僕はここでずっと、あなたとの「共通の根」を探し続けている

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樹の根

僕たちは、生まれたときはそんなに変わらない。歩けないと言ったってたいして目立たないし、目も耳も口だって、まだ充分に遣えちゃいない。それに死んでしまって灰と骨になったら、やっぱりもうたいした違いなんかない。でもその「生と死」の中間地点では、僕たちの差はどんどん大きくなっていく。

「81.4%の視聴率」なんてものは、もう2度と出てこないだろう

昔、「巨人・大鵬・卵焼き」なんて言い回しがあったらしい。と言ってもこれはまだ50年くらい前、1960年台の言葉だ。これは当時のこどもたちがほぼ全員と言っていいほど夢中になっていたことから生まれた言いかたらしい。

1960年代、子どもたちが夢中になった3つのものもし、この言葉を知らずとも、声に出してみればどこか心地いい響き…語呂の良さからでしょうか。きょう振り返る言葉は「巨人・大鵬・卵焼き」です。戦後復興を経て、日本経済が高度経済成長期を迎えた1960年代に子どもた

それに同じ頃、1964年には第14回紅白歌合戦が史上最高視聴率である81.4%を記録したんだって。

でも今はもう、そんな巨大な「共通の楽しみ」なんてものはどこにもない。それは単純に、

選択肢(情報)があまりにも多くなったから

って言ってもいいと思う。今の僕が大晦日に紅白歌合戦を観ないのは、それにあんまり興味がないっていうのもあるけど、それ以外にも選べることがたくさんあるからだ。たとえばネットを見るとか、本を読むとか、自分もネットで発信してみるとかね。音楽を聴くのだって、Youtubeで好きな音楽をだけを聴くことだってできるのが今の僕が生きている社会だ。だから自然と、興味は拡散していく。

これは間違いなく年を重ねるごとに強まっていく傾向だと思う。僕がこどもの頃は、みんなドラえもんを観ていたし、ドラえもんと言えばあの独特の間延びした、

こ〜んに〜ちは、僕ドラえもんで〜す

っていう声があって、こんな文字でも同じものを思い浮かべられたかもしれない。でも今は、大山のぶ代さんはドラえもんの声優じゃない。それは水田わさびさんに変わった。だから今のこどもたちがこの文字を見ても、僕と同じ声を思い浮かべることはできないんだろうと思う。

でもインターネットは僕たちを収束させてはくれない

この変化はもちろん「ジェネレーションギャップ」(世代間格差)と言ってもいいだろうけど、やっぱりこの変化はネットが引き起こした革命的な情報量の増加に原因があるんだと思う。そして僕は高校生で寄宿舎に入るときに初めて携帯を持たされたけど、今のこどもたちは小学生でも携帯を持っている子がいる。っていうかもう、スマートフォンかもしれない。

じゃあ僕たちは「インターネット」によって深く結びついたのかと言えばそう単純な話でもない。確かにネットは重要な役割を果たすようになったけど、それは単なる「インフラ」で、その特質は「拡散」にあるからだ。だからますます、僕たちの世界は細く深い世界に入り込んでいく。

「月間100万PV」とか言われるとすごいなぁと思うけど、実際見てみると自分はまったく知らなかったなんてこともよくある。っていうかそのほうがずっと多い。同じ場所でノートパソコンを広げているひとがなんのページを見てるのかなんて、僕には想像できない。あのひとがどんな音楽を聴いているのかも、まったくわからない。今僕が生きているのは、そんな世界だ。

僕はあなたの逆上がりの苦労を共有できない

でもこれは僕にとっては今に始まったことじゃない。さっきは自分のこども時代を振り返って、あの頃はまだ今よりは「共通の経験」が多かったように思ったけど、それはもちろんすべてじゃない。

たとえば僕は、みんなが必死になって練習していた「逆上がり」の苦労を共有できなかった。跳び箱が何段飛べるとか飛べないとか、そんなことも本のなかの話と同じくらいにしか関係がない話だった。正直に言って、僕は未だにスポーツや競技の類に一切熱中できない。もちろん、楽しくてやってるひとはいいと思うし、どちらかと言えば応援したいと思う。でもそれは誰かに特別に肩入れするってことじゃない。だからリオオリンピックも東京オリンピックも同じ程度にしか関心がない。それに、オリンピックもパラリンピックも同じ程度にしか関心がない。日本がメダルを取ってもアメリカがメダルを取っても同じようにしか関心がない。

だってさ、誰かと誰かが全力で走って、そこに順位をつけるなら、1位と2位が生まれるのは当たり前のことだ。それはただの仕組みの話だ。それ以上に大切なのは、みんなそれぞれが努力をしたってことだ。それは素晴らしいと思う。そして、なにより最大級に素晴らしいことは、

そのひとたちはみんな、走れる

ってことだ。そのことを素晴らしさを分かち合うなら、僕は同じ気持ちを共有できるだろう。でもきっと、オリンピックやスポーツを観る多数派の気持ちはそこにはない。だから僕は、そんなことにどれでも同じだけの興味しか持てないから、結局関心がないことと同じだってことになる。

でも僕は、この世界にもあなたにも、すごく関心がある

でも僕は、物心ついたときからずっと探してるものがある。それは、

あなたと僕との間にある「共通の根」

だ。僕たちは生まれてからずっと、どこかに向かって伸びていく。それはまるで木みたいなものだ。そして上に行けば行くほど、その選ぶ道の選択肢は膨大になって、僕とあなたの「違い」はますます際立っていく。でも、僕はきっとどこかに、僕たちの「共通の根」があるはずだと思っているんだ。いや実を言うと、僕はもうそれを見つけている。それは、

僕たちはなにも持たずに生まれて、いずれ必ず死ぬ

ってことだ。これだけはきっと間違いないんだ。

でもこれだけじゃ、あまりにも味気ない。だけど僕とまったく同じひとはどこにもいないし、僕とまったく同じ体験をしたひともいない。でも僕たちは今生きている。そして、あなたがこれを読んでいるなら、あなたも日本語を理解してるってことだ。それに、見当もつかないほどたくさんある選択肢のなかから、ここにどうしてかたどり着いてくれたってことだ。

このサイトは、決して大きなサイトじゃないし、たくさんのひとの注目を集めてるとも言えない。それはこれからも変わらないだろう。でも不思議なことに、開設翌日ですら、訪問者が0人だったことはないんだ。これってよく考えてみればみるほど、信じられない話だと思う。

世界に僕と同じひとなんか誰もいないのに、僕が僕の想いを書いているだけの文章が、あなたと共鳴してる

ってことなんだから。これは、とてつもなく嬉しいことだ。

でも今の僕たちが生きている世界はすごく多様だ。だからあなたにはたくさんの選択肢がある。今あなたがこれを読んでくれているとしても、明日にはこんなことを忘れて、もう2度とここにはたどり着かないかもしれない。でも、たとえそれが一瞬だったとしても、僕はあなたと出会った。それはお互いの世界に交流があったってことだ。そしてそこにはきっと、なにかの「共通の根」があったんだ。

だから僕は、それをこれからも探し続けていく。僕は高いところには昇れない。走ることもできない。受け身すら取れない。

一説によると、2階から落ちても半数以上のひとは助かるけど、3階からだと半数以上のひとは助からないらしい。でもこれも打ちどころによるし、身の処...

だけど僕は、生きていく。最期の最期まで。そしてもしまたあなたに会えたときには、僕もあなたになにかの養分を与えられたらと思っている。

だって僕はあなたからいつも、たくさんのものをもらっているんだから。
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