「同じこどもでも、貧しい身なりの子は助けない」という実験を見て感じたこと

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Would you stop if you saw this little girl on the street?

ある実験の様子を記録した動画を観た。

同じこどもなのに、貧しい身なりになると、周囲の扱いは大きく変わった

それがこれだ。

この実験は、最初に6歳の女の子を独りで路上に立たせるところから始まる。そうすると心配した道行くひとたちが、

お名前は?

近くに住んでるの?

迷子になっちゃったの?

なんて次々に声をかけてくる。

でもこの女の子の身なりを替えて、貧しそうで、顔も少し汚してみたら、まったく同じことをやっても、周囲の反応はまったく違うものになった。

ちらっと少し眼を向けるひとはいても、すぐに自分の世界に戻ってしまうだけで、誰も声をかけてはくれなかったんだ。

「この子を外に連れ出してくれないか?」

この実験はレストランでも行われた。初めに周りのひとと同じような身なりで行ったときには、知らないテーブルに近付いていっても、笑顔で迎えられたり、お金を渡されたりしていた。

なのに身なりを替えて、少し汚しただけで周りの反応はやっぱり一変した。無視され、追い払われ、バッグを遠ざけられ……。終いには、店員を呼ばれて、

この子を外に連れ出してはくれないか?

なんて言われてしまって、実験は中止になった。女の子があまりにも哀しくなってしまったからだ。

自分に近いひとには優しくできるけど、遠いひとには優しくできない?

これを観て、僕が率直に感じたことは、

自分に近いひとには優しくできるけど、遠いひとには優しくできないってことなのかなぁ?

ってことだ。自分たちと同じような服装で、似たような清潔度合いの子には知らないこどもでも親近感も持てるし、優しくもできる。でもその相手の「見た目」が少し変わっただけで、相手は「自分から遠い、よくわからない、怖いひと」になってしまうのかもしれない。

「助けきれない罪悪感」よりも、「集団のひとり」として無視するほうがラク?

さらにもうちょっと考えると、

相手の置かれた状況が深刻すぎると、助けきれないことが思い浮かんで躊躇してしまう

っていうのもあるかもしれない。こどもがお母さんとはぐれて困っているくらいだったら、一緒に探してあげるとか、交番に連れて行くとか、携帯電話で連絡を取ってあげるくらいのことはそんなに難しいことじゃない。もちろん全員が助けてくれるとは思わないけど、助けてくれるひともいるだろう。

でも、貧しそうな身なりをして、顔に泥がついてるようなこどもだったらどうだろう?その子は親や家族から適切な保護を受けてるとは思えない。虐待を受けてるのかもしれないし、児童養護施設から脱走してきたのかもしれない。そもそも、帰る場所がないのかもしれない。そんな子の苦しみを解決するのは、「はぐれたひとを一緒に探してあげる」くらいの簡単なことじゃない。

たとえばその子がお腹を空かしているとして、コンビニでおにぎりを買ってあげるくらいだったら、僕にだってできるかもしれない。でもそんなものでお腹を満たしたって、半日もすればまたお腹が減るだろう。それにもしその子が、

実は私には家がないんです。部屋の隅にでもいいので、住まわせてもらえませんか?

とか言ってきたら、僕はどうしたらいいだろう?まして、

それに私には2人の弟と妹がいて……

なんてことを言われたら?

もちろん僕だって、最善は尽くそうとするだろう。でもそれは結局、

自分以外の誰かに託す

っていう道でしかない。そしてそれが見つかろうが見つからまいが、僕はどこかで、

僕にできることはここまでだよ。あとは、誰か他のひとに頼んでね……

って言うしかなくなるだろう。そしたらきっと、女の子は泣くと思う。だって根本的には、なにも解決してないんだから。ただ単に少しだけ、苦しみが先延ばしされただけなんだから。

それにそんな女の子を置き去りにした僕も、ずっと罪悪感に苛まれるだろう。自分にそんな力もないのに、中途半端に手を出したから、関わったから、却って相手を苦しめてしまったんじゃないかって思う気持ちも出てくるだろう。

だから、ここまで考えたら、こんなふうに思うかもしれない。

中途半端に手を出して罪悪感を受けるくらいなら、通り過ぎたほうがいい。だってそれなら「みんなと同じくらいの罪悪感で済む」んだから。それは、自分だけじゃないんだから。

僕も助け助けられながら、自分のできることをしていきたい

だからこう考えると、僕はこの女の子を助けないこのひとたちを簡単には責められない。だけど誰もなにもしなければ状況がなにも変わらないのも確かだ。それにそもそも、

困ってるひとを助けてくれるひとがいなくなったら、僕自身が生きられない

んだから。だからこれは僕にとっても、切実な問題なんだ。

だけど僕が助けられることが多いとはいえ、僕にだって少しは誰かを助けられることだってあると思う。それは相手の哀しみや苦しみを完全に解決できるほどの力じゃないけど、それでも少しは、なにかは、できると思う。少なくとも

自分の心と向き合って、相手の気持ちをよく聴いて、一緒に考え続けることはできる。

だから、僕はこれからも、それを続けていきたい。助け助けられながら、自分のできることをしていきたい。だってそれをしないことが、なによりいちばんの後悔になるから。

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