第2次世界大戦で日本は壊滅的な打撃を受けた。もちろん僕は直接その時代を見たわけじゃないけど、それは資料を少し見てみただけでも明らかだと思う。だけど日本はそこから復興した。そのとき僕がいちばん単純に疑問だったのは、
あんなにめちゃくちゃにされたのに、みんなのご飯は足りたの?
っていうことだった。
ひと昔前の日本の食料自給率は、とても高かった
それでいろいろ訊いてみたり調べてみたりしたら、やっぱり戦後10年間くらいは特に食料事情も厳しかったらしい。それは、たとえばこんなページにも克明に書かれている。
でも、それをなんとか乗り切ることができた背景には、その頃の日本の食料自給率が今よりはるかに高かったことも影響している。たとえば農林水産省の資料を見てみても、昭和40(1965)年度の段階では、カロリーベースで73%の食料を自給していたと書いてある。
もちろんその他にも外部からの支援とかの要因はあるにしても、日本国内にも基盤があったから、そのときの危機をなんとか乗り切ることができたんだと思う。
食べものがあれば、ともかくからだは死なない
いきなり慣れない歴史の話をしてなにを言いたかったかというと、
ってことだ。それに僕は生まれも田舎だったし、農家さんの生活というのは比較的身近に感じていた。そして「みんなのいのちの基礎を作る」っていう農家の仕事は、大変だけどすごく大切で、やりがいのある仕事なんじゃないかと思っていたんだ。
実際今は食料自給率もすごく下がってしまってるし、農業従事者の数も減ってしまっている。でもだからこそそれをなんとかしようとして活動しているひとはたくさんいるし、僕ももし他のひとと同じように動くからだで生きていたら、そんな生きかたを選んでいた可能性もあるような気がするんだ。
福岡正信さんは、「国民皆農」を唱えていた
今僕の知り合いには農業に興味を持っていたり、実際に農業に携わってたりするひとがけっこういる。そしてそんななかで、自然農法の大家として福岡正信というひとがいるのを知った。彼の思想はいろんなところで紹介されてるけど、たとえばこのページにも彼の著作の一部が引用されている。
人々の帰農を拒否している第二の難関は、農地が入手できるかである。
小さな島国の中に一億人がひしめき、地価は暴騰して農地を入手することは極めて困難にみえる。こんな状態の中で私はあえて国民皆農をとなえているのである。
日本の農地は約600万ヘクタールで、大人一人当り10アール(300坪=一反)以上の面積になる。日本の土地を2000万世帯に分割すれば、一家一世帯当り三反歩の農地と、その他に山林原野が一ヘクタール(一町)がつくわけである。
一家数人の者が、完全な自然農法で自給体制をとるために必要とする面積は、わずかに10アール一反歩でよい。
その面積の中で小さな家を建て、穀物と野菜を作り、一頭の山羊、数羽の鶏や蜜蜂を飼うこともできる。
もし全国民が本当に一反百姓の生活に満足できるならば、その実現は不可能なことではない。
(中略)
農業の本質は、もうけるもうけないは目標にならない。その土地をどんなに生かすかが最大の問題となる。自然の力を最大限に発揮せしめて上作をすることに目標をおく。
それが、自然を知り、自然に近づく道でもあるからである。所得本位でなく人間本位でもなく、その田畑が主体である。自然の田畑が、自然の代理者であり、神である。神に仕える農夫なれば、彼の報酬は第二の問題で、田畑がよく豊かに稔れば、百姓はそれを喜び、満足できるはずである。
その意味からすると、日本の百姓は土地を生かすことに忠実であったから、世界で最も優れた農夫であったといえる。
五反百姓、一反百姓は、農業の源流の姿といえるのである。また、一反百姓論は貨幣経済からの脱出を目ざしているものである。
一人一人が一反百姓 - ノボ村長の開拓日誌自然農法の創始者にして、粘土団子による砂漠の緑地化にも貢献した故福岡正信著『緑の哲学』を読んでいま..
ここで言う
貨幣経済からの脱出
っていうのは、「お金に縛られない生きかた」くらいの意味で捉えてもいいのかもしれないけど、確かに自分で自分の食べられるお米を作って、その土地を生かしながら暮らしていくっていうのは、素朴な生きかたとしてはひとつのいい選択肢かもしれない。それにやっぱり、食べものが生きる基盤だと考えたら、それは間違いなく価値のある生きかただとも思う。
でも、僕にはどうしたってそんな生きかたはできない
でも、たとえどんなに思想的に共感するところがあったとしても、それにそういうことを実践している知り合いがいくらいたとしても、僕にはどうしたってそんな生きかたはできない。それは個人の好き嫌い以前の問題だ。
あと僕はちいさい頃から『天空の城ラピュタ』が好きだった。特にそのなかの終盤、シータがムスカに言う
いまはラピュタがなぜ亡びたのかわたしよくわかる。
ゴンドアの谷の歌にあるもの
土に根をおろし、風とともに生きよう。
種とともに冬を越え、鳥とともに春をうたおう。
どんなに恐ろしい武器を持っても、たくさんのかわいそうなロボットを操っても、土から離れては生きられないのよ!
