「障害者差別解消法」を手当たり次第に武器として扱うと、「モンスター障碍者」になってしまう

広告
気持ち悪いモンスター

今年2016年4月に、「障害者差別解消法」が施行された。でもそのことを知っているひとはまだまだ少ないようだ。だからこないだの『バリバラ〜Barrierfree Variety Show〜』という番組では、この法律について大々的に特集が組まれた。

「障害者差別解消法」ってなに?のページ。「生きづらさを抱えるすべてのマイノリティー」の人たちにとっての

障害者差別解消法の「プロモーションビデオ」が作られた

まずそこで行われたインタビューは、

障害者○○解消法っていう法律を知っていますか?この○○に入るのはなんでしょう?

っていうものだった。結果それに正しく「障害者差別解消法」だと答えられたのは44人中3人だったという。そこで番組では、「障害者差別解消法についてわかりやすく説明する」という趣旨で、こんな「プロモーションビデオ」が作られていた。リンク先から見てみてほしい。出演は「寝たきり芸人」のあそどっぐと「本能寺の変」のネタなんかで知られてる「エグスプロージョン」だ。

「生きづらさを抱えるすべてのマイノリティー」の人たちにとっての

この動画は全部で2分40秒あるんだけど、メインは1分過ぎあたりから出てくる「差別の具体例」の部分だと思う。そこを今から順に見ていきながら、僕なりの意見を書いてみたいと思う。

これって、「例のあの話」ですよね?

まず最初に挙げられている事例を見てみよう。なになに、

レストラン車いすで行ったら入店拒否られ、「お客様の迷惑になる」→差別

あ〜、これって、例のあの話が元ネタですよね?はっきり言いますけど、「乙武洋匡、イタリアンレストラン店名晒して大暴走事件」の話を意識してますよね?

でもこの話は、

これだけで即座に「差別」なんて言えないよ!

っていうことでほとんどのひとが納得して、むしろそれをゴリ押しした乙武さんの評判が下がり、ついには発端のツイートを消してしまうくらいだったんですよ?

あさなまです。乙武さんと銀座イタリアンレストランのトラブルの記事ですが、反響が大きいのでびっくりしています。ネットサーフィンをして様々な意見を集めましたのでご覧ください...
「五体不満足」の乙武洋匡氏が、予約していた銀座のレストランで、車椅子だからと入店拒否された件で、店名を晒してツイッターで批判。店に非難が殺到しているという...
乙武洋匡の不倫騒動はなかなか歯止めが効かないですね。 今までクリーンなイメージだった人が一度でも 不貞行為なり…
   作家の乙武洋匡さんが2013年5月に「車いすだからと入店拒否された」として飲食店を名指しで批判した件について、「当時はほとんど心神喪失状態にあった」と12月18日に打ち明けた。

もちろん、このレストランがすごく広くて、エレベーターもあるようなビルに入ってて、スタッフさんもいっぱいいるはずなのに、

車いすのお客さんは邪魔なんで、帰ってくださいね〜

なんて言うのは完全に差別だって言ってもいいと思うけど、この表現だけで「差別」って言い切っちゃうのはけっこう誤解を招きやすい危険なものだと思う。

アパートに小規模駅、これもなかなか微妙なチョイスだなぁ……

とりあえず次も見てみよう。

アパート貸してください 「障害者には貸しません」 ペットは可なのに障害者はダメ?→差別

えっと、確かにこれはさっきの事例よりはわかりやすい気もするけど、こういうのは実際よくあるんだよね。

この時期は春からの新生活に向けて「部屋探し」をするひとも多いと思う。僕も今部屋を借りて生活しているんだけど、せっかくだからそんな僕の部屋探し...

そしてこれを言うときに問題になるのは、これがどこまで「障碍者差別」なの?ってところだと思うんだ。実際、

ペット不可!

とか

猫以外のペットは不可!

あるいは

外国人お断り!

