「お前、クサイぞ。お母さんにちゃんと洗濯してもらってるのか?」。そこまで言われてるのを黙って見過ごすなんてさすがに、できなかった

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干された洗濯物

障碍者っていうのは、間違いなく弱い立場に置かれてる。逆に言うと、弱い立場に置かれてるひとが障碍者って呼ばれてるとも言える。そしてそれは、僕自身の体験は日常を考えても、確かな事実だと思う。でも、たとえどんなに弱い立場に置かれていたって、僕たちはみんな生き抜かなくちゃいけない。そうするとそのための「処世術」として、

長いものに巻かれる(強いひとに従う)

っていう戦術が実用的な選択肢として浮かび上がる場合も多い。だって、弱い立場のひとは、強いひとの協力なしには、生きていられないんだから。

「理解」を得られないなら、「従順」になって我慢するしかないの?

ほんとは、強い立場にあるひとが弱い立場のひとを受け止めて、理解して、一緒に社会を変えていこうとしてくれたり、自分の行動や価値観を見つめなおしてくれたりすれば理想的だ。でも、それはなかなか起きることじゃない。現実的にいちばんあるパターンは、「強者の論理」が押し通るってやつだ。じゃあそれでもなおかつ弱い立場のひとが状況を打開しようとしたら、相手を粘り強く説得するか、あるいはもっと攻撃的に、相手が折れるか自分が折れるまで闘い続けるかって話になる。でもそれは、自分にも「時間」と「労力」と「覚悟」がないとできないことだ。しかももし、相手が「同じ土俵にすら上がれないくらい圧倒的に強い立場のひと」だったら、闘いや説得の選択肢を実行すること自体が難しい。そう、たとえば自分が「幼いこども」だったりする場合にはね。

教員に対してただ従順になることに、僕はどうしても抵抗感を隠せなかった

僕の場合、親に

言うことを聴きなさい!

なんて言われることもなくはなかったけど、それ以上に頭ごなしに言われることが多かったのは、「教員」だった。そのひとたちは僕にとって、「指導」の名のもとにめちゃくちゃな論理と不完全な現状をそのまま押し付けるひとでしかなかった。もちろん、なかには優しく僕を励ましてくれるような先生もいた。でもそれはやっぱり「例外」だった。それでもほんとにちいさな頃は、

イヤなものはイヤだけど、なにを言っても結果が変えられるわけじゃないし、結局ははきっとおとなの言ってることが正しいんだよね?

なんて思ってたけど、ある程度大きくなってくると、

やっぱりおとなの言っていることだって間違ってると思うよ!

っていう感覚が大きくなっていって、中学生くらいになる頃には、周りにただただ「従順」でいることへの抵抗感を隠すことは、もうできなくなってきていた。

「自分はあんなふうにはならない」っていう話で済むくらいならまだいいけど、それで全部は片付けられない

とはいえ僕だってなんでもかんでも闘うわけにはいかないし、そこまでの気力も体力もない。それに、「勝ち目の薄い闘い」をするってことは、なかなかの覚悟がないとやってられない。だから、多少のことであれば、我慢して耐え忍んだほうがいいこともあるし、実際、

このひとはこのまんま変わらないんだから、もうしかたないよね……

って思うことも多い。だって、

伝えてもわかってもらえないひとに伝えるのって、すごく疲れるでしょ?

だから、多少のことだったら、我慢したほうがいいように思えることもある。そして、

自分はああはならない

って思うだけで、無理やりにでも納得できることもある。でも、全部が全部それで済むかって言ったら、もちろんそうじゃない。「どうしても我慢できないとき」っていうのが、どうしても出てくる。

自分のことはまだいいとしても、誰かのことを放っておくには、限界がある

僕は当時中学生で、地元の「普通学校」のなかの「障碍児学級」に籍を置いていた。そしてそこには、僕以外にも数人のこどもたちが、在籍していたんだ。その女の子も、そんな同級生のひとりだった。

その子はいわゆる「知的障碍」って言われる状態で、いろんなことを自分で考えるのは苦手だった。だからその子は親や親戚なんかからも、

先生の言うことはちゃんと聴きなさいよ!

みたいな感じで言われていたみたいだった。だからその子はそれを素直に守っていたし、僕のように教員の「指導」に食って掛かるなんてことはまずなかった。基本的に彼女が教員に言うのは、

はい!

おはようございます!

みたいなあいさつ、そして、

ごめんなさい

くらいなものだった。僕はそれをいつも苦々しく思っていたんだけど、教員の言いかたは別として、彼女も社会のなかで生きていくなかで身につけたほうがいいことはあるし、なにより周りで言い争いみたいなものが起きたときにいちばん怯えるのが彼女だってことを知ってたから、僕もなんとか耐えていた。でも、ついにその我慢の限界を超える日が、やってきたんだ。

「自分がなにを言ってるか、わかってるんですか?」

その日、その教員は何気ないふうに彼女に近付いたかと思うと、いきなりこんなことを言い出したんだ。

おい、お前やっぱりなんかクサイぞ。お母さんにちゃんと洗濯してもらってるのか?

