クオリティ・オブ・ライフ

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空を飛ぶ鳥

私は世界がいつからこうなったのかを知らない。それにどうしてこうなったのかなんてわからない。だってそんな何百年も前の歴史をさかのぼってる時間なんてない。そんなことより私は、今を生きなくちゃいけない。

でも私は昔のことはよく知らないけれど、今の世界のことはよく知ってる。だって私はこの世界に生まれたんだから。この世界で生きるしかないんだから。

 

最初に言っておくと、今の世界のほとんどのひとは笑顔で生きている。それは昔どこかの誰かが始めた世界の仕組みがとてもうまく行ったかららしい。そのひとはこう言ったってことになってる。

人生は有限です。哀しみに浸る時間はありません。みなさん、クオリティ・オブ・ライフ(QOL)を向上させましょう!

クオリティ・オブ・ライフ。実際よくわかんない言葉だけど、これはその当時よく知られていた言葉で、言い換えると「人生の質」っていうような意味らしい。でも結局よくわからないから、そのまま「クオリティ・オブ・ライフ」で定着したんだって。っていうか今じゃ、もともとの意味も知らずにQOLって言うひとがほとんどなんだけどね。

 

今の私たちは、そのQOLを最優先に生きている。しあわせじゃないひとなんていちゃいけない。しあわせじゃないひとなんて生まれちゃいけない。わかっている苦しみは、避けられなきゃいけない。

なんか昔は、

産んでくれなんて頼んだ憶えはないから!

なんて言うこどもの捨て台詞があって、そんなことを言われたら家族は答えに詰まって、却って怒られてしまうなんてことがあったらしい。でもそんな時代はもう終わった。今誰かがそんなことを言ったら、

あんたねぇ、あんたを産むかどうかさんざん悩んで、そのうえであんたなら産もうって決めて、それで一生懸命育ててきたんだから、そんな哀しいこと言わないの

なんて言われて終わりだろう。まぁそんな怒りの感情なんて、ぶつけるこどもはいないだろうけど。

 

そうか、この記録をどんな時代のどんなひとが読むかはわからないから、もっと基本的なことから説明しないといけないね。まず、私たちの世界は今、「QOL向上技術」っていうのがなにより大切にされてる。これは政府と医療界が完全に連携して、ずっと強力に推し進められてきたものだ。

私たちは両親の性行為の結果、受精卵としてできてから、何回かに分けて綿密な「検査」を受ける。これね、ぜんぜん痛くないんだって。それにお金もかからない。だってこれはもう、私たちの義務なんだから。そこで基本的な遺伝子の異常がないか、それにアレルギーや癌なんかのリスクがあまりにも高いなんてことはないか、徹底的に調べ上げられる。もちろん、途中の発育状況とかも含めて、しっかりと見守ってもらえる。そりゃあそうだよ。大切ないのちだもんね。

じゃあそこで異常が見つかったらどうなるかって?その場合はもちろん、ていねいに説明してもらえるよ。こんなふうに。

この度は非常に残念でした。私どもとしましては、今考えられる選択肢について、できるだけ正確に知っていただきたいと思っています。
まず、この子を産むという決断をなさった場合、あなたがたには政府から年間150万円ほどの支給を受けることができます。とはいえ、この疾患の場合、実際にご家族が育てるのはほぼ不可能でしょうし、一般の社会に適応するのは難しく、ご家族だけでなくこどもさんにとってもストレスとなり、QOLの低下は明らかです。したがって、その場合こどもさんは出生後すぐ私どもで引き取り、整備された環境のなかで一生を過ごしていただくことになります。その費用については、政府支給額と同額に設定されており、現在では150万円です。
次に、この子を送り返すという決断をなさった場合ですが、その際にはこちらの錠剤をいちどお飲みいただくことで、まったく痛みも負担もなく、元の状態に戻すことができます。ただしもちろん、それでもご家族のご心痛までは元に戻らないでしょう。ですからその場合は、産んだ場合の政府支給額の半年分、つまり現在でいう75万円が、補償金として一括で支払われます。この場合はもちろん私どもに費用を支払っていただく必要はありません。それに、次回の出産に関わる費用は、さらに割り引かせていただきます。それが私たちにできる最大限の誠意です。
あとはご家族の方々が、判断していただければと思います。ただくれぐれも合理的に、QOLの観点を忘れずにお考えくださいね。期限は45日後までです。なお期限までに決められなかった場合には、「望まれたいのちではない」という観点から、お子さんは送り返されることになります。その場合でも補償金は支払われますので、ご安心ください