ここは女性限定のアパートです!

なんていうのもいっぱいあるし、もっと言うと

定職に就いてる保証人がいないとダメです!

なんていう部屋だってたくさんある。もちろんそれはそれで問題があるんだけど、それを全部「差別だ!」って言って簡単に責められる問題かって言うとそうでもないと思う。だからましてこの流れのなかでこういう事例を「障碍者差別」っていうふうに言い切ってしまっていいのかは、ちょっと微妙な気がするんだ。住む場所はほんとに大切だから、気持ちは重々わかるんだけどね。

そして次はって言うと、これだ。

この駅エレベーター無い 「駅員ひとりで対応できません。隣の駅を使ってね」→差別

う〜ん、確かにこれもほんとに困るんだけどね、これを「差別」って言ってしまっていいのか……難しい問題だと思うんだよね。だから僕としてはここまでの3つの事例は、「差別の典型的な事例」とまでは言い切れない、けっこう微妙なものばっかりだと思うんだよね。

結局この法律の趣旨っていうのは、「ちゃんと話し合いなさい」ってことなんじゃないの?

ここでひとつの結論を言っちゃうと、僕はこの法律のいちばん根底にある思想は、

お互いにちゃんと話し合いなさいね!

っていうことなんだと思う。そして大切なことは、

話し合いの結果いつも「弱い立場のひと(障碍者)の意見が通る」とは限らない

ってことなんだ。だから場合によっては、好きなレストランに入れないのも、小さな駅を利用できないのも、気に入ったアパートに入れないのも、「これは、しかたがないですね」ってなることだってある。これがずっと続いていいっていうことじゃない。少しずつでも改善していけばいいとは思う。でも、

お互い手を尽くしたけど、今のところ、しかたがないね

ってなることは、いっぱいあると思うんだ。

ただだからと言って、「話し合いもしない」っていうのは間違っている。だから動画にもあるように、

筆談はやりません!

っていうのは明らかに「差別」なんだよ。でも、「話し合い」っていうからには、それはもちろん「弱い立場のひとの想いに寄り添う」っていうことでもあるけど、それと同じくらい

弱い立場のひとも、相手の立場や想いを聴く

っていうことが前提になってないとおかしいと思う。だから、僕はこの法律のひとつのキーワードになっている「合理的配慮」っていう言葉についても、

お互いがお互いにできる限りの配慮をするのが「合理的配慮」だ

っていう認識で捉えている。たとえば僕みたいな車いす乗りがどこかのレストランに入ろうとするときには、事前に

そちらは車いすに乗ったままでも入れますか?

って電話で確認しておくとか、

手伝ってもらいやすい、比較的空いている時間帯はありますか?

なんて訊いておくのは僕にだってできる、「合理的配慮」だと思う。あと確かに、「最寄りの駅に設備がないから、しかたなく遠くの駅で下りて、自費のタクシーで急行する」なんてことはある。でもそれはある意味、「障碍者手当」が出ているひとつの理由でもあるんだと思うんだ。だってさ、これを逆に言うと、

「障碍者だから発生している経済的損失」がないってことになったら、「障碍者手当」なんて要らないでしょ?

もちろん、その額がもう少し多いほうがいいとか、そういう細かな要望はあるにしても、「なんのために障碍者手当が出ているのか」ってことを考えたら、それを単純に「差別だ!」って言えばいいっていう問題じゃないんだろうとは思うんだ。

なにを言ってるのかっていうと、

確かに現状はまだまだひどいけど、大切なのは「そのなかで少しでもいい状況を作るにはどうしたらいいかを、一緒に考えること」だ

ってことだ。だからこそ、「話し合い」が必要なんだ。

「なら訴えます」→「ごめんなさい」っていうやり取りも、微妙に外れてると思う

あとこの動画の最後のほうで、障碍者の要望をことごとく無視する相手との間で

なら訴えます

ごめんなさい

っていうやり取りがあるけど、これも微妙に外れてると思う。あれだけことごとく無理解を示すような相手が

訴えますよ!

