「ひとは権力を持つと必ず暴走する」っていう意見にも確かに説得力があるけど、僕はそれでも「権力者の良心」を信じたい

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この国は「法治国家」だから、僕たちの生活は法律によって護られてる反面、規制されてるとも言える。そしてその法律の大元になる憲法が、もしかしたらここ数年のうちに変えられるかもしれないからって、注目してるひとは多い。僕もわりと気にしてるほうだと思う。

そもそも憲法って、いったいなんなの?

でもまだまだ、僕はなにも知らない。少し前の僕は、憲法っていうのは

法律だと細かくなっちゃうけど、そこに共通する思想・価値観は憲法でざっくり決めとくから、法律に書かれてないからって憲法に違反しちゃダメだし、逆に法律があっても憲法の趣旨に合わないのは無効だからね!

みたいな法律の親(基盤)としての捉えかたで見ていたんだ。もっと言うと、

憲法>法律>条例

みたいな感じで。でもここ何年かの安全保障法制に関わる議論のなかで、「立憲主義」っていう言葉がよく注目されるようになったところから、僕ももう少し深くいろんな意見に触れるようになってみると、どうやら僕の、

憲法は、法律の基盤(国の最高法規)

っていう捉えかたは、立憲主義のなかのひとつの側面でしかなかったことがわかったんだ。つまり、憲法には

権力の暴走を防ぐ(権力に縛りをかける)

っていう機能が期待されてる面があったってことを知った。っていうか学校でも習っていたはずなんだけど、改めて意識が向いたんだ。そして最近は、憲法をその視点から捉えて考える場面がすごく多くなっているってことにね。

権力者は法律で国民の権利を制限できる。だから国民は憲法で権力者を制限してバランスを取る

その捉えかたをすごく単純に書いているのがこの文章だ。これは

立憲主義とは
検索

で検索すると現時点でけっこう上位に出てくるページでもある。

人間関係においても誰か一人が大きな権力を持ってしまうと、その人は好き勝手なことをやってしまいます。国家においても同じことがいえます。

国家の権力、つまり国家権力は放っておくと暴走して、好き勝手なことをしてしまいます。そこで、国家権力が好き勝手しないように歯止めをかけるのが憲法です。憲法は国家権力の暴走から国民の自由を守っているのです。

(中略)

憲法を元に法律が作られます。法律とは国家権力が国民の権利を制限するためのものです。憲法が国家権力を見張って、国家権力に好き勝手な法律を作らせない仕組みになっています。

これを僕なりにまとめると、

権力者は法律で国民の権利を制限できる。だから国民は憲法で権力者を制限してバランスを取る

って言ってもいいんじゃないかと思う。それにこれは歴史を振り返っても、最近の舛添都知事とかを見ても、正しいと言うしかない部分もあるとも思う。けど一方で、憲法がどう改正されるかされないかとかに関係なく、

「権力者は放っておくといずれ必ず暴走して、好き勝手な行動をとる」っていうのが普遍的な真実なんだとしたら、どんな社会も結局は疑心暗鬼で潰れるしかない

って気がして、それはそれでどうなのかなぁって気持ちにもなるんだよね。

どんな憲法でも法律でも、結局は実践するひとの意志と解釈によって良くも悪くもなるでしょ?

少し具体的な話から考えてみる。たとえば今の自民党が改憲案として検討しているとされる「緊急事態条項」について、その危険性を訴えている、こんな文章がある。

 喉元過ぎれば熱さ忘れる、と言いますが、日本ではめったに報道されることのなくなった2015年11月13日に発生し、130名もの尊い犠牲が生じたパリ同時多発テロ。  この同時多発テロを受けて、オランド大統領により発令された非常事態宣言は法律の規定で12日間だけのは...

でも一方で、これから予測されている自然災害とかも含めた緊急事態に迅速で効果的な対応を図るためには、むしろその緊急事態条項こそが必要なんだと言っているひともいる。

憲法改正は「緊急事態条項」によって「一点突破」を図るべし―。現行憲法の最大の欠陥だと指摘し続ける日本大学教授の百地章が大規模テロや自然災害に対応できない現状を挙げながら、その主張を紹介する。

ここでざっくりひとつの論点を挙げちゃうと、これはつまり、

その「緊急事態」が終わっても、自分に集中した力は返してくれるの?

