僕の「健康寿命」はもう尽きているけど、まだまだ続く未来を諦める気はない

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ある車いす

健康寿命っていう言葉を知ってるだろうか?これは「健康上支障なく日常を送れる期間(寿命)」のことだ。日本は特に世界でも平均寿命が長いことで知られてるけど、

長く生きたって健康じゃなきゃ楽しくないでしょ?

なんて考えのもと、最近になって特に、

健康寿命を伸ばしましょう!

っていうようなことが言われるようになってきている。

「平均寿命」と「健康寿命」の差は、だいたい10年くらいだ

この話をするのにちょうどいい最新のデータがこのニュースに書かれてる。

【ジュネーブ=笹沢教一】世界保健機関(WHO)が19日に発表した「世界保健統計」で、2015年の日本人の平均寿命は83・7歳、日本人女性の平均寿命は86・8歳でともに世界一だった。

男性は80・5歳でイタリアと並んで6位だった。

また、健康上支障なく日常を送れる期間を示す「健康寿命」も74・9歳と世界一で、日本の医療水準の高さを裏付けた。世界の平均寿命は71・4歳、健康寿命は63・1歳だった。データは15年までの出生率や死亡率などに基づいて算出された。

この統計では、13年と12年の日本人の平均寿命がいずれも84歳で世界一だった。今回から小数点1位まで表記するようになった。

 【ジュネーブ=笹沢教一】世界保健機関(WHO)が19日に発表した「世界保健統計」で、2015年の日本人の平均寿命は83・7歳、日本人女性の平均寿命は86・8歳でともに世界一だった。  男性は80・5歳でイタリアと並んで6位だった。  また

これを単純に見ると日本人の「平均寿命」と「健康寿命」の差は、83・7−74・9でおよそ9年だっていうことが言える。でもここで日本人女性の平均寿命が1位なのに対して日本人男性が6位なのを見てもわかるとおり、ここには男女差がある。それで他のデータも探してみると、ちょっと古いけど平成22年の厚生労働省の調査発表にこんなものがある。

平均寿命と健康寿命との差は、日常生活に制限のある「不健康な期間」を意味します。平均寿命と健康寿命(日常生活に制限のない期間)の差は、平成22年で、男性9.13年、女性12.68年となっています。

引用元「平均寿命と健康寿命を見る」

ってことで、やっぱり健康寿命にも男女差があることがわかるんだけど、まぁざっくり言うと、

日本人の「平均寿命」と「健康寿命」の差は、だいたい10年だ

って言っていいと思う。

僕の「健康寿命」は、生まれたときに尽きている

でもここで自分自身のことを考えてみると、僕の「健康寿命」は、生まれたときに尽きているっていうことがわかる。僕は生まれたときに、医者から

この子は99%助かりません。もしいのちがつながっても、ほぼ100%寝たきりだと思って覚悟してください

って言われていたらしい。でもなんとか死なずに済んだわけだけど、僕はそのときから、いわゆる一般的な「健康」っていうものを感じることなく生きている。そもそも歩けなかったり手が満足に利かないこと自体が一般の概念からすると「不健康」なんだろうけど、そこに今も肩や腰、膝や手首足首のどっかこっかに毎日「痛み」があるっていうものも加わっているんだから、これはもうどう考えても「不健康」だと見なされるはずだ。そして僕自身も、未だかつて自分のからだが「健康」だと感じたことはない。だって痛いのとかは、やっぱりキツいもんね。

だから今の時点でも、僕の経験値は一般の倍以上だ

さっき、日本人の「平均寿命」と「健康寿命」の差はだいたい10年だってわかったけど、これは言い換えると「『不健康なからだを生きる経験』を積む期間」だと言える。そうやって自分自身を考えてみると、僕はこの「不健康なからだ」と一緒に20年以上生きてきたことになる。だからその意味で、

もう今の時点でも、僕の「経験値」は一般の倍以上だ

ってことは間違いない。そしてこの経験は、今後ますます積み重なっていく。

だからこそ、僕は自分の体験を大切にしたい

最初に挙げたデータのとおり、平均的に74歳くらいから日常生活に支障を感じ始めて、そのあと10年くらいで死ぬんだとしたら、そんな短い期間では、その「不健康なからだを生きる経験」はまだまだ生かし切れないと思う。実際僕が10歳の頃なんて、ただ

訓練がつらい!入院したくない!手術が怖い!

