前に

でも少し書いたことだけど、僕が物心ついて物心ついた4〜5歳の頃にはもう、どこからか僕の話を聞きつけたたくさんの「宗教関係者」が僕のうちに来るようになっていたと思う。そして小学生も高学年くらいになると、自分でもだいたい相手がなにを言おうとしてるのかがわかるようになってきた。
それですごくざっくり言うと、
んだ。
僕の魂が「穢れている派」のひとたち
ひとつは、僕の魂が「穢れている派」のひとたちだ。このひとたちは、
この子がこんなからだで生まれたのは、魂が穢れているからです!
このひとは前世の悪行を反省させるために、このからだに入れられたんです!
なんてことを言ってくる。あるいは僕本人じゃなく、
これはあなた(母親)の因縁をご長男が吸い取った結果なんですよ!
おじいさんおばあさんの時代の因縁が、三世代目のこの子に顕れたんです!
なんてことを言う場合もある。でも結局、僕本人かまたは僕の家族や親戚の「魂が穢れている」からこんなことになった(不幸な状態に生まれた)っていう主張だ。これをここでは、「魂が穢れている派」って呼ぶことにしよう。
僕の魂が「高貴だ・美しい派」のひとたち
じゃあもうひとつのパターンはなにかと言うと、その逆で僕の魂を「高貴だ」とか「美しい」なんて言うひとたちだ。そうなるとこのひとたちの意見は、さっきとは変わってくる。こんな感じだ。
この子はこの世の穢れを浄めるために、あえて不幸な状態に生まれているのです!
なんか勝手にすごいハードル上げられてるよね。ただこれがもうちょっと身近な話になると、
この子はこの家(血縁)にまつわる業を引き受けて晴らすために、このからだで苦労を背負い込んでるんですよ!
この子はこの弱いからだで生まれることで、ご家族や社会の矛盾や課題に眼を向けさせ、それを変えるきっかけをもたらす役目を負っているのです!
なんて言う場合もある。あとは、これを「誰かのため」じゃなくて「自分のため」だって考えて、
この子は自分の魂を成長させるために、このようなからだで生まれたのです!
この子はこの生を全うしたとき、来世ではさらに素晴らしい境遇に生まれるのです!
なんて言うひともいた。これをさっきと対比して、僕の魂が「高貴だ・美しい派」と呼ぶことにする。
でも、この2つの主張の行き着く先は、結局同じだった
これは結局今までの体験からざっくり2つに分けてみただけだけど、その違いはけっこうはっきり出てるんじゃないかと思う。ただ、
んだ。
だから、私たちと一緒に神の道(真実の道)を歩みましょう!
ってね。つまり、僕の魂が穢れているなら、その魂の穢れを晴らすために、僕の魂が高貴なら、その役割を自覚して、さらに活かすために、その理由や考えかたはまったく逆かもしれないけど、結局このひとたちは、
私たちの考えを共有して、ともに実践していきましょう!
ってことが言いたかったんだ。
あるいはもう少し、いじわるな見かたもできる
でもこれはあくまで相手が「善意・好意」に基づいていることを前提にした見かただ。でも場合によってはもう少し、いじわるな見かたもできる。
それはただ、
っていうことだ。
もちろん、たいていの宗教団体は「善意」で運営されていると思う。それに僕やその家族が払ったお金が、直接目の前のひとたちに行くわけじゃない。むしろ、そのひとたちは「自分自身の信念」に基づいて、自分の時間もお金も擲って、僕や家族のところに来てくれたんだろう。
でもなかには、たいした説明もせずにいろんなものを高額で売りつけようとして、
これを買うか買わないかで、あなたがしあわせになるか、それとも不幸のどん底に落ちるかが決まるんですよ!
なんて言ってくるひともいた。これはあるときに半ば強制的に連れて行かれたお店でのできごとだったんだけど、その店は半年後にはなくなっていた。考えてみればああやって何人かのひとから利益をもらって、不評が立ち始めたら消えてしまえば、こちらからはどうすることもできない。そして相手はその気になればまた、違う土地に違う名前の店を開けばいい。もちろん、これは僕のいじわるな想像だ。もしかしたらあのひとはほんとに善意で、なにか特殊な事情でその場を離れなきゃいけなかったのかもしれない。
でも、そんなひとは別にひとりやふたりじゃなかった。そしてその何人かには、実際にそれなりのお金を払ったこともある。家族にだってどこかにすがりたい気持ちはあるし、相手だってプロだ。そして僕はこどもで、ただ、しあわせになりたかった。だけど、あの鍼灸師、あの気功師、それにあの整体師や民間療法団体は、今どうしているんだろう?
僕は、ただのひとだ
僕はそのあと年を重ねてからも、いろんな宗教団体に連れて行かれたり、いろんなひとにいろんなことを言われてきた。そしてそれと並行して、手術したり、入院したり、訓練を受けたりしてきた。でも僕は、別にどこかの宗教団体に属してもいないし、かと言って「医学信仰」も持っていない。そして、そんな僕が今はっきり言えることは、
僕は、ただのひとだ
ってことだ。僕は今までいろんなことを見たり聴いたり体験してきたけど、自分が「穢れてる」と思ったことはない。そして僕は、自分のからだを敵視してもいない。これは、僕がこの世界で生きるうえで欠かせない、大切な「相棒」だからだ。