っていうのは僕の心に深く刻まれている。でも、僕にはそれはできない。実際自分が動けるからだだったらどんな生きかたをしていたかなんてほんとはわからない。だって今の僕の価値観は、このからだで生きてきたから培われたものだんだから。けどともかく今の自分には、自分が土から離れているということに、僕のなかでモヤモヤとした感覚があったのは確かだったんだ。
ここが、僕の田畑だ
でも、こないだふと思ったんだ。
『四つ這いおとな』は、僕の田畑だ
って。僕は今、この土地を借りて、耕している。ときには文章を、またあるときには詩を、物語を、自由に植えている。これはまだ始まったばかりで、この土地はまだまだ肥沃とは言えないかもしれないけど、これから手をかければかけるほど、少しずつでも豊かになっていく気はする。そしてここは、
だ。こんな場所があることは、僕にとってそれ自体が大きな収穫だった。そしてそのことに気付いたとき、僕は思ったんだ。
身体の飢えは、食べれば治まる。でも心の飢えは、吐き出さないと治まらない
僕たちは、食べものがないと生きられない。でもそれは逆に言えば、食べものさえあれば生きられるってことだ。そしてその食べものが、自分を作る。だから、福岡正信さんはかつて「国民皆農」を勧めた。それは自由に近付くためだ。でも、僕たちはそれだけでほんとに自由になれるんだろうか?ただ「食べもの」や「家」や「からだ」があるだけで、僕たちは生きていくことができるんだろうか?
僕は、そうじゃないと思った。
心が死んだら、からだも死ぬ。じゃあその心の飢えを治めない限り、僕たちは生きていけない。だったら、僕も福岡さんが「国民皆農」を勧めたように、こう言いたい。
みんな全員、ブロガーになればいいんじゃない?
ちょっと試しに演説風に言ってみよう
もうついでだから、福岡さんの言葉に倣って演説してみよう。
ひとびとがブロガー化を拒否している難関は、サイトが運営できるかである。
実質限りあるようにも見えるネット空間のなかに世界中のひとたちがひしめき、サイトは乱立して自分の居場所を入手することは極めて困難にみえる。こんな状態の中で私はあえてみんな全員ブロガー化をとなえているのである。
サイトを運営するうえで乗り越えるべき障壁は、近年ますます下がっている。1人の人間が、ネット空間においてほぼ完全な自由を得るには、月1000円くらいでよい。
そのサーバーのなかでメインサイトを運営し、後々はサブサイトやメディアを運営することも可能なのである。
もしひとびとが1人1サイトを持つ生活に満足できるならば、その実現は不可能なことではない。
ブロガーの本質は、もうけるもうけないは目標にならない。そこにどんな言葉を綴るかが最大の問題となる。自分の想いを最大限に発揮せしめて言葉を綴ることに目標をおく。
それが、自分を知り、自分に近づく道でもあるからである。所得本位でなく社会本位でもなく、あなた自身が主体である。あなたのサイトが、あなたの代理者であり、神である。神に仕える運営者なれば、彼の報酬は第二の問題で、サイトがよく豊かに稔れば、運営者はそれを喜び、満足できるはずである。
サイト運営、ブログ運営は、表現の源流の姿といえるのである。また、みんな全員ブロガー化論は言いたいことも言えない閉塞感、心の飢餓からの脱出を目ざしているものである。
自分が作った場所なんだから、好きに育てればいい
それに、ネットは別に匿名だっていいんだ。ただ大切なことは、自分の想いを素直に表現するってことだ。そうすればいずれそれに共鳴してくれるひとだって出てくるかもしれない。そこから長く交流したり、実際に会うことだってできるかもしれない。そうやってあなたの想いを共有できるひとが増えれば、あなたの心の飢えはきっと和らぐと思う。そうすれば、あなたはきっとまた生きていられると思うんだ。
別に、毎日書く必要はない。自分のものなんだから、自分で好きに遣えばいい。それにたくさんのひとが言うことだけど、書くことがないってことはしあわせなことだと思う。だから、無理をしなくてもいい。でも、もし心が飢えたときには、渇いたときには、自分のサイトにそれを吐き出して、消化して、実りに変えてしまえばいいんだ。それはきっと、あなたを助けてくれると思う。それにもしイヤになったら、やめてしまったっていいんだし。
でももちろん、やるかやらないかはあなたの自由だ。けど僕はまだ続けていく。だって僕はまだまだここの可能性を引き出しきれていないんだから。これからどんな実りが収穫できるか、楽しみだ。

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