っていうところが核心なんじゃないかって気がする。そのうえでその不安を率直にぶつける首都大学東京の木村草太教授の意見に対して、自民党憲法改正推進本部副本部長の礒崎陽輔さんはどう言っているのか、ちょっとこれを読んでみてほしい。

木村 任期を延ばす場合に、「議員が居座ってしまう」というような事態も想定されます。要は、権力を委ねたままにしておくような事態が起こらないような「歯止め」がどうしても必要だと思うのですが、これについてはどういう制度をお考えですか?

礒崎 そのへんは議論の余地があると思いますが、憲法改正と同時に緊急事態対処法のようなものを作ってその中で一定の歯止めをかけていくという方法もあるでしょうし、「いや、やはり法律ではだめだ」というのであれば憲法の中に歯止めを規定するという方法もあると思います。歯止めを置くことは差し支えありません。

木村 法律に全部丸投げしてしまうというのは私は危険で、憲法上の歯止めが必要だと思います。例えば裁判所がコントロールするというやり方もあってしかるべきだと思います。そういうことはまったく否定はしていないということでしょうか?

礒崎 先ほどもいいましたように、草案は、自民党の憲法改正案として確定しているわけではなく、あくまで自民党が野党時代に、もう4年も前に自民党の党内議論を経て作ったものです。個々の法制的な問題は今からみなさんの御指導をいただきながら、いくらでも、もっと良いものにするという作業は当然行っていった方がいいと思いますね。

(中略)

木村 この緊急事態条項に限らず、ほかの条項でもそうなのですが、自民党改憲草案にはそうした歯止めの問題意識というものが非常に弱いというか、非常に不注意な感じがして、それゆえに誤解も生まれたり、あるいは無用な批判、あつれきも生まれていると思うんですけれども、こうした、歯止めをかけようという問題意識は草案を作る時にあまりなかったのですか?

礒崎 もちろんなかったわけではありません。他国の憲法を見ますと緊急事態において集会を禁止することができるというようなものもあります。そういうのと比べますと、はるかに抑制的な内容になっており、条文自体にも「指示」を行う場合であっても基本的人権を最大限尊重しなければならないことを規定しています。

(中略)

木村 それは今の松本さんの指摘ともかかわるかと思うんですが、「こういうことをやるんだ」という細かいことを具体的に定めた法律の提案を示して、それが現行憲法では違憲になるからこういう新たな憲法案で正当化するんだ、という順番で示していただいた方が、おそらくは警戒心というか、余計な論点を生まないと思います。

礒崎 ですから、現実の憲法改正手続きに入ったのであればそうさせていただきます。もう一度申し上げますが、何を憲法改正するかということは自民党としてはまだ何も決めていないのであって、今の自民党の憲法改正草案というのは憲法改正案ではありません。これを正式な憲法改正案にする時には、今御指摘いただいたことを踏まえたいと思います。

 大規模な自然災害やテロなど、非常時における政府の権限を定める「緊急事態条項」を新たに憲法に盛り込むべきかどうかが、改憲論議の焦点として浮上している。 安倍晋三首相はこの条項の新設に意欲的だが、「実態

少し長めに引用したけど、これを素直に読めば(今権力を持つ立場にある)自民党がそんなに乱暴なことを考えてるわけじゃないんだってことはわかると思う。ただそれも、「言葉を素直に信じるなら」っていう前提があっての話で、その前提がなきゃもちろんまったく違う話になる。

これはたとえば9条の2項に加えることが検討されている

前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。

っていうのを、

なんでも最初は「自衛のため」と言いながら戦争が始まるんだよ!

って言ってしまえばそうと言えなくもなくなってしまうのとかも含めて、すべてに言えることだと思うんだ。僕は個人的には、

たとえ自衛権をはっきり規定したとしても、核兵器も含めた戦争の悲惨さをいちばん知ってる日本が戦争をするなんて思わない

って信じてるんだけど、その「信頼」がなくなったら、まったく違う意見になると思う。でも、そもそもどんな憲法でも法律でも、結局は実践するひとの意志と解釈によって良くも悪くもなるんじゃないかって気もするんだよね。だってそれを運用するのは、ひとなんだから。

それでも僕は、「権力者の良心」を信じたい

だから結局は、

権力者は放っておくと誰でも必ず暴走するようになるんだよ!