ね、素晴らしい説明でしょう?でもこう言われたらほとんどのひとは、「産まない」っていう合理的な判断をする。っていうか、こういう重大な疾患に関しては、今じゃそれがほぼ100%だ。そしてみんなのQOLは向上する。

生まれられなかったいのちはどうなのかって?だって生まれてないいのちはいのちじゃないもん。それは確かに少し横暴にも思えるかもしれないけど、生きてるひとのQOLを考えたら、しかたないよね。それにそのためにこの世界はこの技術を発達させて、普及させてきたんだし。

あ、生まれてすぐなんかの不手際で重篤な疾患を持っちゃったこどもだってちゃんと対応してもらえるよ。その場合は病院が引き取って、かつ何百万円くらいの補償金も支払われる。そりゃあそうだよね、お母さんはその子を胎内で育てるために貴重な1年を無駄にしちゃったんだから。

じゃあなんでそこまでの技術を持ちながら、こどもを産む方法がそんなに進歩してないのかって思わない?でもそれは教科書に書いてある。

なぜ私たちは人工受精やひとの人工培養および人工出産といった技術をもっと大々的に活用しないのだろうかという疑問を持つひともいるかもしれない。確かに、そのような方法によって、私たちの肉体を一切介することなくこどもを産むことも、技術的には可能だ。けれどもそれを普及させると、いのちを軽く扱い、重篤な疾患があるこどもに対しても、
「ためしに産んでみよう!」
といった安易な行動に出るひとが現れかねない。私たち(特に女性)がこどもを産める年数には限りがあり、その出産に際しては、自身自身が危険を負うということを誠実に理解してこそ、本当にそのこどものためにいのちを懸けられるのか、そしてそのあと育てていくことができるのかという覚悟を、自分に問うことができる。精子や卵子の凍結保存が基本的に認められていないのも同じ理由だ。
だからあなたがたこどもたちはみな、
「この子は送り返したくない!この子なら、ぜひ産みたい!」
という強い気持ちを持って望まれたいのちなのである。その事実を認識し、自信を持ち、常に世界や他者、そして自分のQOLを意識した生きかたをすることを、私たちは強く願っている

この教育と技術が、今の私たちの世界を支えている。

 

だから今の学校には、昔あったっていう「いじめ」なんてものはない。これは「高い攻撃性を備えさせる遺伝子」が特定できたからでもある。確か今見つかったら補償金は10万円くらいじゃないかな?

あ、これはさっきの説明に当てはめてくれたらいいよ。つまり、「攻撃性の高いこども」ができた場合は、年間20万円もらって自分で育てるか、そのまま病院に預けるか(この場合20万円はもらえない)、10万円の補償金をもらって送り返すかの3択になるってこと。たださっきと違うのは、「攻撃性が高いこども」の場合は「自分で育てる」っていう選択肢があることだね。でも実際は補償金もらって送り返すひとがほとんどだな。年間20万円もらったってそのほとんどは薬代でなくなるし、そういう手間とか心理的負担がQOLを下げちゃうし。ちなみに、こうやって送り返すひとが多くなると、「自分で育てる」っていう選択肢のない「重篤疾患」に指定される。「攻撃性が高い」っていうのが指定されるのも、もうすぐなんじゃないかなぁ?

だからね、これは「みんなの合意」に基づいて行われるんだよ。それにさっきも言ったとおり、「生まれてないいのちはいのちじゃない」っていうのが共通理解だから。それに、そんな子をお腹のなかで育てる時間を、次の子を妊娠するために活用したいっていうのが、みんなの意志なんだからね。

こんなふうにQOLを追求した結果、私たちの社会は笑顔あふれるものになった。白人も黒人も黄色人種も関係ない。「他者と社会と自分のQOLを意識した生きかた」ができればいいんだ。議会のやじとか怒号?そんなの遠い昔の話でしょ?