って言われたくらいで

ごめんなさい

なんて言うとはとても思えない。だってさ、

この法律には、直接の「罰則」はない

んだよ?だから別にこれに違反したからって言っても「指導」があるだけなんだ。もちろん、その指導にまったく応じないとか、明らかな合理的配慮に欠けている状態が続いている場合にはだんだん対処も厳しくなっていくけど、特に相手が民間の事業者の場合、基本的にあるのは「努力義務」だけだ。ちょっとこれを読んでみてほしい。

Q5.合理的配慮について、法律(第7条第2項、第8条第2項)を見ると、国の行政機関や地方公共団体などは「~しなければならない」とされており、民間事業者は「~するよう努めなければならない」とされていますが、これはなぜですか。

A. この法律は、教育、医療、公共交通、行政の活動など、幅広い分野を対象とする法律ですが、障害のある方と行政機関や事業者などとの関わり方は具体的な場面によって様々であり、それによって、求められる配慮も多種多様です。

このため、この法律では、合理的配慮に関しては、一律に義務とするのではなく、行政機関などには率先した取組を行うべき主体として義務を課す一方で、民間事業者に関しては努力義務を課した上で、対応指針によって自主的な取組を促すこととしています。

Q6.「自主的な取組を促す」というのでは心配です。民間事業者による取組がきちんと行われるようにする仕組みはあるのでしょうか。

A. 民間事業者の取組が適切に行われるようにするための仕組みとして、この法律では、同一の民間事業者によって繰り返し障害のある方の権利利益の侵害に当たるような差別が行われ、自主的な改善が期待できない場合などには、その民間事業者の事業を担当する大臣が、民間事業者に対し、報告を求めたり、助言・指導、勧告を行うといった行政措置を行うことができることにしています。

Q7.企業などがこの法律に違反した場合、罰則が課せられるのでしょうか。

A. この法律では、民間事業者などによる違反があった場合に、直ちに罰則を課すこととはしていません。

ただし、同一の民間事業者によって繰り返し障害のある方の権利利益の侵害に当たるような差別が行われ、自主的な改善が期待できない場合などには、その民間事業者が行う事業を担当している大臣が、民間事業者に対して報告を求めることができることにしており、この求めに対して、虚偽の報告をしたり、報告を怠ったりしたような場合には、罰則(20万円以下の過料)の対象になります。

だからこの法律を

こんなの、理念だけのザル法じゃないか!

っていうひとがいるけど、僕もほとんどその通りだと思う。だから少なくともこの法律だけを頼りにして、

なら訴えますよ!

なんて言ってみたところで、相手が悪徳業者だったら、

やれるもんならやってみろ!裁判費用のほうが高くついても知らねぇからな!

って言われて終わりだろうと思うんだ。だからこれを「障碍者の伝家の宝刀」みたいに思うには、あまりにも弱すぎる。

「健常者は敵だ!」と言うのだって、立派な「逆差別」だ

だから僕はさっきも、この法律の趣旨は、

お互いちゃんと話し合いなさいね

っていうところにあるって言ったけど、これを自分たちだけに都合よく解釈して、なんでもかんでも

差別だ!差別だ!配慮しろ!言うとおりにしろ!

なんてひとたちが出てきたら、

それはもう悪い意味での「プロ障碍者」っていうか「モンスター障碍者」だ

と思う。そして昔のやりかたを今にそのまま持ち込んで、

健常者は敵だ!

なんて言い出したら、それはもう立派な「逆差別」だと思うんだ。それはある時代、ある状況では有効だったかもしれないし、その結果「勝ち取ってくれたもの」にも感謝はしている。でも少なくとも僕はもう、そんなことをしたいとは思わない。

「障碍者」というのは「社会的弱者」だと言い換えてもいいと思うんだけど、そんな「弱者」は社会がよっぽど成熟して、包容力にあふれているひとたちの...