っていうのを信じるかどうかっていう話になるんだと思うんだよね。そしてその答えによっては、僕たちの採るべき道はまったく違ってくると思う。

でも僕はまだ、「権力者の良心」を信じたい

と思っている。それは今の日本の政治家が、「僕たちが選んだ、僕たちの代表」でもあると知ってるからだ。今の政権は、生まれながらに決められていたわけでも、自動的に世襲されたわけでもない。自分たちが選挙で選んだんだ。それは確かにいつも正しくはなかったかもしれない。でも僕たちが悩むのと同じように、権力者も悩んでいるんだと思う。

だって、僕たちは最終的にはみんな、「ひとりの人間同士」なんだから。

僕はこう考えているから、憲法を「権力の暴走を止めるためのもの」としてだけ見て、権力者と必要以上のギスギスした関係でいたいとは思っていない。それは

「立憲主義」っていう言葉を濫用しない

ってことでもある。それは権力者に最低限の信頼を置きたいと思うからだ。そしてその前提があれば、「憲法は国民も含めたみんなで護るもの」って言われても別におかしいとは思わない。

この部分については、たとえばこんな文章が僕の意見に近いです。

現行憲法の採択が審議された帝国議会で、憲法担当国務大臣の金森徳次郎氏は、次のように述べている。「日本国民がこの憲法を守るべきは理の当然でありまして、ただこの第95条(*現行の第99条)は、憲法という組織法的な一般的な考えに従いまして、権力者または権力者に近い資格を有する者が憲法を濫用して、人民の自由を侵害する、こういう伝統的な思想をいくぶん踏襲いたしまして95条の規定ができております。国民が国法に遵(したが)うということはいうまでもないことでありまする」

要するに、憲法の尊重擁護義務は、ふだん権力を行使する立場にある公務員などを「特別に」対象にしたものであって、国民が憲法を守るべきは「理の当然」だから、条文の中に入れなかったというだけのことなのである。

(中略)

「国家権力は敵」という独善的な考え方のもとに、自分たちの政治目的を実現するために立憲主義という言葉を利用する-いわばポピュリズム憲法論が、現代日本に徘徊している妖怪の正体と映る。

-ひとつの妖怪が日本国を徘徊している。それは立憲主義という妖怪である-ご存じ、マルクスとエンゲルスの共著『共産党宣言』の冒頭をもじったものだ(同宣言中のヨーロッ&

※引用はそれぞれ3ページめと5ページめから

あと

自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、
常に公益及び公の秩序に反してはならない。

って言ってるのも、

なお、「公の秩序」と規定したのは、「反国家的な行動を取り締まる」ことを意図したものではありません。「公の秩序」とは「社会秩序」のことであり、平穏な社会生活のことを意味します。個人が人権を主張する場合に、他人に迷惑を掛けてはいけないのは、当然のことです。そのことをより明示的に規定しただけであり、これにより人権が大きく制約されるものではありません。

っていうのを素直に信じてみようと思ってる。

それに僕はなにより、最強の野党を信じている

それに僕が今こういう態度でいるのは、今の日本のリーダーである

安倍晋三首相を暴走させない「最強の野党」を信じてるからでもある

んだ。それは彼のいちばん身近で影響力を発揮している、妻の昭恵さんだ。これを読んでみてほしい。

「家庭内野党」を公言

昭恵さんといえば、「家庭内野党」を公言し、メディアの取材や講演会の場で「増税反対」「脱原発」など政権と真逆の主張を唱えてきた事でも知られる。

週刊誌「AERA」(2016年4月11日号)に掲載されたインタビュー記事でも、「主人は『多くの意見をちゃんと聞いている』と思っているようですが、私はそうは思っていません」と首相への批判を公然と口にし、「主人には『戦争をするときには、私を殺せ』って言ってある」とも語っている。

   安倍政権への抗議を示す「アベ政治を許さない」のロゴ。デモの現場などでしばしば見かけるが、ついに安倍首相夫人の昭恵さんと「コラボ」してしまった。

だから僕は、「権力者」である前に「愛する家族を持つ人間」である安倍さんの良心と、それを支えて手綱を締めてくれる昭恵さんを信頼しているんだ。もちろんこれは「盲従」じゃないし、言いたいことは言う。それは僕がいちばん弱いし、日本に死なれたら真っ先に死ぬ立場にいるからでもある。

昨日のに引き続き、またみんなの話題に乗っかってみようと思う。ってことで、「保育園落ちた日本死ね問題」について、まずは発端となった文章...

それに僕だって安倍さんのやってることに全部賛成してるわけじゃないし、反対部分があまりにも増えてきたらもっと違う態度に変わるかもしれない。でも、僕だってまだまだなにも知らないんだ。ましてや、安倍さんの苦労の1割も知らないだろう。だけど

僕もこの国を作ってるひとりとして、ちゃんと考え続けるし、できることをしようと思ってるから。

少しでもこの世界が、少しでもおもしろく、楽しくなることを願って。

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