人生っていうゲームは一筋縄じゃいかないけど、それでも唯一、積み重なっていくものがある

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ゲーム、する?

前に

僕は自分のからだを思い通りに動かすことはほとんどできない。「トイレに行く」とか「ふとんから起き上がる」とかいうことですらそうなんだから、まし...

っていうのも書いたことがあるけど、僕はちいさな頃から、いろんなゲームをして遊ぶのが好きだった。当時は今みたいな「オンラインゲーム」とかの時代じゃなかったから、プレイステーションとか、ゲームボーイアドバンスとか、プレイステーションポータブルとか、まぁいろんなゲーム機とソフトを買って遊ぶのが好きだった。クリスマスプレゼントには、だいたいなんかのゲームソフトを欲しがるくらいにね。

だいたい、1つのソフトを100時間くらいはかけて、やりこんでいた

そうやって買ってもらったゲームソフトは、だいたい1つにつき100時間くらいかけて、やりこんでいたと思う。ジャンルはロールプレイングゲームがいちばん多くて、次がアクション系だったと思う。あとは、マンガのストーリーを基にした格闘ゲームとかね。でも、単調な「シューティングゲーム」とかには、あんまり興味がなかった。それはきっと、そこに「物語」がなかったからだと思う。だから僕がゲームを選ぶ基準は、

その世界観と、主人公への感情移入ができるかどうか

にあったような気がする。そしていったんハマると、気付いたら合計プレイ時間が100時間を超えるくらいやり込むなんてことも、ざらにあった。

でも、なんで僕はそんなにゲームが好きだったんだろう?

でも今考えると、1つのゲームを100時間やり込むとして、そんなゲームが10個くらいあったらそれだけで1000時間になる。正確にはわからないけど、たぶん僕がゲームに費やした時間は、5000時間を超えてるだろう。ただこれはいわゆる「テレビゲーム」(携帯ゲーム機も含む)だけだから、将棋とかの「ボードゲーム」まで含めたら、その時間は1万時間でも利かないくらいかもしれない。

でも、そんな自分を今振り返ると、

なんでそんなにゲームが好きだったんだろう?

っていう疑問が湧いてきた。そうしたら今の僕なりに考えてみたら、それって

ゲームは、努力が報われるのが実感しやすかったから

なんじゃないかって気がしたんだ。

ゲームでは、努力は目に見えるかたちで、確実に積み重なっていく

ゲーム、特に僕がいちばん好きだったロールプレイングゲームなんかの世界では、僕たちの「目的」ははっきりしていて、それを迷う必要はない。そして、闘いにしろなんにしろ、そこで身についた「経験値」は確実に積み重なっていって、そのぶん自分は目的達成に近付いていく。さらには、なんか知らないけどいくらでも出てくる手頃な相手を倒すだけで、経験値だけじゃない「お金」まで手に入って、それでご飯を食べたり、装備品を買ったり、宿で休息を取ったり、ちゃんとした「一人前の暮らし」をしていくことができる。

それに、そこで飽きたら「シナリオ」を進めれば、新しいイベントが起きたり、より手強い相手が現れたりして、また新しい「目標」を提示してくれる。でも逆に、無理に新しいストーリー展開を求めたいと思わないなら、淡々と手頃な相手を倒して、経験値と日銭を稼ぎつつ、好きなだけ技を鍛えて、そして疲れたら、ゆっくり休めばいい。別に、ラスボスの根城を目の前にして1000日放っておいたって、ラスボスが世界を破滅させるようなことにはならない。だって、ラスボスは「いずれ倒される」ことが決まっているんだから。でも、そこに「時間制限」はない。だから、「ラスボスを倒すかどうか」なんて、僕の自由なんだ。そして別に倒さなくても、そこの世界の住人と僕の生活は、なんとなく続いていく。それにそれはそれでけっこう、楽しいんだよね。サブイベントとかもあるし。

でも現実の世界は、積み重ねの方向も方法も、それが正しいかよくわからない

でもこれはあくまでゲームっていう「仮想現実」だ。そしてそんなゲームの世界と、僕が生きる現実との大きな違いは、

この「積み重ね」(努力)が自分の「しあわせ」につながってるのか、確信が持てない

ってことだ。

僕たちは、自分の人生のなかで確かにいろいろと「努力」している。それは自分が見つけた「目標」に向かってだったり、周りから要求や期待をされた【目標】に向かってだったりする。そしてその努力は、確かに苦しいけど、それと同じくらい楽しくもある。そしてそんな努力を積み重ねていけば、いつかはしあわせになれるんじゃないかって気もしてくる。でもそのうち、みんながだんだん気付いてくることは、

この努力は、そして積み重ねは、必ず報われるとは限らない

ってことだ。

それだけじゃない。

この「目標」がほんとに自分のしあわせにつながるかも、よくわかってない

んだ。

たとえば僕は、ちいさいとき、医者から

このまま行けば手術しなきゃいけなくなるから、そうならないようにがんばって訓練しようね!

って言われた。そして僕は、確かにがんばった。努力した。積み重ねた。でも結局、手術をすることになった。当時の僕は思った。

自分の努力が、足りなかったの?