そしてもし、もしもだけどこの「障害者差別解消法」が悪い意味で力を持ちすぎて、

誰も「障碍者」には文句言えないなんて状態になってしまったら、それはそれで悪夢だ

と思うんだ。そして、たとえ「障碍者」とひと括りにされたって、そこにはいろんな考えのひとがいる。だから僕は僕なりに思うことを、これからも言っていきたいと思う。

だって僕はあなたとちゃんと話し合いたいから。

コメント

  1. きんくま より:

    ブログを拝見しました。

    確かに一般論的には話し合いは有効かと思います。

    ですが私のように発達障害という困難を抱えていますと、認知の問題で話し合いそのものが困難だったりします。

    話し合いという行為には、一定レベルの知性、コミニケーション力、社会的な経験、共通の認識力といった様々な能力が必要です。そして自分とは違う価値観であっても1つの意見として受け止める受容力。(実行するかは別です)

    私はバリバラのメンバーの発言に違和感を覚えましたが、合理的配慮=話し合いにも違和感があります。

    話し合いを前提や正義にしてしまうと、話し合いという行為そのものに困難を抱えている方には辛いのではないでしょうか。

    理想論かもしれませんが、お店の方、来店の障害者、その友人、その他のお客さん、たまたま通りかかった人誰でも良いのです、誰か知恵のある方がこういった解決策妥協策あるよね?と提示出来るような社会、環境が真の合理的配慮なのではないでしょうか。

    話し合いだと、当事者同士だけの問題、自己責任論に終始してしまうのではないかという危惧があります。

    お互い様、情けは人のためにならずという考え方が当事者同士(この場合はお店と障害者の方)だけでなく社会全体で共有出来たら良いなと個人的には思います。

    ただ仰るように、モンスター障害者はあってはならないことです。色々と難しいですね。

    • きんくまさん、こんにちは。

      確かに、話し合いはお互いの意志や根気などいろんなことがあってはじめて成り立つと考えるとそう簡単ではないとも思います。

      けれど、きんくまさんがおっしゃるように第三者であれ誰であれ、

      こういった解決策妥協策あるよね?

      という提示ができるためにはそもそも話し合いが必要で、そうでなければ今度はそのひとの「押し付け」になってしまうという難しさがあると思います。

      それと、僕は話し合いを必ずしも1対1のものとして考えていないので、社会がたくさんのひとたちの集合としてできている以上、それに関わる話し合いもできるだけたくさんのひとを巻き込むかたちにできたらいいと思っています。

      そのうえで、自分以外にも自分の気持ちを共有してもらえるひとが増えるのはありがたいし重要なことでもありますが、一方で自分の気持ちをいちばん繊細にわかるのは最も自分の身近にいる自分自身しかいないとも思うので、その意味でもやはり自分の想いを伝えることは大切なことだと思っています。

      それに、きんくまさんはご自身のことを「話し合いそのものが困難」と思っているようですが、僕ときんくまさんの間でも今「話し合い」が成立しているとは思いませんか?だから僕は、これからもこういうことを続けていけたら、とても嬉しいです。

  2. きんくま より:

    お忙しい中、ご返答有難うございました。

    皆が皆、主様のように穏やかで根気があり、相手の言い分を受容出来る方でしたら私でも話し合いは出来るかと思います。ただ悲しいかな、私の経験上そうでないケースが多かったので…。

    勿論、自分で自分の気持ちを伝えるのは大事です。

    ただ、例えば私は自分の気持ちを把握するのに時間がかかります。ネットでは沢山考えてから書き込めるので違和は少ないかと思いますが、実際だと咄嗟に反応することが難しく、場合によっては混乱状態になります。特に相手が少しでも感情的な場合パニックを起こすのです。

