「なにかお手伝いしましょうか?」。こういう声かけが自然にできる社会に、僕も生きていたい

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差し出された手

僕の生活のなかでは、誰かに頼んでやってもらわないといけないことがたくさんある。でもそれがいつも気心の知れたひとたちとの間だけで済むとは限らない。見ず知らずのひとたちしかいないなかで、突発的になにかを頼まないといけないような状況になることだってたくさんある。

そんなときは、こっちから声をかけることになることがほとんどだ。もちろん、自分が困ってるんだからそれがいちばん自然なのはわかってる。でも何人ものひとに通り過ぎられたり、そうこうしているうちに話しかけるタイミングを失くしたりしてしまって、結局時間だけが過ぎるようなことになると、けっこうこっちの心も弱ってくる。

「名前も知らない誰か」に呼びかけるのは、なかなか難しい

学校でも街角でも駅でもどこでもいい。とにかく「たくさんの知らないひとたちの群れ」に対して、自分が困ってることを伝えて、助けを求めるとしたら、あなたはどうするだろう?

これは僕も今まで何度となく実際にやってきたことなんだけど、これはいつもなかなか難しい。ともかくなにか声を上げなきゃいけないんだけど、

すみませ〜ん!

とか、

あの〜!

って声を張り上げてみたところで、ひとはそう簡単に耳を傾けてはくれない。この理由はいろいろあると思うんだけど、まずひとつ大きいのは、

自分に声がかけられているってことをわかってもらえない

ってことなんじゃないかと思うんだ。相手は僕の知り合いじゃないし、僕も名前すら知らない。それに今のひとたちはスマホとかに集中してたり、なんか考えごとをしてたりしながら歩いてるひとも多いから、なかなか「自分の世界」から出てもらえない。場合によっちゃ「イアフォンで音楽を聴いてる」なんてこともある。それでも僕が相手の「友達」とか「待ち合わせの相手」とかだったらいいんだけど、そうじゃない僕の声は相手の耳には届かない。

じゃあ、どうにかして「特定の相手」に呼びかける手はないかと思って、当てずっぽうにでも

佐藤さ〜ん!

とか、

鈴木さ〜ん!

みたいに名前で呼びかけてみたらどうかと思ったこともある。でもそれで仮に名前が一致してたとしても、一瞬こっちを見て僕が知り合いじゃないとわかったら、

なんだ、同じ名前の別人のことか……

と思われて終わるだけだ。しかも僕の本来の目的は、「誰かに助けてもらうこと」なのにこれだとまるで「ひと探しをしてる」みたいに思われてしまう。そして、「不特定多数」のひとたちに呼びかけることの最大の難しさは、たとえ僕が「助けを求めてる」ってことがわかってもらえたとしても、

他にもこれだけいるんだから、自分じゃなくても誰か助けてくれるよね……

なんて思われてしまうことがあることなんだ。

じゃあそれを避けるためには、

できるだけひとが少なくて、「あなたに言ってるんですよ!」っていうことが伝わりやすい場所で声をかける

ってことになるんだけど、「モノを落とした」とか、「タイヤが嵌まって動けなくなった」みたいなことが起きたときには、その場から動くこともできない。だからその場合、最終的には

諦めずに声をかけ続ける

ってことになるんだけど、これが続くとやっぱり、精神的にキツいんだよね。

そんなとき、「なにかお手伝いしましょうか?」って言ってくれるひとが現れたら……

でもそんなとき、向こうから

だいじょうぶですか?

なんて声をかけてくれるひとが現れてくれることもある。これは、ほんとに嬉しい。それまでのつらさとか、なんならその月1か月のイヤなことを全部吹き飛ばすくらいの嬉しさだ。

でも実は、相手のほうも悩んでいた

でもここで相手のひとと話してみると、こんなことを言われることがある。

実は、声をかけるかどうか、けっこう悩んじゃってたんですよね……

なんでですか?

前に「だいじょうぶですか?」って声をかけたら、だいじょうぶだよ!このくらい自分でできるから、ほっといてくれ!みたいに言われることもあったもので……

なるほど、これはいわゆる「ありがた迷惑」の問題だ。特に本人が気落ちしてたり、病んでたりするときには、相手の「好意」を素直に受け取れずに、

哀れんでるんじゃねぇ!

みたいな反応をしてしまうひともいる。あと、そうじゃなくても「自分のことは(多少無理をしてでも)自分でやる」っていう考えが染みついてたり、もしくは助けを借りずに自分でやる練習(訓練)をしている場合なんかは、

だいじょうぶです、自分でやらないと意味ないんで!

なんていうひともいる。そして、それはそれでそのひとの生きかただっていう面もある。だから、そんなことを考えちゃうとどうしたらいいのかわかんなくなってしまうかもしれない。でも、これに関しては僕のなかではもう、かなり揺るぎない答えが出てるんだよね。

「手は差し伸べつつ、受け取るかどうかは相手の意志に委ねる」のがいちばんいいと思う

その「僕なりの答え」っていうのは、

手は差し伸べつつ、受け取るかどうかは相手の意志に委ねる

ってものだ。でもこれだけだとわかりにくいから、それを具体的にしたのが、

なにかお手伝いしましょうか?