ってね。でも自分は、できる限りのことをしたとは思ってた。そりゃあ、ゲームだってしてたし、お菓子だって食べてた。テレビだって見てたし、ぼ〜っとしてたときもあった。でも、僕としては精いっぱいがんばったと思ってた。でもダメだった。それは、やっぱり僕の「努力」が足りなかったからなの?こどもの自分には、ただ泣くしかなかった。

あるいはもしかしたら、そもそもその努力の「方向」が、その目標設定自体が、間違ってたのかもしれない。たとえば、

いい会社に入るために、いい大学に行きなさい!

なんて言われることはありふれてるけど、それで一生懸命努力して、実際に「いい大学」に入ったって、それで良い会社に就職できるとは限らない。それに、たとえ「いい会社」に入ったって、リストラされるかもしれない。じゃあ、「いい会社に入って定年まで勤め上げられた」からって、その次の日に事故で死ぬかもしれない。だったらそんなもの自分のしあわせにはなんの役にも立たなかったってことになるかもしれない。

そもそも「いい会社」とか「いい人生」なんて言うのは、かなり「他のひとの意見」が混ざっている。それはある程度までは「しあわせを感じやすい環境」なのかもしれないけど、その感覚はひとによってもかなり違う。もしそれに気付かないままずっと進んで行った先が「行き止まり」だったら?それまで積み重ねてきたものは、他の道ではまったく無駄に見えるかもしれない。だったら自分は、なんのために努力してきたんだろう?

逆に言えば、

「東大に行けば100%しあわせになれる」ってことがわかってるなら、みんな必死で努力する

と思うんだよね。でも、現実はそんなに単純じゃない。だからみんな、すぐ悩んだり、努力できなくなったり、今までの努力を全部、無駄に感じてしまったりするんだと思う。

でもあるとき、僕のゲームへの熱は、一気に冷めた

そんなことをどっかで感じてたから、僕はずっとゲームから離れられなかったんだと思う。でもあるとき、僕はあれほど好きだったゲームをほとんどしなくなったんだ。

それは高校で寮生活が始まったからでもあるだろう。大学生活のためにひとり暮らしを始めて、家からゲーム機がなくなったからでもあるだろう。お金の大切さがより身にしみてきて、ゲームにお金を遣うのがもったいなく感じてきたからでもあるだろう。でも、いちばん大きいのは、

どれほど「仮想現実」で努力して「成果」を手にしたところで、それは僕の「現実」を変えてはくれない。そして人生には、時間制限がある

っていうことに、やっと本気で気付かされたからだと思う。もちろんこれにも例外はある。たとえば僕が「プロ棋士」とか「プロゲーマー」、あるいは「ゲームクリエイター」なんかになれるんなら、話は別だ。でも僕にそこまでの才能はない。それにきっとそこまでの熱意もない。じゃあやっぱり、僕がいくらゲームをしたって、そこでどんなに努力をして、成果を手にしたって、それは僕の現実を、生活を、なにひとつ変えてはくれないんだ。だったら、こんな「努力の方向」は絶対に間違っている。でもほんとはこんなこと、どっかでわかってたんだ。ただ正面から向かい合えなかった。でもそれを認めて受け入れたとき、僕のなかで確かに、なにかが変わったんだ。

人生っていうゲームは確かに一筋縄じゃいかないけど、それでも唯一、積み重なっていくものがある

それに僕は、もうひとつ大切なことに気付くことができたんだ。

人生っていうゲームは確かに一筋縄じゃいかないけど、それでも唯一、積み重なっていくものがある

ってことに。それは、

僕が生きている、この「人生」そのもの

だ。どんなに裏切られても、どんなに予想外のことが起きても、どんなにそれまでの自分の努力を否定して、全部ぶち壊すようなことが起きても、僕が生きてきた、そして今も生きている「人生」そのものの積み重ねが、壊されることはない。この「人生」は「体験」って言い換えてもいいけど、それだけはどこでなにをしていたって、絶対に積み重なっていってるものなんだ。

そしてひとは、もちろん僕も、「努力の方向」が間違っていたと思わされたときに、とても傷ついて、後悔して、絶望することになる。それはこれからの僕にもまた多かれ少なかれ起きるだろう。でも僕は、そんなすべての目標の上に立つ「第一目標」として、

この人生を最期まで生き抜く

っていう目標を掲げて生きていく。こうやって、「生きていくことそのもの」に向かって努力するなら、それは絶対に、裏切られることはない。そしてそういう目線から見てみれば、この人生ほどおもしろいゲームは他にない。だって、

僕と同じ道を歩んできたひとは、他に誰もいない

んだからね。

そしてそこに満足感さえあれば、それだけでこのゲームはクリア

なんだ。

僕はこれからも、この人生を、積み重ねていく

僕は今もゲームをまったくしなくなったわけじゃない。将棋もするし、オンラインゲームだって少しはする。そしてそれは、

目標達成のためには、今なにができるか?

っていうことを考えるのに、いろいろと役にも立つ。それに、単純な「気晴らし」にもなる。でも、今いちばんやり込みたいって思ってるのは、この人生っていうゲームだ。そして僕はこれからも、この人生を、積み重ねていく。それに、この『四つ這いおとな』は自分でもけっこう気に入ってるんだよね。だって、

文章(表現)は確実に、積み重なっていくでしょ?

だから僕はまだまだ、ここで「経験値」を貯めていく。この先にどんな「イベント」があるのか、どんな景色が見えてくるのか、とても楽しみだ。

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