    更に難しいのが認知の差です。

    これを言葉で説明するのはとてもとても難しいです。

    見えてる景色が違うのです。そしてその景色の受け止め方も。よく宇宙人と会話している気持ちになると表現される方がいますが言いえて妙なのです。

    話し合いそのものを否定したいのではありません。

    ただ、混乱状態の私に「話し合いしようよ」と言われても見方を変えれば話し合いの押し付けになってしまう事になってしまうのではないかと思うんです。混乱していると、私は今混乱していて話し合いが出来ませんという自己申告が出来ないのです。

    想像上の困難を抱えている方もいます。この場合、お店の人の大変さが想像出来ないので(時間によって忙しさの度合いが違う、他のお客様のことなど)主様のような提案を自発的には出来ません。文字通り想像出来ないのですから。

    私も障害者側が一方的なのはどうかと思いますし、最初のコメントにも書きましたが、バリバラの対応には違和感を覚えました。

    基本的には話し合いでの解決が一番だとも思います。

    ただ話し合いを「咄嗟に」だとか、「その場で」ですとか「1人で」(認知想像の困難を抱えている場合通訳者のような他者の存在が必要な時がある)だと難しい場合があるということをお伝えしたかったのです。

    なんでもそうですが、どんなことでも善だと確信してしまうと凶器になってしまうものだと思うんです。話し合いという行為はまごうことなき善であるとした場合、武力と変わらなくなってしまうと思うんです。話し合いはエゴであるという側面があるということや、上記のような人達もいるという認識の下での話し合いでしたら素晴らしいと思いますし、私のようなコミニケーションに障害を抱えてるものでも話し合いは可能かも知れません。

    • そうですね、僕もいつでも話し合いができるわけではないとも思いますし、こちらにその意志があっても相手に拒絶されてしまうようなこともあります。

      それにお相手も(それに僕自身も)時間に限りがあるなかで生活しているので、すぐにその場で話し合いをしたいと思っても難しいこともあって当然だと思います。

      特に、その話し合いに意義を見出だせないのならなおさらです。

      けれど、基本的に見えてる景色がひとそれぞれ違うのは当たり前のことですし、「想像」といっても結局は自分の世界観を他者とすり合わせることによってかろうじて可能になっているものにすぎないと思いますので、やはりそのなかで誰かと一緒に生きていくには話し合いを積み重ねていくしかないとも思っています。

      ただ、おっしゃるとおり

      私は今混乱していて話し合いが出来ません

      という自己申告をするのも難しい場合があるとも思いますので、そのときには

      まぁこの場ですぐに答えなんか出せませんし、これからもゆっくり考えていきましょう

      くらいのゆったりとした気持ちを持っていられるようでありたいと思います。

      別に、論戦に勝つとか負けるとかが、話し合いの目的ではないので。

      それに僕自身があなたの言う、

      通訳者のような他者

      になれたらいいなぁとも思います。

      ともかく今僕がいちばん強く思うことは、僕との話し合いできんくまさんが混乱しなくてよかったということです。

      こちらこそ、たくさん時間をかけて伝えてくださって、ありがとうございます。

  3. どどこ より:

    はじめまして。
     
    バリバラ「障碍者差別解消法」を見て、なんだかモヤッとした気持ちで、いろいろ検索していたら、四つ這いおとなさんのブログに辿り着きました。

    すばらしいご意見を、ありがとうございます。
      
    レストランで時間調整を提案されたら…に対して

    「働いていて、その時間にしか昼食がとれないとしたら?」

    という意見がありましたが、それは車椅子じゃなくても同じこと。

    休み時間に食事をすませて職場に戻るために、他の店に行くだけのことです。
     
    アパートやマンションの件も、駅でのことも、同じ。

    何もかも受け入れ態勢にするのは本当に難しい…。
     
    障碍の有無に限らず、年齢・性別・出自・学歴…あらゆることに差別があります。

    お互いが納得できるポイントに行きつくまでには、多くの会話と時間が必要ですね。

    • どどこさん、こんにちは。

      そうですね、そういうふうに考える度に「障碍」というものを「特定の疾患や状態」などに押し込めて考えるのは無理があり、もうこれは「社会と個人の関係性」において捉える以外にないと思えてきます。