っていう表現だ。これなら相手は必要な助けを自分で伝えられるし、もし必要なかったら、

だいじょうぶです、でも、ありがとうございます!

って言うこともできる。

でもこれでも、ありがた迷惑だと思われるんじゃ……

って心配になるひともいるかもしれないけど、これをありがた迷惑だと思うひとがいたら、それは

相手の受け取りかたに問題がある

んだと思う。大切なことは、たとえ

あなたが社会的な「健常者」で、相手が「障碍者」(=社会的弱者)だとしても、相手に「媚びる」必要はない

ってことなんだ。それに、助けてもらうほうだって「成長」しなきゃいけない。なんでもかんでも「ありがた迷惑」とか言って、まして

哀れんでるんじゃねぇ!

なんて言って助けをちゃんと受け取らないことで相手を傷つけて、そのせいで助けてくれようとしたひとの「好意」まで潰してしまったら、それは助けを必要としてるひとを困らせることになる。それに、そんなふうに相手に噛みついてしまうのはむしろ「卑屈」ってものだ。だから、それはむしろ「助けられるほうの問題」なんだ。

差し伸べた手を拒まれたとしても、苦しまないでほしい

だけど、そういうふうに好意を素直に受け取れないで逆に相手を傷つけてしまう、「攻撃的な弱者」っていうのは、実際それなりにいる。それはやっぱり「心が病んでる」からなんだと思うけど、「助けを求めても誰にも助けてもらえない」っていうのと同じくらい、「助けようとしたのに拒絶された」っていうのはつらいことだと思う。でももしあなたが相手を最大限尊重したうえで、

なにかお手伝いしましょうか?

って言ってくれたんだったら、その気持ちは間違っていない。少なくとも、僕はあなたのようなひとを、いつも待っている。そして僕も届かなくても届かなくても声をかけ続けるから、あなたもその優しさを、ずっと持っていてほしい。それに僕はもうひとつ、あなたに言っておきたいことがある。それは確かに

僕はあなたに助けられることのほうがずっと多いけど、僕にだって「あなたを助けられること」もある

ってことだ。だから僕はただ言われるのを待つだけじゃなくて、ほんとはこっちからだってこう言いたいんだ。もちろん僕になんでもできるわけじゃないし、他のもっと適任なひとに頼んだっていい。それに今は必要ないなら、それでまったくかまわない。だけどともかく、僕もあなたにこう言っておきたいんだ。

なにかお手伝いしましょうか?

コメント

  1. きんくま より:

    英語でいうところの

    Can I help you?

    May I help you?

    ですね。

    基本的には主様と同意見なのですが、逆に理由があって丁寧に断っても「自分の行為が拒絶された」ということだけが強く残ってしまわれる方もおられると思うのです。

    私は相手の為だと思ってしまうと辛くなってしまうので

    「自分がしたいからしてるのだ」

    と思うようにしています。

    ”手を差し伸べるかどうか”は自分の問題です。

    ”受け取るかどうか” ”どういう反応をするかどうか”は相手の問題です。

    自分がしたいから勝手にしていると思えば、拒絶されても反応が芳しくなくても、まあいいやと思えるのではないでしょうか。

    昔の友人で他者に声をかけることが苦手な子がいました。

    「なんで?」

    と聞くと

    「まわりの目が恥ずかしいから」

    だそうです。いい子ぶってるんじゃないかと思われたり、注目されるかもしれないことに抵抗を感じるみたいです。

    「他人は自分が思ってるほど気にしてないよ?」

    とは伝えてみたのですが。

    後はやっぱり慣れだと思うのです。お年寄りに席を譲ることが出来る方でも、障碍者相手となると躊躇されてしまう方もおられると思います。

    私の場合母親がてらいなく出来る人でした。母親は性格もあるけれど、身内に交通事故で身体障碍になった人がいました。私は母を見ているので。

    まあ私個人は手を差し伸べて、芳しい返事が例えかえってこなかったとしても

    「人間らしい人だな」

    と思うようにしてます。逆に物凄くお礼を言われると恐縮してしまいます。困ったときはお互い様ですしね。

    • きんくまさん、こんにちは。

      そうですね、僕も文章のなかで

      「手は差し伸べつつ、受け取るかどうかは相手の意志に委ねる」のがいちばんいいと思う

      差し伸べた手を拒まれたとしても、苦しまないでほしい

      と書いていますが、これは

      相手にもいろんな信条や葛藤があるけれど、助けの手を差し伸べようとしたことは間違っていない

      っていうことを伝えるためです。それに、僕はもしそう声をかけてもらえたら、いい意味で甘えるようにしてます。

      なんとかやろうと思えばできるけど、難しいんだよね……

      っていうことは、けっこうあるので。そしてそこから少しでも交流が生まれたら、純粋にとても嬉しいです。

      でもきんくまさんやお母様のように、それが「てらいなく」できるっていうのも素晴らしいと思います。
      さっと助けて、さっといなくなられるのも、それはそれでかっこいいなぁと思います。

      困ったときはお互い様っていうのもよく言われることではありますが、やっぱりいい言葉だなぁと思います。

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