僕が日本国憲法でいちばん大切にしてほしいのは、9条よりも25条だ

広告
石で作った笑顔

みんなは自分の国、日本の憲法を読んでみたことはある?僕も一応あるけど、ある程度時間をかけて読んでみたのは大学生になってからくらいだったと思う。でも、小学生とか中学生の段階でも、「日本国憲法の三大原則」って呼ばれてるのが

  • 国民主権
  • 基本的人権の尊重
  • 平和主義

だってことは知ってたし、そのだいたいの意味も自分なりにはわかってたつもりだった。そして特にこの「平和主義」っていうのをはっきり掲げてるのが日本国憲法の特徴で、それは「第9条」に書かれているってことと、それでこの日本国憲法は別名「平和憲法」なんて呼ばれて大切にされているってことも何度も言われてたから知っていた。

でも、ある程度大きくなって改めて自分で日本国憲法を読んでみると、個人的には

9条よりももっと根本的で、いちばん大切な条文は他にあるんじゃないか?

っていう考えが浮かんできた。それが、「第25条」だったんだ。

25条って、もっと注目されてもいいはずの条文だと思わない?

まず25条になんて書かれてるのか、実際に見てみよう。

  1. すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
  2. 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

これってもう、

これさえきちんと実践されてれば他の条文なんか要らないんじゃない?

っていうくらいの力を持った条文だと思うんだけど、みんなはどう思う?

だって、他のどの条文だって、25条がちゃんとしてれば自然と出てくるんじゃないの?

25条さえあれば他の条文なんか要らない!

なんて言ったら怒られそうだけどさ、たとえばみんなが注目してる9条っていうのは、

  1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
  2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

って宣言してる条文だ。

でもこれだって、

健康で文化的な最低限度の生活を営む

っていう理念さえ共有されてれば、もう言うまでもないことだ。だって、

戦争のどこに「健康で文化的な」生活があるの?

って考えればこどもでもわかる話なんだから。だから僕は、日本国憲法の「幹」は第25条で、あとはそこに支えられて派生した、「枝葉」みたいなものなんだと思ってるんだ。

でもその「幹」がもし揺らいだら、他のすべての枝葉も実も、ただじゃ済まないだろう

でも逆に言うと、もしその「幹」が揺らいでしまうようなことになったら、他のすべての枝葉も実も、ただじゃ済まないだろう。だって、「健康で文化的な最低限度の生活」が保障されないってことは、みんなの存在が尊重されない(尊重されるとは限らない)ってことだからだ。

「健康」が保障されなくなったら、からだが苦しくなる。そこに「基本的人権」もなにもあったもんじゃない。「文化」が保障されなくなったら、「思想の自由」とか「良心の自由」なんてものも失くなってしまうだろう。まして、「最低限度の生活」すら認められなくなったら、もうそのひとの目の前には「死」がすぐに迫ってくる。そうなったら、「平和主義」なんて絵空事か、欺瞞でしかなくなる。だからそれだけ、25条は大切なものなんだと思う。

でもこの25条は今どれだけ、実践されてるの?

でもここで、単純な疑問が浮かんでくる。

この25条は今どれだけ、実践されてるの?

っていう疑問だ。そうするとまず思い浮かぶのが「生活保護」だ。そして実際、生活保護は究極的にはこの憲法第25条の理念を体現するためにある制度だと言ってもいいだろう。それに細かな違いを抜きにして考えれば、

僕のもらっている「障碍者手当」だってなんだって、一種の「生活保護」だ

って言っちゃってもいいと思う。だからこの25条のおかげで、僕は生きているようなものなんだ。

でもいくら日本が「法治国家」だって言ったって、憲法が「最高法規」だって言ったって、国や社会を実際に動かすのはそこにいるひとりひとりの想いと行動だ。そしてそれを「強制的に変える」なんてことは絶対にできっこない。だから、その憲法や法律にほんとの「力」が与えられるかどうかは、僕自身も含めたみんなに懸かっているんだ。

じゃあそういう目線で見たとき、今の日本でどれだけ25条は「力」を与えられてるんだろう?確かに、生活保護は整備されてるように見える。障碍者手当だってある。でも、これに対する風当たりは、決して柔らかくはない。生活保護の捕捉率(生活保護を利用する資格のあるひとのうち現に利用しているひとの割合は、20%くらいに留まっているとも言われている)けど、これもそのひとつの原因だと思う。

それにこんなデータを見なくても、日本の全員に「健康で文化的な最低限度の生活」が行き届いていないことなんて、直感的にすぐわかる。でもこれって、

「自衛隊が違憲かどうか」とか、「一票の格差が違憲かどうか」なんて議論より明らかな「違憲状態」が、ここにあるってことなんじゃないの?

僕もこの状況をちゃんと見続けながら、できることをしていきたい

だからやっぱり、ほんとのところはこの国も、「法治国家」なんかじゃないってことだ。そうじゃなきゃ、この国はもう、しあわせになっているはずなんだから。でもそれはもう、法律の問題なんかじゃない。あとは、僕たちひとりひとりの意志次第なんだと思う。

でも、僕独りがどう思っていようと、その「流れ」は確実に、その社会を日々動かしている。そしてそれは今のところ、僕個人の想いとは一致していない部分も多い。そして気になるのは、

この憲法で規定されている権利は、あくまでも「日本国民」に向けて保障されたもの

だってことだ。確かに今、僕は「日本国民」としてこの国に認められている。でも、憲法の第10条には、

日本国民たる要件は、法律でこれを定める。

って書いてある。そして「法律」の改正手続きは、「憲法」よりはるかに簡単だ。だから僕がなにを言いたいのかって言うと、もしいつかこの国で、

勤労および納税の能力を有しない者も、日本に居住することはできる。だが、このような者を憲法上の「国民」とは認めないこととする。

なんていう法律ができたとしたら、この時点で僕にとっての「日本」は死んでしまうってことだ。そしたらもちろん、僕は真っ先に、死ぬことになる。

日本生きろ!だって日本が死ぬときに、真っ先に死ぬのは僕だから
昨日のに引き続き、またみんなの話題に乗っかってみようと思う。ってことで、「保育園落ちた日本死ね問題」について、まずは発端となった文章...

もちろんこんなことはまだまだ取り越し苦労だとは思ってる。でも今実際に起きている「出生前診断」とかの流れがある臨界点を超えたら、こんな話だって決してあり得ないとは言い切れないとも、僕は思ってる。そしてそれが単純に、すごく怖いんだ。

マタニティ・ゲノム。出生前診断の技術はますます進化していってるけど……
前に、って書いたように、僕は今日本でもどんどん行われている出生前診断には、とても怖さを感じているし、せめてもう少し、慎重に考えてほし...

だから僕は、これを「取り越し苦労」で終わらせるためにも、僕はこの現状と流れをちゃんと見続けながら、僕なりに自分でできることを、やっていきたいと思う。

だって僕はこの世界が好きだし、人生を楽しみたいし、未来をもっともっと、おもしろくしたいからね。
トップへ戻る