      そして「社会」というものが「他者の集合」であるからには、時間や根気がかかる地道なものだとしても「話し合い」に活路を見出す基本姿勢でいるのが結局はいちばん柔軟で確実なのではないかと思っています。

      お金にも時間にも力にも限りがあるなかで、すべてを隅から隅まで完璧にするのは無理だとしても、そこにどのような優先順位をつけて、どういう着地点を見出すか、それをじっくり話し合って、少しずつでも実践していける土壌ができればいいなぁと、強く思っています。

  4. きんくま より:

    そうですね、主様が通訳者になりたいと思うと仰って下さり、大変嬉しく心強く感じています。逆に私は気持ちの整理という面では難しくとも、身体的には余力がありますので、車いすの方の椅子を押したり、変わりに荷物を持ったり、眼のご不自由な方に説明したりといったことは出来ると思うんです。障害のあるなしに関わらずお互いの余力の部分を少しずつでも差し出せるともう少し住みよい社会になるのではないかと思ったりもします。

    質問させて頂きたいのですが、バリバラでのレストランのケースの場合、車いすを畳むもしくは別の場所に置き、ご本人様だけ、店員や他のお客さんが肩を貸して(場合よっては2人がかりで抱き抱えて)席に移動して頂くというのは不可能だったり何か失礼だったりするのでしょうか?

    私はバリバラを見てそうすれば解決するのでは?と思ったのですが…。病状によりけりだとは思いますし、お店の椅子の形状によるかも知れません。

    背もたれがないときついかも知れません。それなら壁側の席のお客さんに壁側の席を譲ってもらうなど、皆で少しづつ気遣いのおすそ分けで解決することは出来ないのでしょうか?もし上記の方法でも問題ないようでしたら、私にとっての(あくまで私個人です)合理的配慮とは気遣いのおすそ分けだと考えています。

    主様にとってもコメントを拝見して、合理的配慮=話し合い=複数での気遣いという認識だと受け止めています。

    ですが私の受け止め方での世間一般の感覚は、話し合い=当事者同士の問題、合理的配慮=当事者同士で解決する問題という認識のように感じています。番組もそのような認識で制作されたように感じたのです。だから違和を感じたんだと思うんです。

    もう一つだけ教えて下さい。

    例えば主様も人の子ですから、怒ったり、相手のことを嫌いになったり話したくない相手がいるということはあると思うんですが、例えば話したくない相手、嫌いな相手が主様と「話し合い」がしたいと申し出があったとき、主様は応じられますか?

    もし主様が応じられる場合、「話したくない」という自分の気持ちに反することになりますよね?主様は、自分の気持ちを押し殺してでも話し合いはするべきだという信念をお持ちでいらっしゃるという認識受け止め方で良いのでしょうか。

    • バリバラでのレストランのケースの場合、車いすを畳むもしくは別の場所に置き、ご本人様だけ、店員や他のお客さんが肩を貸して(場合よっては2人がかりで抱き抱えて)席に移動して頂くというのは不可能だったり何か失礼だったりするのでしょうか?

      僕の場合で言えばこれでまったく問題ありません。

      ですがおっしゃる通り結局は個別の状況次第になってしまうので、やはり話し合うしかないと思います。

      そしてこの場合特に注意が必要と思われるのは、たとえば

      ・車いすから離れても問題ないからだの状態なのか?

      ・誰かに抱きかかえられることに心理的な抵抗はないか?

      ・トイレに立つときなどはどうするか?

      ・最初に手伝ってくれたひとたちが先に帰ってしまった場合、店員さんだけでも対応できるか?