それに昔この世界を圧迫したっていう「医療費」も、ここ数百年でだいぶ減った。そもそも人口自体が今は数分の1になったから、環境問題もだいぶ解決したよ。それじゃあ経済が回らないじゃないかって?それは私たち自身の生産性を挙げることで解決したし、機械化も進んだからね。それに

あまりにも機械や人工知能が発達すると、ひとの立場を脅かす可能性があるので、研究はこれ以上進めない。これも私たちのQOLのためである

ってことになったから、バランスも取れてるし。

 

あと犯罪ね、これもだいぶ減ったけど、まだある。そしてそういうひとたちは、病院に併設された施設に入る。そこは病院に引き取られたこどもたちが入る場所と同じだ。そして昔と違うのは、犯罪者がそこから出るのは「自分がそこから出たくなったとき」なんだ。でもそこはすごく居心地がいいから、まず出て来ることはないんだよね。そのなかはどうなってるのかなぁ?よくわかんないんだけど。

ここで昔のひとだったら「殺人犯」とかはどうするんだ?なんて考えるかもしれないけど、そんなのはもういないよ。だってそんなことをしたら、家族とかみんな「遺伝子検査」を受けて病院送りだし、2度とその遺伝子を継承させないように、こどもたちもみんな病院の施設に入ることになるから。そんなひどい危険を冒してまで、そんなことをする意味がないもの。しかも私たちの攻撃性は、歴史のなかでだいぶちいさくなったからね。でもその犯罪者たちのQOLだってちゃんと保障されるよ。だってさっきも言ったとおり、そこはすごく居心地がいいんだから。内部が非公開なのはほんとに残念なんだけど、それは一説によると「そこに入ると、元の社会に戻りたくなるから」なんだって。まったくどんなに、素晴らしいんだろうね?

あと、その施設に入るひとは、人生の途中で事故に遭って機能を失っちゃったひとたちとか、後天的に重い病気に罹ったひととか、あとお年寄りとかだね。だってそういうひとは、もう一般の社会で暮らすの難しいでしょ?手助けするほうもされるほうもQOL下がっちゃうし。しかも、関係者が良心の呵責に囚われないように、いったんその施設に入ったら面会謝絶なんだよ。だいじょうぶ、QOLは保障されてるから。政府の力は、すごいからね。

昔はさ、自力で動けなくなったひとたちに「車いす」なんてのを作ったり、目の見えないひとたちのために「音の出る信号」なんかを作ってたりしてたみたいなんだ。今はもうないから、よく知らないんだけど。でもそうやってあっちこっちに自由を認めるために、ひとつひとつの施設にスロープつけたり、そこらじゅうの道路に点字ブロックつけたりしてたんだよね?そりゃあ、お金かかるよね。限界が来るのも当然だよ。だったら、そもそもそういうひとたちはできるだけ集めておいて、そこに集中的に設備を整えたほうが、お互いのQOLは上がるよね。なんでもっと早くに気付かなかったんだろう?あ、そうか。知能が低かったんだよね。遺伝子の淘汰が進んでないから。

そして今、この世界ができた。それにこれからはもっとふるいに掛けられて、不純な存在や生きてても苦しみしか生まれないようなひとはますます減っていくだろう。最高だ。私はすごく、しあわせだ。

 

さて、建前はこのくらい書いておけばもういいかな。どうせ他のひとたちはQOLを減らすような無駄を嫌うから、こんな最後のほうまで読まれないだろうし。それに、私の最後の頼みだ。きっと遺しておいてくれるよ。だってここに書かれているのは、今のこの世界の、ありのままの記録なんだから。

私は今日で死ぬ。この世界では、「自分で自分のいのちを終わらせる権利」が認められている。いくら施設があるって言ったって、みんなの社会から隔離されて生きるのは苦しいだろう。それに、施設職員にも迷惑をかけてしまう。これはお互いのQOLのためにならない。これは私たちにとって、とても苦しいことだ。だって私たちはこんな世界で生まれて、生きてきたんだから。

しかもこうすれば、遺族や関係者にお金だって遺せる。その額は若ければ若いほど高くなる。政府のほうだって生きる気力もないような生産性の低い人間を生かしておく経済的負担よりも、一括で補償金を払ってしまったほうが安く済む。それに死ぬほうも、最期に自分が周りのひとの役に立ったと思えば、少しはQOLも上がる。施設に入ってるひとも、普通は会えない外のひとたちに会うことができる。家族にお別れも言える。涙を流して見送ってくれる。最高だ。まったく、よく考えたもんだよ。

でもさっきの言葉は嘘じゃないんだ。私は施設のなかを見たことがない。病気でもないし、罪も犯してない。それに、私はまだ10代だ。

でも、私はもう死のうと思う。だってこの世界は、あまりにも息苦しいから。私はこの世界ではQOLをもう上げられない。だから、死んでもいいんだよね。教科書にも書いてあるもん。

