だいちゃんに触発されて、改めて臓器提供について考えてみる

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日本のドナーカード

今まで2回、「炎上芸人 だいちゃん」のことを話題にした。

だいちゃんの「炎上芸」に、あえて全力で釣られてみる
単純な好き嫌いというよりも、「どうしても気になるひと」がいるっていうこともあると思う。僕にとってそんなひとりが、「だいちゃん」だ。彼は『だい...
僕は伝えたいことが伝えられるなら、ウェブでも本でも石でもなんでもいい
こないだ、って文章で、今までずっと気になっていた「だいちゃん」について思うことを書いてみた。で、それでとりあえずだいたいはスッキリし...

そしたらあとでその最初の文章にだいちゃん本人から、

どうも、炎上芸人wのだいちゃん(∀)です!

ここまで自分のことを分析して記事にしてくれているっていうのは単純に嬉しいものですね!

ありがとうございます!

これからも、だいちゃん(∀)をよろしくお願いします!

なんてコメントをもらって、その嗅覚に改めて感心しながら、ちょくちょくだいちゃんのサイトを観ていた。そしたら今日、少し驚くことがあった。

だいちゃんの文章で、僕が直接言及されていた

それはだいちゃんのサイトのなかで、僕のことが直接言及されていたことだ。こんなふうに書いてある。

どうも炎上させすぎてインターネット上では有名人ではあるけれど、嫌われ者のだいちゃん(∀)です!

でも、そんなだいちゃん(∀)のことが大好きすぎてついついブログに書いてしまうような方のブログ記事を見つけてしまいました。

今まで散々、様々な方からブログへの言及をされてきたのですが、どれもこれも私への批判ばかりでうんざりしていたところです。

でも、この方の指摘は私のことを凄くよく分析しているな、と思っていて読んでいて面白かったし、これからも言及したいことがあればどんどん言及して欲しいものです。

どうも炎上させすぎてインターネット上では有名人ではあるけれど、嫌われ者のだいちゃん(

僕は別にだいちゃんのことが大好きというわけじゃない。けどそういう「誇張」はだいちゃんのお家芸だからこの際気にしないでおこうと思う。それに実際だいちゃんのことは嫌いじゃないし、ずっと気にして見ているというのは確かだ。それは結局障碍者だっていう共通点があるってことと、

賛同できる部分と意見の食い違う部分が混ざり合ってる

っていうせいなんだろうと思う。でもそれにいちいち反応するよりは自分なりに書きたいことを書くことを優先させてきたんだけど、せっかく

これからも言及したいことがあればどんどん言及して欲しいものです。

なんて言われたから、それを素直に受け止めて、気になっていたことについて、また言及してみようと思う。

「もっと積極的に臓器提供しないのは、「洗脳状態」なのかなぁ?

それは、この文章だ。

そこにはこんなふうに強い言葉で、臓器提供をしないひとたちへの反論が書かれている。

悪い意味で「火葬は良いけれど臓器を取り出すことは良くない」という洗脳状態にある為に、臓器移植というものが普及しないのでしょう。

そんな洗脳状態から開放されましょうよ! 臓器移植によって助かる命がある。火葬して臓器を無駄にしてしまうよりも、そっちのほうが人の役にも立つので良い事しかないじゃないですか!

そういった「助けることの出来る命」を無駄にして殺してしまっているのは、

「遺体から臓器を取り出すなんて”気持ち的に”抵抗がある」

という悪い考え方です。

そんな「気持ち」ごときで助けることの出来る人の命を助けずにいる。

それは人の命を奪っているも同然です。

これはだいちゃんが実際に移植を待つひとだからこそ切実に感じることなんだろうし、それをただ否定することはもちろんできない。でもそれと同じくらい、

大切なひとの遺体に傷をつけたくない!

という気持ちを頭ごなしに否定するのもできないと思うんだ。あと、「遺体は火葬するもの」っていうのは単に文化的な「刷り込み」にすぎないっていうのは確かにそうかもしれないけど、

火や水には「浄化」の力がある

っていう無意識にまで入り込んでるような想いがあるってことを考えると、

いくら遺体であっても自分の家族の遺体から臓器を取り出すようなことなんてしたくない。

そういう感情を持った人が多いのが日本です。

じゃあ、なんで火葬をすることにはなんの抵抗も無いの? 矛盾していますよね?

