「もう老いている」僕が、老いについて思うこと

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笑顔のおじいさん

介護、失禁、失職、能力の喪失、そして死……こういう問題は、たいていのひとにとってはある程度の年を重ねてから向き合うことになる問題だと思う。でも、僕は生まれたときから、こういう問題を、いつも身近に感じながら生きている。それは前に、

健康寿命っていう言葉を知ってるだろうか?これは「健康上支障なく日常を送れる期間(寿命)」のことだ。日本は特に世界でも平均寿命が長いことで知ら...

って書いたように、僕はもう既に「健康寿命」を失っているからだ。それは僕がからだ的には「もう老いている」ということだ。言い換えると僕は「輝かしい若さ」というのを経験したことはない。

こんなにもありふれているのに、圧倒的に現実感がない

そんな僕が、こんな文章を読んだ。

久しぶりに、実家に顔出してきたんですけどね。 どうやら本格的に、母親がボケちゃってましたね。 う~~ん&。
いよいよ、ヤバくなってきたかもしれません。 親がボケつつあります。 これは、誰にとっても他人事の話ではありません。 私自身だって、あと数年、数十年でボケるかも知れない。 ボケてしまえば前後不覚。 支離滅裂な事を言ったり、暴れたり、漏らしたり、いろいろな騒動を巻き起こすことになります。 それでも人は生きてゆかねばならない...

こういう話題は、よくある。よくあるんだけれど、それを「自分ごと」として捉えることは、とても難しいんだろう。そしてもうひとつ思うことは、こういう問題を「介助者側」から伝える文章や体験談は多いけれど、「非介助者側」からの目線で書かれたものは、それよりは圧倒的に少ないってことだ。

そして、こういう問題について触れるときに、

今元気なひとが、それを失ったらどうする?

っていう観点から、

人生は大切だ

健康に気をつけましょう

いつ死ぬかわかんないから、後悔しないように生きよう

あんまり先のことを考えてくよくよしないで、まずは今を大切にしよう

とかいう結論に行き着く話は山ほどある。

だけど、既に失ったひとが、今すぐ死ぬような年齢・状態じゃないという前提のなかで、どう生きればいいのか?

っていう視点から書かれたものは、それに比べると圧倒的に少ない。ここから生まれるのは、

こんなにもありふれているのに、圧倒的に現実感がない

だから、みんなそれが、「現実」になったときに、とたんに弱ってしまう。これは、あまりにも哀しい事態だと思う。

「年取って介護を受けるのなんて、5人に1人くらいなんですから!」

もう数年前の話になるけど、僕がある講演会に行ったときの話だ。その演題は「いい年の重ねかたを考えよう」みたいな感じで、僕も関心があったから行ってみたんだ。でもそこにいたのはほとんどが60代くらいのおじいちゃんおばあちゃんで、20代どころか40代のひとたちすらほとんどいなかった。そしてそんななか、主催した団体の会長が言っていたのは、こんなことだった。

結局ですね、日本で普通に生きてきたひとが、10年以上日常的に介護を受けるのなんて、せいぜい20%、5人に1人くらいの割合でしかないんですから!マスコミはごくわずかな「例外」を取り立てて騒ぎますがね、たいていのひとにはそんなこと関係ないんだから、あんまり気にせずにいたらいいんですよ!そうやって前向きにいてね、ゲートボールでも囲碁でもしていれば、「ぴんぴんころり」と逝けますからね!みなさん、一緒にそっちの方向を目指しましょうね!

僕は心底がっかりした。でもこの言葉に会場の高齢者(多くはおじいちゃんだった)は大きな拍手を送っていたんだ。そして、僕が質問したりする機会もないまま、講演会は終わってしまった。

せいぜい5人に1人くらいなんだから気にしないで楽しくいましょう!