それを「こんなからだ」なんて言われるのは、あまりにも心外だ。確かに、このからだで生きるのはラクじゃない。でもそれは、「このからだ」のせいじゃない。
これはただ「この社会との相性が悪い」っていうだけだし、もっと言うと単に「少数派だから」だってだけ
なんだ。
そして僕のなかではっきりしてるのは、
「自分が受け入れられてる・理解されてる」っていう感覚さえあれば、それだけでラクに、しあわせになれる
ってことだ。そしてそれは、みんなとも共通する部分なんじゃないかと思うんだよ。そこに僕のからだがどうだとか、住んでる場所がどうだとか、魂がどうのこうのなんてことは関係ないはずだ。だから僕はやっぱり、「ただのひと」なんだ。別にたいした「高貴な魂」なんか持っちゃいない。
僕はただ、あなたと一緒にいられればいい
僕は特に自分の魂、言い換えれば心や精神が強いと思ったことはない。確かに弱かったら生きられないようなことはあったかもしれないけど、それは単に「鍛えられた」おかげだし、それを乗り越えられたのは、そのときに僕を支えてくれたひとたちがいたからだ。そうじゃなきゃ、僕は今も絶望しきっていただろうし、そもそも生き延びられたかどうかも自信がない。
だから、僕はただあなたと一緒にいられればいいだけなんだ。ただ、よくわからない「御札」とか「御聖水」だの「魔法の石」なんてものは要らない。っていうか、単純にそれは高すぎる。それにさ、
これを買えばしあわせになれますよ!
なんて言うってことはさ、結局は
「しあわせはお金で買えますよ!」って言いたいってことなの?だったらほんとにそれは、「高貴な教え」なの?「神」っていうのは、そんなにちっぽけで卑しいものなの?
だったら僕は、そんなものは要らない。それならむしろいいふとんでも買ったほうがはるかにいいと思う。でも僕はあなたを嫌ってるわけじゃないし、あなたが苦しんでるのをほうっておきたいとも思わない。けど僕にたいしたことはできないし、あとほんのちょっとバランスを失ったら、またすぐ溺れてしまいそうになるくらい、か弱い存在だ。でも
そんな僕たちの最大の力は、支え合えるってことだ
と僕は思う。そしていくらあなたが強いからって、そんなにたくさんの荷物を背負い込むことはないんだよ。僕はそう言ってもらえたから、今こうしてここにいられる。だからそれを僕もあなたに言えるひとでいたいと思う。それであなたが明日も生きてくれるなら、それで僕はもう、しあわせに眠れるんだから。

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