そして彼は、彼女の服を引っ張ったりなんだりしながら、間近でその臭いを何度も嗅いでいた。でも彼女は、ただ、縮み上がったような怯えた表情をして、黙ってそれに耐えていた。そして泣きそうな声で

ごめんなさい……

と言っていた。

僕はそれを目の前で見て、ついに我慢ができなくなった。そして考えるより先に、

先生、今自分がなにを言ってるか、わかってるんですか?

と言っていた。そしたら相手は、

は?

みたいなことを言うもんだから、僕もついに抑えられなくなってしまったんだ。

そりゃあ、身だしなみが大切なのはわかりますよ。でも、洗濯についてはお母さんのことで、彼女にはどうしようもないことじゃないですか?それに、お風呂できれいに洗うのだってひとりじゃできないんだし、お母さんか誰かの協力だって要る。だったら、それはお母さんに言うことであって、彼女にだけ言ったってしょうがないじゃないですか?それに、女の子の服の匂いをそんなふうに嗅いでなんとも思わないなんて、どうかしてますよ!

それでも相手は、

なんだ、その口の利きかたは!

なんて言ってくるもんだから、僕ももう止まらなくなった。できるだけ冷静に、彼女を怖がらせないようにと思いながら、でもやっぱり言わずにはいられなかった。

口の利きかたがおかしいのはあなたのほうですよ!女性に向かって面と向かってクサイだなんて、普通言えますか?僕たちをバカにしてるから、そんなこと言えるんじゃないですか?しかも「ちゃんとお母さんに洗濯してもらってるのか?」なんて、これはお母さんのこともバカにしてるってことですよね?それともこれは、「連絡事項」ですか?だったら僕も気をつけなきゃいけませんね。「今日から僕の服は特に念入りに洗っておいて」って、僕もうちの母に言っておきますから!

そのあと僕が下校時間までどんな顔をして過ごしたのか、まったく憶えていない。でも僕は宣言通り、この顛末をその日のうちに全部自分の親に報告した。あとになればなるほど、「言った言わない」の言い争いになるのは、わかりきってたからね。

でも結局、「閉鎖空間でのできごと」は、うやむやにされて終わった

次の日、僕の母親は直接このことを教員に問い質しに来てくれた。でも結局、相手の教員は

確かにそのような趣旨に受け取れることを言ったかもしれませんが、それは少し誇張した捉えかたでして……。誤解を招くような表現については、申し訳ないとは思っていますが……

みたいな感じで濁して、学校側にもそれ以上追及されることはなかった。結局このことは学校集会にすら発展することもなく、ただうやむやにされて、終わってしまったんだ。これは今思い返してもとても悔しいけど、やっぱりこれが「障碍児学級」っていう「閉鎖空間」で起きたことだったことと、本来はいちばんの被害者であるはずの「本人の証言」が得られなかったことが大きかったと思う。彼女は「間違っているのは私だ」っていう「従順洗脳」から抜けられなかった。それにとても、怖がってたんだ。だから僕にはそれ以上、なにもできなかった。

でも逆に、教員もそのことをすべて「なかったこと」にはできなかった。そして僕が内心少し恐れていたほどの「報復」を受けることもなかった。だってその教員はそれから少しして転勤になったんだから。
実は、その彼は「期限付き採用」の教員だった。だからもともとその年度で転勤することは決まっていたんだ。だからその転勤は周りから見て不自然なことでもなかったし、その「問題」がそれ以上、拡がることもなかった。

僕は、そのあとその教員がどうなったのか、まったく知らない。ちゃんと試験に通って正式な「教員」になったのか、あるいは別の生きかたを選んだのか、それもずっとわからないと思う。でも僕がわかるのは、

これは別に彼が「期限付きの教員」だったから、起きた話じゃない

ってことだ。だって僕はそのあとも、「正式に『資質』を認められた教員」と、何度もぶつかり合うことになるんだから。

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こんな「告発」は相手には痛くも痒くもないだろう。でもだからこそ僕は、これをここから伝えていく

それに僕はこんなことくらい、ほんとは僕の周りじゃなくあちこちで起きている「ありふれたこと」だってことを知っている。だからこんなことくらいで僕が「特定」されたり、「名誉毀損」で訴えられるようなこともないだろう。それに相手はこんな文章なんて読まないだろうし、読んでも「黙殺」するだろう。彼らからすれば、それがいちばん賢い選択だろう。だって僕がどんなに吠えようが、僕と彼らとの間には、「圧倒的な立場の差」があるんだからね。でもだからこそ、僕はこれをここで伝えていく。こんなことはほとんど「無駄」なのかもしれない。でももしこれが30年後、50年後の未来を少しでも変える可能性があるなら、僕はこれを続けていこうと思う。そして僕はその「可能性」を、ずっと信じていたいと思う。

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