なんていう発言がどれだけ暴力的なものなのか、このひとたちは気付いていなかったんだろう。でも福祉や社会の意味は、その「5人に1人になったひとをどう助けるか」にあるんじゃないんだろうか?そうじゃない80%のひととか、資産がたくさんあって「サービス付き高齢者向け住宅」とか、「高級老人ホーム」とかに入れるひとはいいかもしれない。それにぴんぴんころりと逝くのが理想って言うのも、気持ちとしてはわかるよ。

でも自分がそんな理想どおりにうまく行くなんて考えるなんて、それこそ現実感のない希望的観測に過ぎないと思うんだ。それに、どこのどういうデータから言ってたのか知らないけど、10年以下でも半年でも、介護を受けるのはつらいし、そのとき誰もその問題に向き合わないでいたら、その深刻さは、却って深まることになるよ?そもそも、

5人に1人のことを「例外」として気にしないでいるなんて、そんな社会は異様だと思わない?

『ヘルプマン』ってマンガ、知ってる?

ただこういうのは堅苦しいうえに考えれば考えるほど気分が重くなるからって敬遠するひとも多い。でも少しでもとっつきやすいきっかけとして、おすすめのマンガがある。それがくさか里樹さんの作品『ヘルプマン!』だ。この作品は連載誌を変えて今でも連載中(完結した『ヘルプマン!』の続編が『ヘルプマン!!』)なんだけど、この作品はかなり実態に即して作られてるから、特に高齢者の福祉(介護)の現場をイメージするにはとてもいい作品だと思う。

ただ、たとえマンガであってもそのあまりの「生々しさ」に

重すぎる

とか

直視できない

って言って眼を背けてしまうひとも多いんだけど、僕としてはそうやって

先送りしたって状態は変わらないんだから、しっかり向き合って、一緒に考えてほしい

と思っている。

そのうえで、冒頭で挙げた文章を書いたネコさんが、

私自身だって、あと数年、数十年でボケるかも知れない。

ボケてしまえば前後不覚。

支離滅裂な事を言ったり、暴れたり、漏らしたり、いろいろな騒動を巻き起こすことになります。

それでも人は生きてゆかねばならないのでしょうかね。

いよいよ、ヤバくなってきたかもしれません。 親がボケつつあります。 これは、誰にとっても他人事の話ではありません。 私自身だって、あと数年、数十年でボケるかも知れない。 ボケてしまえば前後不覚。 支離滅裂な事を言ったり、暴れたり、漏らしたり、いろいろな騒動を巻き起こすことになります。 それでも人は生きてゆかねばならない...

って言ってるのに対しては、

そりゃあそうだよ!

とはっきり言っておきたい。「支離滅裂」とまで言うかどうかは別として、僕だって頭はそんなによくないし、からだじゅうの調子が悪いときは内心暴れたいくらいイライラすることもあるし、つい1年前にも手すりを掴み損ねて転んだ衝撃で少し漏らしたよ。でも生きている。っていうか、もし

そんなヤツはもう生きるのをやめろ!

っていうのがみんなの総意になったら、僕はもう死ぬしかないじゃないか?実際そんなふうに言うひともいるけどさ、僕はまだ生きていたいよ。

世界には、年間100万人くらいの自殺者がいるらしい。日本でも「公式には」3万人くらいの自殺者がいることになっているけど、WHO(世界保健機関...

それに百歩譲って僕はいいとしても、他のひとまでそんな苦しみのなかにいるのが当たり前みたいになってるのを、もうどうしようもないなんて諦めたくないよ。

だって、生きるってことは、「できるようになったことを、またできなくなっていく」ってことでしょ?

