もし僕のからだが一瞬で治る薬ができたとしても、それを飲みたくはない

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不気味な薬

僕は医学的には「病気」だ。それには「脳性麻痺」っていう名前が付けられていて、その状態で生きるのは今の社会のなかでは確かに大変だから、僕は国から「1種1級の障碍者」という公式の認定を受けている。

生まれたときには、自分のことを「病人」だとか「障碍者」だなんて思ってなかった

それで僕のからだがこうなっている原因は、

「未熟児で生まれて呼吸器ができていなかったから、からだを制御する部分の脳が死んでしまった」

んだってことはわかってる。そしてそれは「生まれつき」だ。でも僕は生まれたとき、

僕は病人だ!障碍者だ!

なんて考えてなかった。もちろん僕に当時の記憶なんてものはないけど、そのときの僕はただ、

生き延びようと必死だった

んだと思う。そうでなきゃ、いくら周りの助けがあったとしても、僕が0.1%くらいの可能性を掴み取って生き延びられたとは思えない。そしてきっと、そのあとの僕は生き延びられて嬉しかったんだと思う。

ただ、僕の今いちばん古い記憶というか感情は、

なんで自分ばっかり「訓練」をしなきゃならないの!?

っていうものだ。みんながごく自然に、なんの苦労もなくしているように見えることが、僕にはできない。そしてそれだけじゃなく、僕はそれを「訓練」してなんとか身につけないといけないことになっている。トイレの座りかた、服の袖の通しかた、そんなたくさんの「課題」をこなしていかないといけない。けどそもそも、それができるようになれる保証すら、どこにもなかった。

そんなことに対するどうしようもない「反発」が、僕の最も古い記憶だ。たぶんこれは3歳前後のものだと思う。だって僕が初めて独りで入院をすることになったのが、その頃だからだ。そしてそのときにはもう、僕は自分のことを「普通」だとは思っていなかった。僕は「病人」だったし、「障碍者」(というより「障害者」)だった。自分のこともそんなに好きじゃなかったし、たぶん生きていて嬉しいとか楽しいとかいう感覚も、あまりなかったような気がする。

その頃の僕は、「早く治りたい!」って思っていた

その頃の僕はとにかく、

早く治りたい!

って思っていた。それは小学生の頃から書いていた作文や日記なんかを見てもわかる。自分のこのつらい状況を終わらせるには、僕が「普通」にならないといけない。そして僕が「普通」じゃないのは、僕が「病気」だからだ。僕のなかに、僕の脳に「害」があるからだ。だから、早くそれを治したい。もう入院も手術もしたくない。痛いのも苦しいのももうたくさんだ。ただ、その一心だった。

もしそのときに、「魔法の薬」があったとしたら……

もしそのときに、「魔法の薬」なんてものがあったとしよう。実際そんなのはたいていがひどい代物だんだけどさ、今回はほんとに効果はあるとしよう。ただそれが「魔法」なんて名前じゃなくて「画期的な新薬」だったとしてもなんだとしても、それを手に入れるにはたぶん相当な対価を払わないといけないだろう。じゃあそれは500万円くらいかな?あるいは1000万、もしくは1億だろうか?

よくわかんないけど、きっと500万円くらいなら、家族はどうにかして出そうとしただろう。もしかしたら1000万円借金してでもそれを僕に飲ませてくれようとしたのかもしれない。それに僕のほうも、お金の価値なんてまったくわからないくせに、

1000万円くらい、なんとかして出してよ!

