超未熟児として生まれた僕が、『ブラックジャックによろしく』から家族の気持ちとあり得た可能性を想像して思うこと

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眠っている赤ちゃん

今までにも何度も書いたことだけど、僕は医学的には「脳性麻痺」という状態で生きている。そして僕がこの状態になった直接の原因は、僕が生まれたときまだあまりにも未熟児で、呼吸器(肺)が充分に発達していなかったことにある。これはつまり自分に必要な酸素を自力の呼吸で取り入れることができないってことだ。もちろん懸命な処置は施してもらったんだけど、結果として僕の脳は一部が死んだ。そして死んだところが「運動野」だったから、僕は全身の運動機能を思い通りに制御することができなくなった。これが、医学的な観点から僕の状態を説明したものだ。

でも、両親は未だに当時のことを詳しくは語ろうとしない

でも、僕が生まれたときにどんなに危機的な状況にあったんだとしても、その直接の記憶は僕のなかにはない。だから、こういう話は家族や親戚、あるいは医者から断片的に訊いたことを総合して、今の自分が理解しているものにすぎない。それは、全体の概略をぼんやりと浮かび上がらせられるほどには集まっている。けどほんとに深いところの話になると、僕は生まれてから20年以上経った今でも、充分に家族(特に両親)から話を聴けてはいない。それは、まだまだ心情的に、家族が当時の自分を振り返るのが難しいと言っているからだ。言い換えると、あまりにもつらく激しい日々だったから、その当時を深く思い出すと、その心情に立ち戻ってしまってつらいからだと聴かされている。

そんな僕が、『ブラックジャックによろしく』に出会った

そんな僕が、あるとき佐藤秀峰さんの描いた『ブラックジャックによろしく』という作品を知った。そしてその3巻の途中(第21話)から始まる「ベビーER編」は、僕の心は大きく揺さぶられることになったんだ。

現在田辺さんは妊娠28週……お腹の子の大きさは満産期(40週)の子の4分の1ほど……かなりリスクの高い出産になります……

(中略)

しかし今すぐ帝王切開で取り出した場合……リスクは最小限でとどめられます

ただし……それで出生したとしても……未熟な状態で生まれるお子さんには……その後障害が残る可能性があります

どうしますか……?今すぐ帝王切開なさいますか?

冒頭からこんな言葉で、この「ベビーER編」は幕を開ける。この時点で僕はこの状況に魅き込まれずにはいられなかった。だって、

妊娠28週での帝王切開での出産っていうのは、まさに僕と同じだった

から。

「このまま子供たちを……死なせてやって下さい……」

そして第22話終わりで登場したこの子(双子)の父親は、医者に対してこんな言葉を投げかける。

妻は出産時……混乱しており冷静な判断ができませんでした……

なぜ……産ませたんですか……?

私はあの子たちを……自分の子とは認めません

私は子供たちの将来を考えています……もしも2人に重大な障害が残った時……彼らの人生を幸せだと断言する事ができますか……?

このまま子供たちを……死なせてやって下さい……

これに、主人公の斉藤英二郎は最初は控えめに、こう反論する。

だけど仮に障害が残ったとしたって……それが不幸だなんて限らないじゃないですか……

でもそれに対して父親が言った、

育てるのは私であってあなたではない

っていう言葉に、英二郎は激怒して、

だって子供たちはとっても生きたがってるんですよ!!絶対生きてやるって!!目を見ればわかるんです!!

なんて息を切らしながら言い放つんだけど、それでも父親は冷静にこう返すんだ。

ナンセンスです それはアナタの感情論だ

彼らは淘汰されるべき存在です

自然界ならばとても生きていけない……チューブにつながれ人工的に生かされなければ生きられない存在だ

そこまでして生かす事は本当に正しい事ですか?

この間10ページにも満たないやり取りは、ほんとに息が詰まりそうなほど緊迫していた。もちろん、それだけ僕が感情移入したからだ。

僕の家族がこういう判断を下す可能性だって、間違いなくあったはずだ

このあとの物語の結末は、じっくり本編で見てみてほしい。それに今ならこの「ベビーER編」が完結する4巻まで、すべて公式にネット上で無料配信されてもいる。Amazonの電子書籍リーダー『kindle』でも無料でダウンロードできるし。

そして僕が今改めてこれを読んで思うことは、

僕自身の家族がこの田辺さんのような判断を下す可能性だって、間違いなくあったはずだ

ってことだ。

もちろん、具体的な状況に違いはある。僕は双子ではなかったし、不妊治療の結果生まれたわけでもない。けど、初婚で初めてのこどもを産むというときに早産になったという現実の重みは、この作品に描かれた状況にも決して引けを取らないほど過酷だっただろうと思う。だからこそ、家族はこのときのことを未だに詳しく語ろうとはしないんだと思う。そして僕は、あくまでもそれを想像することしかできない。

だけど、結果として僕にはっきりわかることは、

僕の家族は最終的に、僕も含めたみんなで生きることを決意した

ということと、

僕から見て今の家族は少なくともそれなりには楽しそうに見える

ということだ。そしてそれは、そう思えなかった過去を乗り越えたうえでたどり着いたものでもある。その葛藤の一部は、それから先僕が少しずつ年を重ねていく過程で目の当たりにしたものだ。そして僕自身も含めて、それを乗り越えられたのにはいろんな複合的な要因があるとは思うけど、そのひとつはきっと、前に

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のなかでも書いた、保健師さんの

だいじょうぶ。この子は確かにあなたのこどもだけど、あなたが困ったときは、みんなで育てるから。こどもは社会全体で育てていくものだから。それにこの子が大きくなる頃には、社会はもっと変わってる。今できないことも、どんどんできるようになる。今理解してくれないひとも、もっと理解してくれるようになる。だから、だいじょうぶよ!

言葉にあるんじゃないかって気がしてる。そしてこの話を母親の口からポツリと聴いたときには、僕自身とても嬉しい気持ちになったんだ。

だから僕はそんな「社会の力」を失くさずに、もっと育てていきたいと思う

だから僕は、そんなふうに僕を生かし育ててくれた「社会の力」を失くさずにいたいと思う。それに、もっともっとそれを育てていきたいと思う。確かに、障碍者という立場で生きるのはつらいことも多い。でもそれは結局、

自分は周りから受け入れられても、必要とされてもいない

って思わされてしまうからだ。そして僕が今それなりに人生を楽しめているのは、確かに周りのひとたちや環境に恵まれたおかげもあるかもしれない。あるいは、僕が単に少しバカなのかもしれない。でもさ、僕が素直に思うことは、

せっかく生まれてきたひと同士が、楽しみを見つけながら支え合えない社会なんて異常だ

ってことだけなんだ。そして、生まれてきた以上しあわせを求めることはなにも間違っていないと思う。それがたとえ、どんな状況下だとしてもだ。この気持ちは、『ブラックジャックによろしく』によろしくを読んだおかげでより強くなった。そして僕は、ずっとこの気持ちを失くす気はない。

そうでないと、せっかく生き延びた意味が、なくなっちゃうからね。

この文章にはもう少し続きがあります。一緒に読んでいただけたら嬉しいです。

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