私たちは互いに、世界や他者、そして自分のQOLを最大限高めるよう努める。これは政府の責務でもある。しかしもし、本人がこの世界ではこれ以上QOLを高められないと認識した場合は、自身のいのちを終わらせる権利を持つ。なおその場合政府は、満足のいくQOLを提供できなかったことを深く反省し、せめてもの誠意の表れとして、本人の親族(あるいは本人の指定する者)に補償金を支払う

って。だから私は、今日死ぬ。

 

部屋に入ると、願っていた通りの音楽が流れていた。ベッドに腰掛ける。とってもふかふかだ。まったく、素晴らしい。

外を見ると鳥が飛んでいた。整った隊列だ。みんなは今日の空を見て晴れてると思うんだろう。でも私には曇りに見える。それはやっぱり、私の眼がおかしいんだろう。

お母さんとお父さんは泣いていた。お母さん、お父さん、どうしてあなたは私を産んだんだろう?政府はどうして私の異常を見抜けなかったんだろう?薬は飲んだ。でもなにも、変わらなかった。私がここで生きるのは、あまりにも苦しすぎる。

お父さん、お母さん、私の遺したお金で、少しでもQOLを高めてください。今まであなたたちにかけた金銭的負担よりも補償金のほうが多いから、少しは役に立てたよね?それにふたりともまだ若いんだから、また次の子を産めばいい。次はきっと、いい子が生まれるよ。

政府職員がやってきた。いよいよだ。彼は少し大げさにも思える口調と身振りで、こう言った。

私たちは深い哀しみのなかで、あなたの意志を尊重します。私たちはあなたにとって、満足のいくQOLを提供できませんでした。申し訳ありません

そして最後に、私の眼を見つめながら、力強くこう言った。

せめて約束します。もう2度と、あなたのような苦しみを抱える存在は、この世界に生み出しません!

そのとき私は、やっと気付いたんだ。QOL。クオリティ・オブ・ライフ。ライフの意味は人生だと思っていた。でもライフにはもうひとつ意味があったんだ。そう、「いのち」という意味が。教科書に書いてあったじゃないか。

私たちは互いに、世界や他者、そして自分のQOLを最大限高めるよう努める

って。

いのちの質を最大限高める世界。その目標は最初からずっと掲げられていた。これがみんなが求めていた世界だ。なんでもっと早く、気付けなかったんだろう?そっか、知能が低かったんだね。

お母さん、お父さん。私は確かにあなたたちに望まれて生まれたんだろう。そして今、私はあなたたちに見送られて死ぬ。世界に望まれて死ぬ。だから私は、しあわせだ。今まででいちばん、しあわせだ。

そして私はそれを飲んだ。「永遠のしあわせを与える薬」と呼ばれるそれは、とても爽やかな味がした。

コメント

  1. だれか より:

    よくもこんな文章を書いてくれた。
    みたいないものをよくも見せてくれた。
    ふざけるな。

    • だれかさん、こんにちは。

      「みたいないもの」というのはおそらく「見たくないもの」という意味ですよね。

      僕にできることは、これからもふざけずに真剣に書いていくことだと思いますので、その気持ちをずっと、忘れずにいようと思います。

  2. Forest より:

    とても考えさせられる話です。

    遺伝子によって全ての個性が決まる訳では無いので、こういった未来は可能性は低いと思いますが、「出生前診断」を行うクリニックが実在する以上、一部の偏った考え方が広まりそうな懸念は正直なところありますね。

    どのような命であれ、祝福され誕生出来る社会の構築を私たちは目指さなければいけないと、そこは確信をもって言えます。

    もしもそういった多様な社会が不可能なのであれば、我々人類はすでに存続の難しい絶滅危惧種であると認めてしまうことにもなるのです。

    • Forestさん、こんにちは。

      物語からいろいろなことを考えてくださってありがとうございます。

      おっしゃってくださったことには僕も共感するものですし、それにもしそういった多様性が認められなくなってしまえば、誰よりも僕自身がまっさきに死んでしまうことになると思っています。

      僕は前から出生前診断に強い関心を持っていて、ここでもそれに関する文章を書いてきた。でも、こうやって日が経てば経つほど、僕が悪い意...

      だからこそ僕も自分自身のためにも、これからも真摯に向き合って、考え続けていきたいと、そう思っています。

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