      といった部分ではないかと思います。

      例えば主様も人の子ですから、怒ったり、相手のことを嫌いになったり話したくない相手がいるということはあると思うんですが、例えば話したくない相手、嫌いな相手が主様と「話し合い」がしたいと申し出があったとき、主様は応じられますか?

      もし主様が応じられる場合、「話したくない」という自分の気持ちに反することになりますよね?主様は、自分の気持ちを押し殺してでも話し合いはするべきだという信念をお持ちでいらっしゃるという認識受け止め方で良いのでしょうか。

      基本的に話し合いには応じたいと思います。それは話し合いをすることによって、少なくとも自分の気持ちを伝えられる場が生まれるからです。

      あとは「話したくない」という気持ちの強さと背景にもよりますが、それでも今話したくないと思っている理由くらいは伝えられるので、相手が聴く態勢でいてくれるのであれば、それをなんとか活かしたいと思います。

      もちろん、再三の話し合いを繰り返しても傷つけあって溝を深めてしまうような場合もありますが、それでも初回から断ってしまうのはもったいないとは思っています。

      そのうえで、時間を置いたりいったん一歩退いてみたりすることが有効な場合もあるでしょうし、僕も落ち込むことはあるので、無理をしようとは思っていません。ただ僕の場合は、

      たいていの局面で「話したくない」という気持ちより、「伝え合いたい」という気持ちのほうが勝る

      ということなんだと思います。

      それから、きんくまさんのおっしゃる、

      障害のあるなしに関わらずお互いの余力の部分を少しずつでも差し出せるともう少し住みよい社会になるのではないかと思ったりもします。

      私にとっての(あくまで私個人です)合理的配慮とは気遣いのおすそ分けだと考えています。

      というのは、僕も深く共感します。そんな考えかたで、みんながゆるやかに支え合えたらいいなぁと、いつも思っています。

  5. きんくま より:

    何度もご真摯にご解答下さり本当に本当に有難うございました。

    お店の従業員数を増やすという事よりは現実的な解決案かと思いお聞きしてみました。

    変な質問もしてしまい申し訳ありません。

    私は人を怒らせてしまってもなぜ怒っているか分からない時があって、相手にせめてなぜ怒っているか教えて頂きたいのですが、大抵相手の方は無視をされることが多かったり、普通の時でも、私は認知の確認をしないと話がかみ合わないため、説明が長く、くどくなってしまう傾向があるのですが、そこがまたお相手の新たな怒りを誘発してしまうのです。(説明を省くと今度は全くかみ合わない)

    そして私は相手が感情的になるとパニックになるという…。(相手の人柄と関係性と状況にもよりますが)

    なので私にとっては話し合いは恐怖なのです。

    ですが主様のような方もおられるのですね。

    今他のブログ記事も拝見させて頂いています。ご迷惑でなければまた機会がありましたら話し合いをさせて下さいませ。

    何度もコメントさせて頂き有難うございました。

    • 私は人を怒らせてしまってもなぜ怒っているか分からない時があって、相手にせめてなぜ怒っているか教えて頂きたいのですが、大抵相手の方は無視をされることが多かったり、普通の時でも、私は認知の確認をしないと話がかみ合わないため、説明が長く、くどくなってしまう傾向があるのですが、そこがまたお相手の新たな怒りを誘発してしまうのです。(説明を省くと今度は全くかみ合わない)

      そして私は相手が感情的になるとパニックになるという…。(相手の人柄と関係性と状況にもよりますが)

      なので私にとっては話し合いは恐怖なのです。

      そうですね、こうなってしまうととても怖いし、苦しいですよね……。

      ただ最初から最後まで、少なくとも僕自身はきんくまさんとのやり取りを迷惑だなんていうようにはまったく思っていません。

      ですからこちらこそ、必ずしも「話し合い」というふうに身構えなくてもいいので、気軽に絡んでいただければと思います。

      これからも、よろしくお願いします。

トップへ戻る