なんて駄々をこねていたかもしれない。ともかく今思うことは、

もしその頃にそんな薬があったら、1秒も迷わずに飲んでいた

ってことだ。

でも、今の僕なら答えは違う

でも、それはあくまで「治りたかった自分」だった頃の話だ。もっと違う言いかたをすると、「自分の苦しみのほんとの原因」がわかっていなかった頃だったら」の話だ。だから、今の僕の答えは違う。それはつまり、

今もし僕のからだが一瞬で治る薬ができたとしても、それを飲みたくはない

ってことだ。その理由は細かく言おうと思えばいろいろと言えるけど、ざっくり言うと

このからだはもう、「僕自身」に組み込まれたから

って言っていいと思う。

昔は、僕は自分のからだと対立していた。それは「普通のからだ」と「今のからだ」とを比べて、今のからだを悪者だと思っていたし、思わされていたからだ。でも、今はそうじゃない。だって僕にとって、そんな「空想上の理想のからだ」なんてものは存在しないからだ。だから、ありもしないものと現実を比べるなんて無意味だし、僕にとっては

今のこの状態が「普通」になった

んだ。それは、このからだを前提として、いろんな「工夫」や「自分なりの付き合いかた」を見出してきた。なのに今さらそれを破壊されたら、僕にはむしろ混乱が起きるだけだと思うんだ。

このからだが僕の「OS」なんだ

あのさ、これってたとえばコンピューターの「OS」(オペレーティング・システム・基本システム)みたいなものだとも言えると思う。ほら、いろんなソフトってさ、基本的にそのOSに組み込まれて動くことを前提にして開発されてるでしょ?あと、コンピューター自体のスペックとかによっても、そのOSが動いたり動かなかったりするのに、むりやり「最高のOS」なんかを押し付けられてもさ、却って不具合が起きることもあるよね?

だからみんな、Windows10への「強制アップデート」なんかイヤなんでしょ?

僕の言ってるのは、それと同じようなことなんだよ。

ただ僕にはひとつだけ、大きな懸念がある

ただ僕にはひとつだけ、大きな懸念があるんだ。それはもしそんな「魔法の薬」がほんとに開発されて、平均的な所得のひとでも手に入れられるようになったら、僕が自分の想いをどんなに説明しても、

治るんだから飲めよ!もしそれを断るんなら、お前には福祉サービスを受ける権利なんて認めないからな!

なんて言われてしまうことだ。これは最近の「出生前診断」の動きに対しての「無条件賛成・推進派」の意見を見ていれば、決してあり得ない話じゃないだろう。

前に、って書いたように、僕は今日本でもどんどん行われている出生前診断には、とても怖さを感じているし、せめてもう少し、慎重に考えてほし...

そしてそうなったら、僕も「生きるため」に、その薬を飲まなきゃいけないと思ってしまうかもしれない。だって現実的に、僕が今のからだのままあらゆる福祉サービスを受けられなくなったら、特に経済的な面で行き詰まってしまうのは目に見えてるからだ。

でもやっぱりこれは、

僕にとっては、「自分の否定」でしかない

し、こうやってまた

「医学モデル」だけがもてはやされるようになったら、いよいよ「社会」の力は失われていく

ってことだとしか思えない。そして僕は、そんな世界に賛成はできないんだよ。

「美人に整形すればしあわせになれるんだから!」なんて言われたからって、あなたはそうしたいと思う?

あのね、これって僕にとってはある意味「整形」の問題と同じなんだよね。昔から、

イケメンはいろいろ優遇されていいよね〜

とか、

美人の女性は人生イージーモードだよね〜

みたいな意見があって、別に「ハロー効果」の話なんかするまでもなく、それには確かに一理あるんじゃないかとも思うよ。実際、そう思って整形するひとも多いし、それで実際「しあわせになった」と感じるひともいるんだと思う。だからこそ、そういう技術は年々進歩してるみたいだし。

これまで当サイトでは、美容整形手術にまつわるストーリーを多数お伝えしてきた。韓流スターに憧れたブラジル人男性や、お胸を大きくしようとしたら……胸毛フサフサになっ …
韓国で有名なものと言えば、キムチ、サムギョプサル、韓国コスメ、そして美容整形だ。もちろん個人差はあるが、整形に対する意識のハードルが比較的低いと言われ、「入学 …

でもさ、もしあなたが

整形したほうがしあわせになれるって!お金は補助してあげるからさ!

なんて言われたらどうする?すんなり受け入れて、葛藤なく笑ってそのあとを生きられる?

それどころか挙句の果てに、

今や誰もが美人になれる技術があるにもかかわらず、「自然のままがいい」などと自身の信念を貫こうとするひとには、「美的怠惰税」を課すことにするから!

