忘れたくないから書く。忘れても思い出せるように書く

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バラバラのパズルピース

昨日、僕がよく見る夢のことを書いた。

夢のなかに安らぎがないなら、現実のなかで夢を追うしかないでしょ?
あなたは毎晩どんな夢を見ているだろう?こういう話をするとよく、昨日は見なかったなぁ〜とか私、夢とかあんまり見ないんだよね〜 ...

そこでも書いたとおり、僕はあまりにも悪夢ばっかり見るものだから、今ではいちいち見た夢を憶えておいて引きずられるのはやめようと思うことにしている。今日もなんかすごくイヤな夢を見て、まだ寝ぼけている間はアタマにへばりついてくるような気がしていたんだけど、朝起きて顔洗って、音楽でも聴いている間に、細かいことはもうすっかり忘れてしまった。

「忘れたくない記憶」さえ、少しずつ少しずつ色褪せていく

ただもう少しよく考えてみると、

僕が夢を見ている間は、その夢を「現実」だと思っている

ってことがわかる。こんなにイヤな夢ばっかり見てるんだったら、そろそろ夢だって気付けばいいのにって自分でも思うんだけど、目が覚めるまではそれを夢だとは思っていない。からだを動かしてる感覚とか誰かの声、寒さとか落ちていく感じとかも、すごくリアルに感じている。

だけどそれから目が覚めてそれが夢だったと気付いて、「現実世界」に戻った瞬間、あれだけ「リアル」だった感覚は、急速に僕から離れていく。そして簡単に、掴みどころのないぼんやりとしたものになって、やがてはそれすらも消えていく。

これはそれが夢だからだろうか?でも実際、僕はこの「現実」のなかでも、あまりにもたくさんのことを忘れている。たとえばおとといの晩ごはんはなんだったかも憶えていない。これは別に僕だけじゃないのかもしれないけど、考えてみると生きるうえでは欠かせないはずの「食事」っていう行為のことすら憶えていられないなんて、僕(たち)の記憶力はなんてちっぽけなものなんだろう。

わかってる。僕にとっての「夢」がそうであるように、「おとといの食事」なんていうのは別に憶えていなくていいことだ。だからそこに、「憶えようという意識」がない。むしろ、どんどん忘れたっていいと思っている。だから、それは自然と忘れられていったとしてもしょうがない。

でも、僕が忘れていってることは、憶えようとする意識がなかったことや忘れたっていいと思っていたことばかりじゃない。むしろ

絶対に忘れたくないと思っていたことさえも、少しずつ記憶の彼方に消えている

ってことに気付いたとき、僕は正直愕然としてしまうんだ。

あのときの痛みを思い出すことは、もうできない

たとえば僕の今までの体験のなかで最も強烈なものをひとつ挙げるとしたら、それは「初めての手術」だと思う。それはもう10年以上前のことだけど、その日僕は全身の8箇所に手術を施された。そして全身麻酔が解けて、徐々にからだの感覚が戻ってくると、今度は少し動く度にからだじゅうの傷口が痛んで、僕は思わず叫んでいた。そしてそのとき、付き添いに来てくれていた母がベッドの柵ごしに僕の手を握りながら泣いていたのも憶えている。でも僕にとっていちばん強烈だったはずのその痛みを、僕はもう思い出すことができない。たとえ「からだじゅうから火が出ているような」なんて言ってみたところで、それはそのときの「痛み」じゃない。それどころか、僕はそのあと母親が僕になんて声をかけてくれたのかも、もう思い出せない。そしてそれがそもそも、何日だったのかさえも。

僕が今それを思い出そうとするとき、僕はベッド上の「僕」の視点からじゃなく、その自分と母親を少し離れた視点から見る【僕】として、それを思い出そうとしているのを感じる。まるでそれは移ろう景色をなんとか絵に留めようとする画家みたいな気分だ。もちろん、その手術が昨日なら、あるいは1週間前なら、その「僕」と【僕】の目線はもっと近かっただろう。まさか自分が手術日を忘れるなんて思いもしていなかったはずだ。でもあれから10年の間に、僕たちは少しずつ少しずつ離れていってしまった。そしてきっとさらに10年も経てば、僕はもっと多くのことを、忘れてしまうんだろう。

僕はあのとき8箇所の傷口から出た痛みを、今そのまま感じたいとは思わない。それにあのあとどんな想いで母親を見送ったのかなんて、まったく思い出したくない。でもそれを今思い出すかどうかは別にして、

たとえ思い出したいときが来ても思い出せない

っていう事実は、あまりにも哀しいことだと思う。そして、僕は気付かずにいられない。2度めと3度めの手術のことは、もうそれが何月だったのかすら、思い出すことができないってことに。

僕は僕の気持ちを忘れたくないから、ここに書き残す

僕は生まれてからずっと僕だし、それは死ぬまで変わらない。でも、僕はどんどん変わっていって、あたらしい「情報」は次々に過去の自分を上書きしていく。そしてそれは自分でも気付かないうちに、自分のどこかを削り落として、忘れたくないものまで、どこかに吹き飛ばしてしまう。まるでそれが、夢だったみたいに。

でも僕は「僕」の気持ちを忘れたくない。でも今思い出せることも、来年には忘れてしまってるかもしれない。50年後にはそんなことがあったのかさえ、自信が失くなっているかもしれない。だから僕は、それをここに書き残す。それは、忘れないためだ。そしてたとえ忘れても、思い出すためだ。

これはほんとにあったことなんだよ!僕は、ここに生きてたんだよ!

ってことを。そして僕はそれを、未来に活かしたいと思う。それにこれは、僕自身のためだけじゃない。だって僕のなかには、あのとき支えてくれた「あなたたちの記憶」が残っているからだ。たとえもう会えないとしても、それはまだ僕のなかに生きている。そして僕はこれからも、みんなと一緒に生きていく。それができたらここまでいのちをつないでくれた過去の「僕たち」にもきっと、笑ってもらえると思うから。

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