僕は「答え」を知ってるわけではないし、苦しんでいるのをおかしいとも思わない。ただ、僕は僕の「想い」を持っている。そして、考え続けたいという意志も持っている。

それに僕は、みんなと違うからだの遣いかたしかできないぶん、いろんなところにガタが来るのも早い。それは医者からも言われているし、周りの実例を見てもそう思う。たとえば30代から40代には、頚椎とかが傷んで、からだの動きがもっと悪くなる可能性も高い。

だからやっぱり

僕は「もう老いてるし、これからもっと老いていく」

んだ。でも、僕はそれをマイナスには捉えたくない。だって、

なにもできないで生まれてきて、なにもできなくなって死ぬのは、いのちとして当然の流れなんだ

と思ってるから。でもそうは言ってもこのまま行けば、マイナスとしか思えないかもしれない。だから、僕はこの社会を変えたいんだ。そしてもっと、自分の人生を楽しみたいし、あなたにも楽しんでほしいと思う。それはすぐにはできないかもしれないけど、絶対にできないことじゃないと思う。

だってこれは、みんなの問題なんだから。だから僕もあなたも、独りじゃないんだから。

コメント

  1. ネコ より:

    言及ありがとうございます。

    ちょっと「老い」の話とずれちゃうんだけど、コメントさせてください。

    まぁなんつうか、「尊厳死」みたいな話ね。

    (尊厳死とは人間としての尊厳を保って死に臨むこと)

    先日の記事でも取り上げたんだけど、この映画ね。

    映画『ハッピーエンドの選び方』予告編

    オチを言っちゃうけど

    「自分から死を選ぶなんて、絶対にダメ!」っていってたおばあさんがいるんだけど、自分自身がボケ始めた時に

    「私が間違ってた、私を殺してちょうだい」って改心する話。

    で、無事に夫の手にかかって逝きます。

    生きてりゃ何でもいいのかっていうと、そうじゃなくて

    本人が尊厳を保てない、と感じるのであれば、自ら終わらせる権利もあるんじゃないのか?

    という話。

    イスラエルの映画だったと思うけど。

    いろんな考え方があると思うけど、個人的には、主人公のおばあさんの選択が間違ってたとは思えない。自分の命の終わらせ方を自分で決めた、ということを非難する気は全くない。

    「尊厳」の問題だね。

    もし自分があのおばあさんの立場だったら?と考えると、同じ選択をするような気がします。

    たとえば、日本では、食事が出来なくなった人の体に穴をあけて、胃に直接、栄養を流し込んで、生きながらえさせることもあるようだけど、海外ではそれは虐待だと捉える国もある。尊厳を踏みにじる行為だと。生かせばいいってもんじゃないんだよ、と。

    どちらが正しいか、ということではなく、その状況にある本人が、自分で決めることが出来る選択肢がある、ということが重要なんじゃないかと個人的には思っています。

    無理矢理生かされるという選択肢だけしかない、というのは違うような気がする。

    どっちもアリ、であるべきなんじゃないかと。

    どう生きる、どう死ぬを決めるのは本人であるべきなんじゃないかと。

    それはぶっちゃけ、年齢は関係ないと思うんだよね。

    ・・・という考え方が根底にあります、私的には。そのうえで、あのシリーズを書いております。

    • ネコさん、こんにちは。

      ええ、こういった問題はとても繊細かつ意見の割れるところですが、僕としては僕の意見を言うしかないので、率直に書いています。
      まず、僕のなかでは胃ろうや経管栄養それに人工呼吸器なんかは「延命治療」(ネコさんの言う「無理やり生かされる」に近いと思います)だと思っていて、それをやらないで死ぬという選択はあってもいいものだと思います。
      実際、そうしているひとも多々いるでしょう。

      ただ、

      ボケ始めたから殺して!

      とか、

      病気がつらいから殺して!