なんてことを思ってただけだ。でもそれが20年を超えた今だから、少しずつその「次」が見え始めている。でももし10年で死ぬんだったら、そのじいちゃんばあちゃんはその「次」が見える前に死んでしまうのかもしれないと思う。けどおじいちゃおばあちゃんには、僕が持っていないものがある。それは「元気だったときの想い出」だ。だからもしつらいことがあっても、それを噛み締めながら生きていくことだってできるかもしれない。でもそんなものは僕にはない。僕には、

「元気だったときの想い出」も、「過去の栄光」もない

んだから。だから僕はおじいちゃんおばあちゃんと同じように自分を慰めることはできない。「こどもたちの成長」や、「孫との戯れ」に喜びを見出して、周りから、

おじいちゃんにはいろいろ助けてもらいましたから、あとはゆっくりしてくださいね

なんて言われることもない。だって

僕にそんな「過去の実績」はない

んだから。だったら僕はどうやって生きていけばいいんだろう?

僕の「未来」は、すべてを諦めるにはあまりにも長い

そうやって悩んでいたのが僕の10年から15年間だった。もっと言うとそれ以上かもしれない。でもそれが20年を超えて今やっと見えてきた「次」っていうのは、

ともかく、未来に向かって最期まで生き抜くしかない

っていうことだ。そして、

どうせなら、少しでも楽しく生きる

っていうことだ。これが僕がそれまでのあがきからやっと見出した姿勢だ。そして僕が生き続けるには、それを掴み続けるしかないと思っている。でも一方で、僕に「浸れる過去」がないこと、そして「すべてを諦めるにはあまりにも長い未来」があることは、僕の人生の醍醐味だとも思ってる。そして僕がしあわせになるためには、それを活かすしかないんだと思うんだ。

「過去の栄光」に浸れるなら、そして未来があと10年しかないなら、車いすなんかどうでもいいし、サイトなんか立ち上げる必要もないかもしれない。っていうか、そんなところにまで考えが及ぶ間もなかったかもしれない。でも僕は、この「不健康」で「思い通りにならない」からだと一緒に、ずっと生きてきたし、これからもまだまだ生きていかなきゃいけない。それは見かたによったら確かにつらいことでもあるんだけど、そのおかげで車いすの大切さもわかったし、自分のためにも自分の想いはちゃんと表現しようと思えた。

おじいちゃんおばあちゃんにだって、もっといい車いすに乗ってほしい
みんな、「長く遣うもの」とか「身の回りのもの」には自然と愛着を持つと思う。もっと単純に言えば、「帽子」とか「服」、それに「部屋の雰囲気」とか...
僕がなにかを伝えたいと思うのは、まず誰よりも自分のためだ
昔「24時間残念営業」ってサイトがあった。最初に読んだ文章がなんだったかは憶えてないんだけど、それからちょこちょこ読むようになった。でもその...

あなたが「弱く、不健康」になったとき、そこには僕もいる

そして僕は、それが少しくらいは誰かの役に立てるんじゃないかと思ってるんだ。だって、

いずれ自分の「弱さ」に向き合わなきゃいけなくなるのは、みんな同じ

なんだから。

今あなたが元気なら、それは素晴らしいことだ。でもあなたがもしいつか「弱く、不健康」になったとしても、あなたの人生は終わらない。そして、そこには僕もいる。それに、僕は「弱いからだで生きるプロ」でもある。だって、キャリアが違うからね。

「このからだと一緒に生きること」に関しては、僕がいちばんのプロだ
なにかの道を究めたかったら、どうしたらいいんだろう?いろんな答えはあるだろうけど、ざっくり言えば「経験を積む」ってことが必要だとは言えると思...

もちろん、あなたの人生と僕の人生は違う。それに、からだの状況も心の状況も、周囲の環境だって全部違うかもしれない。でも僕が伝えたいのは、

僕はここに生きていて、それを「悪くはない」と思えている

ってことだ。

あなたが「死んだほうがまし」と思うような状況でも、生きているひとはいる
世界には、年間100万人くらいの自殺者がいるらしい。日本でも「公式には」3万人くらいの自殺者がいることになっているけど、WHO(世界保健機関...

そしてそれは、僕を支えてくれているあなたのおかげだ。だからこそ僕はあなたにも、まだまだ生きていてほしいと思う。健康じゃなくたって、できることが少なくたって、僕もあなたも、まだ生きている。だから僕はこの自分を大切に、生きていこうと思う。いつか

まぁ、悪くない人生だったね!

って死ねる、その日まで。

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