僕は伝えたいことが伝えられるなら、ウェブでも本でも石でもなんでもいい

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芝生に置かれた本

こないだ、

だいちゃんの「炎上芸」に、あえて全力で釣られてみる
単純な好き嫌いというよりも、「どうしても気になるひと」がいるっていうこともあると思う。僕にとってそんなひとりが、「だいちゃん」だ。彼は『だい...

って文章で、今までずっと気になっていた「だいちゃん」について思うことを書いてみた。で、それでとりあえずだいたいはスッキリしたつもりだったんだけど、やっぱりまだどうしても気になるところがあったから、ちょっと書いてみる。

「本を出版する」ってのは、そんなにすごいことなの?

最初にだいちゃんのことに触れた文章でも書いたけど、だいちゃんは直近のデータで、ひと月14万PVで、約5万円の収益を上げているらしい。

photo by 401(K) 2013 まず初めに 私は何度もこのブログで書いているのですが、ブログの収益報告をするのがとても嫌でした。 ブログとは自己表現の場であり、良いコンテンツを作って対価を得る。 その得た対価をわざわざブログ上で公開するのはただの自慢でしかないのではないか? という葛藤があり、ずっとクローズド...

これは僕からすると、ほんとにすごいことだと思う。だいちゃんは鬱からなのかネタなのか計算なのか知らないけど自己評価が低すぎる。でも本人がなんと言おうとこれはほんとにすごいことだと思う。で、そんなだいちゃんには「夢」があるらしい。それはここに書いてある。

でも、そんな私にも夢があります。

『本を出版すること』

です。

photo by dominikgolenia 私は2歳の時に躁うつ病の父と母が離婚をして、母に引き取られました。所謂シングルマザーの元で育ったのです。 それはそれはとても貧乏な家庭でした。今でも貧乏ですけれど。 母は子供を育てる為に朝は保険屋、夜は水商売と、深夜まで働いて私達兄弟(2人兄弟です。ちなみに私は次男です。...

僕はこれを読んで、びっくりするくらいピンとこなかった。否定するとか応援するとかいう以前に、思考がよく理解できなかったんだ。

そもそも、「本を出版する」ってのは、そんなにすごいことなの?

だいちゃんはもう、自分の「舞台」を持ってるでしょ?

何度も言うけど、だいちゃんはひと月14万PVを記録できるほどのサイトを持っている。これはもう「メディア」だって言ってもいいと思う。それになにより、そこは

だいちゃんの伝えたいことを自由に伝えられる、最高の「舞台」

だと思う。

なのになんで、わざわざそこを下りてまで、「本を出版する」っていうことにこだわる必要があるのか、僕にはまったくわからないんだ。しかも、本を出版するってことになれば、製本代やら印刷代、それに編集者やらなにやらの人件費で、すごくたくさんのお金がかかる。もちろん出版社が乗り気になって経費を負担してくれるなら別だけど、それを全部自腹で払う自費出版で考えれば、それはすぐ何百万円くらいになるはずだ。それは結局本の値段とか、出版部数に影響してくるだろう。

でも、今のだいちゃんがなんでそんなことをしなきゃいけないの?

大切なのは「形式」じゃなくて「内容」なんじゃないの?

あとだいちゃんは、

本を出すことが出来たら、母はきっととても喜んでくれるだろうなあ。今は口をきいていないたった一人の兄弟である兄との関係も元に戻るかもしれない。

って書いてある。でも、これも僕にはよくわからない。確かに、今これだけ「テレビ離れ」とか「新聞離れ」なんて言われてても、テレビとか新聞みたいなオフラインメディア(まぁ、今じゃこういうメディアもオンラインと融合しつつあるけど、ここではともかく、「ネットより歴史の古いメディア」ってくらいの感じで言ってると思ってもいい)の力はまだまだ高い。あとこれは中高年以上の世代のひとが特にそうなのかもしれないけどそういう「ネットにあまり触れないひと」に対しては、だいちゃんのサイトは無力だ。いくら、

ひと月14万PVですよ!収益5万円ですよ!

なんて言ってみても、オンラインの世界に馴染んでないひとにとってはそのすごさが伝わらないかもしれない。それよりはまだ、「深夜帯のテレビ番組」にでも出たほうが一目置いてくれるのかもしれない。それに、「出版」は「ウェブサイト運営」よりも一般的にはハードルが高いとされてるから、「本を出せるくらいのひと」ってことで信頼される可能性もある。あと、いちばん大きいのは、

「ネットは観ないけど本は読む」っていうひとに自分を知ってもらえる可能性が出てくる

ってことだろう。でも、たとえ本を出してみたところで、売れないものは売れない。逆に言うと、本なんか出さなくたって、見てもらえるものは見てもらえる。ってことは結局、

いちばん大切なのは、「形式」じゃなくて「内容」だ

ってことになるんじゃないの?