なんて言われる社会になったら?あなたはそんな社会で、生きていたいと思う?

僕は自分を殺す気はない。そして、社会をもっとおもしろくしたい

確かに、このからだで生きていくのはラクじゃない。でもそれは、「社会の問題」でもあるんだ。そして、前にも言ったように、

いずれ必ず「弱さ」と向き合わなきゃいけなくなるのは、みんな同じ

だ。それなのにその「事実」と向き合うこともできない社会は、もうヤバ過ぎると思う。それに、僕はこんな自分の感性を偽るつもりはない。

そして自分ももっと楽しく生きていきたいし、この社会をもっと柔らかく、おもしろくしたい

とも思っている。そしてこんな僕を作ってくれたのは、このからだなんだ。そして僕は最高の相棒であるこのからだと、もっと付き合ってみたい。だから僕は心の底から思ってるんだ。

そんな「魔法の薬」がなくて、ほんとによかったってね。

コメント

  1. ao より:

    偶然こちらのブログを見つけて、昨日から少しずつ読ませてもらっています。

    自分とは違う視点をたくさん教えてもらえて、おもしろいです

    (特に、車いすや四つ這いの人しか知り得ないような感覚の記事。無意識に差別的な見方をしてた自分に気づけた。もっと知りたいです)。

    私は今「自分を認めること」を頑張ってて、四つ這いおとなさんの視点から、たくさんヒントをもらってる最中です。

    私には、四つ這いおとなさんが「自分を認めること」部門の、アスリートや、専門家?みたいに感じました。

    「逃げられない」ことはきついけどそのぶん速く進めるというか、進むしかきっとなくて、

    激しいトレーニング(苦労とか、そういう概念ではなく…うまく言えないけど)を続けて、やり抜いてきた人にしか見えない景色を、シェアしてくれて、ありがとう。

    って、思いました。

    「自分を認める」って、体の作りがどうとかは全く関係なく、一律に、人間に必要な基礎の部分な気がしています。

    私も、もっともっと自分を認めて、先の景色を見たい。

    から、がんばります。

    ありがとう。

    • aoさん、こんにちは。

      正直に言うと、aoさんのこのコメントを読んで、泣いちゃいました。

      僕は確かに「自分を認める」っていう課題を共有していて、それは昔よりはずっとうまくなってきたと思いますが、まだまだ下手だと自覚しています。

      だからまだまだやり抜いてなんかいないんですけれど、ちょっとでもaoさんの励みになったなら、とても嬉しいです。

      いろんな感情が湧いてきて、うまくまとめられないんですけれど、ひとつだけ。

      「がんばる」っていうのは、いろんな意味が込められてるし、そこにある想いによっては、素晴らしいものだとも思います。

      でも僕は、あんまり言わないです。それはたぶん、「がんばる」っていう言葉の語源が(諸説ありますが)「我を張る」(頑なに張る)というところから来ていることを(語源を知ればなおさら)、強く感じ取ってたからじゃないかと思います。

      だからって別に誰かに言われたぶんには、基本的にそのまま好意的に受け取るんですが、僕ならむしろ、aoさんにもこう言いたいです。

      ゆっくり、自分を解きほぐしてあげてください。

      ゆったりと休んで、柔らかくいろんな空気を受け入れて、自分をよ〜く見てみてください。

      そしてそこにいる自分に、笑いかけてあげてください。

      それができればできたぶんだけ、自分を認められるようになるんだと僕は思っています。

      言うのは簡単で、やるのは難しいですが、僕もやっと少しずつは、できるようになってきました。

      あとよかったらこのことについて前書いた、

      なんかも読んでみてください。

      こんなことも結局は自分自身に向けて書いてるんですが、少しでも力になれれば、とても嬉しいです。

      さっきから「嬉しいです」を連呼してますね。

      でもこれは素直な気持ちです。

      ありがとうございます。

      もし気が向いたらこれからもいつでも遊びに来てくださいね。よろしくお願いします。

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