このひととのこどもならどんなこどもでも受け入れられると思えるのが、愛の証なんじゃないの?

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おなかのなかの赤ちゃん

こないだから2回、出産にまつわるいろんなことを、『ブラックジャックによろしく』と『コウノドリ』の助けも借りながら考えてきた。

超未熟児として生まれた僕が、『ブラックジャックによろしく』から家族の気持ちとあり得た可能性を想像して思うこと
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妊娠28週で生まれた僕が『コウノドリ』を読んで感じたこと
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今回はそれを踏まえて、僕がどうしても思わずにはいられなかったことを、素直に書いてみようと思う。

こどもを産むってことは、やっぱり大変なことだ

『ブラックジャックによろしく』を見ても、『コウノドリ』を見ても、こどもを産むってことがどれだけ大変なことかを身につまされる。それは『ブラックジャックによろしく』の第3巻、25話に出てくる言葉、

リスクを背負う覚悟がないのなら……子供なんて作っちゃいけねぇのさ……

っていう言葉にも凝縮されていると思う。

でもそれを乗り越えられるのは、愛の力なんじゃないかなぁ?

でもその大変さを乗り越えることができるのは、愛の力なんじゃないかなぁと思う。それに当たり前だけど、こどもはどっかから急に湧いてくるものでもない。簡単にできるものでもない。そりゃあ強要とかの例外を言い出せばきりがないけど、基本的には

お互いが相手を愛した結果として、こどもができる

って言ってもいいと思う。っていうか、それが原則にないのなら、あまりにも哀しすぎる。相手を愛しているから、妊娠や出産にまつわるいろんな苦しみにも耐えられる。予想もしなかったようないろんなできごとも、乗り越えられる。そういうことなんじゃないのかなぁと思う。そしてそのとき、「出産というリスク」は「愛する家族が増えるという喜び」に変わる(上回られる)んじゃないかって思うんだよね。

このひとのこどもならどんなこどもでも受け入れられるって思う気持ちが、愛なんじゃないの?

それにさ、こどもは本来生まれてみないとどんなこどもかはわからない。男の子かもしれないし、女の子かもしれない。かわいいと思われやすい顔になるかもしれないし、そうじゃないかもしれない。集中力があるかもしれないし、ないかもしれない。反抗的かもしれないし、気難しいかもしれない。

でも、そんなすべての可能性を考えてみても、

このひととのこどもだったら、どんなこどもでも受け入れられる

って思えるのが、愛なんじゃないのかなぁ?

でも実際は、どんどんこどもは「査定」されていく

でも実際は、出生前診断に代表されるように、赤ちゃんは生まれる前からもう、社会や家族によって「査定」される時代になってきてる。そしてその技術は、ますます進歩していく一方だ。

「出生前診断」が拡がれば拡がるほど、社会が失っていくもの
僕が「出生前診断」というものを知ったのは、確か2013年くらいだったと思う。その頃から、もうこの話題は賛否両論を巻き起こしていたけれど、世間...
マタニティ・ゲノム。出生前診断の技術はますます進化していってるけど……
前に、って書いたように、僕は今日本でもどんどん行われている出生前診断には、とても怖さを感じているし、せめてもう少し、慎重に考えてほし...

そしてそこで「異常」があると見なされたこどもは、ほとんどの場合中絶されることになっているのが現状だ。そしてそれ以外の理由も合わせると、年間18万人くらいの赤ちゃんが中絶されている。

これは全体としては減少傾向にあるけど、

日本で今「少子高齢化」が叫ばれていることから考えたら、これは明らかな矛盾だ

と思うんだ。それに僕が恐れてるのは、今の出生前診断の発達が、この数をまた押し上げる方向にはたらくんじゃないかってことなんだ。

これが「正論」だって思われるならまだいいんだけど……

これが僕の素直な気持ちだ。でもこれがあまりにも「正論すぎる」のはわかってる。それにさっき『ブラックジャックによろしく』から引用した言葉にも、実はこんな続きがある。

リスクを背負う覚悟がないのなら……子供なんて作っちゃいけねぇのさ……

理屈じゃそうだろ……?