「アフィリエイター」だろうが「ライター」だろうが、だいちゃんはもう立派な「表現者」だ

だいちゃんはさ、「アフィリエイター」とか「ライター」とか「作家」とか「文筆業」とかいうものの区分けにこだわりすぎてて、しかもそこに無意識に順列をつけてるような気がするんだよね。これなんか読むと特にそう。

このブログではアフィリエイト(広告収入を得ること)もやっています。そこからの収入はとても貧乏である私の生活を助けてくれています。しかし、私はえフィリエイターになりたいわけではないのです。

『本を出版したい』

だけなのです。しかし、生活環境的に夢を追うだけではいけない。だから、働くことも辞めないし、アフィリエイトもしているのです。

ただ、今のブログ業界にはびこっているような、

「ブログでお金を稼ぎたい! そしてブログだけで生活したい!」

という考えを私は持っているわけではありません。しいていうならば、「作家」として飯を食えたらいいな、と考えて文書を綴っています。今はライターとして。

文筆業は茨の道です。でも、どんどん弱っていく私の身体では一生企業勤めは出来ません。だからといって安易に起業など考えては失敗した時に母に迷惑がかかる。だから、私は失敗出来ないのです。

勿論、文筆業も失敗のリスクは高いです。でも、失敗しても借金などすることにはなりません。障害者だけれど、現実ばかり見ていては精神が消耗してしまいます。生きる希望を持つことが出来ません。だからこそ、ある程度、現実味を帯びてきた「出版」というものを実現させたいのです。

これってさ、

「アフィリエイター」でも「ライター」でも不本意だ!そんなんじゃ生きる希望が持てない!だから「作家」と呼んでくれ!

ってことでしょ?

でも、僕にはやっぱり意味がわからない。だってこんなのは全部、「他人が自分をどう呼ぶか」だけの問題じゃない?
結局だいちゃんが本を出したところで、

しょせんこいつなんて「アフィリエイター上がりの作家」だろ?

とかいうひとはいくらでも出てくるよ。でもそんなのいちいち気にしてたってしょうがないでしょ?それに、他人がそこにどんな違いを見出すとしても、僕は「アフィリエイター」も「ライター」も「ブロガー」も「作家」も、

みんな「表現者」

だって思ってる。そこになんら違いはないよ。強いて言えば、

「それが周りにどれだけ受け入れられてるか」

の違いはあるかもしれないし、表現者はやっぱりみんな、

自分の想いを届けたい!共有してほしい!

って思ってるんじゃないかと思うよ。でもそれは、「肩書き」の問題じゃない。売れない作家よりも影響力のあるブロガーなんかは山ほどいるし、ヘンなテレビ通販よりも良心的なアフィリエイターだっている。そして、だいちゃんは、「自分のサイト」っていう舞台で、その文章をたくさんのひとに読んでもらえてる。だったら、それで充分じゃないの?

自分が「すごい!」って思ってるひとがあんまり自虐的すぎると、哀しくなるんだよ

結局なにが言いたいかって、

僕はだいちゃんをすごいひとだと思ってる

ってことだよ。なのにその相手が、

何も持っていないのです。しいていうならば、多数の病気を持っています。

(中略)

本が出版されれば、私の今までの不幸な人生が一変、楽しいものに変わるような気がするのです。変わるきっかけになると思うのです。

なんて言ってるのを見たら、哀しくなるんだよ。たとえそれが「芸風」だとしてもさ。いや、ほんとに芸風ならいいんだよ。でももしそれが本心なんだとしたら、僕は大声で

なに言ってんだよ!

って言うしかないよ。表現者が自分の想いを届けられてるんなら、それでしあわせじゃないか!僕だったら、それで誰かに届けられるんなら、たとえウェブだろうが本だろうが石だろうが音楽だろうがどうでもいいよ。だって僕の想いは同じなんだから。ただ、今の僕にできることと、選べる手段を考えたうえで、今はこの『四つ這いおとな』がベストだと思ってるからここでこうして書いてるんだよ。そして、そんな僕としては、だいちゃんはすごく、羨ましい場所にいるんだよ。僕が言いたいのは、ただそれだけだよ。

でも、ネットっていうのは僕にとってほんとに素晴らしいものだ。だって僕のこんな文章なんて、本には絶対ならないし、歌詞にもならない。それに、石に文字を彫れるだけの力は、僕にない。だけど、今の時代なら

こんな僕の文章でも、理論的には世界中の誰にでも読まれる可能性のある場所に、こうやって置いておける

んだ。こんなのまさに、現代の奇跡だよ!

それに、その気になれば僕にだって今すぐ本が出せるんだよ。だってそんなの、ただここの文章を印刷して配ればいいじゃない?そして、穴でも開けて紐で綴じればもうそれは本だよ。そうすれば、たとえネット環境が崩壊したって誰かに読んでもらえる。ただ、まだその必要はないし、その需要もないから、それはしない。そして僕は、このネットの利点を活かして、これからもどんどん書いていく。そんな道の先に、いつかこんな文章でもあなたに読んでもらえる日が来るのなら、それはもう、最高としか言いようがないよ。

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