って簡単に言い切ってしまえるものでもないような気がするんだ。

気持ちと気持ちがぶつかったとき、それを解決するのは簡単じゃない

だからそれを、

そんな「気持ち」ごときで助けることの出来る人の命を助けずにいる。

それは人の命を奪っているも同然です。

なんて言われると、正直つらい部分もある。自分でもすごく微妙な言いかたになるのはわかっているけれど、

だいちゃんの

生きたい!

っていう気持ちと、

大切なひとのからだに傷をつけたくない!

っていう気持ちは、

どっちも切実な気持ちだっていう意味では「対等」だ

ってことを考えないわけにはいかないんだと思うんだよ。同列に語るのはヘンに思うかもしれないけど、たとえば僕がどうしようもないほど生活に困って

ご飯をください!

って知らないひとに必死で声をかけても、みんなにもらえるとは思わない。でもそんなひとでも、自分のこどもを塾に通わせるためにはいくらでもお金を出そうとするかもしれない。それは結局、

「どれだけ困っているのか」ということよりも、「相手が誰なのか」のほうが重要だ

っていう感覚をみんなが持っているからだとも言えるかもしれないと思う。だからそのひとは僕が1日生き延びるために500円のご飯をあげるよりも、自分のこどもに学歴を与えるために1000万円をかけるほうを選ぶんだと思う。そしてそれは、しかたのないことだとも思うんだ。

まして「臓器提供」を迫られるのは「大切なひとが死んだ直後」だ。そのとき、遺族はとても哀しんでいるだろう。心はとても弱っているだろう。そんななかで「どこかの誰かのために」行動するっていうのは、そう簡単じゃない。それに、いくら本人が臓器提供を希望していても、遺族がどうしても同意しない場合は、臓器提供はできない。

臓器を提供する意思表示は15歳以上の方が有効ですが、臓器を提供しない意思は、15歳未満でも(口頭でも)有効です。

基本的に本人の意思は尊重されますが、家族が反対した場合には臓器提供は行われません。

だから、

最後は結局、気持ちの問題がすべて

なんだと思う。それは決して、「気持ちごとき」なんて言えるものじゃない。それがたとえほんとに「洗脳」にしか見えないものだとしても、本人にとってそれが切実な想いなら、そこから抜け出すのはそんなに簡単なものじゃないんだと思うんだ。

だけどせめて、僕もちゃんと「事実」と向きあおうと思う

だけどだからって、僕もこの現状のままでいいと思っているわけじゃない。それにだいちゃんに

こういったことは当事者になってみないと分からない、想像出来ないから、気持ちの問題がどうとか、臓器移植は気持ちが悪い、という考えに至るのです。

なんて言われたら、誰にも反論できないかもしれない。でもそれを重々踏まえたうえで、

当事者と非当事者が「お互いに」歩み寄らないと、事態は変わらない

んだとも思う。

そしてもちろん、僕もそんな「非当事者」のひとりだ。だからこの文章もだいちゃんにとっては「無理解の結晶」に見えるかもしれない。だけど僕はせめて、ちゃんと事実と向き合いたいとは思っている。

それはたとえば、

臓器摘出後の遺体は、手術の場合と同様に傷口をていねいに縫合し、必要な場合はガーゼでおおうなどの処置をし、できるだけきれいな状態にして、遺族の元へ返されます。なお、臓器摘出の手術にかかる時間は、臓器の種類によっても異なりますが、おおむね4~6時間です。

とか、

脳死の場合ご家族が提供に同意されてから1~2日後になります。摘出による傷は綺麗に縫い合わせて外から分
からないようにします。眼球提供の際は、義眼を入れ顔はほとんど変わりません。

っていう事実だ。そしてそういう「事実」をひとつひとつ真摯に受け止めたうえで、「自分の気持ち」と真剣に向き合うしか、方法はないと思う。その結果はそれぞれ違うだろう。けどせめてその過程に本気で向き合うことが、必要なんだと思う。

臓器移植の問題は倫理的にも宗教的にもすごく繊細な問題だし、僕もまだまだ勉強不足なのを自覚しているから今まで踏み込まないでいたんだけど、だからこそ僕ももっと考えていこうと思う。

だいちゃん、そんないい機会をくれてありがとう。これからもお互いがもっと楽しく生きていけるように、僕もやれることをしようと思う。だから、よろしくお願いします。
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