要は理屈じゃ子供は産めねえんだよ

未熟児を受け入れるのも同じ……

あの奥さんだって理屈じゃどうするべきかわかってるよ……

(中略)

あの夫婦は今周囲のすべてから責められている

親族……社会……自分の良心……周り中追いつめるものばかりだ……

彼らに今必要なものはよ……近くに追いつめねー奴がいてやる事じゃねーのかなぁ〜〜……

時間が……かかるのよ……

そう、確かに理屈や正論だけを突き通せばいいってものでもないだろう。でもさ、今の社会は、あるいはこの流れの先にある未来の社会はほんとに、僕の意見を「正論」だと思ってくれるんだろうか?僕はそうも言い切れないんじゃないかと思うんだよね。もしかしたら、

障碍児やからだの弱い子、それに親のいい遺伝子の特質を受け継いでない子供は中絶する!

っていうのが「正論」になって、僕の言ってることなんて「異端」になる未来だってあり得ると思うんだ。それにここで言われているように、未熟児とか予想もしてなかった現実を受け入れるのには時間がかかる。でも出生前診断っていうのは、それにその結果としての中絶っていうのは、

今この瞬間の価値観によって、今後数十年の未来の可能性を完全に決めてしまう

ってことだ。本来「時間がかかる」ものを「時間をかけずに決める」ってことだ。それであとあと悔いることになっても後戻りはできない。っていうか、後悔することすらないかもしれない。だってそのひとは、

障碍児を育てる苦労を知らなくていい代わりに、障碍児を育てる喜びも、知ることができない

ってことだからだ。そしてそのことを知るひとがほとんどいなくなったとき、その「弱さの経験知」を失った社会は、きっと脆さを抱え込むことになるだろう。たとえ、本人たちが気付いていないとしても。

「障碍児産んだら人生終わった」なんて、そんなこと言わないでよ

ここで僕がこういうことを書き続けているのは、こんな文章を読んだからでもある。

“これ読んだら居てもたってもいられなかったから、便乗して日記を書いてみる。■保育園落ちた日本死ね!!!私は&

たとえ吐き出さないとしょうがないほど追い詰められてるとはいえ、こんなことを言わせてしまう社会はあまりにも哀しすぎる。それはこのひとが、

誰だって障害児を産む可能性はあるんだから、

せめて、どんな子が生まれても普通に生活を続けていける社会になって欲しいと切に願う。

(中略)

今、恋をしたり、結婚式をあげたり、妊娠を喜んでいるカップルや夫婦が

いつか重症児の親になってしまった時、もう少し絶望しないですむよう社会が変わっていくといいな。

って書いてるとおりだ。それに、

「命は助かりました。医療ケアがあれば生きて行けます。あとは親御さんが頑張って育ててください」っていう感じで怒涛の育児が始まったw

って思わせてしまう状況があるのも苦しすぎる。だから、やっぱりこんな社会のままじゃダメなんだと思う。じゃあそれに対して僕ができることは、僕の素直な想いを伝えることだけだ。確かに苦しいことも多いけど、時間をかけたからこそ、気付けたしあわせもいっぱいあるってことだ。

状況が違うのに無責任なこと言うなよ!

なんて思うひともいると思うけど、これは僕が自分の人生を懸けて生きた結果今感じていることなんだから、その意味での「責任」くらいは持ってる。それにある意味、

こういう問題から逃げずに向き合うことは、このからだと一緒に生きてきた僕の「責任」だ

とも思ってる。そして僕は未だにときどき自分を責めるようなことを言い出す僕の家族、特に母親に、そんな不必要な罪悪感を持たないようになってほしいと思う。それが僕の心の底からの願いだ。だから僕は現実の大変さを知りながらも、この理想を失くす気はない。そしてどんなこどもでもみんなに受け入れられるような社会を実現させたいと思う。そんな社会にはきっと、愛が満ち溢れているんだろうから。

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