「できないことが多い」としても、なにもできないわけじゃない

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虫眼鏡で拡大された水面

障碍者っていうのは、確かに社会で「健常者」って見なされるひとたちよりはできないことが多い。たとえば僕で言えばからだをうまく動かせなかったり、空間認識がうまくできなくて道を憶えられなかったり、長い間同じ姿勢でいられなかったりする。あとそれを細かく言っていけば、手動の歯ブラシだとうまく磨けなかったり、段差が越えられなかったり、車いすでもひとりで長い距離を行くのは疲れて難しかったりする。だから確かに、僕は一般的なみんなより「できないことが多い」っていうのは事実だ。

でも僕たちは別に、「なにもできない」わけじゃない。ただ社会が求める「生産性」(お金を稼ぐ能力)とかは低いかもしれない。けどそれでもやっぱり、なにもできないわけじゃないんだ。

「ハロー効果」って知ってる?

心理学の用語に「ハロー効果」っていうのがある。これは「後背効果」とか「後光効果」とも呼ばれて、辞書的な説明だと、

ある特定の項目や領域において、際立った評価や功績が、他の評価や功績にも影響する効果をハロー効果と言う。このハロー効果には2つの種類があり、「真のハロー」と「ハローエラー」となる。「真のハロー」とは、際立った評価と他の評価に乖離が無いものを指して言い、「ハローエラー」とは、際立った評価と他の評価に乖離があるものを指す。人事評価時における評価内容の正当性との乖離を表現する際に用いられ、人事評価時に管理者が留意する事項として用いられる。

ブランド用語集 - ハロー効果の用語解説 - ハロー効果とは他のブランドのランドの好ましいイメージが他のブランドにも及ぶことをいう。後光効果。

なんて言われるんだけど、簡単に言っちゃうとこれは「ある部分で優れていると見なされているひとは、その評価が全体に影響して、すべてにおいて優れていると見なされてしまう効果」ってまとめてもいいと思う。だから、有名人がコマーシャルに起用されたり、スポーツ選手が政治家になったりするんだよね。もちろんこういうのの全部が悪いって言ってるわけじゃないし、なにかの道を極めたひとは、その「努力する」っていう資質を活かすことで、他の分野でも力を発揮できるかもしれない。でも大切なことは、このハロー効果は基本的には「認知の歪み」(正しい認識ではない)っていうふうに考えられてるってことなんだ。そりゃあそうだよね。ひとはもっと、複雑な存在なんだから。

そしてそのハロー効果は「後光効果」なんて言われるように、たいていの場合は部分的なプラスの評価が全体の評価を押し上げるときに言われることが多いんだけど、これを「ポジティブ・ハロー効果」と呼んで、その逆を「ネガティブ・ハロー効果」って呼ぶ場合もあるんだ。つまりこれはさっきの逆で、

ある部分で劣っていると見なされているひとは、その評価が全体に影響して、すべてにおいて劣っていると見なされてしまう

ってことだ。そしてこのことは、僕にとってもけっこう身近な問題なんだ。

「仰向けに寝転がってください。いや、ゴロンしよう」

僕が中学生くらいのときだったか、どこかでマッサージを受けることにしたとき、そこの施術師のひとに、

仰向けに寝転がってください。いや、ゴロンしよう

って言われたことがある。今だったら苦笑で済ませられるけど、当時はもっと傷ついた、と同時に衝撃を受けた。言葉では、

仰向けに寝転がってで意味わかりますからだいじょうぶですよ

ってくらいに留めたんだけど、心のなかでは

歩けないってだけで、そんなにこども扱いしなくてもいいのに!

と思っていた。僕は別にこどもが嫌いなわけじゃないし、むしろ大好きなんだけど、ここで言いたいのは

部分的に劣っている(できないことがある)からといって、すべてが劣っている(できない)と思うのは完全な誤解だ

ってことだ。

それにこれは僕だけの体験ではないし、僕のようにからだが自由に動かせないひとだけに言えることでもない。

たとえば

車いすに乗っているだけで、周りのひとから「難しい話はわからない」と思われる

とか、

自分が流暢に話せないってだけなのに、相手も必要以上に大きな声で、ゆっくり話される

なんて話はよくあるんだ。

相手をひとまとめにしないで、じっくり見てみてほしい

もちろん、相手が難聴のひとなら大きな声で話すことは有効だし、専門的な話を相手にわかるように噛み砕くことは必要なことだ。それに、漢字が読めないひとにふりがな付きの資料を用意したり、細かい文字が見えないひとに大きめの文字にした資料を用意したりすることもいい配慮だと思う。でもこれは、

相手の状態をよく見て、そこに合わせた支援をする

っていう話で、それがないってことは結局、

「障碍者」をひと括りにして、「なにもできないひと」として見下す

ってことになってしまう。ただこれは別に、

あなたはもっと僕を理解するべきだ!

っていう一方的な要求をしているわけじゃない。理解っていうのはお互いのものだし、それには時間もかかる。だけど「障碍者」とか「歩けない」「聞こえない」っていうようなことを理解したつもりになっただけで、

このひとはなにもかもできないんだろう

なんて決めつけられるのはあまりにも哀しすぎる。だから、みんなそれぞれ少ない時間をやりくりしてるのはわかってるけど、それでも

「理解する」っていう大切なことには、時間をかけてほしい

って思うんだ。目立つ特徴や社会的なイメージだけで判断するのは簡単だし、時間の節約にもなる。だけどそれはやっぱり、正しい認識じゃない、歪んだ思い込みなんだ。僕のほうだって、

健常者にはどうせわかってもらえないんだ!

なんていう歪んだ思い込みは持たない。だからもっとお互いをよく見て、伝え合って、わかり合いたいと思う。それができたら僕たちはきっと、もっともっといろんなことができるはずだと思うから。

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