この人たちにあるのは「いのち」だけであると言える。この人たちが大事にされるということは、「いのち」が大事にされるということであり、この人たちが粗末にされるということは、「いのち」が粗末にされるということになる。

    という記述に深く共感したばかりなので、信じられないようなショックな事件でした。

    容疑者の手紙を読んで、どうしてあの段階で彼を自由にしたのかと疑問を持っています。あの刃はどういう弱者に向ってもおかしくないと思いました。そういう恐怖を感じます。

    ただ、施設や介護施設などで働く人たちの待遇がもっともっと優遇されなければおかしいということは常々感じています。そのあたりのことと関係があったかどうかはわかりませんが、やりきれない事件です。

    犠牲になられた方のご冥福をお祈りします。

    犯人(と明記しますが)にとってはもはや自分の命もどうでもよかったのかもしれません。

    • はるうさぎさん、こんにちは。

      ええ、あまりにも哀しく、やりきれない事件です。

      ただここに絡まった糸を少しずつでもほぐしていかなければ、これと同じような事件はまたいくらでも起きてしまうのではないかという想いを拭い去ることはできません。

      社会の流れはいい方向に向かっているとも思えないのですが、諦めて無気力になってしまっては終わりですし、僕も最期まで、自分の想いを伝え続けたいと思います。

  2. ななし より:

    こんにちは、今回のニュースを聞いて確かにそういう考え方もあるなと思いました。

    だからといって今回の行動は支持するとかしないとかの話ではありません。それは別ですから。

    遺族の方には自由な時間ができた事は事実ですし年令も高齢な方もいらっしゃいます。残りの時間は自分の為に使えるでしょう。

    これから人口が減る一方です、健康な人が高齢者や障がいのある方を支えていくことになるでしょう。

    そういう意味でも国としてどのようにするのかを明確にしておかないと第2、第3の似たような事件が起きてしまうとおもいます。

    • ななしさん、こんにちは。

      そういう考えかたというのは、「障害者なんていなくなればいい」っていう考えのことですよね?

      おっしゃるとおり現状とその流れを見る限り、このままでは今より状況が悪化する可能性のほうが高いと僕も思います。だからこそ社会としてどのような対策を打つのか、そして個人としてどんな考えに基づいてどんな行動を選択するのか、それが問われているとも思います。

      僕は言ってしまえば彼とは違うかたちで「障碍者をなくそう」と思っています。それは、

      社会に合わないひとを排除するのではなく、どんなひとでも受け入れられる社会を作る

      という方法です。それができれば、僕のからだはこのままでも、僕は「障碍者」ではなくなります。もちろんそれが簡単なことだとはまったく思っていませんが、もしみんなが本気を出すことができれば、それはきっと実現できると、僕は信じています。

  3. より:

    重度の障碍者は選択できずに行動しているとあるが、選択しようが無かろうが問題をおこすのであればその行動には責任を伴う。誰がやったから許される、では何の為の法律か。

    人に危害を加えるのであればその行動には代償を伴うはずだ。

    障碍者だからと犯罪を犯しても無罪放免というのは或意味で障碍者1人の人権(権利、義務を含む)を無意味にする行為だと思う。

    そういった意味で障碍者が連続的に他者に危害を加えるのであれば罰するべき。

    自制の効かない人は人に非ず

    • ほさん、こんにちは。

      よく「責任」という言葉は「自由」とともに考えられる概念だと思いますが、この自由というのは「選択の自由」だと思っています。

      その意味で選択の自由を持っていないひとに責任を求めるのは無理ではないかと思うんです。

      また、「罰する」というのがどういった行為なのか、そういう問題も関わってくるものと思います。

      そしてそういったことに対して現在の日本が出している答えが「責任能力」なのだと思います。

      ただ、僕も「誰かに危害が与えられている」という事態そのものを放置していいとはまったく思っていません。ではその事態にどう対処するのか?

      薬で沈静化させたらいいのか、それとも拘束しておくしかないのか?

      あるいはストレスを軽減することによって、環境を変えることによってそうした問題行動を抑える道があるのか、だとしたらそれはどういう方法によって実現されるのか?

      これを考えることは、切実に重要なことだと思います。

      そしてもうひとつ、もし自制の利かないひとをひとでないと定義するとすると、僕たちはみんなひとではない状態で生まれて(赤ちゃん)、ひとではない状態になっていく(認知症など)のだということになるでしょう。

      そうした認識のなかで、どういった社会を構想していくのか、それも大きな課題になると思います。

      もちろんこれは簡単に答えの出るものではないでしょうけれど、僕も自分の人生を通して、真摯に考え続けたいと思います。

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