      などというのは自殺であって、それを「尊厳死」なんて呼ぶのは単に響きをかっこよくした小細工にすぎないと思っています。

      ましてや、そういった場合には自分以外のひとが死の実行に関与するわけなので、そのひとたちの心に消えないモヤモヤを遺すという意味でも、僕は賛同しかねる行為です。

      また、そもそも僕は自殺に明確に反対する立場なので、そういった意味でも反対です。

      なんとかひと言にまとめてしまえば、僕は

      死は迎えるものであって、飛び込んで行くものではない

      と思っているからです。そして、

      存在の尊厳っていうのは、「かっこ悪くなったら潔く死ぬこと」ではなく、「かっこ悪くても最期まで生き抜くこと」だ

      という思想が、僕のなかにあります。そしてもちろん、それを「個人の問題」として片付けるだけではなく、社会をどうやってもっと穏やかなものにできるかを、僕もいつも考えています。

      まぁ、どうなるかはわかりませんが、僕も今後30年もすれば、車いすで動きまわったり、四つ這いでパソコンを打つのも難しいような状態になる可能性は大いにあります。

      そのときに僕がもし、

      すみません、僕が間違ってました!早く殺してください!

      って喚くようになってたら、ネコさんも天国で笑ってください。

      あ、まだ死んでるとは限りませんけどね。

      • ネコ より:

        「すみません、僕が間違ってました!早く殺してください!」

        って喚くようになってたら、ネコさんも天国で笑ってください。

        いや、笑うことじゃないけどね(笑)

        でもまぁ、オレは、その人の苦しみはその人にしか分からないと思ってるから、
        絶対に他人事みたいに

        「いや、大丈夫だよ!生きよう!」とはいいたく無いワケね。

        「死んだ方がマシ」だと思ってる人が選んだ選択を、外野が「間違ってる!」というのは違和感があるワケ。

        画家のゴッホは自殺した、ということになってるけど、

        それを「ゴッホは間違ってる」と言い切っちゃう人間がいるとしたら、お前はゴッホの何が分かってるのか?って思っちゃうんだよね。

        言い方は「自殺」でも「尊厳死」でも、そんな言葉遊びはどうでもよくて、

        「生き方、死に方」くらい、自分で決めていいんじゃないか?ってのがオレの考え方。(あえて明言を避けてたけど)

        オレは「自分の生き方(死に方も含めて)」を他人にとやかく言われたくないので、自分も、他人にとやかく言わないようにしたい、という感じかな。

        もちろん「自殺は絶対ダメ!」と言ってる人を否定するつもりは全くない。

        そういう人は、その考え方を貫けばいいと思う。

        ただ、それを他人に押し付けちゃダメ、という感じかな。

        これは、今回の話だけじゃなくて全てにおいて、だよね。

        自分と違う思想の持主とどう折り合いをつけるか?だよね。

        個人的には、将来的には「自分で死を選ぶ権利」は認められると考えています。
        5年後か、10年後か。

        日本では遅いかも知れないけど。

        まず、同性同士の結婚や、クローン人間の生産がアリになるほうが先かな。

        たまにはこういう議論もいいね。ありがとう(^^)

        • そうですね、なかなかうまく言えないのですが、僕も押しつける気はないです。

          というか最終的には本人が死にたいと思えばどうしても死んじゃうわけですから、縛ることは誰にもできないんですが、その前提のうえで僕は僕の想いを伝えたいと思っています。

          それに、僕は自分の目の前で自殺を試みているひとがいたら止めようとすると思います。

          それはたぶん理屈を超えているとも思います。

          だったら、たとえ目の前にいなくても、事実としてそういう現実があるんだったら、僕はそのひとたちも必死で止めたいと思います。

          それが、今の僕の立場です。

          あとは、僕の知り合いにも自殺者がいますし、それはこの自殺者の数から見ても多くのひとに言えることなのではないかと思いますが、自殺したひとの気持ちと同じくらい、遺されたひとの気持ちも考えてほしいなぁとは思います。

          それから、これは個人の問題ではなくて社会の問題だとも捉えたとき、「自殺に追い込まれやすい社会」と「自殺に追い込まれなくて済む社会」というのはあって、じゃあその「自殺に追い込まれにくい社会」を作りたい、

          「だいじょうぶだよ!」とは言い切れないけど、「だいじょうぶにしたい」

          とは思います。

          そしてそれはまずなにより、僕自身のためです。

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